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迷宮世界のオデュッセイア  作者: 諭吉
二章 七つの島の新たな伝説
44/60

44. 花の檻に吹く赤い風

 額の裏側に何か渋いものが寄り集まるような、そんな嗅ぎなれた草の汁の香りがする。

 ニナは自分の中に湧き上がる、懐かしみと名の付くであろう感情をひたすらに嫌った。


「すまなかった、許してくれ、私があんなことを言ったばかりに……!」


 見下ろす先では、叔父のヨンドがさっきからずっと平伏して謝罪らしき言葉を垂れ流している。

 ヨンドにしてみれば、八つ当たりをするかのように厳しく接した姪が直後に失踪するという一生の汚点を背負いかけたのだから、こうして縮こまってしまうのも仕方ないのかもしれない。


 とはいえ、簡単に許しを与えてやろうという気分には到底なれなかった。

 望まぬ形で連れ戻されたこの花の檻の中で、何か意味のある行いをすることに、一切の価値を感じない。


「放っておいてよ」

「……」


 冷たく言い放つと、少し身体を震わせたヨンドは、黙ってニナの部屋を出て行った。


 ヨンドが閉じた戸の向こう側で、ささやき声の会話が交わされているのが分かる。


「どう?」

「……聞こえていただろう。とても話のできる雰囲気ではない」

「貴方でもダメなのね。この子と仲の良かった者は、他にいないの?」


 うんざりした気持ちで、ニナは耳を塞ぎ、部屋の隅で身体を丸めた。


 木の島で参加させられた宴会では、黙っていてもいろんな人の話が耳に入ってきたから、どうして連れ戻されるに至ったのかについては大体把握することができていた。

 どうやら、麦の血族でもないのに魔闘術を使えることには、それなりの訳があったらしい。国長を決めるための戦いに参加するとか、どうとか。

 当然そのことは花の島でも知れ渡っていて、かつてはニナを出来の悪い娘とばかり見ていた大人たちが、皆手のひらを返したように親切に接してくる。


 宴会を終えた後のテレミアたちに連れられて夜遅くに花の島に帰り着いたニナは、見たこともないほどの満面の笑みで顔を飾った母に迎えられた。その裏側に、「自分の産んだ娘が価値のある存在になった」という独りよがりな歓喜が潜んでいるのは声を聞かずとも分かった。


 娘の身を案じるよりも先に魔闘術が使えるのかを執拗に問うてきた母の前で魔導を使ってしまったのは、今思えば軽率な振る舞いだった。

 鬱陶しい口を閉じさせようと少し力を込めて大木を撃ち抜いたのが、かえって心に火を付けてしまったらしい。彼女はそれからしばらくニナの前から離れず、戦いにどれほど自信があるのかとか、修練をするのなら魔物相手がいいのかとか、そういうことを絶え間なく聞いてきた。


 浴びせられる質問の全てを無視し、「一人になりたい」と屋敷に戻るなり無理矢理部屋に閉じこもってからも、諦めの悪い母は何人もの使者をニナの元に送り込んでは交流を試みてくる。

 ニナは本当に一人でいたいのに、しかも何度もそう口にしてもいるのに、その願いを叶えようというつもりはさらさらない様子だ。

 

 少し前のように国を旅立つことはおろか、屋敷を抜け出すことすら、きっともう許されないだろう。


「……ニナ様」


 次の使者が現れた。

 また、同じことが繰り返される。


 使者はニナが居なくなってどれほど心苦しかったかを表明し、ニナが部族の未来を背負っている大切な存在であるのだと鼓舞し、部族の民のためにとニナに期待を押しつける。

 ニナがそのどれにも反応を示さないから、途方に暮れた使者はそれぞれ独自の行動に出る。


「ニナ様が欲しいものがあれば、何でも仰せになってください。必ずや、揃えて見せましょう」


 今度は、物欲を満たすことによってでの対話の試みらしい。

 欲しいものは、孤独。それと、自由。

 正直に伝える意味を感じないから、ニナはただ一言、「出てって」と告げる。


 肩を落としてニナに背を向ける男を見送って、ニナは窓の外に目を向けた。

 ニナの心と同じようにどんよりと曇った夜空には、一つの星も見えなかった。




 狸寝入りを決め込んでからは流石に母も諦めたのか、どうにかこうにか平穏を確保することができた。

 そうやって夜を明かした次の日の朝に、ニナは無理矢理弓の練習場に連れ出された。


 既に的が片付けられて若干広くなった練習場には、意外な人物が待っていた。


 少し前まで姉のように思っていたその人は、ニナの姿を認めて、ぎこちなく笑って腕を差し上げた。挨拶のつもりらしい。


「お前のために、稽古をつけてくれるそうよ。感謝なさい」

「えっと……よろしくね、ニナ」


 どうしてテレミアさんが、と口から漏れてしまっていたようで、母がニナの背中を押しながら「うちにいる間は時間があるから、ですって」と説明を加えた。


 テレミアは矢じりの潰された訓練用の矢をいくらか握って、ニナの側に寄ってきた。


「カンバたちとの勝負で勝てるように、えっと、特訓は必要でしょ?」


 差し出された矢を受け取ることはせず、ニナはテレミアの顔を見上げて尋ねた。


「……なんで私に構うんですか」

「それは……ええと……」


 少し視線が泳いだ後に、「ニナを応援してるから、かな」という答えが返ってきた。


 ここまでのやりとりで、流石にテレミアが何を思っているのかは察せられた。


 きっと、無理矢理ニラギに連れ戻す形になってしまったことに負い目を感じているのだろう。

 思えば、昨日から様子が少しおかしかった。丁重にもてなしてくれる木の島にいれば良いものを、どうしてか貧しい花の島に「ニナを送るから」とやって来て、そのまま居座っている。

 どうしてテレミアがカンバではなく自分にそこまでこだわるのか、ニナには想像がつかなかった。しかし、ともかく何か穴埋めを探して、こうして修練の相手をしようと決めてくれたのは確かだろう、とは想像ができた。


 部屋に引き籠もることはきっと母に許されないと思ったから、ニナはテレミアから矢を受け取って、背負った矢筒に突っ込んだ。


「なら、よろしくお願いします」

「うん」


 相変わらずぎこちない笑みでテレミアは頷いた。


 こうして表情にもにじみ出ているように「負い目を感じている」のだとすれば、テレミアは勘違いをしている。

 別に、ニナはテレミアを恨んではいない。彼女は白金貨五枚という破格の条件を提示されてなお、二人を守ろうとしてくれた程なのだから。むしろ、首に剥き身の刃を当てられて脅迫されたことをよく許してくれていると思うくらいだ。その後にカンバの手を斬ったのはオトだし、そもそも最初に焦りのあまりに愚行に走ったのはカンバ自身だった。

 悪いのはこの国の人々、そして一番都合の悪いときにやって来た司書と、伝えられた”正しい伝説”と考えるのが妥当だろう。


 想像を巡らせている間に、テレミアはニナから少し離れた場所で木剣を構えていた。


「まずは、ニナがどれくらい動けるのか知りたいから、一回何も決めずにやり合ってみようかなって」


 そういえば確かに、テレミアの前で実際に戦ったことはなかった。

 何も決めずにやり合う、という条件の下で戦う自らの姿を想像して、一つの疑問が生じた。

 

「魔導は使って良いんですか? 下手したら、テレミアさんを怪我させちゃうと思うんですけど」


 テレミアは少し考えて、「別に良いかな」と答えた。


「威力は抑えて欲しいけど、あんまり気にしなくてもいいよ。速度を乗せようと思ったらどうしても威力も上がっちゃうしね。いざとなったらヘステスに治してもらえばいいから」

「……っ」


 ヘステスに治してもらう、と聞いて、ニナは思わず身震いした。

 薄暗い船倉に一緒に閉じ込められたカンバが右手を何度も確かめて息を荒くしていたのは、ニナの記憶に新しい。

 怪我を治せるということと、怪我が怖くないということは、決して単純な因果によって結ばれる物事ではない。


 不安になっているニナの心中を察したのか、テレミアが「大丈夫大丈夫」と声をかけてきた。

 

「こう見えて、私にもそれなりの経験はあってさ。全身に矢が刺さったり、手足を斬り飛ばされたりくらいはやってきたから」

「えっ?」


 ニナは眼前に立つテレミアを唖然として見つめた。


 自分と二つか三つくらいしか変わらないように見えるのに、一体どんな死線をくぐり抜けてきたというのだろう。

 

「死ななければヘステスは治せるから。あ、でも昼過ぎから島の外に出かけるって言ってたから、全開で戦うのは朝の間だけね」

「わ、分かりました」


 ニナが弓を構えたのを確認して、テレミアは一枚の銅貨を取り出した。


「今からこの銅貨を投げ上げるから、地面に落ちた瞬間から相手に攻撃を加えてもいいってことにするね。距離を取るなら今のうちだよ」

「!」


 余裕を持った態度でテレミアが宣言して、そして言葉通りに鈍く輝く銅貨を投げ上げた。


「『魔闘・天衣』」


 弓か、魔導での遠距離攻撃を中心に戦うニナにしてみれば、剣を持つテレミアと近距離でやり合うのは避けるべきである。

 だからニナは身体に光の衣を纏い、増した力で急いで練習場の隅の方へと後退した。


 改めて弓を構え、銅貨が地面に舞い落ちるのを待つ。


 戦いの場となった練習場は、決して広くはないし遮蔽と呼べるものもない環境ではあるが、それでも微動だにしないでいるテレミアとは十分な距離が開けられたものと思われた。


 あとは、近づかれないように逃げ回りながら、隙をみて矢を放てばいいだろう───


 キン。


「『脚』」

「!?」


 瞬き程の時間すらしないうちに、テレミアは立ち止まった状態からニナとの間にあった距離を半分以上も詰めてきていた。


 ニナは即座にテレミアに向けて弓を引き絞った。

 顔を狙うのは止めておこう、とか、なんとなく考えていた気遣いを実行に移す余裕は全くなかった。


 込めた力を解放しようとする。


「しっ」


 鋭い呼吸が、弦のしなる音よりも先に練習場に響いて、そしてテレミアの姿がニナの視界から掻き消えた。


 何が起こったのかを理解するよりも先に、ニナは直感に従ってその場から飛びすさった。


「!」


 ぶん、と風を感じて、自分の判断が正しかったことを悟る。

 さっきまで二ナの身体があった場所に、的確に剣が突き出されていた。


「───そんなに速く動けるんだ、すごいね」


 感心したような声色でテレミアはニナを褒め称える。


「今の、どうやって」

「焦って弓を引き絞ったときって、手を弦から離す瞬間が分かりやすくなっちゃうんだよね。もっかいやってみる?」


 そう言って、テレミアは再び「『脚』」と唱え、爆発的な速度でニナの方に迫ってきた。

 さっきと同じように、ニナは矢をつがえ引き絞り、放つ。

 

 テレミアは鋭く地面を踏みしめ、矢が通過する空間から、矢が放たれるよりも早く離脱した。


 これも躱されるのだろうと予想していたニナは、テレミアが接近してくるよりも先に再び逃げ回ることを選んだ。

 テレミアもそれくらいは読めていたようで、距離を取ろうとするニナを追いかけてくる。しかし、天衣によって羽を与えられたニナはテレミアよりも素早く動けるようで、二人の間の距離は開くばかりだった。


 それを見て諦めたのか、途中でテレミアは足を止め、完全に立ち止まった。


 絶好の機会と見て、ニナは魔導を切り替えることにした。

 弓が決定打になり得ないのなら、魔闘術に頼るしか、ニナには勝つための方法がない。


「『魔闘───」

「『風よ』」


 詠唱の短さで、テレミアが先手を取った。


 勢いよく舞い上がった砂埃が顔に直撃して、ニナの視界を奪う。飛び込んできた砂粒のために目が開かず、光の槍が飛ぶ先を見据えられない。


 テレミアに嵌められたのは明らかだった。それでも、一度唱え始めた詠唱を途切れさせるわけにもいかないから、必死に魔導を完成させる。


「『───・砲槍』」


 バリッ、と木の裂ける音がした。

 放たれた魔導は、人間ではなく、練習場の壁を突き破ったようだった。


 痛む目を開く前から、すぐ近くにテレミアが立っていることが分かった。当然のように、首に剣の切っ先が触れている。

 ニナは完膚なきまでの敗北をただ静かに受け入れた。


「最高だわ、修練の相手まで見つけてきちゃって……!」

「参りました」


 遠くで観戦していた母が興奮しているらしい声を聞きながら、ニナは降参を表明した。

 テレミアは木剣を引き、腰に収めるような素振りを見せて、そこに鞘がないと気付いたのか少し赤面した。


「思ってたよりずっと良かったよ。札を使った私より速く動けるとは思わなかった。でもこれからニナは単純な魔物じゃなくて私みたいな人間を相手取らないといけないから、色々駆け引きとかは覚えないといけないね」


 そう言って軽く微笑むテレミアが、ニナにとってはまるで巨人であるかのように、大きく思えた。


「よ、よろしくお願いします」

「うん。頑張ろう」

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