49. 花の舞い
ニナの前には、懐かしい顔ぶれが、それぞれニナの知らない顔をして、並んでいる。
ロドガイの浮かべる冷たい眼差しには、彼の理知的な側面が、友人相手には向けるべきでないほどにまで、にじみ出ている。
いつもにこやかだったサクの苦しげな表情からは、まだ母を亡くした悲しみが拭えていないことが見て取れる。
全身を鉄鎧で固めたガカルの格好からは、過剰なまでの警戒が伝わって来る。
パムは俯いて、怯えるようにきょろきょろと辺りに視線をやっている。
ついこの間まで一緒にいたカンバは……あまり変わっていないだろうか。
「それで、話ってのは何だい? 僕たちがドルム抜きでこうやって集まることにはかなりの危険性があると思うんだけど、それをおして集めた以上はちゃんとわけがあるんだろう?」
ロドガイが促してきた。
「みんな、集まってくれて本当にありがとう」
「御託はいらない。早く本題に入れよ」
ガカルがニナを遮るように発した。
鉄の島で起こった大惨事のために、鉄の部族は他の部族から恨みを買うことになった。「魔闘術士たちによる試合方法の取り決めに不満を持ち、議論を主導した麦、麦に加担した金、石、鳥の四部族に仕返しをしたのではないか」という見方を、鉄の族長が都合良く生還した事実も相まって、決して少なくない数の人間が信じている。
そんな情勢の中で、鉄の部族の民は自衛のため悪意に敏感にならざるを得ない。
おおらかだったガカルがこうして攻撃的になってしまうのも、仕方のないことなのだろう。
それに、ガカルだけではない。
あと十日すればたった一つの国長の座を賭けて互いに争う、敵同士。それが今のニナたちの関係性だ。
それでも、ここに集まった五人は、それぞれの思いを抱えた上で、ニナの無茶な願いを聞き届けようと決心してくれた。
その事実が、一世一代の大勝負に出ようとするニナの背を押す。
ニナは緊張を圧し殺すために、意識して大きく息を吸った。
「花の新たな族長として、石の族長ロドガイ、金の族長サク、鳥の族長パム、木の跡継ぎカンバ、鉄の跡継ぎガカルに問います」
ニナは必要以上に畏まった口調で、五人の名前を、その身分と共に呼んだ。順に、瞳をしっかりと見つめる。その瞳の奥に、権力への自覚よ灯れ、と念じる。
「この国に生きる人々の幸福のために、私たちは力を得た。だからきっと、その力を人々のために正しく使う義務が、私たちにはあると思います」
───十二、三の、僅かながらにも世の中を知り、しかし未だその厳しさを知らぬ子供は、自らの能力に対し根拠のない自信を持つことができる。おぬしやカンバが向こう見ずにニラギを飛び出したように、な。是非とも利用してやろうではないか。真っ先に、おぬしの友の全能感を、正義感を煽れ。己が直感こそ正義であると錯覚させよ。
ヘステスの導くままに、ニナは言葉の演舞を舞い踊り始めた。
「私たちの手で、七つの部族と呼ばれるものをこの国からなくして、一つになりませんか」
驚く声、頭ごなしに否定する反応がいくつも上がった。ニナが直接語りかける五人からではなく、背後に控える護衛や部下たちからの声が殆どだった。
しかし、彼らに対して、ニナは一切注意を向けなかった。
ヘステスが繰り返し言い聞かせてきたことが、ニナの頭に思い浮んでいた。
───他の者には一切の介入を許すな。おぬしの友をただ唯一の仲間と思い、ただ彼らにのみ言葉を注げ。頭の固い大人どもの戯言を思考から閉め出すのじゃ。
だから、ニナはただ五人だけに向けて話を続ける。
「私たちは、生まれついたときから、一つの島に命を縛られている。花も、麦も、鉄も、みんな。死ぬまで同じ島の同じ部族として暮らすのが、私たちの定め」
必死の思いでヘステスとともに編んだ台詞を辿る。
何度うわずってしまっても、気にしていられる余裕はない。
「でも、島に与えられた一つしかない迷宮にだけ頼る暮らしは、生きていく上で決して覆せない格差を生んでいる。───富める者は富み、貧する者は貧す。こんな理不尽が罷り通っているのに、だれもその理不尽に抗おうとしない───それが、このニラギという国」
島に帰ってきた後、初めてニナの部屋に忍び込んできたヘステスは、ニラギの悪しき現状をこう総括した。
幼い頃ニナが一度胸に抱き、今は亡き父の悲しい背中を見ている内にいつのまにか飲み込んでしまった、この国に満ちる大いなる不和。
ヘステスが改めてニナの中に形にしてくれて、ようやくニナは自らの苦しみの根源を思い出したのだった。
「花の部族に生まれた私は、沢山の理不尽を見てきた。私と一緒に暮らす人たちは、本当に毎日苦労して、他の部族から蔑まれてもただ耐えて、生きてる。程度は違うかもしれないけれど、他の部族でも大きくは変わらないと思う。……おかしいと思わない? 同じ国なのに、こんなに違う暮らしを送らないといけないなんて」
一度ニナは息を吸うために言葉を切った。
緊張の最中に喋り続けると、どうしても早口になってしまう。だから、多少わざとらしかろうが、節々で思い切り深呼吸をしろ、というのがヘステスの細かい助言の一つだった。
少し冷えた頭でまた五人の顔を順に見やる。
ぶつかり合う視線の先に己の思いが届いているのかは、ニナにはまだ分からなかった。
「麦が稼げる、金が稼げる、鉄が稼げる。そんなの当たり前、じゃあ、みんなで協力してもっとたくさん麦や金や鉄を取れば良い。花が稼げないなら、花の島で余った人間が鉄の島で働いたって良い。迷宮に魔物が溢れて稼げない、だったらそのとき少しでも蓄えのある人が救いの手を差し伸べればいい。みんなが協力して稼いだ分を、みんなで平等に分ければ、誰も不幸せにならない。私たちは、そんな国を導く新しい〈カルトゥール〉になれる」
”どの島で生まれようと関係なく、誰も捨て置かれず、皆が共に豊かになれる。富んだ者が自ずから富を分け、貧しい者にも真っ当に生きる機会が与えられる”
ニナの心に火を点したのは、ヘステスの語った理想だった。
年老いた魔導士がまるで子供のように目を輝かせて語る理想の中に、ニナは希望を見た。
どうしたら富を平等に分けさせられるのか、そもそも富や平等とはどうやって定義されるべきか、平等性をどうやって保障するのか。ヘステスの語るあれこれは時にニナの理解できる範疇を超えてもいたが、それでもニナはがむしゃらにヘステスの講義を自分の知識としようと励んだ。
そして、今、ニナは自らの理想ともなったヘステスの理想を、十三年の決して短くない人生の中で初めて見つけた希望を、皆と共有しようと試みているのだった。
「貧しい花の部族にただ手を差し伸べろと願っているわけじゃない。誰もが平等に稼げる機会を、私たちが作りだすの」
「一つ良いかい」
静かにロドガイが手を上げた。
「確かに、君の考えには筋が通っている。僕たち石の部族も、花ほどじゃあないとはいえ、麦や鉄や金と比べれば貧しい暮らしを送っている。だから、君の言う新しいニラギへの変化を受け入れることには何の抵抗もない。ただ、逆はどうなんだ。現状に満足している部族の人々に、突然やり方を変えるなんてどうやって納得させるつもりなんだ。正直分からないな」
ニナは心の内で思わず舌を巻いた。
あまりにも、ヘステスの読みは完璧だった。
───少しでも頭の回る者がおるのなら、「実現不可能だ」との結論に辿り着くのは想像に容易い。何せ、富める者、つまり今のニラギで権力を持つ者に楯突く格好になるのじゃからな。
「話を全部聞けば、分かってもらえると思う。こんなときに提案するのには、ちゃんと理由があるから」
ニナはロドガイに対して、重たい雰囲気を崩すようにして答えた。
ロドガイは少し考えて、身を引いた。願ったとおりに、ニナの言葉を待ってくれるらしい。
ニナは振り返り、ザグの手に握られていた小瓶を受け取って、掲げた。
今、花の部族の屋敷には、この小瓶が大体二十個ほど並べられている。
「知ってると思うけれど、これは花の迷宮の主を倒すと手に入る、治癒の力を持った花蜜ね」
意識して息を吐いて、吸って、吐く。緊張を押し流す。
「私が、手に入れたの」
へえ、というカンバの声が聞こえた。
───故に、おぬしは強く在らねばならぬ。理不尽を押しつけられる強さをおぬし自身が誇示せねば、届く言葉も届かぬ。
迷宮の主を倒すことによって得られる迷宮の踏破報酬を自分で手に入れた、という宣言。
自らの持つ実力を分かりやすく誇示するために、これ以上の方法はない。
テレミアとラズエイダが抑え込んだ魔物に向けて最後の一撃を放っただけだったとしても、そんなことを馬鹿正直に告げてやる必要はない。今はただ、場を制さなくてはならない。
「私には今の時点で、これだけの実力がある……ってのを頭に入れて、聞いてね」
ここからが、今回の大立ち回りの本題だからだ。
「今度の試合で、みんなには私と戦うときに、すぐに降参して欲しいの。私を、ドルムとの戦いに集中させて欲しい」
「何、言ってんだ」
「麦の乱暴を止めるには、誰かがドルムに勝たないといけないよね」
ガカルが反射的に返してきたのを、ニナは声を強めて上書きした。
「私は絶対にドルムに勝てる自信がある」
これは、ニナにとって嘘偽りのない本当のことだった。
既にテレミアやモムルからは、打ち合いで何本か取れるようになってきていた。
天衣の力ですばしこく動き回りながら隙を見て砲槍を差し込み、さらにその砲槍を見せ技として剣でも責め立てる。テレミア、モムル、ヘステスの三人とともに確立した戦型は毎日の修練を通じてニナの身体に染みつきつつあった。
それでも、勝ち抜き戦で初戦からの参戦が決まっているニナが全員との戦いを勝ち抜いてドルムの前に立とうとするには、体力的な問題が拭えない。
魔闘術を習得し、それぞれしっかりと試合に向けて修練を積んできているであろう五人は、今のニナであっても簡単には倒せない相手になるだろうというのは分かっていた。
だから、ニナはこの場で、「ドルムだけと戦えるようにしてほしい」と願うことになった。
そうしてドルムと戦った先にある、”正しい伝説”が約束した一つの栄光を確実に手にするために。
「私がこの国の新しい長になれるように、協力して。そうしたら、ロドガイが気にしたみたいな変わりたくない人たちにも、変わってもらえるから」
理不尽を押しつけるための力とは、文字通りの”力”であり、そして”権力”であり、”財力”である。このうちの二つ───力、権力───が揃う意味は大きい。
ロドガイの口が僅かに動いたのが分かった。確信はなかったが、「なるほど」と言っているように見えた。
まず一人説得できたことを勇気に変えて、ニナは改めて五人としっかり目線を合わせた。
「ドルムが勝てば、また同じことが五百年続く。私たちと同じ苦しみを、次の五百年の子どもたちに背負わせることになる。私はそんな未来を認めたくない。私は、麦とか、花とか、一つの部族だけじゃなくて、ニラギに生きる全ての民に奉仕する、新しい女王になってみせる」
決意を高らかに謳いあげ、そしてそのまま胸に手を当てて頭を垂れる。
「私ひとりだけじゃ、これは夢物語で終わっちゃうかもしれない。でも、この場所には族長が四人いて、いつか族長になる人間が二人いる。私たちみんなが、この国に生きる人々を導くための力を持ってる。五百年に一度しか巡ってこないこんな奇跡を、私たちは絶対に逃しちゃいけない。だから、お願い。私たちにしか、できないことだから」
”私”ではなく”私たち”という視点を強調し、仲間意識をかき立てるようにして、ニナは提案を締めくくった。
そっと顔を上げようとしたとき、頬が柔らかい手に包まれた。
「あんたは、ほんまに強いなあ」
サクがいつの間にかニナの前にいて、腫れぼったい目を細めていた。
「悲しいことあったんに、すぐ他の人のこと考えとる。カンバに守られとった昔のニナとは大違いや」
サクは頬から両手を滑らせるようにニナの身体を抱きしめて、そして胸に顔を擦り付けてきた。
サクが胸の中で細かく震えているのを感じて、ニナは少し戸惑った。
そう長い時間が経たないうちに、サクは顔を上げた。
瞳には光るものが滲んでいて、ニナは思わず息を飲んだ。
「これで、泣くんは最後にする」
サクは小さく呟いて、ニナに向けて微笑んだ。
「ニナの夢、ウチにも手伝わせてや」
「なっ!」
「サク、何を言うとる!」
サクがさっきまで立っていた場所の近くから声があがった。
サクは振り返り、そして毅然と言い放った。
「今は、ウチが族長や。金の部族のことは、ウチが決める」
ニナは内心で喝采を送った。サクのみせた振る舞いは、ヘステスとニナが望んだまさにそのものだった。
「石の部族も、その話に乗らせてくれ」
次に立場を表明したのはロドガイだった。
「君がそんな大それたことを考えていたなんて、正直まだ驚きの方が大きいけど。でも説得力があったし、それに、魅力的な未来だって素直に思ったよ。新しいニラギを、一緒に作っていこう」
ロドガイはニナに向けて手を差し出してきた。
迷うことなく、ニナはその手を握った。
握手をしたままの状態で、ロドガイは残りの三人の方を見やった。
「君たちはどうするんだい。是非とも参加するべきだと思うけどね、鉄も、鳥も、木も。こんなにうまい話はないよ」
「……ニナがやりたいようにやりゃあいい。そもそも俺はまだ族長にもなれてないから、あんまし意味ないけどな」
カンバは飄々と答えて肩をすくめた。
「うん、これで四対二だ。麦を入れても、こっちが多数派になった。どうする、パム、ガカル」
「……」
いつの間にかニナに代わって説得に回ってくれているロドガイに対して、ガカルは沈黙を守った。
「ぼ、僕は」
「パム、静かに」
そして、パムが何かを言いかけたのを、その背後に立つ男が遮った。
「……申し訳ございませんが、今の話はまるで現実味を欠いております。新たな花の族長よ、あなた様の仰る「ドルム様に勝てる」という部分の根拠はどこにあるのです。あなた様が試合に勝ち抜いて国長の称号を得たとして、今度はあなた様が今の麦のような暴政を敷かないという保証はどこにあるのです。夢物語が過ぎはしませんか」
男はそのままニナの提案が持つ欠陥を指摘した。
鳥の部族以外の大人たちも、それに同意するかのようにうんうんと頷く。場の空気が「何を馬鹿なことを」というものに塗り変わっていくのがありありと感じられた。
ニナはロドガイと繋いだままだった手を解き、パン、と乾いた音を打ち鳴らした。
当然、ニナの手札はまだ尽きてなどいない。
「もし、この場で頷いてもらえないとすれば、私の方にも考えがあります」
ニナは口調を距離感のあるものに変えた上で、今度は子どもたちではなく、大人たちに向けて語る。
芯の通った脅迫の台詞が注目を一点に集めた。
そして、ニナは一人の男の名前を呼んだ。
「ヘステスさん」
ニナの背後に佇んでいた、カンバ以外に誰も顔を知らない老人が、静かに進み出た。
「私がカンバと旅をしているときに出会った魔導士の方です。では、お願いします」
何の具体性もない依頼に対して「うむ」と軽く返したヘステスは、突き刺さる数多の視線をまるで気にしていないようだった。
「皆に一つ頼みがある。灯りを消すか、街に届かない程度にまで光量を絞ってくれるかの。この場は儂が人除けの斥候術を使って人の目から隠しておるのじゃが、別の魔導を使う故」
「……我等に手を出すつもりか?」
「まさか。儂はニナの望みを叶えるためにここにおるのじゃ、下手なことはせぬわ」
ほら、早う、とヘステスが急かし、渋々といった具合に灯りがぽつぽつ消されていった。
程よく暗くなった段階で、ヘステスはおもむろに、鳥が翼を広げるかのように両手を横に開いた。
ヘステスは息を小さく吸い込んで、そして、
「『魔闘・天衣』」
ぼう、とにじみ出た金色の衣がヘステスの身体を包む。
「なっ!?」
「何故だ!?」
その詠唱の意味を、その魔導にまつわる伝説を、僅かにでも知っているのなら。
今、目の前に存在する事実を正気で受け入れることなど、到底できはしないだろう。
「ま、見ての通りじゃ」
ヘステスは老いた身体からは想像できないほどの軽快さで身体を動かしてみせた。発動している魔闘術の真偽も、それで明らかになった。
「花の島に残されていた記録を辿ったところ、このヘステスさんが私の大伯父に当たることが分かりました。三代前の族長と隠れて関係を持った旅の歌い手が、ヘステスさんの母親だったそうです」
驚愕に言葉を失った人々の真っ白な意識のど真ん中に、ニナはずかずかと切り込んだ。
当然それは真っ赤な嘘であり、ニナの口調にも僅かな揺らぎが混ざっている。が、誰もそのようなことに気を配る余裕はない。
「図書館で見つかった正しい伝説に記されている通り、全ての部族に生まれた魔闘術士が戦うのだとすれば、理屈上は大伯父も戦うことになるでしょう。そして、大伯父には、まず間違いなく誰も勝てません」
ニナが語る横で、ヘステスは魔闘術を切った。そして、
「『出でよ氷壁』『炎よ』『水よ』」
氷の壁がずしんと音を立てて地を揺らし、その表面を真っ赤な炎がなめ回したかと思えば、次の瞬間には流れる水が氷を溶かす。
最早どこからも驚きの声は上がらず、人々はただ呆然としたまま目の前で繰り広げられていく超常現象を受容した。
最初の斥候術を含めれば、ヘステスは五つの属性の魔導を行使したことになる。
適性は普通一属性、多くても二、三属性。そうした常識を軽くあざ笑うかのような魔導劇の上演は、ニナの口にした「誰も勝てません」という放言にこの上ない説得力を与えた。
「大伯父が戦いに参加して勝ち抜いてしまったとき、魔闘術士の血筋は途絶えることでしょう。もうこのひとには子供なんて望めませんから。そうなったら、この国はおしまいです。それとも、賭けてみますか? 図書館で見つかった伝説がまた間違っていて、魔闘術士が敗者の血筋から産まれることに」
静まりかえった森の中に、ただニナの声だけが染み渡る。
ニナはこうして、自らの望む未来と、ニラギそのものの存亡を、一つの天秤に並べてみせた。
これほどの絶対的な優位が崩れることは、もう万に一つも起こりえないだろう。
───しかしの、人というのは感情の生き物じゃ。恐怖と合理だけで動かせば、おぬしはいつか手痛いしっぺ返しを食らう。よっておぬしも最後は、感情に頼る、あるいはその振りだけでも見せてやるのが良いであろう。
どこまでも状況を読み通すヘステスの導きに従って、ニナは最後の一手を放つことにした。
「でも、こんなやり方は、私だって好きじゃないです。第一、私はみんなが幸せになれるニラギを望んでいるから、絶対に国を滅ぼしたくなんてありません。だから、私は皆さんに別の約束をします」
いつの間にか自分の心から緊張が限りなく薄れていることに、ニナはようやく気付いた。
慣れたからなのか、それとも自分に隠れた交渉の才能があったのか。
流れるように息を吸って吐いて、そしてニナはヘステスと共に準備してきた言葉を頭から引っ張り出した。
「麦の族長を欠いて、〈カルトゥール〉は迷宮の主を倒せなくなったけれど、その穴を埋めるだけの能力を私は持っています。もし私を勝たせると約束してくれるなら、明日からでも皆さんの島の迷宮を巡って、主を倒して回ります」
できる限り明るい声を意識しながら、ニナは全ての部族に向けて手を差し伸べた。
それは、ニナ自身が宣言した「ニラギに生きる全ての民に奉仕する」姿を体現しようとするものだった。
そして、ニナはパムとガカルの方に歩みを進めた。
既に空気に飲まれ切って、二人はニナから視線を外せないでいる。
「『炎よ』」
気を利かせてか、ヘステスがニナの側に小さな灯りを生み出した。
互いの顔が闇の中にくっきりと浮かび上がる。
ニナはヘステスの誘導に乗って、二人の前で柔らかい表情を作った。
「パム、ガカル。私を信じて欲しい」
仕上げだ。
「私は、みんなとの友情に誓って、絶対にみんなを裏切らないから」
「……信じて、良いんだな」
「もちろん。私たちは、これからずっと仲良くやってくんだよ」
そっと風に乗せるように届けた思いは、ガカルの強ばっていた表情をみるみるうちに融かした。
「じゃあ、俺も、ニナを勝たせる。それで良いんだろ」
ニナは微笑んで、パムの方を見た。
「僕も、もう良いよね?」
そうやってパムが見上げた先では、一度ニナへの反論を試みた男が引き攣ったような笑みを浮かべていた。
「……好きにすればいい」
「うん。ニナ、ドルムをやっつけてね」
くるりとニナの方に向き直ったパムが告げて、それでニナの完全な勝利が確定した。
「ありがとう、二人とも。ありがとう、みんな」
ニナは心からの笑みを仲間たちに向けた。
その光景をじっと見つめていた金銀入り交じる双眸に、ニナは最後まで気付くことはなかった。




