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迷宮世界のオデュッセイア  作者: 諭吉
二章 七つの島の新たな伝説
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47. 道

 花の迷宮に出現する魔物は、花の蜜を吸う蝶の変異個体である。

 ひらひらと舞う優雅な姿とは裏腹に、その鱗粉に痺れ毒を有していたり、空を飛べるほど薄いのに異様な硬さを有する羽で肉を切り裂いてきたりと、攻撃は苛烈を極める。

 最奥部に待ち構える迷宮の主ともなれば、鱗粉の一粒や何気ないただの羽ばたきが命を刈り取るような危険性を帯びる。


「『風よ我が意のまま吹け』」


 ヘステスが操る風がキラキラした鱗粉を空の彼方へと吹き飛ばす。対峙していた巨大な蝶も、テレミアたちのほうに突き進むことは叶わず、無様に地面に叩きつけられた。


 テレミアとラズエイダはそれを好機とみて、息を大きく吸って口を閉じ、ふらふらと舞い上がってきた蝶に向けて金色の剣を全力で振り下ろした。

 パリン、というまるで生物から鳴るはずのない破砕音がして、切りつけられた蝶は再び地に墜ちる。舞い散る鱗粉を直接浴び、青色の肌に突き刺すような痛みが走る。


〈──〉


 詠唱を唱えようと口を開くわけにもいかないので、無詠唱の治癒魔導で無理矢理痛みを押さえつけながら、只ひたすらに剣を振り下ろす。


 何度も同じことを繰り返す内に、段々と蝶の動きは衰えていって、そしてついには動かなくなった。


〈──〉


 鱗粉の欠片も残らないよう強い風を吹かす。

 色とりどりの花びらが舞う美しい光景の中に、風に揺らがない光の粒が浮かび始めた。


 止めていた息を吐き出し、背後を見やる。


「ニナー!」

「はい!」


 ニナが気持ちの良い返事とともに駆け寄ってきた。

 空に昇っていく光がニナの元に集まるようにラズエイダと共に念じれば、その通りの現象が具現化して、迷宮の主からあふれ出た祝福をニナは一人で受け止めた。


「わ、わっ」


 目を丸くして己の肩を抱くニナの身体の中では、きっと今頃味わったこともないような熱が渦を巻いているはずだ。


「どう、今ならもう剣もちゃんと持てるんじゃない?」

「やってみます」


 ニナはこくこくと頷いて、腰に提げた直剣を引き抜いた。すらり、という擬音が似合うような流麗さで身体の前に剣が構えられる。

 ついさっき初めて持ったときには構えるだけでふらついていたというのに、信じがたい変わり様だ。


「これで、とりあえずは剣の練習もできそうだね」

「はい!」


 嬉しそうに頷くニナの横から、ヘステスが顔を出してきた。


「して、毒の具合はどうなのじゃ」


 問われて、身体の調子をあれこれと確かめる。


「身体は別に重くないし、吸いこんではないと思う。全身の肌と目が痛むから、それをなんとかして欲しいな」

「承知じゃ……『この者の身を冒す毒よ失せよ』」


 肌を焦がすようなひりつきがすっと消え去っていく。

 ヘステスの行使した医術の効果はてきめんだった。


 これでもうやり残したことはないだろう、と判断したテレミアは、ラズエイダと分かれ、元の姿で地を踏みしめて背中を伸ばした。


「よーし。これで一仕事終わったね」

「迷宮の主を瞬殺とは、えげつねえな」


 ヘステスの後ろをついてきたモムルが、ついさっきテレミアとラズエイダが魔物を叩き潰していた場所を眺めて呟いた。


「ちゃんと距離も空けてたから、みんなに毒が飛ばないかとか遠慮する必要もなかったしね」

「結局俺たちは暇になったんだがな」

「ごめん、わざわざ一緒に来てもらったのに」

「ま、これからのシゴキに向けて体力が有り余ってるってこった」


 そう言って笑ったモムルは、シゴキと聞いて身を強ばらせたニナに対して、にいっと白い歯を見せた。


「事情は聞いたぜ、いけ好かない野郎を正面からぶっ飛ばすんだろ?」


 乱暴な物言いがニナの中のツボにはまったのか、ニナは少し噴き出して、そして強ばりの取れた表情でモムルを見上げた。


「はい、絶対にぶっ飛ばしてやりたいです」

「いいねぇ、そいつの鼻を明かせるようにがっつり鍛えてやろうじゃねえか」

「おいモムル、これは儂の魔導修練じゃぞ」

「あん? いいだろ、爺さんには王子サマが居るじゃねえか。俺はテレミアが一人前になってからずっと退屈してたんだぜ。ちっとは遊ばせてくれや」


 ヘステスは深くため息をついて、「好きにせい」と返した。


「キリの良いところで代われ、魔導の方を疎かにするわけにはいかん。よいな」

「おうよ」


 モムルはカライアの地下牢での戦い以来、何かと使い込んでいる剣を構えた。 

 それを見てニナも剣を改めて構え直す。


 始まった剣の振り方の指導を、テレミアは満足した気持ちで眺めた。

 ヘステスの独断で勝手に事態が進展した結果とは言え、やる気に満ちあふれた教官が二人も現れたことを、ひとまず喜んでおくべきだろう。


「頑張ってねー」


 ニナの耳に届くか届かないかくらいの声量で呟いて、テレミアは花の絨毯に身を横たえた。



 モムルの前で剣を振り、疲れてからはヘステスに魔導の効果的な使い方を教わり、体力が回復したところでモムルかテレミア、あるいは余裕があればより力に優れた青肌姿の二人と実戦形式での稽古に入る。

 こうした流れを基本として、ニナの修練は進んでいった。

 迷宮の奥地、迷宮の主である大蝶が現れる広場は、他人の目線がなく、かつ広い空間があることから、最も修練に適した場所になった。だから自然とテレミアたちは毎日迷宮の入り口から最奥までを往復することになり、その間に遭遇する魔物は全て余さずニナの力となった。


 そうして順調に進んでいく修練に思わぬ横やりが入ったのは、本番の試合を十日後に控えた日の朝のことだった。




 未明に飛び込んできた知らせは、花の島に住まう誰しもの心に暗い影を落とした。


───鉄の迷宮にて、麦、金、鳥、石、花の族長五名、ならびに随行の数十名戦死。


 急使が持参した死者の名前を記した書簡には、花の部族から駆り出された者達の名前が何人分も載っていた。ヨンドとザグはその悲しみに暮れる暇もなく、遺された家族にどのように伝えるのか、働き手を大勢失った部族の暮らしをどのように維持していくのか、族長となるにはまだ歳の若すぎるニナをどう支えていくのか、それらの全てに対して結論を出すことを迫られた。


 国の外からやってきた客人への対処は必然的に後回しとなり、テレミアたちに事の詳細が伝えられたのは、太陽が天高くにまで昇った頃だった。


「……朝から重い雰囲気だったのは、そういう事情だったんですね」

「ええ、家族や友人を失った者が大勢おります。しばらくは、皆仕事など手につかんでしょうな」


 そう言って部屋の外を見やるザグの表情には、深い悲しみが刻まれている。

 当然だろう、ザグも自らの兄を失ったのだから。


 そして、家族という意味では、もう一人。

 

「ニナは、大丈夫ですか」


 普段通りなら修練の始まる頃合いに彼女が現れなかったのが、テレミアが島に起こった異変に気付くきっかけだった。

 いつまで待ってもニナが迷宮までやってこないのを不思議に思って屋敷に戻り、彼女の部屋を訪ねようとしても、側仕えの者にそれとなく制止された。

 ざわついた異様な空気を警戒しながら仕方なく客間で待っていたところにこうやってザグが現れて、そして今に至る。


 ザグは目を閉じ、顎を撫でた。


「さぁ……長い間会っていなかったとはいえ、あの子は兄によく懐いておりましたから。しばらくは修練も難しいやもしれませんが、なんとか叩き出しましょう」


 ザグの絞り出した台詞に、テレミアは僅かな引っかかりを覚えた。


「叩き出すまでの必要は」

「───いいや」


 遠慮がちに申し出ようとしたのを、ザグが芯の通った声で遮った。


「あの子は、もう一人の娘ではない。我ら花の部族を彼女自身の差配の下に率いる、その責任を背負わねばならんのです」


 葛藤などとうに噛み砕いたのだろうザグは、テレミアの顔を真っ直ぐ見据えて言った。


「明日、麦の島で合同の葬儀が執り行われます。それが終わったなら、再び皆様にニナを預かって頂きたい。ニナにも、よく言い聞かせておきましょう」


 何か質問は、と場を締めるように聞いてきたザグに対して、テレミアはゆっくりと首を横に振った。

 ザグが足早に次の仕事に向かっていったのを見送り、そしてテレミアは一人客間に残された。


 ”率いる責任”というザグの言葉が、テレミアの中にこだましていた。




 『耳』は海が隔てる先の麦の島で何が起こっているのかを鮮明に伝え、ヘステスの思考に常に新たな情報を投げかける。急使が麦の島を発つよりも先に、ヘステスは事のあらましを花の部族の誰よりも詳しく理解していた。


 唸りを上げるように急速に巡り始めた情勢の中で、ヘステスは一歩引いた場所からその全体像を捉えることに努めた。

 「形というもの、知るということ、知られるということ」という哲学書曰く、人が手にできる情報は、どうしても己の知性の枠組みに投影されて、本来の意味や姿を喪失する。だから、こういうときヘステスはまず自らの意識を限りなく希薄なものにすることを試みる。そうしてありったけの情報を、できる限り自らの意識を介在させないままに収集し、新しい情報が増えなくなったと判断した段階で、ようやく解釈を加え始める。

 自らの意識を希薄にしたとて、知性の枠組みという人の受容の限界を外れることは決して叶わない。その程度はヘステスにも分かっているから、この一連の考え方はただの自己満足でもある。それでも、どこまでも冷静な観点から物事を見つめようという取り組みそれ自体を、ヘステスは好んでいた。


 一人静かに目を閉じていた老人がゆらりと立ち上がったのを、迷宮を飛び回る蝶だけが見守っていた。

 ヘステスは魔物払いの魔導を打ち切って、導き出された結論を伝えるべく、新たな族長が御座す場所へと足を進めた。


「『忍びは影に沈む』」


 潜影の術で姿を消せば、見張りの男はヘステスに感づくことも叶わない。

 男に魔導が直接届く位置まで近づいて、術を切り、本命の魔導を組み立てる。


「『汝の眼に呪いを、睡魔に抱かれて地に伏せよ』」


 小声で唱えた呪術が見張りに作用して、不運な男はどさりと音を立ててその場に崩れ落ちた。

 

 戸を引き開けて部屋に入ると、寝床の上に小さくくるまって眠る少女がいた。

 いつかと同じように、固く閉じられた彼女の目は真っ赤に腫れ上がっていた。


 肩を叩き、「起きよ」と言い放つ。


 ゆっくりと目を開けたニナは、ヘステスの姿を一瞬視界に捉えて、そして見たものを拒むように再びきゅっと目を瞑った。


「聡いおぬしであれば分かっておるじゃろう。そうして泣いたとて、死んだ者は還らん」

「……でも」


 細く、かすれた声がヘステスの耳に届く。


 仕方ないだろうか、と思うところもある。幼い頃に親を失ったために家族の情というものをはっきりと覚えてはいないヘステスも、数々の物語において「大切で、何にも替えがたいもの」として描写されている無償の愛を失うのは辛いことだろうと想像はできる。


 それでも、自らの計画の進行を止めるつもりなど微塵もなかった。

 

「おぬしの父は何と言うであろう。いつまでも悲嘆に暮れる娘の姿を見て、喜ぶと思うか」


 一切の面識のないニナの父の仮面を被り、ニナの心に想像をかき立てる。


「おぬしの父は常に自分以外の者のために身を捧げる、戦士の鑑のような男であったそうじゃな」


 まやかしも伝聞の形で語れば真実味を帯びる。心の弱っているニナに、わざと「()()言っていた」という主語を抜いたことなど、感づけるはずもない。


「おぬしはどうなのじゃ。ただ無為に時を過ごし、苦しみ続けるのか? おぬしを信じる花の部族の者どもをも苦しめるのか? 違うであろう、おぬしの身体に流れる血がおぬしのすべきことを知っておるはずじゃ」


 そうやって、誰かのために立ち上がる姿をニナの中に植え付ける。

 より正しくは、ニナが自ずから「誰かのために立ち上がった私」の姿を生み出すよう、悲しみに均されて脆くなった心に囁く。


 ただ、そんな程度で簡単に立ち直れるほどに人間の感情というものは単純ではない。

 だから、ヘステスは続ける。


「おぬしに新たな策を与えよう」


 目を閉じたままのニナが息を止めたのを、ヘステスは見逃さなかった。


「おぬしが望むニラギに続く道が、たった今、おぬしの目の前に開けた。父の骸の先にあるその道を辿るのじゃ、ニナ」

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