43. 宴
引き攣った顔のアムンダを船に乗せ、テレミアたちはガザンを出航した。
ニラギまで向かうための物資は、カンバとニナが初めに差し出した金貨三十枚で買いそろえることができた。
二人は甲板下の船倉の一つに押し込んだ。口には詠唱を封じるための猿ぐつわを噛ませ、手枷と足枷で身動きも封じた。食事と排泄、そして身を清めるための時間が、二人が日の光を浴びられる僅かな機会となった。
その短い間でも、カンバは睨み殺そうとするかのような鋭い視線で不満を露わにする。
ただ、ヘステスが生やし直した右手をいつも庇うようにしていることから、心には決して小さくない傷が残ってしまったように思われた。
一方、ニナは力ない姿で、ただ鎖を引かれるままに揺らいでいた。
瞳にはやはり色が映らず、食事もまともに口にしないから、日を追うごとに身体は衰弱していく。
テレミアは二人に対して申し訳ないという思いを大きくしていた。
特にニナを見るたび、かつての屍のようだったラズエイダの姿が想起され、テレミアの心を締め付ける。
しかし、発話を封じられた二人に対して一方的に語りかけるのも憚られて、何をできることもなく、ただテレミアはニラギに向けて真っ直ぐに進む船に揺られるばかりでいた。
目を覚ましたテレミアは、頭に走った鈍い痛みに思わず顔をしかめた。
紐で脳味噌を直接締め上げるようなその痛みは、何度か味わったことのある魔素切れの痛みによく似ていた。
風邪でも引いただろうか。
そう思いながら朝食を摂るために寝室にしている船室を出て甲板に踏み出す。なんとはなしに船の進む先に視線をやると、ぽつぽつと小さな山が並んでいるのがハッキリと見えた。
ニラギは七つの群島から成る国だ、という話だった。どうやら、目的地に辿り着いたようだ。
アムンダを水先人として、テレミアたちは木の島にある港に滑り込んだ。
「少々お待ちください、迎えの者を呼んで参ります」
そう言って駆け出していったアムンダを待つ間に、テレミアは船の上から島の様子を眺めた。
少し離れた沖合に何隻かの大型船が停泊していて、港の岸壁に綺麗に積み上げられた材木を小舟を使って積み込んでいる。逆に、中型の商船はあまり多くない。
立ち並ぶ建物は木造の平屋が殆どだ。石造りの建物もあるにはあるが、かなり数は少ない。
”木の島”という名は、確かにその体を表しているようだった。
しばらくして、アムンダが何人かを連れて戻ってきた。そのうちの一人の、ゆったりとした格好の女性は、カンバとよく似ている顔立ちをしていた。きっと、カンバの母親なのだろう。
カンバとニナの拘束を解いて外に出すと、船に上がってきた彼女が真っ先にカンバのことを抱きとめた。
「カンバ……本当に……っ!」
カンバは母親の腕の中で、ただ気まずそうに身じろぎしていた。
「こちらが、カンバ様を連れ戻してくださった、テレミア様ご一行となります」
カンバが解放される気配がないのを感じ取ったのか、アムンダが小声で他の人々にテレミアを紹介した。
見た目の年齢と格好からしてそれなりの立場にいるのであろう彼らは、柔らかい物腰で口々に感謝を述べていった。
貼り付けた笑顔で一人一人に返して、一通りのやり取りが済んだ頃に、アムンダが「カンバ様がお帰りになったことの祝賀と、皆様への感謝を込めて、宴を催させていただこうかと考えております。是非、ご参加くださいませんか」と提案してきた。
特に断る理由を見つけることもできなかったので、テレミアは素直にその申し出を受け入れて、船を後にした。
港街を通り抜けて少し喧騒が遠のいた尾根筋の合間に、豪勢なつくりの屋敷が構えていた。
先導するアムンダが門をくぐると、わらわらと下仕えの者たちが寄ってきて、気付けばテレミアたちは大広間に置かれた大きな卓の一辺に横並びに座らされていた。木でできたその卓は、漆が塗り込まれていて、仄かに良い香りを放っている。
大広間にはまだ昼間だというのにたくさんの人間がいて、彼らはカンバが母親に連れられて現れた瞬間にわっと歓声を上げた。そのままカンバは母親とともに反対側の辺に誘導され、少しテレミアたちとは距離が生まれた。
やがて給仕が食事を載せた盆を持ってきて、卓に着いた各人の前に魚や麦飯、そして酒を並べた。
次いで宴の開始が宣言され、大広間には一気に喧騒が満ちる。
目を白黒させるカンバに声をかける者、近くの数人で杯を合わせる者、食事を平らげて「旨い!」と叫ぶ者。テレミアたちの元には老若男女様々な人間が絶えずやって来ては感謝を告げていく。
実に騒がしいその光景は、テレミアに海賊団での暮らしを思い起こさせた。略奪を成功裏に終えた後の船の上が、丁度こんな感じだ。
カンバから聞いていた限りでは、彼は濡れ衣とはいえ重大な罪を犯し部族から縁を切られたという身の上のはずだったが、どうもこの宴の盛り上がりとその過去は合致しない。
しばらく時間が経って段々と人が減りだした頃、テレミアは近くに居たアムンダを捕まえて疑問をぶつけてみた。
「カンバは一族から追放されたって話なのに、帰ってきたら随分と盛大に祝うんだね。どうして?」
酒が入ってか頬の赤いアムンダは、「ええ、ええ、祝わなければ」と陽気に笑った。
「事情が変わったのです。カンバ様が島を飛び出したすぐ後に、図書館から司書様がやって来られまして」
「”司書”が?」
このような場所で耳にするとは思わなかった単語が聞こえて、テレミアはそのまま聞き返した。
「ええ、司書様の、それもかなり高位の方が。図書館について、テレミア様はご存じですか?」
「いや、知ってるけど……」
テレミアは首をかしげながら答えた。ヘステスが事あるごとに憧れを語っていたから、本や学問にさほど興味がないテレミアも図書館のことはよく知っている。
”図書館”とは、中央海域の大迷宮のほど近くに位置する、とある島の迷宮を指す言葉である。あちらこちらで枝分かれして延々と続く回廊の壁面にびっしりと書物が並んでいて、この世を満たす森羅万象の真理が記されているのだという。叡智の粋を究めんとする学者たちが集い、自らの問いに対して答えを探し求め続ける、学問の聖地とも呼ばれる場所だ。
そして、大迷宮と同じように未だ底の知れないその迷宮には、唯一無二の特徴がある。出現する魔物が、人間に対して友好的なのだ。その魔物は、知りたい物事を伝えれば関連事項の記された本が収められた書架まで依頼者を連れて行ってくれるという、人間を助けるために存在するかのような行動原理を持つ。人間と殆ど変わらぬ見た目をした彼ら彼女らは”司書”と呼ばれ、敵対的な魔物とは区別される。しかし、似ているのは見た目だけであり、普通の生命とは異なり寿命を持たない司書たちの中には、数千年を生きてきたとされる個体もいるほどだという。そうした個体はより多くの書物の在処を把握していることから、高位の司書として崇められる。
そして、司書たちはひっきりなしに学者たちから本探しの依頼を受けるから、めったなことでは図書館を離れない。
だから、中央海域からはやや離れた小国ニラギに高位司書が訪れたというのは、多少図書館の事情に明るいテレミアにしてみれば不思議なものだった。
テレミアが考えをまとめるよりも先に、アムンダが「まあ、細かいことはどうでも良いでしょう」と言って杯を煽った。
酒臭い息を浴びないように立ち位置を微妙にずらしながら、テレミアはアムンダの言葉を待つ姿勢を取った。
「ともかく、司書様がいらして、七部族を集めて仰ることには、私どもが伝えてきた伝説には誤りがあった、とのことで」
「誤り?」
「この国については、どれほどご存じで?」
随分と雑な尋ね方だ。
この場合、伝説にまつわる物事を語った方が良いだろうか。
テレミアはカンバとニナの語っていたあれやこれやを思いだして、要点をまとめた。
「邪神と戦った戦士の子孫である、麦の族長に伝わる特別な魔導を中心にして、七つの部族が寄り集まって生きる国、でしょう」
「ええ、おおよそその理解で正しいかと。それが、司書様が云うには、「戦士の子孫に伝わる特別な魔導」という伝説の根幹が誤っていたようで。それを図書館で発見したから、使者として司書様がいらしたそうなのです」
「ふーん。司書はなんて?」
「どうも、定期的に七部族全てに魔闘術に適性を持つ人間が産まれるようでしてね。図書館で見つかった正しい伝説曰く、「五百年に一度、全ての部族に魔闘術士が生まれ、それらの資格ある者達が戦い、勝者の一族は次の五百年の魔闘術士を産む国の長になる」とのことらしく。麦の部族の者が初代の国長であったことには誤りはないものの、決してそれが今の時代まで連綿と続いてきたという話でもない、と聞いております」
五百年に一度、全ての部族に魔闘術士が生まれる。
カンバとニナは、「どうして自分たちに伝説の力が宿ったのか分からない」と言っていた。今がその時期なのだとすれば、二人に魔闘術の適性が現れたのも納得がいく。
そして、一度は憂き目にあったカンバがこうして歓待されているのも、この「正しい伝説」によって説明がつきそうだ。
「カンバを呼び戻そうとしたのは、木の部族が国長になるためにはカンバの力が要るから、ってことね」
「はい。司書様がいらしたのは、除名処分となったカンバ様が行方不明になった直後のことでしたから、私どもは運命の沙汰を呪いました。それが、こうしてカンバ様が無事に島に戻ってこられた。いやはや、皆様にはどれだけ感謝してもしきれない」
アムンダは心底嬉しそうに語って、「ささ、お食べください。料理方の者どもが腕によりをかけて仕上げたのです」とテレミアに恭しく食事を勧めた。
焼き魚は程よい塩加減に仕込まれていて、確かに美味ではある。
一口分だけ口に放り込んで、テレミアは質問を再開した。
「そこまで国長になることは大事なの?」
アムンダは、「それはもう」と大げさに頷いた。
「ニラギの民を分かつ暮らしの格差の大きさを知れば、私どもにとってこの機会がどれほどの意味を持つのか分かって頂けるでしょう。明日にでも、麦の島や鉄の島の港街をご覧になればよろしい。彼らには武力があり、財力があり、故に権力がある。私どもは彼らの機嫌を伺い恩情を乞いながら、細々と暮らしていくのが生まれついた瞬間からの定めであったのです。その内の武力だけでも、私たちのものになるとすれば。ああ、その意味は計り知れないものとなるでしょう!」
身体を揺らして熱弁するアムンダの態度を見れば、彼がどれほどカンバに期待を寄せているのかは明らかだった。
虐げられてきた立場が、たった一度の勝負によってひっくり返るかもしれないとすれば、それは当然のことだろう。
そこまでを想像したとき、テレミアは一人の少女のことを思い出した。
花の部族は、どうなのだろうか。
貧しい暮らし、とニナ自身が言葉にするほどなのだ。
ニナは、大広間の卓の片隅で、誰にも話しかけられることなく静かに座っている。
木の部族の宴会において、彼女は浮いた存在にならざるを得なかった。国長を決める戦いにおいてはカンバの敵となるのだから、尚更だろう。
空腹と故郷の食事の香りに耐えかねたのか、彼女の前に配膳された食事はいくらか減っている。それを見てテレミアは安堵の息を吐いた。
「ニナは花の部族の人って話だけど、花はどうなの」
アムンダは少し考えて、肩をすくめた。
「私どもよりも酷い環境だと申しておきましょう。花の迷宮からは、薬しか採れないのです。治癒魔導や医術を求められない貧乏人のための商売をするわけですから、それは当然金になるはずもない。食うに困る者もざらにいるとか、なんとか」
無感情に言い放つアムンダに対して、テレミアは「そう」と短く返すのが精一杯だった。
すぐ後にテレミアに別の男が声をかけてきたので、アムンダとの会話はそこで打ち切りとなった。
心のどこかに染みついてその影を大きくしていく後悔はおくびにも出さないように笑顔を浮かべながら、テレミアは宴の残りを過ごしていった。




