60. 父親
船の後処理をすると簡単に言っても、誰に頼めば聞いてくれるのか、テレミアにはてんで見当も付かない。
こういうときに頼るべきは、手頃な酒場にいる顔の広そうな女将あたりだろう。
「───ってわけで、壊れた船を引き取ってくれるような人を探してるんです。どこが良いとか、知ってませんか?」
卓に料理を運んできた恰幅の良い女性を捕まえて、テレミアは事情を説明した。
「大変! そういうのはふつうお役人さんに任せるのよ。貴女も船乗りなら、誰かに教わったんじゃない?」
「ええと、ディトリーデには初めて来たんです。この国のことはあまり知らなくって」
「あらまぁ、外国で船が壊れちゃうなんて可哀想に……」
憐れみを顔一杯に浮かべた女将は、大げさな身振りでテレミアを給仕服の中に抱きしめた。
こういうときに、「年若い女」という海賊らしからぬ姿は便利だ。大男のモムルが同じことを相談してもこうはいかないだろう。
女将は椅子に座るテレミアと顔が同じ高さになるようにしゃがんで、「私に任せなさい」と真剣な表情で伝えてきた。
「港湾局のリーデン分署が近くにあるわ。自分で行っても良いけれど、普段通りなら職員の方たちがもうすぐお昼を食べに来るはずよ。ここで待ってなさい、紹介してあげるわ」
「お願いします、本当にありがとうございます!」
礼を返したテレミアは、そのまま壁に掛かった品書きを見上げた。
「えっと、パンと果実水をもう一つずつ。ほら、二人も何か頼んで」
「いいのよ、気にしないで。船がなくなってお財布も大変でしょう?」
女将がテレミアの感謝をやんわりと断ったそのとき、店の扉に付けられた鈴がちりんと鳴った。
反射的に女将はそちらの方を向いて、「いらっしゃい」と接客用の雰囲気を押し出した。
一人の男が入ってきた。
「ザギンのリーデン焼きを頼む。飲み物は水だ」
最初から頼むものを決めていたらしい男は、慣れた口調で注文を終えた。
どうも聞き覚えのある声だ。
「あら、ドレッシュじゃない。いつも配達ご苦労様」
「いや、今日は非番なんだ、ぜ……」
振り返ったテレミアの視界に、口をあんぐりと開いた男の姿が映った。
「……う」
オトが小さく身じろぎしたのが分かった。
つい先日ヴェンゲンで遭遇した無礼な手紙の配達員が、そこに突っ立っていた。
モムルが深くため息をついて、どうやらドレッシュという名前らしい男の前に大きな身体をねじ込んだ。
「おい、何のつもりだ」
「いや待て、待ってくれ、本当に只の偶然なんだ! 俺にあんたらを追いかけようとか、そういうつもりは全くない!」
「鞄はどうした? 仕事は?」
「今日は非番だ、配達の仕事は部下達に任せてきた!」
「ああん?」
モムルが眼光鋭くガンを飛ばしたそのとき、必死に弁解するドレッシュとモムルの間に、女将が手に持ったお盆を滑り込ませた。
勢いを削がれて、モムルは少し身を引いた。
「まあまあ、落ち着きなさいよ。ね、ケト族のお兄さんも。折角のお料理が冷めちゃうわ」
「……」
「じ、事情を説明させてくれ」
テレミアはどうすべきか迷っているらしいモムルの腕をそっと引き寄せた。
「モムル」
「……は、好きにしろ」
モムルはどかっと音を立てて椅子に座り直した。
緊張のあまりに身を強ばらせていたドレッシュのことは女将がお盆でひと叩きして、彼も手近な席を取った。
「事情ってのは?」
女将が調理場に一度引っ込んだので、自然とテレミアが場を切り回すことになった。
「……そっちのお嬢さんがな、昔亡くした俺の嫁とマジでそっくりなんだ。それで驚いちまった」
「ふーん」
なるほど、故人の面影を誰かに見つけてしまったというありふれた話だったようだ。
「で、私たちの後を追いかけてきたのは?」
「本ッ当に偶然だ。俺は郵便局の南西部局勤めで、この辺りの島を順に巡って手紙や荷物を配達してる。ほら、郵便局章だってあるぜ。あんたも見たことあるだろ」
そう言ってドレッシュは、胸元から羽根を模したような徽章を取り出した。
当然ここの生まれではないテレミアはそんなものを見たこともないので、徽章よりもどちらかといえばドレッシュの表情や声色からその言葉の真偽を判断した。
「嘘をついてる感じはしないね」
「嘘なんてつくわけがない、アリューヴィテに誓ったって良い」
アリューヴィテ、という僅かに聞き覚えのある単語を記憶に探る。
そういえば、あのときのドレッシュがオトに向かって「アリューヴィテという名前に聞き覚えはないか」と尋ねていた。
察するに、それが彼の言う「昔亡くした嫁」の名前なのだろう。
「……そこまで言うなら。オト、大丈夫?」
人見知りを発揮して小さくなっているオトが頷いたので、テレミアは男に対する警戒を解いた。
「思わず鞄を落としちゃうくらい似てるの?」
「……あのころのアリューヴィテは、まだ二十も行かないくらいだった。今のお嬢さんより一回り大きい程度だろう。本当に、似ているんだ。背丈も、目の色も、髪の色も、鼻の形も、何もかも。まるであいつが、あのときのまま帰ってきたみたいだった」
礼を失さないよう気を遣っているのか、ドレッシュはオトに時折ちらりと目線を向けるだけに留めながら小さく語った。
それにしても、大の男がここまで我を忘れたように語るとは。
余程オトと、そのアリューヴィテという女はそっくりなのだろう。
「勿論、そんなことはないってのは分かってるんだがな。もう十何年も前の話なんだ。実際問題、生きてたとしても、俺と同じように歳を食っちまってるはずだ」
己を戒めるようにドレッシュは語る。
大分落ち着いてきたようだ。
「……まあ、他人の空似ってやつなのかもね」
「そうだろうな。まさかこんな場末の酒場で運命の再会が起こるなんてありえねえ」
「あら場末なんて、失礼ね」
折良く戻ってきた女将が、水の注がれた杯をドレッシュの前に置いた。
「これでもリーデンで一二を争う超人気店のつもりよ」
「すまんすまん」
軽く笑って、ドレッシュは水を口に含んだ。
調理場にも話が聞こえていたのか、女将は「貴方がよく話してくれる奥さんって、こんなかわいらしい子だったのねぇ」とオトを眺めて呟いた。
「海賊団に連れ去られて行方不明、だったかしら?」
「そうだ。あいつを奪っていった奴らの顔も、牛の角を染め抜いた海賊旗も、ハッキリ覚えてる。きっと一生忘れられないだろうよ」
「───え?」
間抜けな声が口から零れた。
ドレッシュは「牛の角を染め抜いた海賊旗」と口にした。
それはまさに、怒牛海賊団の掲げる旗だった。
「あいつの顔は、もう鮮明に思い出せるわけじゃない。ただいくつか特徴が浮かぶだけなんだ。たった一瞬見ただけの憎い人間の顔は浮かぶのに、何年も愛した女の顔は浮かべてくれないんだぜ。全く人間の脳味噌ってのはふざけたもんだ」
ドレッシュは酒のように水を勢いよく喉に流し込みながら語り続ける。どうやらテレミアが浮かべた表情には気付いていないらしい。
その時間を使って、テレミアは必死に頭を回す。
十何年前にカライアに連れ去られたという女にそっくりな、カライアで生まれ育った十五歳のオト。
これが意味することは一つ。
アリューヴィテという女は、本当にオトの母親なのだ。
「はじめの頃はよ、あいつが俺の前にひょっこり帰ってきてくれる、そんな夢を何度も見てたんだ。皇国軍が海賊をぶちのめして、あいつを救い出すって夢だ。軍だけじゃねえ、俺だって夢の中なら百人力になれた。海賊をバッタバッタ斬り飛ばして、囚われの姫君を救って、そんでよ……馬鹿みてえだよな。今じゃそんな夢も見れなくなった。あいつは俺の中から溶け落ちていくだけなんだ」
ここで私たちがとるべき選択は何だ。
オトが海賊の出身であることを明かすべきなのか、それとも隠し通すべきなのか。そもそもこんな話をされた後に、動揺を隠し通せるのか。かといって、海賊であると明かした場合、どんな未来が待っているのだろうか。
「お嬢さんを見つけて、俺の脳味噌が穴あきのアリューヴィテの顔を都合良くお嬢さんの顔に重ねちまった。……気持ち悪いことをしたのは謝る。すまなかった」
ドレッシュは胸に手を当てて頭を垂れた。
「え、ああ、まあ」
テレミアの返事は曖昧なものになってしまった。
「どうしたのよ、さっきからみんなおどおどしちゃって」
女将が暢気に聞いてきた。
邪気のない配慮が、今はただただ苦しい。
そのとき、モムルがテレミアの腕を掴んだ。
「おいテレミア、出るぞ」
そこに込められた意図は明白だった。
余計な面倒を背負い込むのは避けなければならない。
隠し通せないくらいなら、何も情報を与えずに逃げてしまえば良い。
テレミアは反射的に「うん」と頷こうとした。
そのとき、どうしてか、オトの姿が視界に大きく映り込んだ。
オトはドレッシュを、ただ呆然と見つめていた。
その表情に現れている感情の色を読み取るのは、ずっと彼女と共にいたテレミアにとってはとても簡単なことだった。
心が理性を一気に押し返した。
「───待って!」
思わず叫んだ自分を後から認識して、テレミアはようやく己の進むべき道を進む覚悟を決めた。
オトのためを思うなら、この場で彼女を無慈悲にドレッシュから引き剥がすことはきっと許されない。
天涯孤独の身だったオトが、初めて見つけた家族なのだから。
「いいよ」
大声を出したからかこちらの方を向いていたオトに、許しを与える。
何のことかは伝えずとも、オトの目には確かな光が灯った。
オトは小さく息を吐いて、吸った。
「私は、そのアリューヴィテってひとの娘だと思う」
人見知りの彼女らしくないしっかりした声で、オトは彼女自身のことを告白した。
ドレッシュは引き攣ったような笑顔を浮かべてしばらくあちこちに視線を泳がせた後、「……はは、冗談が上手いぜ」と絞り出した。
そう簡単に都合の良い現実を信じられなどしないのだろう、ドレッシュはオトの言葉を受け入れないことを選んだようだった。
「お嬢さん、俺を慰めようだなんて思わなくたっていいんだ」
諭すような声色になったドレッシュに対して、オトはただ真っ直ぐな視線を向け続けている。
「私は海賊の島で生まれた。牛の角の海賊の島」
ドレッシュの身体がぶるりと震えた。
「……嘘だろう」
「本当」
「……嘘だ」
「本当」
「嘘だ」
「本当」
「うそ、だ」
「本当」
幼子のようにいやいやと首を振るドレッシュに向けてオトは根気よく繰り返す。
ついに黙り込んだドレッシュに向けて、オトは一言、
「……お、お父さん?」
と告げた。
「───あ、ぁ」
へなへなとドレッシュが地面に崩れ落ちた。
そのまま起き上がらない。
「ちょ、ちょっと!」
慌てた女将が支え起こすと、真っ青な顔のドレッシュは白目を剥いて気絶していた。
「いやぁっ!」
騒ぎを聞きつけて調理場から出てきた何人かに向けて、女将は「医者! 医者を呼んで来てちょうだい!」と叫んだ。
オトはなんとも言えない表情でその光景を眺めていた。




