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迷宮世界のオデュッセイア  作者: 諭吉
二章 七つの島の新たな伝説
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45. 花の檻を見る白い月

 その日、ニナは実に様々なことをテレミアから教わった。

 弓には攻撃の意図が他者に読まれやすいという弱点があるから、速射や、敢えて狙いをぶれさせるなどといった様々な技法を覚えておく必要があること。そして、単にそうした技法を覚えるだけでなく、正確な射撃と使い分け、或いは織り交ぜて、相手との駆け引きをしなければならないこと。魔導を封じるために、例えば詠唱をさせないよう喉を潰すなどといった、見方によっては卑劣な、しかし効果の絶大な方法があること。

 結局一日かけてもテレミアからは一本も取れなかったが、それでもかつて一人で修練を積んでいた頃よりも、上達の実感は遙かに大きいものだった。


 ───迷宮で戦ってただけあって、相手の急な動きにもしっかり対応できるね。きっといい武器になると思うよ。

 ───本当ですか?

 ───うん。私が剣を投げたときとかもちゃんと躱せてたし。相手の奇策は踏み潰して、自分の奇策は押しつける、って理想的じゃない?


 水場で汗を流しながら、ニナはテレミアが最後にかけてくれた褒め言葉を改めて思い返していた。


 かつてのニナにとって、修練とは常に辛く、ただ愚直に課題をこなすだけの苦行に近いところがあるものだった。

 でも、今日はすがすがしく修練を終えることができた。それどころかどこかむずがゆい気分になるのを止められないでいる。


 いつだったか、カンバはドルムの戦いぶりを、「魔闘術で下駄を履いてるだけの木偶の坊」と評していた。全く洗練されていない剣の振り方や足の踏み方を見れば、真面目に修練に取り組んだこともないのは明らかだった、と。そのときは既にカンバも魔闘術の扱いに慣れてきていたから、「今の俺なら正面からぶっ飛ばせるぜ」と豪語していたのも覚えている。

 その上で、対人での駆け引きを知り尽くしたテレミアと、目に焼き付いているカンバの動きを照らし合わせて、テレミアの方が戦士としてカンバよりも余程優れているとニナは感じる。


 つまり、だ。


 テレミアの胸を借り、彼女に勝てるようになるとは言わずとも同じ土俵の上に乗るくらいにまでなれれば、カンバやドルムを凌駕できてしまうのではないか。


 ひょっとしたら、私がこの島に連れ戻されたことにも、意味があったのかもしれない。

 意味を生み出せるのかもしれない。


 清潔な布で身体の水を拭いて、脱衣所に置いておいた服を着る。

 花の島ではありふれた、干した草の繊維から作られた布地のその服は、半日前までは陰鬱な思いをかきたてる存在だったのに、今ではそんな気がまるでしない。


「……頑張って、みようかな」


 決意表明を誰かに聞かれてしまうのはどこか癪だったので、誰も周りに居ないことを確認してから、ニナは小さく呟いた。




 次の日は、朝から雨の降り続く、花の島にとっては少し忙しい一日となった。


 迷宮で収穫した植物から薬を作るためには大抵様々な工程を経るわけだが、その中でも日に干しておく必要のある薬草が湿気てはたまらない。加えて、雨が降ったときに作ることで効能の高くなるような薬もある。

 こういう忙しい日は母も黙認するので、ニナは大人たちに混じって中庭一杯に積み上げられた各種の花を倉庫に抱えて走り、手が空いてからは道具を運ぶなどして薬作りに勤しむ職人たちの手助けを続けた。


 気付けば昼になっていて、ニナは軽食を摂るために作業場を離れ、炊事場へと向かった。


 背後から肩に手が伸びてきたことに、ニナは最後まで気付かなかった。


「───ニナ」

「ひっ」


 両肩をがっしりと掴まれて、ニナは怯えた声を出してしまった。

 飛び退くようにして振り返れば、そこにはヨンドがずぶ濡れの格好で膝を突いていた。


「……どうしたの」

「すまない。本当に、すまない……」


 まるで泣き出しそうな声のヨンドは、額を床に付けるように崩れ落ちた。

 肩を震わせているから、もしかすると本当に泣いているのかもしれない。


「何、何!? 何かあったの!?」

「ああ、俺が、不甲斐ないばかりに……っ」


 まるで会話にならないヨンドを前にして途方に暮れていると、騒ぎを聞きつけたのか屋敷の奥の方からザグが顔を出した。


「どうした?」

「えっと、ヨンド叔父さんがなんか突然私に泣きついてきて」


 伝えきらないうちから、ザグの表情は曇っていった。

 何を悟ったのだろう、と不安に思っていると、ザグは近くの部屋の扉を開けてヨンドを中に担ぎ入れ、そのままニナを手招きした。


「……入れ。お前にも関係のある話だ」


 それはそうでしょ、と思いながらも、あまりの落ち込みようのヨンドの前で軽口を叩くことは憚られた。




「試合の詳細が決まった」


 どうにかこうにか落ち着きを取り戻したヨンドは、沈みきった声で切り出した。


 ”私にも関係のある話”というのは、つまりそういうことなのだろう。

 試合がいつ開かれるのか、誰と戦うことになるのか、あたりのあれこれが決まったのだ。

 この落ち込みようからすると、最初からドルムと戦うようなクジを引き当ててしまったのだろうか。


「どうなった」


 ザグが聞き返す。

 

「……三十日後、麦の島の修練場で勝ち抜き戦として行われる。参戦の順序はこれまでの実績を考慮して、花、木、鉄、石、金、鳥、麦の順と決定された。一本勝負、武器は()()()()()()()()()()()指定の剣を用いる」

「は?」


 ニナは己の耳を疑った。

 今、ヨンドはなんと言った。


()()()()()? 指定の、()?」


 ヨンドはがっくりとうなだれた。


「……ああ」


 ヨンドのしぐさと言葉が意味するのは、明らかに「その通りです」という肯定だった。

 

 頭がおかしい、とニナは本気で思った。


 この”勝ち抜き戦”とやらで優勝するためには、カンバから始まり、ガカルやサクたち全員に勝利した上で、最後にピンピンした身体で現れるドルムを倒さなければいけないらしい。それも、普段全く握ることのない剣を使った上で。

 こんな条件を設定し、認めるような人間は、公平、公正という概念を理解できない余っ程の馬鹿か、狂人であるに違いない。だって、普通に考えてみれば、次の国長を決めるような大切な儀式が、始まる前から決着していて良いはずがない。

 勝ち抜き戦とは何だ。”これまでの実績”とは何だ。”公平性を担保するため”とは一体全体どのような理屈なのだ。


 清い観念を踏みにじることに一切の良心の呵責を覚えないとしたら、果たしてその人間の精神はどれほど腐り切っているのか。ニナにはまるで分からなかった。


 ヨンドが「全ては麦の掌の上だった」と振り返った。


「あまりにも、ドルムに一方的に有利な条件だとは、誰もが理解していた。木や鉄が議論の場を退くと脅す程だった」

「ニナと木の跡継ぎが生きて帰ってきたから、すぐに結論が出せるだろうと言っていたな。そのくせ昨日中に戻らなかったのはそれでか」


 ヨンドは黙って首を縦に振った。


 少しの沈黙があって、ザグが絞り出すように疑問を口にし始めた。


「しかし、どうしてそうした結論で決着したのだ。ニナ以外にも、剣を使わない跡継ぎはいるだろう。到底、麦以外の部族が納得できる条件ではないはずだ」


 尋ねられたヨンドの顔に一瞬のうちに憤怒が満ちた。

 ニナは思わず、僅かに身を引いた。


「金、石、鳥が抱き込まれていた。奴ら、涼しい顔で……ッ!」


 政治的な取引が行われていた、ということなのだろう。

 金か、権力か、何を約束したのかは定かではないが、きっと麦の部族が持ち得る力の内のいくらかを分け与えて、そして都合の良い傀儡を仕立て上げたのだ。「ドルムを勝たせるための試合」という馬鹿げた提案に、半数以上の合意を得るために。

 他者に与えられるものなど何も持ち合わせない自分たち花の部族には到底なし得ない、どこまでも卑劣で、暴力的なことの運び方だ。


「……何という」

「鉄の使者が、共に最後まで粘ってくれたから、辛うじて三十日の猶予は稼げた。……だが、それが精一杯だった」

「麦は、それほどになりふり構わないか……」


 乾いたザグの呟きが、激しく降り続ける雨音の狭間に薄れていった。


 自分の膝に大きな影がかかったのに気付いて、ニナはゆっくりと正面を見上げた。


 ついに涙を隠せなくなったヨンドが、ニナに縋り付いてきた。

 

「ニナ。頼む。今からでいい、剣の振り方を覚えてくれ。剣での戦い方を覚えてくれ。頼む。頼む。頼む……」


 ニナのため、花の部族の未来のため、必死に戦い、そして無残に敗れ去ったヨンドは、見栄も意地も何もなくただ情けなくニナに乞う。

 その肩を叩いて慰めてやるだけの余裕がニナの心から湧き出ることはなかった。


 私がこの島に連れ戻されたことに、意味はない。

 はじめから、私の存在に、意味なんてなかった。

 だって、私に私の未来を選ぶ権利なんて、ただの一度も与えられはしないのだから。

 



 それから、ニナは自室に籠もって、一日を過ごした。

 無理矢理叩き起こそうとしてきた母は、魔闘術で少し脅してやれば、怯えた顔で引き下がった。心配そうな顔でやって来たテレミアも、受け答えをせずに黙っていると、いつの間にか部屋から消えていた。


 島に戻ってきたときにも抱いていた感情が、一度テレミアと共に時を過ごして鎮まったはずだったむなしさが、まるでカタバミの種のようにいくらも、絶え間なく弾け、身体の隅々までに無力感を塗り重ね続ける。

 空しくて、悲しくて、惨めだった。気付けば涙が瞳から溢れていて、そのことに気付いたニナは、そっと目を閉じた。時間が苦しみを薄れさせてくれると、ニナはそれまでの経験で知っていた。これほどの苦しみを薄れさせるのにどれだけの時間がかかるのかは、知りもしなかったが。



 頬に風を感じて、ニナは目を覚ました。

 働きの鈍い頭を振って、大きく息を吸う。どこかから漂ってくる蝋燭の煙の香りが鼻についた。もう夜になってしまったのだろうか。


 身を起こそうとすると、側に人の影があった。


「邪魔しておるぞ」

「ひっ!」


 白髭の老人は飛び起きたニナに向けて「しー」と細く息を吐いた。


「煩くはしないでもらえるかの。見張りの目をかいくぐってここまでひっそりやって来たのじゃ、一瞬で叩き出されては叶わぬ」

「い、嫌っ」


 ニナは本能的な恐怖に引きずられるようにして、部屋の外に逃げだそうと寝床を這い出した。

 背中に、ヘステスの静かな声がかかった。


「この国の在り方に疑問を覚えてな」


 ニナは戸に手をかけた状態で動きを止めた。


「麦の島を見てきた。花の島とは、まるで似ても似つかぬ栄えようじゃった。……とても、同じ国とは思えぬほどに」


 ニナは、ヘステスの台詞に強く興味を惹かれた。

 その言葉を聞かねばならない、その真意を知らねばならない。

 恐怖に慄いていたはずなのに、そういう気がした。


「ニナ、お主の心意気を見込んで、儂はここにおる。話を聞いてみるつもりはないか」


 ゆっくりと、ニナは振り返った。


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