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迷宮世界のオデュッセイア  作者: 諭吉
三章 「友達」の意味
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61. 綱渡り

 結局すぐにドレッシュは目を覚まして、駆けつけた医者は「心因性の失神でしょうな」とだけ診断を下して帰って行った。


「……人って喜びすぎると気絶するんだね」

「ヘステスが聞いたら面白がりそう」

「だな」


 酒場の個室で横になったままのドレッシュを見下ろして、テレミアたちはひそひそと話をしていた。


「……いつかアリューヴィテに会えたらこうしてやろう、なんて考えてた頃もあったが、まさか娘と先に会うなんてな。いやぁ、人生ってのは何がどう転ぶか分かったもんじゃねえ」


 ドレッシュは天を見上げた姿勢で語り、そして「よっこらせ」と身体を起こした。


「……まだ無理に起きなくても」

「いや、いい。血が繋がってなくたってよ、娘に憐れまれるなんざ男の恥だろ」


 テレミアの心配を跳ね返しながら、ドレッシュは卓に手を突いて上体を支えた。そのまま「おーい! 注文良いかぁ!」と個室の外に呼びかけ、すぐに女将が顔を出した。


「貴方そんな大声出して大丈夫なの?」

「むしろ元気が出て丁度良いくらいだな」


 強がるように返したドレッシュは、オトを指さして言った。


「楓の蜜餡をこの子に」

「! ……分かったわ」


 何かを悟った様子の女将が素早く顔を引っ込めていった。


「運命の出会いを祝して、奢らせてくれ」

「……いいの?」


 オトが首をかしげたのに対して、ドレッシュは鷹揚に頷いた。


「あいつは甘い物が好きだった。ここの酒場の、楓の樹液を使った蜜餡が特に好物だったんだ。リーデンに来る度に買ってくれってせがまれたよ。お嬢さんもきっと気に入るだろう」

「!」


 「甘い物」と聞いて、緊張の残るオトの顔に明らかな期待が浮かんだ。

 オトは甘味に目がない。親子のつながり、ということなのだろうか。


 すぐに女将の手によって、色とりどりの果物にたっぷりの蜜がかかった餡蜜の器がオトの前に運ばれてきた。

 オトは匙で苺をたっぷりの蜜と共にすくい上げて、口に運んだ。


「───!!」


 舌に匙を触れさせるなりオトは目を輝かせて、そのまま一心不乱に手と口を動かし始めた。


 その光景が何か琴線に触れたのか、ドレッシュの目にはみるみるうちに涙が満ちていった。


「ああ、アリューヴィテの娘だ。間違いない。あいつの娘だ……」


 それからしばらくは、野暮なことはできないような雰囲気が酒場の個室の中を満たしていた。


 やがてオトが最後の一口を名残惜しそうに飲み込み、ドレッシュに向けて「おいしかった。ありがとう」と伝えた。


「こちらこそありがとう、良いものを見せてもらった」


 優しい笑顔を浮かべていたドレッシュは、「さて」とテレミアとモムルが並んで座る方に身体を向けた。

 いつの間にだろうか、表情に刺々しいものが滲んでいる。


「あんたらは、その……何者なんだ」


 テレミアは小さく息を吸った。

 後先考えずに動いた代償が降りかかろうとしている。


「……まあ、きっと予想は付くと思うけど」

「……そうか」


 濁した答えに対し、ドレッシュの双眸に昏い光が宿ったのをテレミアは認識した。

 それは覚悟していた中でも悪い方の反応だった。

 海賊を目の前にするだけでどす黒い感情が渦巻いてしまうほどに、ドレッシュはアリューヴィテを大切に思っていたのだろう。


「リーデンを襲撃するための下調べに来たんなら、事情を知ってしまった俺は殺されるのか?」

「いや、そんなことはしないよ。私たちは脱走兵だから、もうアイツらとは関係ない」

「脱走兵、ってのは、そのままの意味か?」

「うん。海賊団から命からがら逃げ出してきたところ。捕まったら、殺される」

「そうなのか」


 テレミアは頷いた。

 ドレッシュが一瞬オトの方に視線を向けて、そして戻した。


「それと、もしもあんたが皇国軍に私たちを売っても、きっと殺される」


 そう告げると、ドレッシュは苦虫をかみつぶしたような顔になった。


「娘を売れるはずがないだろう」

「私たちは売ってもいいってこと?」


 ドレッシュから返事はなかった。

 モムルが卓の上に身体を乗り出しかけたのを手で制する。


「少し、私たちの身の上を話してもいい?」

「……何だ、藪から棒に」

「小娘の命乞いくらいは聞いてやろうって思わない? せっかくオトに会えたんだから」

「チッ……良いだろう」


 ドレッシュは卓の上に両肘をついて、言葉通りにテレミアの命乞いを聞く姿勢を取った。


 久々の綱渡りの時間だ。

 カライアで培った嘘吐きの技が衰えていないことを祈りながら、テレミアはドレッシュが気絶していた間に練り上げた、この場を切り抜けるためのはったりを頭の中に展開していった。 


「私たちの故郷、怒牛海賊団の拠点には大きな孤児院がある。いろんな成り行きで産まれたり連れてこられた孤児を育てて、海賊団の雑兵に仕立て上げる場所なんだけど。()()()はそこで育った」


 嘘を真実の中に混ぜ込む。

 ここにいる三人の中で、孤児院で育ったのはオトだけだ。テレミアは肩身の狭い身分でこそあったが、それでもヘステスとモムルの献身を受けて「船団長の娘」として幼いころからの時間を過ごしたし、モムルにはケト族の両親や上官がいたと聞いている。


 この程度の嘘が即座に看破されることはきっとないだろう。

 それに、ドレッシュにとってはそんなことよりもっと気にしなくてはいけない部分があるはずだ。


「……つまり、アリューヴィテは、もう」

「多分死んでると思う。オトは十五歳だから、十五年くらい前に」


 ドレッシュは深いため息をついて天を仰いだ。

 最愛の人が既にこの世にいないのだという真実は、もし覚悟していたとしても、心を強く打ちのめすだろう。


「話を戻すね。そんな場所で育てられた私たちに待っている結末なんて、当然碌なものじゃない。最前線に放り込まれて野垂れ死ぬか、女なら男に回されて腐り落ちるか、がよくある話。私たちはたまたま魔導の適性を持ってたからなんとか生き残ってるけど、いつ使い捨てられたっておかしくなかった」


 ドレッシュが落ち着きを取り戻せないでいるうちに、同情を買うための言葉を連ねる。


「……確かに、海賊どもはどいつもこいつも若い印象がある」


 僅かな納得をドレッシュの中に生めたようだ。

 その納得を足がかりにして嘘を積み重ねていく。


「でも、そんな場所から、私たちを助けてくれた人が居たの。ヘステスっていう魔導士なんだけど」


 この先は殆ど全てが作り話となる。

 万が一にも怪しまれないように、テレミアは表情と声を操る。


「斬りかかった私たちを魔導で気絶させて、こっそり匿ってくれた。海賊を追い払ってから、もう命を賭けて戦わなくて良いんだぞ、って丁寧に諭してくれて、今は一緒に旅をしてるの。奴らの追っ手に捕まらないように、遠い南まで逃がしてやろうって」

「……」

「もしここで私の命が終わるなら、それも運命だって言えるのかもしれない。……でも、私はまだ死にたくない」


 細い息を漏らして、顔を曇らせて、唇を噛み、肩を震わせる。少しでもドレッシュという海賊を忌み嫌う男の同情を買えるように、”儚げな少女”の姿を演じる。


「生まれて初めて、明日が来るのを楽しみにできるようになったんです。お願いします、私たちから明日を奪わないでください」


 ドレッシュは目を閉じて、動かなくなった。

 そのまま誰も何も話さない、静かな時間が続いた。

 テレミアの中で焦りが薄く、しかし確かな厚みをもって積み重なっていく。


 やがて、瞼が開いた。

 悩んだ末の決意を、その内側に見ることができた。


「……海賊は大っ嫌いだ。アリューヴィテを奪っていったお前らのことを、何度ぶっ殺してやりたいと思ったか。……だが、さっきからの様子を見るに、あんたはオトの友達なんだろう。そこのケト族のお前も」


 ドレッシュは一度口を閉じて、オトを見た。

 オトは不安げな表情で身体を小さくした。

 それを見たドレッシュは一度ため息にも似た息を吐いて、そしてテレミアに向き直った。


「俺にオトを預けてくれ。そうしたら、俺はあんたらを見なかったことにする」

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