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迷宮世界のオデュッセイア  作者: 諭吉
三章 「友達」の意味
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58. アリューヴィテ

 ニラギを離れてからは半月程度、カライアからだともう少しで三月を数える頃になって、ようやくテレミアたち一行は旅の中間地点と呼べる国、皇国ディトリーデの勢力圏に進んだ。


 皇国は古からの血筋を保つ皇帝が治める北方海域の盟主であり、その版図は世界有数の大きさを誇る。

 皇国の強さを確たるものとするのは、北方海域最強との呼び声高い艦隊戦力だけではない。膨大な人口に裏打ちされる確かな内需に、周辺諸国の商いを僅か一カ国で制圧するほどの発達した工業生産が、皇国を皇国たらしめている。

 造船、製紙、織布、などが基幹産業として有名だが、その他にも広大な領土の中では実に様々な資源が産出され、どれもに加工品としての付加価値が与えられる。


 大迷宮へと向かうに当たって、「どうやら皇国の端を掠めるように進むのが最短距離じゃな。国境を通る故多少の小競り合いに巻き込まれるやもしらぬが、かといって中央を通ろうとするも遠回りじゃ」というヘステスの判断があった。

 カライアから直接南下していれば素直に皇国の中央を突っ切る形で安全に旅を進められたかもしれないが、随分と西のニラギに寄ってしまったからには仕方ない。



 皇国領ヴェンゲンが最初に立ち寄ることになる島だった。

 迷宮から産出される欅を売り物として人々は暮らしているが、どちらかと言えば国境の関所としての立ち位置が強い島でもある。


 テレミアは船を隅々まで巡って、余計なもの───例えば牛の角の意匠を染め抜いた海賊旗───が積まれていないかを確認して回っていた。既に数枚の旗とあからさまにカライアを中心にして描かれた海図をいくつか、ヘステスが燃やして海に散らしている。

 アルタスから逃げる中でこの国を一度経由したというラズエイダとファンエーマ曰く、「関所ではこれでもかというほど積み荷の確認をしていた」らしい。そうした厳しい目を向けられると分かっている中で、海賊との繋がりを感じさせる物品を残しておくわけにはいかない。



 ふと話し声が聞こえてきて、テレミアは顔を上げた。


 視線の先にはファンエーマと、そしてオトが隣り合っている姿があった。

 ファンエーマの意識はオトだけではなく少し遠くのラズエイダにも向けられてはいるが、それでも二人は和やかな雰囲気を漂わせている。


 ニラギの麦の島で明かしてくれた通り、確かにオトはファンエーマと仲良くなったようで、ここまでの船旅でも何度も二人が談笑する場面を見かけることができた。


 何を話しているのかはこっそりファンエーマから聞いているが、オトは本当にとりとめのないことをゆっくりと話しているだけのようだ。テレミア様への敵意を見抜くために、と初めは考えていたらしいファンエーマにしても、「毒気を抜かれたと言えば良いでしょうか、最近は殆ど自然体で向き合ってしまうのです」と恐縮していた。


 それに、オトはどうやらしっかりラズエイダとも関係を作り上げている。ラズエイダの記憶によれば、もう既に会話の中で笑顔を浮かべられる間柄にまでなったようだ。

 四人の仲間内でしか話そうとはしなかった昔のオトを思えば、自分から話し相手を作りに行こうとする姿はまるで別人のようですらある。


 ……それか、もしかすると、こうして社交的であろうと頑張ることこそがオトの本来的な性格であったりするのだろうか。カライアでは抑圧されていて表に出せなかったものが、こうして多少の自由を得たことで顔を覗かせているのかもしれない。

 だとすれば、今までは随分とオトに申し訳ないことをしていた。


 そんなことをぼんやり考えていたとき、オトが自らに向けられる視線に気付いたのか、テレミアの方を向いて首をかしげた。

 行く先のない想像を頭の奥にしまい込んで、テレミアは元の作業に戻った。




 長い長い巡視官の審査が終わって、ようやくテレミアたちはヴェンゲンの港に降り立つことを認められた。


 国籍を証明するものも商売人としての立場を示すものも何も揃えておらず、その上素性すらも明かそうとはしない六人組というのは巡視官にしてみれば酷く怪しく見えたようで、テレミアたちは港に錨を降ろしてから丸一日以上を船の中で過ごすことになった。

 応援の官吏たちが船の中をあちこち踏み荒らしていくのを黙って受け入れている間になど、もうこいつらを海に放りだして船を出してやろうかという衝動が何度も身体を走った。


 しかし、大きな港の周囲に浮かぶ無数の軍船の放つ威圧感は凄まじく、下手を打つわけにはいかないという重圧がテレミアたちを覆っていた。そもそも、余裕を持って他の島に辿り着けるだけの食糧も残っていなかった。

 だから、テレミアはただ不快をかみ殺し、第二の家のようにも感じられてきていた小船がどんどんと散らかされていくのを無力に眺めることになったのだった。



「───ああ、もう! 腹立つ!」

「まー落ち着けや、俺達の準備が悪かった」

「密輸を疑われておったからの、仕方あるまいて。通行証を貰えただけ良かったとしておくべきじゃろう」

「にしたってさあ、何の遠慮もなく衣装籠ひっくり返して漁ることある!? こっちには女三人いるんだから女の役人連れてきたって良かったでしょ!?」

「……得てしてこうした仕事は男のものとなりがちじゃからの。荒事を避けては通れぬ故な」


 モムルとヘステスにあれこれと文句をぶつけながら港街を進んでいくと、段々と街並みが酒場などの客商売を中心とした商店街から、木材が積まれた工場(こうば)を中心とするものに移り変わっていった。仄かに甘い匂いが漂っているのは、きっと木の香りなのだろう。


「この先にはあんまり飯屋はなさそうだね。戻る?」


 軟禁状態が解かれたのは丁度太陽が天頂を越えた頃でもあったから、テレミアたちは次の島までの食糧を買いこむよりも先に自分たちを食事で労うことにしていた。


「じゃの。途中クリームの煮込みの香りがしておったじゃろう、あそこでどうじゃ。いい香草を使っているようじゃぞ」

「そこにしよっか。よく覚えてないけど」


 踵を返したそのときだった。


 どさっ、という音が程近くから聞こえてきて、それに「嘘だ」という声が続いた。


 大きな手提げ鞄を足元に落とした中年の男が、呆然とした表情でテレミアたちを見つめていた。


「……何だ」


 モムルがずいっと身体を壁にするように踏み出した。

 至近距離からモムルの顔を見上げた男は、気圧されたように数歩下がった。


「いや、その、す、すまない」


 もごもご謝罪を口にした男は、しかし今もなおテレミアたちが居る場所に何度も視線を向けてくる。


 オトがモムルを挟んで男の視界から外れるような立ち位置を取った。

 そのとき、ようやく男は自分の足下に散乱している紙や荷物の数々に気付いたようだった。


「あぁ、しまった……」


 男が顔を曇らせて手当たり次第にそれらを拾い上げようとしているうちに、風に吹かれて一枚の紙が空に舞った。


 ひらひらと宙を踊ったそれは、すとんとオトの手の内に収まった。

 オトは何気なく目を落として、すぐに首をかしげた。


「……?」


 気になったテレミアはオトの肩越しにのぞき込んだ。

 オトの手より一回り大きいくらいの小さな紙切れに、「ヴェンゲン」「214」「ミュール通り15」「トレジア」と並べて書いてある。


「……宝の在処の暗号?」


 幼稚な答えしか浮かべられないでいると、「返してくれ、そいつはこれから配達する手紙なんだ」という声がかかった。

 いつの間にか足下に落ちていたものを拾いきったらしい男が、モムルの向こうで首を伸ばしていた。モムルの横を通り抜けようとするのは気が引けるのか、奇妙な姿勢で様子を窺っている。

 オトが素っ気なく男の方に手を伸ばすと、男はモムルの顔を気にしながらおそるおそる手紙を受け取った。


「ありがとうな」

「……ん」


 受け取った手紙を鞄にしまい込んだ男は、一呼吸置いて改めてオトの方に向き直った。


「……一つ訊かせてくれ、嬢ちゃん。アリューヴィテという名前に聞き覚えはないか?」


 何か祈るように男が口にしたのは、テレミアの知らない名前だった。響きからすると女の名前だろうか。


 オトは眉をひそめ、黙って首を横に振った。

 それを見た男は、いかにも落胆した様子で顔を曇らせた。


「……そうか。騒がしくしてすまなかった」




 うなだれた男が街の路地に消えていくのを見送ってから、オトが後ろを振り返り「誰?」と尋ねた。


「知らぬ」

「知らないな」


 答えたのはヘステスとラズエイダである。

 二人が知らない存在であるのなら、あの男は個人的な知り合いの名前をオトにぶつけてきたということになるだろうか。


「何でわざわざオトに訊いてきたんだろうね」

「……ずっと私の顔ばっか見てた。ちょっと気味悪かった」

「ああ、モムルの後ろに隠れたのってそういうことだったんだ」

「にしてもよ、やけに大げさな物言いだったな。「嘘だぁ!」とか言ってよ。お前の顔に何か付いてたんじゃねえか?」


 オトはぺたぺたと顔を触って首をかしげた。


「何も付いてないけど」

「そりゃな」


 顔にハテナを浮かべたオトの隣でヘステスが口を開いた。


「あの男はおそらく手紙の配達を仕事にしておるのじゃろう。ディトリーデでは紙が腐るほど作られておるが故に、何かにつけて家族や友人と手紙を送り合う風習があると本で読んだことがある」

「ふーん」


 ヘステスがうんちくを垂れ流す程に語ることがないというのなら、あの男については忘れてしまえばいいだろう。


「ま、さっさとご飯にしようよ」

「だな」




 事件が起こったのは、ヴェンゲンを発って数日が経った頃だった。

 少し前にも巻き込まれたような嵐に揉まれている最中に、畳んでおいたはずの帆が広がってしまい、帆を吊り下げる帆桁が風の力で途中から折れてしまった。


 嵐が過ぎ去った翌朝、ヘステスがマストを見上げて渋い顔になった。


「……これは、流石に儂らではどうしようもないのぉ」


 嵐の中で必死に空を飛び回ったテレミアとラズエイダがどうにか応急処置を済ませ、致命的な被害こそ免れはした。が、テレミアたちがカライアから運命を共にしてきた船は、マストに対して右半分だけの帆でどうにか進むような状態となってしまったのだった。


「元々緊急用の船だしね。用意した人間も何ヶ月って航海は想定してなかったのかも」

「だろうな。いい木材を使ってりゃ、あの程度の風で折れる筈もねえ。それか内側が腐ってたのかもな。やけに水漏れが多いとは思ってたんだ。チマチマ修理し続けるのもいい加減面倒だろ、いっそこの船は捨てちまうとかはどうだ?」

「修理にかかる金と時間を見てからじゃが、その選択も頭には置いておくべきじゃろうな」

「こんなボロ船だったとはなぁ、ええ?」


 モムルがため息をついたとき、船が文句を叫ぶように大きく軋みを上げた。

 一瞬全員が背筋を冷やして黙り込む時間があって、そして軋みが収まった。


「……とりあえず、船大工に相談だね」


 テレミアがおそるおそる呟いたことには、どうやら船は文句はないようだった。



 本来予定していた針路からは大きく外れて、テレミアたちは皇国領リーデンに向かった。

 リーデンは皇国に属する数々の島の中では比較的小さい方の島である。テレミアたちが必要としているような、すぐに作業してくれる腕利きの船大工を探すにはあまり適していないようにも思われた。

 しかし、帆の折れた状態の船で長距離を航行するのも難しい。


 消極的な判断の結果仕方なく選ばれたリーデンは、夕日に映える美しい朱色の森を背景にしてテレミアたちを出迎えた。


「わぁ」


 思わず感嘆が漏れる。

 隣でオトも同じように口を「あ」の形に開けていた。


「楓の木じゃな。世にも珍しい、赤色の葉を生やす樹木じゃ。よもや生きているうちにこの目で拝めるとは思わなんだ」

「紅葉とは違うのか?」

「違う。迷宮原産の木であるために、普通の木とはそもそもの生態が異なっておるそうじゃ」

「それは興味深いな。太陽の光で育つのは変わらないのか?」


 背後でラズエイダとヘステスが風流もへったくれもなく語り始めたのを鬱陶しく思いながら、テレミアは帆風を緩めた。港に入るまでの時間を引き延ばして、海の上に咲き誇るかのような華やかな島の姿を少しでも長く目に収めていたかった。


 どうせいつか壊れてしまう船であったなら、ここで壊れてくれたことに感謝するべきなのかもしれない。

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