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迷宮世界のオデュッセイア  作者: 諭吉
二章 七つの島の新たな伝説
51/61

51. 試合前

 船の上でヘステスはモムル、オト、ファンエーマの三人にも事情を明かし、「ニラギを離れよう」という主張を容易く丸め込んだ。


 そのまま六人は花の島に戻り、次の日からニナの迷宮巡りが始まった。


 麦の部族の手前、露骨なニナへの支援はどの部族にも難しかったから、必然的にニナはこっそりと海を渡り、息を潜めて迷宮に向かうことになった。せめて迷宮内での応援をと申し出た部族もいくつかあったが、ニナとヘステスはそれらの全てをかたくなに固辞した。

 麦の部族にあれこれが露見しないように、余計なことはしないでほしい───というのが建前で、実際にはテレミアとラズエイダを迷宮に連れ込み、堂々とニナのために力を使えるようにするための策だった。

 青肌姿であれば、二人は忍術を使い、いくらでも姿をくらますことができる。そうやって迷宮に忍び込み、中でニナとヘステスと合流すれば、あとは花の迷宮での修練とやることはさして変わらない。周囲に他の人間がいないのを確かめながらニナの補助に回り、強敵を相手にするときは程よく痛めつけつつ、最後にはニナの身体に魔物から生まれた光を注ぐ。

 一日に二つ、三つと踏破を重ねて、麦を除く六つの迷宮を三周もした頃には、ニナは殆どの魔物を自力で倒せる程の能力を手にしていた。


 事情を知る高位の役人や共闘を誓い合った仲間たちに何度も感謝されて、ニナは鼻高々だった。先日の惨事を生き延びた鉄、木の族長も、既にニナを新たな国長と認めつつあるのか、ニナの前に膝を突いて頭を垂れた。


 ヘステスに言われずとも、傲ってはいけないとニナには理解できていた。ニナはニラギに生きる全ての民に奉仕すると決めたのだから、身を粉にすることはこれからのニナの日常になる。

 だから、ニナは浮つく心をしっかり抑えて、「当然のことですから」と柔らかく笑って感謝を受け入れることを自らに科し続けた。




 そして、試合の日がやってきた。


 麦の島の族長屋敷の中は、つい先日の葬儀のときにも増して人でごった返していた。

 テレミアは手頃な木を見つけて、貼り出した枝の上に腰を落ち着けた。こうすれば、人波の奥にぽっかりと空いた空白をしっかりと視界に収めることができる。


 腰に大ぶりの模造剣を提げたニナの姿を見つけた。顔には僅かな緊張が浮かんでいるように見える。


「どう、勝てそう?」


 横に並んで座るオトに尋ねられたので、テレミアは素直な答えを返した。


「負けるわけないよ。だって私にも余裕で勝てるんだからさ」


 オトは細い目を丸くした。


「そんなに?」

「お互い魔導抜きだったらまだ私も経験でなんとかできるけど、魔闘術込みだともうついて行けないくらい。最後すっごい張り切っててさ、一日で四つも迷宮を踏破してその後ぶっ続けで対人の練習するんだよ。くたびれたよもう」


 昨日の光景を思い返しながら、テレミアは手にできた真新しい豆を眺めた。

 ヘステスに頼んで魔導で消してもらおうかとも考えたが、ニナとの長い鍛錬の証でもあったから、ニナが勝つまでは消さないでおこうという願掛けとして残してある。


「意外。あんまり剣を振るのが好きな感じには見えないのに」

「背負ったものがそうさせてるんだと思うな。「もうすぐ皆さんはいなくなるから、それまでに一人で全部できるようにならなきゃいけないんです」、って言ってた。夜は夜でヘステスと何かずっと話してるし、本当にできた子だよ」

「見てる方が疲れそう」

「うん、疲れた」


 テレミアは笑って答えた。

 しかし、そのがむしゃらな姿勢は素直に見習うべきだろうという感覚もあった。


「まあ、これから私たちもちゃんと鍛えないといけないから。ニナみたいに頑張らないとね」


 オトは静かに頷いて、遠くの空を眺めた。


「一ヶ月もこんな場所にいるなんて思わなかった」


 小さな声に、オトが言葉にしなかった本音を感じ取ることができた。


「……私のわがままにヘステスが乗っかってきたから」


 ヘステスに責任を擦り付けて、それを弁明とする。

 オトからの反応はなかった。


 少し間をおいて、オトが「でも」と切り出した。


「時間があったおかげで、ファンエーマと友達になれた」

「ふぇ?」


 思いがけない角度からの告白を受けてテレミアは一瞬戸惑った。


「あ、ええと、おめでとう?」

「迷宮の見張りを二人でしてるときとかに、ちょっとずつ。頑張った」


 オトは誇らしそうにしている。

 確かに、オトとファンエーマが並んでいる場面を最近よく見かけるようになったような印象はある。

 人見知りの気があるオトにとっては、新しい話し相手を作ったことは誇るべき実績なのかもしれない。何にしても、仲が深まるのは良いことだろう。


「あとはラズエイダか」


 二人が座っている枝の丁度真下に本人がいるので、聞こえないよう声を絞って言うと、オトは至って真剣な顔になった。


「同い年の男の子とは、何を話せば良いの?」


 思わず枝から滑り落ちそうになったのをどうにか堪える。


「……なんでもいいんだよ、そんなの。何を聞いても喧嘩か酒か女だった海賊団の野蛮人どもと比べてみな? ラズエイダはよっぽど話しやすい方だって。適当にアルタスのことでも訊いてみたらいいよ」

「う」

「てか、モムルとヘステスとなら普通に話してるじゃん」

「二人は別枠。だいぶ年上だし、そもそも男とか女とかじゃない」


 テレミアにはオトが真剣な顔で語る論理が分からない。


「じゃあ、私から本人にそれとなくお願いしとく?」

「それは……ちょっと」


 オトは気まずそうに身をよじらせた。

 助け船を出したら出したでたじろぐとは、なんとも煮え切らない態度だ。


「どっちみち、私がラズエイダと合わさってるときに何かの拍子でこのことを思い浮かべたら、その瞬間に全部筒抜けだから」


 そうぶつけると、オトの表情が凍り付いた。


「……そうだった……」

「自分から話しかけにいきなって」

「うぅ」


 情けない声があがったそのとき、前方で銅鑼の音が鳴り響いた。


「───!」


 視線を向けると、二十歩四方ほどの空所の中央に、ニナとカンバの二人が向かい合っていた。

 審判役の指示に従って、両者は一度剣を合わせる。


 カンバが何か呟いて、ニナが糸でぴんと引かれたようにカンバの方を向いたのが見えた。


 再度、銅鑼が打ち鳴らされる。


 次の瞬間、金色の衣を纏ったカンバがニナに向けて斬りかかった。




 花の島から出航した少し後、ニナは改めて生まれ育った島の全景を視界に収めた。

 大きな船など一隻もいない小さな港があって、古びた平屋がまばらに散らばる平地があって、野菜を育てている農地があって、その奥に薄茶けた屋敷の壁が見える。

 開墾されていない草地には色とりどりの花が咲き乱れている。迷宮に出入りする人間の衣服に何かの拍子に種がくっついて、ああして広がっていくのだ、と幼い頃に父が教えてくれた。

 そうやって咲き誇る花々の名前や効能をあまり思い出せなくなっていることに気付いたのはいつだっただろうか。ライラたちに教えてもらった数々の花の知識が飾っていた場所を、いつの間にか戦いの技法と治世のための知識が埋め尽くしていた。


 海岸からニナに向けて手を振っている人々に手を振り返して、ニナは船の進む方にある麦の島を見据えた。


 ついにこの日が来たか、という高揚感がニナを満たす感情の半分だった。

 鍛え上げた己の実力にもう疑いの余地はない、とニナは信じることができていた。今日をもって、強者が弱者を虐げる忌まわしいニラギに終止符を打てるという実感が、ニナの中に抑えきれない興奮を生み出していた。

 同時に、ニナの心には不安もあった。

 麦の部族はドルムを勝たせるためにどんな手を使ってくるのか。

 直接の戦いに関わらない部分、例えば観客の中に嫌がらせをしてくる人間が仕込まれているとか、一合打ち合っただけで壊れてしまうような剣を持たせてくるとか、そういう搦め手に対しての対策はどうしたって万全とはいかない。

 まんまと麦の部族の策に嵌められてしまって、今日までの努力が全て無駄になったらどうしようという怯えが、ニナの心のもう半分を満たしていた。


 二つの相反する思いを抱えて、ニナの手は僅かに震えていた。



 麦の島についた後、ニナは麦の部族の迎えによって速やかに屋敷の部屋に一人で押し込まれ、その場で剣を選ぶよう言い渡された。

 刃の潰された訓練用の直剣が五本並べられたので、五本とも一度ずつ手に取る。

 案の定、どれも無駄に刀身が肉厚で重量のある使い勝手の悪い剣だった。


 ニナは落ち着いて、持ち上げるのにいちいち苦労するふりをしてから、長さを基準にして一本を選んだ。

 テレミアがこの状況を想定し色々な剣での訓練を課してくれたから、ドルムを前にしてどうやって対処すれば良いかは分かっている。


 次に、ニナの前に食事が運ばれてきた。

 毒の混入を警戒して、ニナはそれに一切口をつけなかった。


 そして、ニナは試合の行われる修練場へと連れ出された。

 部屋の中に居たときからうっすらと聞こえていたざわめきが段々と大きくなっていって、白い砂地が目の前に広がった瞬間に音は風となってニナの身体を覆った。

 ニナは自分に向けて無数の視線が伸びてくるのをありありと感じ取った。

 視線に籠もった興味、敵意、疑念、期待、そうした色々をニナはできる限り意識しないように努めた。不慮の事故を装った奇襲や根拠のない難癖をつけられないよう大人しくしていることに気を配らなければいけない状態で、他の些事に意識を割く余裕はなかった。やがて、ニナの後ろからガカルが出てきて、視線の大半はそちらへ移っていった。


 殆ど何を言っているのか分からない儀礼的な開幕の式が執り行われる間もニナは注意を怠らなかった。


 気付けば、ニナはカンバの前に立っていた。


 試合が行われるのは、詰めかけた観客の最中に広がるそれほど広くない空間だった。

 ニナはここにきてもう一つ、麦の部族の仕掛けた悪意に気付いた。

 技のぶつかり合う場所から観客の並ぶところまでに何の遮蔽もない。このような環境では、遠距離系の攻撃、つまり砲槍を放つことなど到底できないだろう。使うだけで観客が巻き込まれてしまう。

 言い換えれば、麦の部族はただ純粋な剣技と力のみでの戦いを強いてきたことになる。他の六人と比べれば長く身体を鍛えてきたドルムにとって有利な環境を作ったというわけだ。


 ニナは血の気の引く思いで拳を握りしめた。

 これまでニナが作り上げてきた戦型は、砲槍での牽制を中心として体力と集中力の枯渇を狙う遠距離型の変則的なものだった。魔闘術を扱う人間同士で繰り広げられるような高速の剣戟についていくのは、僅か一月しか剣を握っていないニナにはどうしても難しかったから、必然的に「剣を中心としない戦い方」が磨き上げられていった。

 そして今、ニナはその戦型の根幹となる技を封じられたのだ。


 大丈夫、できる、大丈夫。

 ニナは焦りを鎮めるよう自分に何度も言い聞かせた。


 テレミアとモムルは魔導を封じられようが武器を奪われようが戦い続けられるよう、徹底的に動きを叩き込んでくれた。まだ、魔闘術のうちわずか一部分が封じられただけだ。こんなのは想定内でしかない。


 銅鑼が打ち鳴らされて、どくどくという心拍の音が響いていたニナの頭を外から強烈に揺さぶった。


 我に返ったニナは、指定された場所まで歩み出た。

 歓声がひときわ大きくなる。


 正面に立つカンバは、二人で旅をしていたときよりも上等な防具を身に纏っていた。

 整えられた頭髪も相まって、ニナの慣れ親しんだ姿とはまるで別人にも見える。


「用意」


 審判役の合図に従って、ニナは鞘から剣を引き抜いた。

 カンバも程よく力の抜けた仕草で剣を構えた。

 

「合せ」


 ニナとカンバはそれぞれ一歩踏み出して、剣の切っ先をカチリと合わせた。


「……構えてくれ、ニナ」

「え?」


 カンバがぼそりと呟いたのが聞こえた。

 顔をカンバの方に向ける。

 視線は重ならず、表情はニナには読み取れなかった。

 

 ”構えてくれ”が何を意味するのかを理解できないまま、ニナはカンバと五歩ほどの距離を取って向かい合った。


 視界の片隅で、大きなバチが銅鑼に向けて振りかぶられたのが見えた。もうあといくらもしないうちに、試合が始まる。

 約束したとおりなら、カンバは剣をたたき落とされるふりをして降参を宣言する筈だ。


 腹の底を打つような轟音が鳴り響く。


「『魔闘・天衣』ッ!」


 銅鑼の余韻鳴り止まない修練場に響き渡ったのは、カンバの張り上げた詠唱だった。

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