57. ニラギ発 9日(暫定)
────────────────────────
ニラギ発 9日(暫定)
今回の内容:熱とは何か
要点
一. 世の中のあらゆる現象を支配するのが「熱」
・炎に限らず、風も、雷も、水も、熱に支配される
・物質も熱を持つ
熱の動きとして現象を理解するのが本質的
二. 物の分類 「可燃物」「不燃物」
・あらゆる物質は「燃える」「燃えない」で二区分できる
「可燃物」 火が付けば灰になるもの
草、木、皮、肉
「不燃物」 火が付かないもの
水、土、空気、金属、灰
三. 物に宿る熱「炎熱」「形熱」
・炎熱 物が燃えたときに灰になるまでに放つ熱
すぐに燃え尽きるものほど炎熱は小さい
物質間を移動しない、感じられない熱
・形熱 物自体の温かさ、また形態を決める熱
氷の形熱は小さい、熱湯の形熱は大きい
水に形熱を与えれば水蒸気に、形熱を奪えば氷に
物質間を移動する、一般に考えられる「熱」
(温かさや冷たさそのもの)
炎とは最も純粋な形熱である
・可燃物には両方の熱が宿る
不燃物には「形熱」だけが宿る
(或いは、灰などは「炎熱」を使い果たした状態)
考察
物質は「熱」と「物素」から成る、らしい。(上に書くべきかは迷ったが、ヘステスも「知る限り理論として確定したものはない」というためこちらに分離する)
存在の籠としての「物素」、中に詰まる熱としての「熱」、これらが互いに作用することで物質はそのかたちを定める。
魔導は魔素を用いてこれら「物素」と「熱」に自然には起こりえない変化を加えるもの、として解釈される。
ただ、この「物素」という不明瞭な概念が補わねばならない理論の欠損はあまりにも大きく、長い間より細かな説明が探し求められてきたらしい。
図書館の学者達が挑む大きな難題の一つではあるものの、包括的な理論を見つけられないまま、今に至るようだ。
そういう話を思えば、「魔素」というのは至って単純だ。意思を汲み自由に形態を変え、また物の形を書き換える存在、という理解で十分なのだから。(ヘステスがこれから別の見方を教えてくるかもしれないが、少なくともアルタスではこう教わったはずだし、今回の講義にしてみたってこの理解で合っているだろう……多分)
それとも、実は物素も魔素由来のもので、人間以外の意思、例えば木や水の意思に従ってその形をとるようになったという考え方もあるだろうか。
すると、今度は意思そのものを測るために”ナントカ素”と名付けなければいけないだろう。
意思素? 思考素?
止めておこう、私に名付けの妙は備わっていない。
────────────────────────
少し砕けた文で今日の分のまとめを締める。
たまにこうして遊びを入れたくなってしまうのは、アルタスで学んでいた時代から続く癖だった。特に何かと疲れたときにこの発作が起こる。疲れてまともに思考が回らないから、逃げるようにふざけたことを書き残すのだ。
今日の講義はとても難解だった。
これまでに持っていた「熱」に関する感覚を捨て去るところから始め、終いには世の理そのものにまで議論が及んだ。延々と続いた抽象的な論の半分も理解できたような気がしない。ヘステスすらも完璧に理解しているようではなかったのだから、さもありなんだ。
それに、昨日突然やって来た嵐のせいで肉体的にも疲労が溜まっていた。
風に飛ばされないよう帆を畳んだり樽を運んだりするときには、テレミアと合わさっていれば良かった。力は強くなるし疲れにくいし、その上もとの二人に戻ってしまえば怪我も疲労も持ち越されない。
しかし互いの仕事もあって四六時中合わさっているわけにもいかないから、ラズエイダは”ラズエイダ”として長い時間を激しく揺れる船の上で過ごすことになった。
小さな船はいつどうやって揺れるかも分からないから、嵐が過ぎ去るまでは一時も気を抜けなかった。波を船が軋みを上げて乗り越えようとするたび、今にも転覆するのではないかという恐怖が小船での旅を知らないラズエイダを襲った。
そんなこんなで、身も心も完全に疲弊しきった状態で、ラズエイダは今日という日を過ごしていた。
海賊の四人が嵐にまるで動じる様子もなく、それどころか張り切って波を乗りこなし船を前に進めていたのは、ラズエイダには全く信じられないことだった。年老いたヘステスですら、疲れ果てた顔のラズエイダを見るなり「軟弱者め」と笑い飛ばすのだ。
「お前もすこぶる元気そうだな、オト」
「……?」
オトは小さく首をかしげた。
相変わらず顔や口の動きの硬いオトにしてみても、流石にこの反応は「何を言ってるのかわからない」という困惑に他ならないだろう。
「あの嵐にはエマですら参っていたというのに、お前達は皆ピンピンしているではないか。慣れるものなのか?」
「……え……うん」
オトの返事は鈍かったが、何を当然のことを、という感想が漏れ聞こえてくるかのようだった。
「そうか」
ならば自分も早く身体を慣らさなければいけない。大迷宮に辿り着くまでにあと何回かは嵐に襲われてもおかしくはないし、辿り着いた後もこの船で遠出することはきっとあるはずだ。
そのためには結局身体を鍛えなければならないだろう。
鍛えるためにはやはり力仕事だろうか。それとも迷宮で神々の祝福を直接取り込んでみれば良いだろうか。
投げやりにそんなことを考えていると、オトが僅かに身じろぎしたのが感じられた。
何かを口にする覚悟が決まったのか、と思いそちらを向くと、想定していたよりも近くにオトの顔があった。
頭から背筋に走る本能的な動揺をどうにか殺しながら、ラズエイダはオトの言葉を待った。
その状態から三回は息を吸って吐いただろうか。ようやく、オトの口が薄く開いた。
「……ファンエーマが言ってた。ラズエイダ様はお身体が強くありませんから、こうしたときには私がお支えするのです、って」
それはオトの口から初めて聞く長文だった。
彼女が普段テレミアたちと会話をするときのように、端的でありつつも、しかししっかりとした量の情報を含んでいる。
彼女との関係性は、僅かずつではあるが確かに前に進んでいるらしい。
口角が自然と浮かび上がるのを感じる。
「はは、エマが言いそうなことだ。昨日は嵐の中ずっと私の側を離れようとはしなかったからな。私はもうそんな子供ではないのだが、エマが健気に助けてくれようとしていたのもまた事実だ」
いくらか陽気な気分でラズエイダはオトに返した。
すると、オトは少し考えるそぶりを見せて、
「……まるで母親」
と呟いた。
こうした冗談もまた、オトの口からは初めて聞く。
ファンエーマの話題を使えばオトは食いついてくれる、と考えて良いだろうか。
「そうだな、私は母の顔を知らないから、ある意味ではエマは私の母でもあるのかもしれないな。まあ歳は八つしか離れていないから、母と言うには若すぎるが」
「……じゃあ、姉?」
「何だと思う? 私にもよく分からないんだ。エマは私の良き母であり、賢き姉であり、替えがたい友であり、信のおける側近でもあり、頼もしい……」
護衛でもある、と続ける前に、胸に苦い思いが満ちて、ラズエイダは口をつぐんだ。
ファンエーマに槍を握らせたのは他の誰でもない、ラズエイダだ。
王位継承権を持つ者への寛大な措置として王の名の下に与えられた僅かばかりの護衛を全て失った後、槍を握らざるを得なくなったから、ファンエーマは槍を握った。
ただの住み込みの召使いでしかなかったはずのファンエーマは、その有り余る才覚で幾度もラズエイダを凶刃から救った。
王宮からの遁走を選んだあの日。
肩に血の滲む包帯を巻く彼女が、ガタガタと震えの止まらない下顎を食いしばりながら「イダ様がご無事で何よりです」といつものように静かに微笑もうとする姿を、ラズエイダは克明に思い出せる。
それはラズエイダにとって罪の歴史でしかない。
「まぁ、そうだな。一言で表すのはとても難しい」
尻すぼみになってしまったのを気まずいと思ったのだろう、オトはぱちぱちと目を瞬かせてそっぽを向いてしまった。
「エマはエマだ。他の何でもないし、何でもいいんだ」
今夜の語らいはこの辺りで終いだろうか、となんとなく思っていると、
「……ファンエーマから聞いたことがある」
思いがけず、オトが新しい話題を持ち出した。
「ん?」
「似たようなことを言ってた」
「ほう」
似たようなこと、とは何だろうか。
「私に聞かせても良いのか?」
「たぶん、良いと思う」
オトは一度息を整え、しっかりと椅子に座り直した。
いつになく、真剣な態度だった。
つられてラズエイダも、オトに正対して真摯に言葉を受け止める姿勢を作った。
オトの小さな口が動き出す。
「……イダ様は主君である以上に、大切なお方です、って」
「……エマが、そんなことを」
「うん」
オトは確かに頷いた。
オトから伝え聞いたファンエーマの台詞は、思っていた以上の麗しさでラズエイダの萎びていた心を覆った。
ファンエーマの前では罪悪感に塗りつぶされ表に出せない親愛の感情が、どうしてか、オトの言葉によって呼び起こされていた。
ラズエイダはオトにひとつ頼み事をすることにした。
咳を払い、ファンエーマが目の前にいることを想像しながら、限りなく柔らかい表情を作る。
最早誰が見ようと仕えるに値しない身分にまで落ちぶれた主君を一心に敬う姿を見せてくれる、そんな彼女に報いるための言葉を心の中に探し、拾い上げる。
「折を見てエマに話しておいてくれ。私も母のように、姉のように、友のように、お前を慕っている、と。……私は主君として配下たる彼女のことを常々労わねばならないが、お前を介して伝える思いの方がより純粋に伝えられるものなのかもしれない」
奥手なはずのオトは、奥手だからこそだろうか、感情の機微を相手に汲ませることに長けているのかもしれない。例えそれが、他者のものであっても。
なれば、きっと本人を前にすれば泡と消えて伝えられないこの思いも、オトはまるで写し絵のように伝えてくれるはずだ。
「わかった。覚えておく」
オトの唇が僅かに微笑みの形を作ったのを、ラズエイダは確かに認識した。
今夜は初めてのことが実に沢山だ。




