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迷宮世界のオデュッセイア  作者: 諭吉
二章 七つの島の新たな伝説
50/63

50. 信念

 まるで当然のように花の部族の一員としてニナの背後に立っていたヘステスが、ニナの導きに従って魔闘術を行使し、場を制した。

 ニナは勢いのままに全員に要求を飲ませ、そして細部の詰めに入っていった。


 手頃な木にもたれながら、テレミアとラズエイダはたった今見聞きしたものを解釈することを試みていた。


(……結局ヘステスは、ただニナの企みを補佐していただけだったのか?)


 先程まで繰り広げられていたニナの独壇場を素直に受け取るなら、そう考えるのが最も自然だろう。

 しかし、テレミアの思考には、もう二月ほどの付き合いになったニナの人となりが浮かんでいた。


(どうだか。ニナは頭の良い方だと思うけど、あんな風に自分の意見を強引に突き通すような子じゃない。それに、いくらなんでも場の誘導が上手くいきすぎてる)


 テレミアの中にはぼんやりとした一つの予想があった。


(むしろ主導したのはヘステスで、ニナは良い道具にされた、と)


 考えを読み取ったらしいラズエイダの確認に(私たちも、ね)と返す。


 ヘステスの入れ知恵があった、というよりも、むしろヘステスがやりたいように事を進めて、それにニナや自らが乗せられていた、というようにテレミアには見えていた。

 思い返せば、ニナとカンバを引き入れたのも、ニナに剣と盾の秘密を明かして鍛え上げるようにテレミアとラズエイダに強いたのも、ヘステスの独断だった。ニナはヘステスの導き通りに人脈と力を手にして、それを活用した結果が、他者に一切の手出しを許さないあの圧倒的な駆け引きだ。全て、ヘステスの掌の上と言ってもいいだろう。


(もしかしたら、ニナのお父さんたちが死んだのも、ヘステスの差し金だったりするかも)

(考えすぎだ。ヘステスは花の島を出てすらいなかったんだぞ)

(だといいけど)

(お前という奴は……)


 ラズエイダの呆れが、二人の口からため息となって漏れた。


 テレミアの投げやりになった感情を察知して、ラズエイダが話題を切り替えようとしていることが分かった。

 しばらくして、ラズエイダの考えがまとまった。


(だが、どちらにしても、この一件はお前やラグーダと直接は関係なさそうだ。一つの国を改革するような労力を費やして、結局お前の身には何も起こらないのだから)


 確かに、そういう切り口から分析したならば、この一件はヘステスを疑わずにはいられなかった気持ちを振り払うためのいいきっかけになるだろう。

 テレミアを中心にして考えてみれば、支払った労力と結果が釣り合わないのは間違いない。


 しかし、一つ疑問が残る。


(でも、どうして私に黙ったままでいるんだろう)


 テレミアを害するつもりがないのなら、素直に計画を明かしてしまえば良かったものを、ヘステスは最後まで一人でニラギの改革を推し進めた。

 テレミアにはニナを応援したい気持ちがあったし、しかもヘステスはニラギに来てすぐにそれを見抜いている。にもかかわらず、ヘステスはテレミアとの協力を選ばなかったのだ。そこに合理的な理由を感じられない。


(直接訊いてみないか? この一件がお前や僕に露見したところで、ヘステスが口封じを試みるとも思えない)

(そうだね)


 意見を一致させた二人は、ヘステスに声をかける隙をうかがうべく、再びニナたちが話し合う場所に意識を向けた。



 おそらく部族単位でまとまって五、六人ずつが順に街の方へと消えていく。ニナはもれなく全員を丁寧に送り出していて、気配りを忘れまいと気丈に振る舞っているのが感じられた。


 最後の一部族が闇の中へと消えていった。


「これで山は越えたかの」

「つ、疲れました……」

「よう頑張った、立派であったぞ。のう、ザグ、ヨンド」

「ええ。……姪の背中がここまで大きく見える日が、よもやこれほど早く巡ってこようとは」

「ヘステス様には、どれほどの感謝を捧げても足りませぬな」

「よせよせ、全てはニナの成したことよ」

「これできっと、お父さんも喜んでくれますよね」

「うむ、誇らしく思うに違いない。とはいえ、明日からは迷宮巡りじゃ。満足しておる暇などないぞ」

「頑張りますっ」


 和んだ空気が伝わって来る。

 いつの間にヘステスは彼らと信頼関係を築き上げていたのだろうか。


 増えた疑問をどうやって質問にしようかと考えているうちに、「儂もテレミアの船に戻ろう、いい加減に遅いと怒られるわい」というヘステスの声が聞こえた。


 別れの挨拶が二言三言交わされて、そしてヘステスはニナたちから遠ざかる方に足を向けた。


(……行こう)

(ああ)


 程よい頃合いを見計らって、テレミアとラズエイダはヘステスの前に回り込んで、そして霞の術を切って二人に分かれた。


「ヘステス」

「ぬうぉう!?」


 突如出現した人影を前にして、テレミアが一度も聞いたことのない種類の叫びがヘステスから飛び出した。


「あ、ごめん、驚かすつもりじゃなかったんだけど」

「儂は老人じゃぞ、もっと労らんか……心臓を壊したらどう後始末を付けるつもりじゃ……」


 胸に手を当ててぜえはあと息をするヘステスをしばらく介抱して、そして改めてテレミアはヘステスと向かい合った。


 どう切り出すかは既に二人の間で整理が付いていた。


「実は、さっきまでのニナの話をこっそり聞いてたんだ。ヘステスが見つからないからあちこち探してたら、ニナだけじゃなくて結構な数の人と一緒に居るのが見えてさ。声はかけない方が良いかなーって思って隠れてた」


 まずは、ヘステスとニナが何をしていたのか知っていると告白する。この時点でヘステスが眉をひそめるようなら、ヘステスは「知られては困る」と思っていることになる。


「そうか」


 軽い相槌がヘステスの返答だった。


「見つからぬよう光は絞らせたつもりであったが」

「いや、普通に松明がたくさん焚かれてたのを見つけて来てみたらヘステスがいたってだけだよ」

「む? 人除けの魔導は使うておったはずじゃが……いや、勘の鋭い人間相手には効かぬか。どこから聞いておった」

「結構最初の方から。国ごと作り変えようなんて、よくやるね」

「すると確かに最初からじゃの。ま、丁度良い、説明の手間も省けたわ。聞いておったろう、明日からニナは迷宮を巡らねばならん。おぬしらにも着いてきてもらうぞ」


 軽快な受け答えの空気に、知られて困るというような気配は微塵も感じられなかった。

 テレミアもラズエイダも、もう少し煙たがられるのではと想像していたが、むしろ拍子抜けするほど勝手に話が進んでいく。


「……ええと、いいの?」

「何がじゃ」

「私たちに何も言わずにこっそりこんな大層なことをしてたのには、それなりの理由があるんだろうって勝手に思ってたんだけど。その割に、何の気兼ねもなく頼んでくるなって」


 思わず本音を漏らすと、ヘステスはひょいと肩をすくめた。


「説明する必要がなかったというのが一つ、そして説明する暇がなかったというのがもう一つ。じゃが見られた以上はおぬしらも使い倒してやろうというだけじゃ」


 並べられた理由は思っていた以上に単純で、またもテレミアは虚を突かれた。

 とはいえ、「説明する必要がなかった」というのは、簡単には納得しがたい。


「説明の必要がないなんて、一人で決めつけないでよ。勝手に色々するなってちょっと前にも怒ったじゃん。それに私だってニナのことは気にかけてたんだから、協力させてくれたって良かったのに」


 理屈と感情との両方からヘステスを責めると、ヘステスは髭を撫でながら、目を細めてテレミアの目をじっと見つめてきた。


「より正確に言えば、テレミアとラズエイダに儂の考えを聞かせる必要がなかった、かの。聞くか? おぬしらにはいくらか不愉快やもしらぬぞ」


 ヘステスは説明を深めた。

 不愉快だろうという警告を受けて心の内にもやっとしたものが生まれたが、ここまで聞いて引き下がることも考えにくく、少しの逡巡の後にテレミアはヘステスに続きを促した。


 ヘステスは軽く息を吐き、一度目を閉じて、そして見開いた。


「この国の在り方を変えるのに、丁度良い駒がニナじゃった」


 駒、という言葉がヘステスの口から聞こえて、テレミアは心臓がきゅうと縮む感覚を覚えた。


「何せ女王になる資格を有しておるというのに、その自覚のないままに不満をくすぶらせておったのじゃからな。ニナの中に、儂の思う理想論やそれを僅かにでも現実にするための方策を吹き込んでやった。ニナは優秀であったぞ、教える端から吸収して自ら案も出すのじゃ、気持ちよいほどじゃった。そして、何の因果か、都合良くこの国の指導者が一斉に死によった。父を失って弱った心に生きる目的を与えてやれば、それは悲壮な決意に変わる。あとはおぬしも見たとおりじゃな。簡単なものじゃ」


 肉親の死すらニナを操るために利用したのだ、とヘステスは一切悪びれずに語った。

 テレミアの脳裏に、かつてヘステスが執拗に叩き込んできた教えが蘇る。


 ───儂のこともモムルのこともオトのことも、必要とあらば切り捨てよ。儂らは所詮、おぬしを生かすためだけに存在する駒なのじゃから。

 

 あらゆるものは、人の命さえも、全て等しく大義を果たすための道具の一つに過ぎない。

 冷徹で、正しく、そして歪んでいるその思想を、テレミアは久々に目の当たりにした。


「……相変わらずだね」


 絞り出した言葉にどうしても乗ってしまった苦々しい感情を、ヘステスは鼻息一つで吹き飛ばした。


「おぬしが気味悪く感じる理由も分かる。ラズエイダと共に”駒”を否定したのじゃからの」


 そういうヘステスの表情には、しかし揺らぐことのないものが満ち満ちていた。


「止めろと儂に命じるのであれば、今すぐにでも止めてやろう。じゃが、今こうして儂の話を聞くまでに、何かおぬしに不都合はあったか?」


 老人は、彼の顔からは少し高い場所にあるテレミアの顔をじっと見上げた。

 不都合があったか、と問われても、テレミアはただ首を横に振るしかない。


「ないけど」

「じゃろう。その程度儂もわきまえとるわ」


 ならば黙っておけ、とでも言いたいのだろうか。

 そう思っていると、ふとヘステスが人差し指を差しのばした。


「儂にも貫き通したい信念はある……例えば、ここ麦の島の暮らしなどは、その良い例じゃった」


 伸びた指の先には、島の港街がある。

 もう夜も遅い時間だったが、葬儀への参列を終えた後の人波と、交易に訪れた数多くの商人たちの織りなす喧騒は、ざわめきとなって遠く森の中にまで届いてくる。


「海一つ隔てただけの花の島での暮らしと比べてみよ。とても、同じ国とは思えん」


 ヘステスは一度ピンと張った指からゆっくりと力を抜いていって、そして握りこぶしのような形を作り、腕を下ろした。


「儂にはの、許容できぬのじゃ。ああして他者を虐げてのうのうと生きる者どもの精神が」


 嘆きにも似た嫌悪がヘステスから溢れていた。

 ニナの立場からニラギを眺めるテレミアにしても、それは共感できるものだった。


「故に、儂は他者を虐げる者どもの依拠する古いしきたりを壊さんと考え、それを実行に移せる環境と手札を揃えられたがため、実行に移した。事の経緯はただそれだけじゃ」

 

 つまり、ニナが主張していた「誰も苦しまない」国のかたちは、古いしきたりを壊すためにヘステスが吹き込んだものなのだろう。

 ”駒”やら”都合良く死んだ”やら、まるで人の情を感じさせない言葉を吐き出した同じ口から、”他者を虐げることを許さない”と正義の台詞が紡がれている。

 そのことに、テレミアは強烈な違和感を抱いた。


「……じゃあ、私に”駒”って教えたり、ニナをまるで洗脳するみたいにして都合よく動かしたのは何なのさ。それこそ、他者を虐げる第一歩だと思うんだけど」

「言葉の綾じゃ」


 ヘステスは眉一つ動かさずに即答した。


「言葉の綾って」

「人間の持つ感覚は言葉一つに集約されるほどに単純ではない」


 オウム返しの反発を、ヘステスは粛々と制した。

 凪いだ視線がテレミアの瞳の奥を見通すように伸びている。


「例えばおぬしは、儂らを駒として使い潰すことを最後まで思い悩んだであろう。そこで思い悩めるかどうか、が儂の信ずる人間性の境界じゃの。合理を突き詰められる冷徹な側面が儂ら人間に与えられた動物と異なる知性の粋である。しかし、他者の不幸を一切顧みない存在を、儂は人間と見做しはしない。それは人として生まれた意味を体現せぬ、ただ独善を求めるだけの知性持つ畜生じゃ。思い悩め、そして思い悩んだ末に幸福を最大化する合理を選択しろ」


 ふう、とヘステスは一度息を吐いた。

 次にヘステスは、先程まで六つの部族がニナのために集っていた場所にちらりと目線を向けた。


「儂は最後までニナ自身の幸福を崩さなかったぞ。見たか、あの底抜けの笑顔を」


 ヘステスが何を指して言っているのかには、すぐに理解が及んだ。

 ガカルとパムとかいう二人を説き伏せた直後にニナが浮かべていた、あの晴れやかな表情のことだ。


「ニナは、苦しみを知って、その苦しみを自らに留められる、聡い子じゃ。正しく導いてやれば、ニナは力を有した上で、しかし力をむやみに振りかざすことを好まない、そうした為政者になるであろう。故に、儂はニナに策を奏上し、知恵を与えた。後ろめたいことなど微塵もない」


 そうやって断言したヘステスの表情の中には、確かに邪なものを見出すことはできなかった。


 少しの間をおいて、ヘステスは語りを再開した。

 その目は再びテレミアに向けられていた。


「儂はおぬしを()()()になるように育てようとした。じゃが、オトやモムルがおったからか、はたまたエレーリィの遺したものがそうさせたのか、おぬしは情に篤すぎるきらいがあった。故に、儂はおぬしに対し殊更に合理()を強調し続けた」


 ヘステスはそこで一度口を閉じ、何かを考えるそぶりを見せた。


「しかし、いざ合理を選んだかと思えば、おぬしは思い悩んだ末に非合理に立ち戻り、非合理を力で以って合理に変えてみせた。……眩しいものじゃの」


 細い呟きが付け足されて、ついにヘステスは語るべきことを語り尽くしたようだった。


 テレミアはただその場に立ち尽くした。

 何を言えば良いのか分からなかった。

 怒りや憤りと呼べる感情が湧いたような気もしたし、誇りと呼べるような思いが浮かんでいるような気もしていた。その複雑な胸中を、更に複雑な信念を構えるヘステスに向けて吐き出すには、テレミアの持ち得た思慮では到底足りなかった。


 かわりに、テレミアの隣に立った影があった。


「ヘステス、其方は何故、海賊など下賤な身分に甘んじていたのだ。……人を殺して、奪うのが、海賊の生き方だろう」


 それは奴隷という身分の人間が発するには、あまりにも無礼極まりない質問だった。問いかけてからようやくそのことに気付いたのか、ラズエイダの口から「あ」という呆けた声が漏れたのがテレミアの耳に届いた。


 しかしヘステスは一切反発せず、ラズエイダが取り繕うよりも先に「そうじゃの」と静かな声で返した。

 皺の入った顔に皮肉な笑みが一瞬だけ浮かんで、消えた。


「儂の人生そのものに満ちる矛盾に気付いたとき、儂は血を吐いた。血を吐いて、それでなお、()()()()()()。……これ以上を語るつもりはない」


 ヘステスは独白を強い言葉で締めて、そして街に向けて歩き始めた。

 テレミアとラズエイダはその背中を静かに見送った。


 やがて、ヘステスが草をかき分け進むわさわさという音も届かなくなった。

 ラズエイダが振り返って、テレミアの背中をそっと叩いた。


「私たちも、戻ろう」

「……うん」

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