78. 今も、昔も、これからも
中将が抱えてきた細長い箱が机の上に置かれ、その中から三枚の巻紙が取り出された。
「それでは、諸君に身分証を与えるための手続きを行う」
それから、ラズエイダが譲った椅子に腰を下ろした中将がこまごまとした説明を始めた。
発行される身分証は中将の名前によって有効性が保証される特別なものであり、一般の人間が手に入れられるものではないということ。
テレミア、アラダ、オトの三名の出生地は不明とし、ハーダーン島を訪れて皇国にその存在を知られるようになったという扱いになること。
「定三位認定ディトリーデ皇国名誉国民」という正式名称で呼ばれる三人の身分は、皇国への自由な出入国、皇国における自由な行商、軍による治安維持の恩恵の享受、という三つの皇国民同等の権利を保障する一方で、皇国民を雇用しての事業、各種教育機関での活動、皇国指定の重要資源迷宮への入場、などを禁じるものでもあるということ。
奴隷が戦功を立てるなどして名誉皇国民権を与えられたとき、主人は奴隷個人にその権利を付与するか、自身にその権利を付与するかを選べること。
テレミアは迷うことなくラズエイダに名誉皇国民権を付与し、中将はそれを聞いて三枚の巻紙のうち唯一名前の入っていなかった一枚に「アラダ」と書き加えた。
「全てを網羅する必要はない、諸君が知る必要があるのはこれくらいだろう」
長い説明を切り上げた中将は、先程巻紙を取り出した箱の中からさらに籠手ほどの大きさの筒を取り出した。
白いその筒の表面には目立つ扇形の模様が刻まれ、さらに扇の付け根には細長い針が取り付けられていた。
何に使うものなのか全く見当もつけられないでいると、視線を感じた中将がぽんとその表面を叩いた。
「これは人間の発言の真偽を判断できる道具だ。本来は尋問用なのだが、特別に持ち出した。いくら私が興味を惹かれたといえども、皇国に害意を持つ人間を名誉皇国民として認めることはできないのでね」
「そんなものが」
驚いて声を上げると、中将は「素晴らしいだろう」と誇らしげに鼻を鳴らした。
「詳しくは言えないが、皇国のとある海域で海底探掘を行うことで手に入る、古代の道具だ。人間の腕を包み込むだけで偽りの言葉を見抜く。図書館の学者が言うには魔導の力によるものではないらしいが、はてさてかつての人々は一体どのような技術を有していたのだろうな」
この場にヘステスがいないことを、テレミアは心の底からありがたく思った。
仮にヘステスが今の話を聞いていたなら、おそらく日が暮れるまで話は前に進まなくなっていたはずだ。
そんなことはつゆ知らず、中将がラズエイダに向けて、「利き腕を差し込め」と指示を出した。
おそるおそるラズエイダは右腕を伸ばし、ゆっくりと白い筒の中に差し込んだ。
やがてラズエイダの握られた手が筒の先から顔を出したところで、中将はラズエイダの動きを止めさせた。どうやら先程までは動かなかった針がひくひくと震えている。
「いくつか質問をする。全て素直に答えてくれ。よいな?」
「……分かった」
緊張を帯びた顔でラズエイダが頷き、そして奇妙な尋問が始まった。
「君はこれまでに皇国に害をなしたことがあるか?」
「……ない」
「君はこれまでに皇国民に危害を加えたことがあるか?」
「ない」
「君はこれまでに皇国に一度も害をなしたことはないのだな?」
「ん? その通りだが」
「ああ、繰り返しになってしまうのはどうか勘弁してほしい。百発百中という万能の道具ではないのだ……君はこれまでに皇国民に危害を加えたことはない、そうだな?」
「その通りだ」
そんな調子でしばらく問答が続き、皇国や皇国の民に対する害意のなさを何度も厳重に確認されてから、ようやくラズエイダは腕を抜き去ることを認められた。
「次、テレミア」
「はい」
一度見ていたことなので、テレミアはあまり躊躇わずに腕を筒に通した。
動きを止めた後、何か柔らかいものが肌を包むような感触がした。
「君はこれまでに皇国に害をなしたことがあるか?」
「いいえ」
「君はこれまでに皇国民に危害を加えたことがあるか?」
「あります」
「む……それはここ最近のことか?」
「いいえ。二年ほど前に、ラグーダという男の指揮下で略奪に訪れました」
「……ふむ」
嘘をついても見抜かれるのだから、隠しておく意味はない。
堂々と過去の罪を告白したテレミアを前にし、中将はしばし考えた後、「正直であるのは良いことだ、としよう」と小さく呟いた。
「今後皇国民に危害を加えるつもりはあるか?」
「ありません」
「今後皇国民に、直接、間接問わず、悪意を持って接するつもりはあるか?」
「ありません」
「今後───」
ラズエイダ以上に厳重に意思の潔白を確かめられてから、テレミアの番は終わった。
最後のオトはほぼラズエイダと同様の時間で終わり、そしてようやく中将は巻紙を手に取って三人に向けた。
「最後だ。皇帝陛下への忠誠を誓い、心に刻みたまえ」
「……え?」
「私アラダは皇帝陛下への忠誠を誓い、心に刻む」
聞き慣れない指示に戸惑っていると、ラズエイダがさっと右手を左胸に当てて、すらすらと言葉を繋げた。
「……私テレミアは、皇帝陛下への忠誠を誓い、心に刻む」
「私オトは、こ、皇帝陛下への忠誠を誓い、心に刻みます」
テレミアとオトは見よう見まねでラズエイダの宣誓を再現し、その姿に中将は満足げに頷いた。
「今諸君が胸に刻んだ誓いは形式的なもので、いわば嘘でも構わないものだ。あまり大きな声では言えないがね。これで諸君は名誉皇国民だ。皇帝陛下の名の下で、皇国内での権利が保障される」
手渡された巻紙を開くと、格式を感じさせる筆致でテレミアの名前や中将の名前が書かれていた。その先の細かい文字はぱっと見ただけでは何を言っているのか分からないが、意味が分からずとも大して困りはしないのだろうな、とも想像が付くので気にしないことにする。
「ありがとうございます」
「なに、礼は不要だ。そもそも幽霊海賊を討伐した功績はこの程度の報酬で釣り合うものではない、我々は随分と得をさせてもらった」
中将はくっくと面白そうに笑った。
そう言われてみれば随分と損をした気分にもなるが、海賊であるのは自分たちも同じなので文句を言える立場にはない。
「では、親愛なる我が友人達よ。諸君の活躍がこの耳に届く日を楽しみにしているぞ」
提示された条件の二つ目である「友誼を結ぶ」の方は既に発動が済んでいたようで、中将は三人の肩を順に叩いていった。
そして中将が役目を終えた白い筒に手をかけたときだった。
「友人のよしみで、一つ頼みを聞いてはもらえないだろうか」
突然ラズエイダが切り出した。
中将は驚いたように眉を上げ、「随分と早いことだな」と呟いた。
「頼みとは?」
ラズエイダは中将が手にする道具を指した。
「嘘を見抜くというその道具を、少し使ってみたい」
中将の視線がラズエイダの顔と手元の道具を何度か往復し、最終的にラズエイダの顔に着地した。
「これは貴重なものだ。そう易々と貸し与えられるものではない」
「そうだな、二回でいい。二回だけあれば十分だ」
ラズエイダは断られてもなお引き下がらない。
こうした礼節を保つべき場での模範的振る舞いを熟知しているはずのラズエイダにしては、珍しいことだった。
「……何を考えている? 単純な興味ではないようだが」
「彼女達が二度と道を違えることがないように、その道具に頼りたい」
「ほう」
「……え?」
「?」
船室の中には、男が二人と、女が二人座っている。
つまり、ラズエイダが言う「彼女達」とは、ほぼ間違いなくテレミアとオトを指すはずだ。
道を違えることがないように、というラズエイダの飾った発言の真意は、テレミアには読み解けなかった。
顎に手を当てた中将は、ラズエイダの瞳の奥に何かを感じ取ったのか、一度持ち上げた筒を机に下ろした。
「二回だ。それ以上は認められない」
「心より感謝申し上げる……オト、腕を通してくれ」
「え」
「いいから」
ラズエイダはオトの腕をそっと掴んで引き寄せ、オトは戸惑いながらも筒に腕を通すことになった。
「針の動きが何を意味するのかは私は理解できない。よって発言の真偽についての判断を中将殿にお任せしたい。問題ないだろうか」
「いいだろう」
「重ねて感謝を申し上げる。……オト。正直に答えてくれ」
ラズエイダは一つ咳を払って、オトと正面から目線を合わせた。
「オト、お前は、今も、昔も、これからも、テレミアの友達として側に居続けるのだな」
「っっ!!」
ラズエイダが口にした質問の持つ意味を悟って、テレミアの心臓は未だかつて感じたこともないほどに大きく、高く跳ね上がった。
その質問は、テレミアが抱える最も大きな問題を完全に解消するためのものだった。
ラズエイダは、今も、昔も、これからも、という三つの言葉でオトに問いかけた。
これからの未来を友達として過ごすのかどうかだけでなく、カライアにいた時間でも友達であったのかどうかが、質問の中に含まれていることになる。
ラズエイダの問いかけに対してオトが答えれば、その瞬間に、オトが裏切り者であったのかどうかがほぼ確実に判明する。
回答を委ねられたオトはぴくりと肩を震わせて、テレミアを見つめた。
その視線に込められた意味を、意思を、願いを、今テレミアは知ることになる。
オトが口を開くまでの僅かな時間が、テレミアにはまるで一昼夜ほどにも長く思えた。
痛いほどに跳ね回る心臓の鼓動を全身に感じながら、テレミアはオトの表情と、口と、胸の、その全ての動きを一切見逃さないように凝視した。
「私は、いつでもミアの友達。今も、昔も、これからも」
涼やかな声が客室を満たし、余韻を残して消え失せ、その余韻も波の音に霞んでいく。
テレミアは気づけば膝から崩れ落ちていた。
「ど、どうしたのミア!?」
「……ぅ、こ、れは、っ……違、くて……!」
答えは言葉にならなかった。
拭えど拭えど己の頬に流れるものの熱さが、ようやくテレミアに真の感情を受け入れさせていた。
ラズエイダがちらりと中将を見上げた。
中将はテレミアとオトの二人に視線を遣ってから、何も言わずに首を縦に振った。
「ほら、立てテレミア。次はお前の番だ」
ラズエイダがテレミアの腕を掴み、力任せに引き上げた。
まるで骨を引き抜かれてしまったかのように力の入らない足をどうにか踏ん張って、テレミアは白い筒に右の腕を通した。
「テレミア、お前はオトの友達だと胸を張って言えるな」
胸から溢れるこの思いが全部答えになればいいのに。
そう願いながらも、テレミアの身体は持ち主の思い通りには動いてはくれないようで、テレミアは痙攣するような状態で答えらしきものを叫んだ。
「っ、言え、る……っ!」
「中将殿」
「……針の動きが荒い。この道具は少々繊細すぎるようだ」
「そうか、では答えは不要だ」
ラズエイダがさっきとは打って変わって優しい手つきでテレミアの手を取った。
「良かったな」
「ぁぁぁあああっ!」
その後に自分がどうなったのか、テレミアはよく覚えていない。
枯れてしまった喉の痛みと、混じりっけのないオトの微笑み、そしてラズエイダの纏う満足げな雰囲気が、テレミアの欠けた記憶の代わりを務めている。




