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迷宮世界のオデュッセイア  作者: 諭吉
二章 七つの島の新たな伝説
48/61

48. 炎

 テレミアたちはザグに招かれ、花の部族の遺族たちを追いかける形で麦の島に渡った。

 港街の広場で行われる葬儀は、焼けるようだった空がすっかり黒ずむほどの時間が経ってなお、厳かに進んでいく。激しい戦いの末、国のために命を散らした勇敢な戦士たちのために、人々は感謝を捧げ、来世の安寧を希う。


 ザグが言うには、鉄の迷宮の最奥から全員の遺体を回収することは叶わなかったらしい。

 倒し慣れているはずの迷宮の主である緋色の巨鹿に相対した〈カルトゥール〉の面々は、積み重なった疲労からか角に刺し貫かれた麦の族長を救い出せず、そのまま戦線が崩れる形でてんでバラバラに迷宮を脱出したのだという。


 誰も彼もが、これからどうなるのだろう、という不安をありありと浮かべている。

 ニラギにとって、麦の族長という最大戦力の喪失は、国力の甚大な低下とほぼ同義である。

 何事もなければきっと、ニナと同じように麦の跡継ぎがその座を引き継ぐのだろう。

 ドルムという名前の跡継ぎについて、テレミアはニナとカンバからいい話を一度も聞いていないから、彼が族長を引き継いだ先にある未来をあまり楽観視することはできないでいる。


 広場の中心で大きな炎が燃え上がった。高く高く、夜空すら赤く染め上げる炎は、死者の魂が来世へと迷いなく旅立つための道しるべだ。

 周囲の人間がみな頭を垂れたので、テレミアも広場の隅で合わせて同じように振る舞った。


 しばらく首をたたんでいると銅鑼が鳴り響いて、それが葬儀の終結を告げた。

 喧騒が戻った広場を見回して、テレミアは懐かしい顔を見つけた。

 質の良い生地の服を羽織った集団の中に、カンバがいた。船の上ではさほど頓着しているように見えなかった髪が綺麗に刈り込まれていて、記憶にあるよりも精悍な顔つきをしているように思えた。

 カンバからさほど遠くない場所にニナやザグも立っているから、あの辺りに身分の高い人間が集まっているのだろう。

 ニナは同じくらいの年の子どもたち何人かと会話をしているようだ。遠くから眺める分には、父親を失ったことを嘆き悲しんでいる様子には見えない。


 テレミアが母親(エレーリィ)との永遠の別れを受け入れられたのは、もっとずっと後になってからだったような記憶がある。ヘステスに何度となく慰めてもらい、寂しくてたまらない夜はモムルと共に明かして、少しずつ辛さを飲み込んでいった。

 ニナは昨日の今日でもう立ち直ったというのだろうか。だとすれば、彼女は本当に強い心を持っている。

 

 そうやって感慨にふけっていると、ニナやカンバたちのいる辺りで突然怒声が上がった。


「貴様、黙って聞いていればッ!」


 見れば、何やら激昂した様子の初老の男が、正面に立っている別の背の低い男に向かって額をぶつけんばかりの勢いで怒鳴り散らしていた。

 対する背の低い男の方も一歩も引くことなく敵意の籠もった態度で何かを言い返し、それにまた初老の男が怒りを露わにする。


 人々のざわめきに遮られて何を言い合っているのかは聞き取れなかったが、とにかく険悪な雰囲気が漂っていた。


「嫌な空気だな……船に戻るか?」


 護衛としてテレミアの近くを離れないでいるモムルが顔をしかめて呟いた。


「葬式で騒ぐたぁ、よっぽどの事だな」

「後でファンエーマやオトに訊いたらなんでか分かるかもね。見てよ、私たちよりだいぶ近くに居る」


 テレミアはモムルの横に立つラズエイダを押しのけて、遠くに向けて指を伸ばした。その先に、ラズエイダと同じ色の髪を後ろに流し、槍を背負った女がいる。オトの姿は人の波の中に隠れて見えなかったが、最近ファンエーマはオトの監視をよく買って出てくれるから、おそらく側にいるのだろう。広場に入ってから姿の見えないヘステスも近くに居るかもしれない。


 諍いから離れようとする人の流れが生まれたので、テレミアたちはそれに逆らわずに広場を後にして、港に戻る道を辿った。


 船に戻った三人は、残りの面々がやってくるのを待った。

 さほど時間のたたないうちに、ファンエーマとオトが二人で桟橋を伝ってきた。


「あれ、ヘステスは?」

「途中で、「疲れた、椅子を探す」って。それからは見てない」


 オトが答えた隣でファンエーマも頷いている。

 ヘステスが一人でいる、という状態に若干の怪しさを感じはするが、真意を探るには情報が不足している。


 テレミアは思考を頭の片隅に追いやって、訊こうと思っていたことを素直に訊いてみることにした。


「さっきの騒動は何だったのか分かってたりしない? 私たちの場所だとあんまり声が聞き取れなくて」

「鉄の部族に、麦の部族が喧嘩を売ってた。「鉄の迷宮でわざと事故を起こし、他の族長を殺したのだろう」って言って、鉄の部族の人たちが怒った」

「えぇ……?」


 オトが淡々と告げた事のあらましに、テレミアは思わず眉をひそめた。

 追悼もそこそこに、もう他の部族への責任追及を始めようというのだろうか。

 そもそも追求をするなら会談の場を設けるか、せめて民に見聞きされない場所ですればいいものを、わざわざ大っぴらに部族同士がいがみ合う様を見せ付けるとは。

 麦の部族の横柄さが現れているのだとすれば、気分の良いものではない。


「最後は剣を抜きかけてた。他の部族の人がなんとか押しとどめてたけど。戦いになってもおかしくなかった、かも」

「今自分たちでやり合う暇なんてないでしょ……」


 こくりと頷いたオトは、ちらりと隣に佇むファンエーマを見上げて、そして「このことで、ファンエーマとちょっと話した」と切り出した。


「ミア、私たちはもういい加減にニラギを離れるべき。長く居すぎてるし、もしこれから内乱が始まるなら、巻き込まれて面倒なことになる」


 オトが真剣な顔で語ったのは、大迷宮への旅を再開しようという、テレミアに本来の目的を思い出させようとする提案だった。


「あー……」


 どのように反論するべきかすぐには思いつけず、テレミアは曖昧な声で返事を引き延ばした。

 木の部族からの支払いがないのを良いことに、一日、また一日とニラギでの滞在を引き延ばして、もうじき一月が経とうとしている。

 オトが言うことは何ら間違っていないし、ニナという赤の他人に入れ込んでいるテレミアの方に自らの行動を擁護する筋の通った論理は存在しない。


「内乱って考えすぎじゃない? 流石にあの人たちもそこまで馬鹿じゃないと思うんだけど」


 言葉尻をあげつらうような形でなんとかオトを丸め込めないかと試みる。

 しかし、オトは「でも」とテレミアと対立する姿勢を崩さない。


「鉄の部族の人たちの顔とか態度とか見てたら、本当に怒り狂ってた。全然あり得ると思う」


 次は何と言おうか、と考えていると、モムルが割り込んできた。


「待て待て、まだ約束の分の金を回収してないんだ。骨折り損だけして出て行くのは認めたくねえな」

「う」

 

 テレミアは心の中でモムルを拝んだ。

 どうやら、モムルもこちら側でいてくれるらしい───


「ま、さっさとおさらばしたいってのには同意だが」


 そうでもないようだ。


「じゃあ、今集められてる分だけもらって、それで出発する。どう?」

「ああ、妥当な落とし所だろうな。ニナのために使った時間で俺たちがどんぐらい強くなれたかって考えれば、勿体ないことしてると思うぜ」

「で、でもさ、一応まだニナを鍛えきってないと思ってて」


 ぽんぽんと話をまとめていく二人に対して抗おうと試みると、モムルが困ったような顔で振り返った。


「お前自身の命がかかってるってのは忘れてねえだろうな、テレミア。船団長とやり合うってお前が決めたんだろ」

「……それは、そうだけど」


 これが一番反論の難しい指摘だ。

 二人は───少なくとも表面上では───テレミアのためを思って意見を出してくれているのだから、テレミアは二人に反論すれば必然的に自らに矛盾を生むことになる。


 このままでは完全に丸め込まれてしまいかねない。

 こういう議論が起こっているとき、ラズエイダとファンエーマは遠慮して首を突っ込もうとはしないから、単純な数的不利を抱えてしまった。


 仕方なく、テレミアはあまり頼りたくなかった手段に頼ることにした。


「ヘステスとも相談した方が良いと思うけど、探してくる?」


 ニナを教え導くことにかなりの熱意を傾けているヘステスが味方してくれれば、二対二の同数だ。直近の繰り返される不審な振る舞いを踏まえればヘステスと意見を同じくすることには若干の抵抗もある。それでも、使えるものは使ってしまうのがいいだろう。

 

「こんだけ待っても帰ってこないなら、人混みに揉まれておっ()んでるかもな」


 モムルが肩をすくめて悪い冗談を放った。

 聞こえなかったふりをしつつ、テレミアは立ち上がった。


「ちょっと行ってくるね」

「着いてくぜ」


 のっそりと腰を浮かしたモムルを手で制する。


「いいよ、一人で。モムルといると人の間とかすり抜けらんないからさ」


 裏切り者かもしれないモムルと二人になるのは避けておきたいし、それにこれ以上一緒に居たなら、さらに矛盾をチクチクと指摘されかねない。

 あれこれの面倒を嫌って、テレミアはモムルの返事を待たずに船を離れようとした。


 がっしりした腕が肩に伸びてきて、テレミアはその場に縫い止められた。


「いやおい、ラグーダの手下が居たらどうすんだ。無警戒が過ぎるだろうよ」


 モムルはとても正しい指摘でテレミアを諫めてきた。

 ラグーダに追われているかもしれないのに、護衛も付けずに一人になろうとする。これもまた、テレミアにとっては自己矛盾の一つになるだろう。


 責任感のあることは確かに護衛としては非常に好ましいのだが、今に限って言えばただただうざったいばかりだ。


 なんとか切り抜けようと理屈をひねり出す、よりも先に、


「私が行こう」

「え?」


 思いがけないところから助け船が出てきた。

 いつの間にか側に立っていたラズエイダがモムルの腕をテレミアからそっと引き剥がした。


「身体の細い私ならテレミアの後を追うのにさしたる問題もないだろう。それに、万が一があっても、私が共に居れば空を飛んで逃げおおせる。どうだモムル、ここは私に任せてもらえはしないだろうか」

「はっ、ひょろがりのお前に護衛が務まるかよ、王子サマ」


 モムルは馬鹿にするような声色で否定したが、ラズエイダはそれを意にも介さずに澄ました顔で続ける。


「別に他人を威圧せずともよく、人の多い環境でテレミアの行動を妨げない、かつ何が起ころうともテレミアの身を守れる、これら三つの条件を満たす必要があるのなら、適任者は私になるだろう」


 滔々と、ラズエイダは自分をテレミアの護衛とすることの利点をモムルに向けて語って聞かせた。


「……よくもまあペラペラと」

「適材適所というだけの話だ」


 モムルは眉間に手を当てて、舌打ち混じりのうなり声を発した。しかしいくら考えても有効な反論を見つけられなかったらしく、やがて「はっ」と自嘲的なため息をついた。


「良いか、死ぬときはテレミアよりも先にお前が死ねよ。鉄則だ」


 それは渋々ながらもラズエイダの申し出を認めるという意思表示に他ならなかった。


「死なせないさ」


 涼しい顔で返して、そしてラズエイダはテレミアを桟橋に伝う足場へと促した。


「ごめん、ありがとうねモムル」

「おうよ。さっさと爺さんを見つけて来い」


 投げやりに手を振るモムルにもう一度「ありがとう」と投げかけて、テレミアは船を下りた。

 すぐにラズエイダが後を追ってきて、桟橋で二人は横並びになった。


「助かったよ」


 本音を漏らすと、ラズエイダはなんでもない、というように肩をすくめた。


「こういう気配りをせねばならないのは分かっている。お前とモムルを二人にするわけにはいかないのだから」

「……疲れるなぁ」

「ヘステスが裏切り者だと確定させられればそれで終わる話でもあるが」


 そうであったらいいな、という思いも、そうであってほしくはない、という思いも、どちらもテレミアの中には存在する。

 だから、テレミアは肯定も否定もせずに返すことにした。


「……簡単に尻尾を掴ませてくれるような人じゃないけどね」

「ああ、思慮深いこと極まりない。正直に、敵に回したくはないな」


 ラズエイダは実感のこもった声色で呟いた。

 最近のラズエイダは、ヘステスの元で毎日それなりの時間を過ごしている。

 そうして魔導を教わる内に、テレミアの記憶由来のものだけではなく、彼自身の中にも、ヘステスという人物についての理解が生まれてきているようだ。


「とりあえず、広場まで戻ろっか。椅子って話ならまあ酒場とかかな。あの辺のお店にいなかったら街中回らないとだけど、疲れてたんなら流石にそんな遠くまでは行ってないでしょ」

「そうだな」


 二人は港に向けて歩く参列者の波をかき分けて、葬儀が行われた広場に続く道を辿り始めた。



 テレミアの予想とは裏腹に、未だ炎が燃えさかる広場に面した酒場にヘステスの姿はなかった。そもそも酒場は葬儀に合わせて臨時の休業をとっていたようで、入り口の扉には鍵がかかっていた。

 近くの道にも、路地にも、数少ない営業中の料理店にも、他の思いつく限りの場所を巡ってみても、老人の影を感じることすらできなかった。

 どこかですれ違ったのかと一度船に戻っても、テレミアとラズエイダは不思議そうに首を横に振る三人に迎えられるだけだった。


「どう解釈するべきなのだろうな」

「……」


 ラズエイダがぼそりと吐き出した思いは、テレミアの頭にあった悩みと一致していた。

 何も告げずに姿を消した以上は、何らかの企みのもとにヘステスが行動している、と想定することは既に十分な妥当性を持っている。


 しかし、その目的が何であるのかを、テレミアは一切思い浮かべられない。

 悪意を込めた企みであるのなら、ヘステスが姿を消してから既に時間も経っているのだから、とっくに何か災いが降りかかってきていてしかるべきだ。

 直接的な攻撃をするつもりがないとしたら、なおのこと、こうして長い時間姿を消してわざわざ警戒を喚起するような振る舞いをする理由がわからない。

 もしもテレミアや他の誰かを傷つけるつもりがないのだとしても、普通に考えれば最初に一言くらいは告げてから取りかかるはずだろう。


 ふと、ラズエイダが「提案がある」とテレミアの方を向いた。


「一度空から島を眺めてみないか」

「どうして?」

「このまま闇雲にやっていても埒があかない。街を出て奥の森の方に行っているとすれば、小さな松明の光でも見つかるかもしれない。それに、忍術に索敵用の気配を探る術があるだろう。青肌の姿であれば、私達にも使える」

「……たしかに」


 ラズエイダが連ねた理由の全てに納得がいったので、テレミアは特に反論せず、提案を受け入れた。


 街外れから森の方へ進み、周囲に誰も居ないことを確認して、二人は手を合わせた。

 生まれ出た青い肌は暗闇の中によく馴染み、その輪郭を曖昧にする。


〈──〉


「『風は私の友、その腕の中が私の居場所、その吹く行方が私の行き先』」


 そうして空に浮かび上がってすぐに、二人は思いがけないものを見つけた。


(何あれ、すっごい人居るじゃん)


 飛び上がった場所からさほど遠くない、街からもほど近い木々の狭間から、幾筋もの揺らめく光が漏れ出していた。そうしてこぼれる数々の松明やランタンの灯りは、明らかに多くの人間が集まっていることを示唆していた。


(だが、あのような灯りは記憶にないぞ。街の中からでも見えたはずだろう)

(私も。さっきまでは全然気付かなかったのに、どうしてかな)


 光を目指して進みながら二人は頭を捻ったが、答えらしい答えは得られなかった。

 

 二人は漏れ出す光のちょうど真上に辿り着いた。

 森の中で空き地のようになっているその場所には、案の定、ヘステスの姿があった。

 そして思いがけないことに、ヘステスや他に数十人はいるように見える大人たちに交じって、ニナ、カンバの姿も見つけることができた。ニナはヘステスのすぐ近くに、カンバはニナと五歩ほどの距離を開けて向かい合うようにして、それぞれ立っている。よく見れば、カンバやニナだけではなく、何人かの子どもが輪を作るように並んでいるようだ。


(気配を消して近くまで寄ってみよう。情報が欲しい)

(そうだね)


 二人は風が地表に届かないように気をつけながら少し遠くに着地し、そして何が起こっているのかを探るべく、光の煌めく方へと足を進めた。

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