54. ニラギ発 5日(暫定)
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ニラギ発 5日(暫定)
今回の内容:本来的な「雷」とその発生原理
要点
一. 雷とは光の凝集である
・光は熱という概念を通じて炎と性質を近しくする
(つまり雷を炎の亜種と捉えても良い)
二. 空から迸る雷は黒雲が遮ってため込む太陽の光と熱が変じたもの
・熱が黒雲の保持力を超過し、器の底が抜けるようにこぼれ落ちる
その量が大きすぎるから、熱は熱や炎としてではなく、より破壊力の大きい雷として収束する
三. 雷は金属と水を好む
・雷は光、つまり熱でもあるから、空気よりも熱を伝えやすい金属、水と相性が良い
(「伝熱」という概念らしい
問 寒い場所で外套を何着も纏うと温かいのはなぜか?
解 布の層が伝熱の悪い空気の衣をつくるから
熱が肌から逃げていかない)
四. 魔導としての雷は魔素を一度光か熱に変換し、それを凝集させ雷として放つもの
・問 基本的に自らの身体を介してしか放てないのはなぜか?
解 大量の光か熱を収束させることが前提となるため
雷は操作がとても大規模な魔導の一つ
身体から遠く離れた場所では魔素の反応が鈍くなるのだから、魔素に強力な作用を与えられる手指から放つのが基本となる
(熟達したならある程度自由に放つことができる)
考察
魔導相殺時に起こる現象についての疑問が生じた。
テレミアがエマの攻撃から身を守ろうとしたとき、胸の前でエマの魔導を打ち消すように相殺を試みていたが、このとき間違いなく雷に由来する破裂音や閃光が上がっていた。
この時点でエマの手の先に雷が発生しているとすれば、熱はテレミアの身体を襲っているべきだろう。だというのにテレミアは無事、それどころか無傷だった。
ヘステスが私の放った雷魔導を相殺したときは、私の手が触れていた場所に(無防備に攻撃を受けたときほどではないにしても)いくらかの痺れが残ったという。
ヘステスにも説明は付かないらしく、今後文献を漁るか、図書館を訪れる機会があれば調べてみよう……とのこと。
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ペンを布で拭い、近くの小物入れに納める。
月明かりの差し込む船室の中で、びっしりと文字で埋めた一枚の紙を光に透かす。
その出来映えに満足できたので、ラズエイダは横に置いておいた紙の束を取り出した。
組紐を解き、新しい一枚を差し込む。
こうしてヘステスの魔導講義を紙にまとめ、いつか見返したときに思い出せるようにしておくのは、どこか懐かしさを感じる行いだった。
ファンエーマとほのぼの暮らしていた離宮からつまみ出され、右も左も分からないままに王立学校に放り込まれたあのころ。詰め込まれていく膨大な知識をどうにか整理しなければ授業について行けない、と毎晩遅くまで泣きながらペンを走らせていた。
当時に比べれば、師はヘステスただ一人であるのだから、何ら苦労するものではない。
それでも、またこうして手を動かし記憶の整理をすることになるとは、まるで思ってもみなかった。
ふとその気になって、ラズエイダは宙に向かって指を立てた。
〈──〉
「『雷よ』」
ぱし、という音と共に、まるで髪の毛のような細い光の筋が指から伸びて消えた。
その様子を眺めてから、今度は手を開く。
〈──〉
「『風よ』」
天に向けて開かれた掌の先、指の狭間をゆらりと風が撫でていく。
ラズエイダはふうと息を吐いて、右手を何度か開いて閉じることを繰り返した。
閉じるときには、丁度その中に剣の柄を握るように、細い空間を残して指を折りたたむ。
建国の祖たる伝説の勇者が手にしたという黄金の剣を身に宿して以来、魔導に関する能力がぐんと成長していた。
以前であれば苦労していただろう風の細かい操作も息をするように容易くこなせるし、帆風を維持できる時間など体感で五倍は伸びている。
その理由がどこにあるのかは全く分からなかったが、一つラズエイダが気付いていることがあった。
少し前のヘステスの講義を思い出しながら、ラズエイダはとある魔導の行使を試みることにした。
戦場や王宮では珍しくもない、ただ火をおこすだけの初歩的な炎魔導だ。詠唱は、『炎よ我が導に従え』と紡がれる。
先までと同じように、伸ばした指の先に蝋燭の火のような細い炎が立ち上る様を想像する。
息を吸って、詠唱を唱えようとすると、
〈────〉
「……やはり、か」
脳内に響いた不快な音に遮られて、ラズエイダは詠唱を止めた。
テレミアと出会ってからずっと、魔導を行使するときに決まって聞こえてくる音がある。乾いた人の言葉のような、しかし何を言っているのかはまるで聞き取れない、そういう音だ。テレミアも同じ音を聞くらしい。
風や雷を使おうとしたときには、どこか冷静さを感じ取ることもできる短い音が届く。対して、適性を持たない魔導を使おうとすると、今のような強い警告の意図を感じられる長く鋭い音になる。
おそらく剣が魔導の行使を手助けしてくれているのだろう、という仮説がラズエイダの中にはあった。そして手助けができないとき、剣が上げる悲鳴がこの長い警告音なのだ。
最近のラズエイダの考え事は、もっぱらこの「手助け」というぼんやりした説明を明快にするための論理の探索に充てられていた。
適性のある風魔導を使うときに「手助け」を受けられることや、適性のない他の魔導を使うときに「手助け」を受けられないのはまだ良い。とても直感的だ。
しかし、どうして雷魔導を使うときに限っては「手助け」ができるのだろうか。そして、どうしてテレミアと合わさったときには適性に関係なく全ての属性で「手助け」ができるのだろうか。まるで説明がつかない。
テレミアにこの話をしても「そういうもんだって思えばいいでしょ。この世を作った神様に向かって理屈でかかるのも馬鹿馬鹿しくない?」と適当にあしらわれてしまった。だから、ラズエイダはこうして一人になれる時間を使って、少しでも自らに宿った力の根幹を説き明かそうと思索を巡らせる。
ラズエイダの心の中には、小さくとも確かな焦りがあった。
幼い頃から何度も聞かされてきたアルタスの伝説には、不穏な一節がある。
勇者アルタスは金色の剣の再臨を、「いつかまたこの世界が危機に陥ったなら、私の子どもたち、孫たちが神より託される剣を振るい、世界を救うであろう」という一種の条件付きで予言している。
ラズエイダは確かに、神の御業としか思えない超常の体験の末に、底知れない力を持つ剣を身に宿した。
ならば、条件の「またこの世界が危機に陥ったなら」という部分も真実味を帯びてくるというものだ。もしかすると誰も気づいていないだけで、既にこの世界のどこかで破滅的な未来の兆しが現れ始めているのかもしれない。
……テレミアはてんで気にしていないようだが。
仮に予言が正しかった場合、その中に謳われる”世界の危機”に立ち向かうのは他の誰でもない、ラズエイダだ。
初代アルタス王は、死にゆく父の願いに応え血族に世界を救う義務を課すことによって、王権を握ったとされる。この逸話は現代においてもアルタス王家の治世の根幹を成していて、新王は救世の誓いを人々に宣することで即位する。
忌々しいアルタスの名は、我が身にどれほどの苦しみを味合わせれば気が済むのだろうか───そう嘆きたくなる思いを抱えながらも、しかしラズエイダは逃れようもない血の定めに立ち向かうことを選んだ。
いつだったかテレミアに心を覗かれたとき、「かつてこの心を支配していたはずの死を望む思いが姿を消している」と指摘されたことがあった。
そのときは、髪を白く染めたことを理由として挙げた。しかし、深く内省を繰り返すにつけ、ラズエイダの中には別の解釈が生まれつつあった。
この心に火を点すのは、単に「新たな髪の色を得た」ことだけではない。
テレミアが他者に向ける暖かな感情が、一度凍てついてしまった心を癒やし、人間らしい思いを取り戻させた。今、己の心を形作る感情の確かな一部分は、テレミアからもらい受けたものなのだろう───ラズエイダはそう考えていた。
白い髪を見ることで不思議と満ち足りた気分になるのは、それが「テレミアによって形作られたラズエイダ」を意味するからなのだ。
その恩を返さずに、それどころか恩人をも巻き込んでただ無様に死に果てることを、ラズエイダは認められなかった。
ラズエイダが戦うとき、仲間想いのテレミアは絶対にラズエイダを一人きりにはしない。ラズエイダが死ぬときには、きっとテレミアは横に並んで地に伏している。
自分が勝手に諦めた先で誰かが死ぬのは、もうたくさんだった。
だから、ラズエイダは来たるそのときに備えて準備を進める。
勇者アルタスは古の時代、創世の神々に連なる存在を相手に戦い、勝利を収めたのだという。そのような超人が警告する”世界の危機”なのだ。何も剣の力について知らずに、何の対策も打たずに、ただの風魔導士でしかないラズエイダが宿命を果たせるはずもない。
テレミアの宿す盾や謎の青肌姿という予言に言及のない物事が存在する以上、実際に戦いに挑むことになるのかは分からない。そもそも、本当に世界の危機が訪れるのかも定かではない。
それでも、準備を積み重ねておくことに必ず意味はあるとラズエイダは信じていた。
……とはいえ、これまでになにか芳しい成果が得られたわけでもないのだが。
ふと、船室の扉の外で何やら物音がした。
「……?」
ラズエイダは音のした方を訝しげに振り返った。
ヘステスではないはずだ。帆風役の交代にはまだ早い。モムルやオトは普段この物置のような船室には近寄って来ない。テレミアは今仮眠をとっていて、ファンエーマはその警護についている。
何か不測の事態でも起こったか、それとも一人になった隙を狙って何者かが首を取りに来たか。
そんなことを考えつつ僅かに身構えたとき。
ラズエイダは、いつの間にか細く開いていた扉の隙間から、片目だけが覗いているのを見つけた。
紺色に近い青の虹彩。
オトだ。
「何か用か?」
隠密に優れたオトがわざわざ気配を感じさせてきたのだから、なにか言いたいことがあるのだろう。
返事を待っていると、オトは何度か片目をきょろきょろと動かした後に、
「ぅ」
というよく分からない声だけを残し、一瞬で消えていった。
「……何だ?」
椅子から立って扉を開け、近くを見回す。
オトの姿は見つからない。
ラズエイダはただ困惑だけを抱えて、扉を閉めた。
(───ということがあったのだが、何か知っているか?)
(あぁ、えっとねー)
二人での見張りの時間にそうやって真面目くさって聞いたところ、テレミアは愉快なものを見たと言わんばかりの感情を浮かべてきた。なにやら事情を知っているらしい。
(大体こういうこと)
ラズエイダは隷属の首輪によって勝手にテレミアの記憶をのぞき見ることを禁じられているので、テレミアから受け取る形で彼女の記憶を自らのものにした。
どうやら麦の島で国長を決める試合を観戦していたときの記憶のようだ。
(オトはあんたとお近づきになりたがってるだけ)
(……確かに最近のエマはよくオトと共にいるな。で、次は僕が相手だというわけか)
(私もびっくりなんだけどね。昔っから人見知りで、息を潜めてたら腕利きの忍びになっちゃいました〜 ってくらいの引っ込み思案だから、まぁ……上手いようにあしらったげて)
テレミアの直接の説明も含めて、ラズエイダは大まかに状況を理解した。
(僕を怖がる気分は分からないでもない。お前と違ってオトには僕の記憶やら性格やらは分からないのだからな。突然見知らぬ男が近くに来たなら身構えもするだろう)
(そりゃそっか。……私たちは遠慮とか話しづらさとか、余計なことを感じてる暇もなかったっけね)
(敵だらけの戦場中で、そもそも一度自我すら溶けて混ざり合っていたからな。戻れていなかったならどうなっていたか、たまに恐ろしくなる)
(なんやかんや戻れてたと思うけどね。ま、オトのことは困ったらファンエーマにでも聞いてよ)
テレミアは軽く伝えてくるが、彼女に惨めな姿を見せてしまうなど全くあり得ないことだろう。
(女一人と話せないからエマに縋れだと? そのような無様を晒せるものか)
(……あんたはほんと変なとこに芯があるよね)
強めに返すと、テレミアは呆れ混じりの称賛を胸に抱いたようだった。
ラズエイダは何を思うでもなくその言葉を受け流して、そしてすぐに考えを切り替えた。
(ともかく、お前を苦しめる目的で僕を籠絡しようとしているわけではなさそうだな)
少しの沈黙があった後に、テレミアの心の中で愉快さが勢いよく膨れ上がって、ラズエイダにも伝わってきた。
テレミアは笑いを心だけに留められなくなったらしく、身体を共有している二人は一緒になって息を口から吹き出した。
(オトが籠絡なんて、まっさかぁ! オトにそんな真似ができるわけないよ、女を武器にしようって性格でも考え方でもないのにさ。そもそも、ちょっと目が合っただけで逃げ出したくらいなのに、なんでまた籠絡なんて想像しちゃうかなぁ。あんたも結局男なんだね、普段はすましてるのに色々考えちゃうタチ?)
次々流れてくる馬鹿にするような思考に素直な不快感を抱いたので、ラズエイダは事実をもってテレミアに挑むことにした。
(僕の経験上、色での籠絡は普通にあることだぞ。お前も兄姉達が女の間者を送り合っていたのは知っているだろう)
アルタスの王宮に居た頃、そういう女に近寄られた経験は数知れない。全く靡かなかったからか、一度など男娼にすり寄られもした。
(何より、お前はあの三人の内誰かがついている嘘を全く見抜けないでいるんだ。オトの性格にしても、隠れた本性のようなものがあってもおかしくはないはずだ、違うか)
きっとテレミアが最も嫌うであろう事実すらも使って、ラズエイダは己の意見を押し通そうとした。
しかし、テレミアは飄々とした姿勢を崩さない。
(そもそもオトなら、籠絡とか嘘とかで懐に入り込むよりも拷問の方が手っ取り早いって考えるんじゃないかな。ほら、カンバの腕を斬り落としてたの覚えてるでしょ)
投げかけられて、ラズエイダの脳裏にカンバの腕を顔色一つ変えずに切断したオトの姿が蘇った。
テレミアと共に数々の窮地をくぐり抜けてきた凄みというのが実感されて、今更ラズエイダの感情に怯えが生まれた。
(……そ、それとなく話はできるようになっておこう)
(うんうん、よろしく。あ、もしほんとに籠絡されたら教えてね、めちゃくちゃ見てみたいし)
テレミアは相変わらずラズエイダのことを面白がっていたが、それに反発するだけの気力はラズエイダには残っていなかった。




