40. 魔闘術
フレンカの港から外海に進み出るまでに互いの自己紹介を済ませ、その流れでヘステスが早速本題に踏み込んだ。
「戦いは得意、と言っておったな。お主らはどのようにして戦うのじゃ。象狩りはお主らのような小童が二人でこなせるほど容易くはないと思うておったが」
「俺とニナが使える、ちょっと珍しい魔導があるんです。魔闘術って言うんですけど、知ってますか?」
「魔闘術、とな。聞いたことがない。見せてもらえはしないかの」
「良いっすよ」
軽く頷いたカンバはニナと顔を合わせ、「”天衣”やるわ」「じゃあ私は”砲槍”を見せるね」と短く言葉を交わした。
その意味するところが何かを想像しながら、カンバが甲板の少し広い場所に動くのを見守る。
ふう、とカンバは息を落ち着けて、そして、
「『魔闘・天衣』」
短い詠唱を発した次の瞬間、カンバの身体の周りに揺蕩う光が生まれ出た。
金色にも見える光の衣は風にたなびくようにゆらゆらと揺れながらも、しかし術者のそばを離れようとはしない。
おお、と声を漏らしたヘステスの前で、カンバは無造作に脚に力を込めた。
次の瞬間、ギッという甲板の軋む音だけを残して、カンバの身体はモムルの背丈の倍ほどにまで飛び上がった。
海に引かれて舞い戻ってきた少年の小さな身体には、そんなことをできるような力が漲っているようにはとても思えない。
「天衣はまあ、見てもらった通りっす。俺はこれと剣を合わせて、前衛張ってます」
「身体強化、ということか」
カンバは得意げに笑って、「ま、そんな感じっすね」と返した。
「基本の技は三つあるんですけど、もう一個分かりやすいのが砲槍ってやつで」
カンバが顔を向けた先のニナが説明を引き継いだ。
「中距離の攻撃ができます。氷魔導と似たような技です。何か樽とかで壊しても良いものがあったら、それを的にしたいんですけど」
「儂の魔導で良いかの? ……『出でよ氷壁』」
ヘステスが無造作に浮かべた壁の厚さを確かめて、ニナはこくりと頷いた。
「割れるかもしれないので、破片に当たらないように少し離れてもらえますか」
「待て。別の的を造ろう」
ヘステスはそう言って、船からはやや離れた海の上に改めて氷の塊を生み出した。
「これで良いかの」
「はい、いけます……『魔闘・砲槍』」
ニナの眼前に、先程カンバの身体の周囲に広がっていたのと同じ光が眩く閃いた。
光は一瞬で細く鋭い筋となって氷壁の方に伸び、ガン、という固いもの同士がぶつかり合う音が響いた。
「へえ、こいつぁ良い」
大きく中心が落ち窪んだ氷壁を見て、モムルが感心したように呟いた。
「狙い通りのど真ん中、それに弾速も他の魔導に比べてかなり速い。弓と同等ってところか。威力はそれなりって程度だが、普通の魔物を相手にするなら十分すぎるな」
「迷宮の中で使えばもう少し強くなります。外だとどうしても威力が下がっちゃうんです」
「場所次第で威力が変わる、とな?」
ニナが何の気なしに加えた説明に対して、ヘステスが食いついた。
「はい。いろいろ試したんですけど、理由はよく分かってないです」
「ふむ、興味深い。お主らはどのように使い方を教わったのじゃ。それを紐解けば何か分かるやも知れぬ」
問われたニナは、「ええと、」と空の方を見上げて考え込み、そしてぽりぽりと頭の後ろを掻いた。
「何というか。知り合いが使ってたのを見てたらたまたま自分も使えた、ってだけで、あんまり教わったとかじゃないんです」
「む。感覚に委ねれば行使できる魔導ということか。確かに、身体強化の技は近接戦と併用する魔導であるのじゃから、大雑把にでも現象を想像できればそれで十分となるべきであるか……いや、しかし、これほど汎用性の高い魔導がその程度の想像強度で行使されてしまうとすれば、世の中にはもっと使い手が溢れておるはず……ううむ、その知り合いは何と言っておったか、教えてはもらえぬか」
ニナが答える前に、カンバがニナの肩に手を置いた。
それでニナは何かを悟ったのか、口をつぐんでカンバに立ち位置を譲った。
「……あんまそいつの話はしたくないです。俺、そいつと喧嘩して家族から縁を切られたんで」
分かりやすく沈んだ声色からカンバの抱く感情は簡単に察せられる。
「なんと、これはすまない……では、知り合いの話はしなくともよい。じゃが他に話せることはないか」
それでも、ヘステスの知識欲は収まる様子を見せない。
「儂はそれなりの魔導士であると自負しておるが、このような魔導は見たことがないのじゃ。知れることなら何でも知りたい、それに是非とも使えるようになってみたい。頼む、この通りじゃ」
ヘステスは胸に手を当て、頭を垂れた。
素性をあれこれ探ろうというような監督者の擬態を解き「興味津々の好々爺」の姿を明らかにすることで、ヘステスは二人の心から警戒を取り除こうとしたようだった。
それはどうやら上手くいったようで、険しかったカンバの表情から少し力が抜けたのが見て取れた。
「話せることはあります。でも、多分使えるようにはなれないんじゃないかって思います。俺たちの国だけに伝わる魔導なんで」
「国に伝わる魔導!」
ヘステスは殆ど叫ぶような大きさの声で反応した。
「ますます興味が湧いたぞ、場所に依存して適性の伝播する魔導など他に聞いたこともない! 適性は世に生まれ落ちたときに身体に入り込む前世の魂が定めるか、あるいは血筋に伝わるものというのが常識じゃが、それは定かではないということなのか」
「えーと……」
「いや、国ということはともすれば僅かにも血のつながりが存在し、それを辿っているという可能性もあるか。じゃが、そもそも血筋に伝わる魔導と言えば奴隷具の作成術や忍術がその類で、攻撃系の魔導に血筋で適性が伝わるものは存在しないと言われておる。どうもその言説は間違っておるというわけか。いや待て、ともすれば魔闘術の中に魔導具を作成する技も存在するのか? のう、お主らは魔導具を作ることはできるのか!?」
「え、あ、」
カンバの両肩を挟み込んでぐらぐらと揺すぶるヘステスの頭に手刀が落ちた。
「アイタッ」
「はいどうどう、落ち着け爺さん。見ろよ、こいつら固まってるぜ」
そのままモムルは抵抗する老人を力ずくで引きずっていった。
ヘステスの情けない声を背後に、テレミアは苦笑いを浮かべながらニナとカンバの前に進み出た。
「後で話はゆっくりしてもらうとして、今はとりあえず船の上での仕事とか、見張りの順番とか、そういうことを先に決めよっか。ごめんね、あのお爺さんちょっと見境ないところがあって。船賃だと思ってほどほどに付き合ってあげて。煩くなったら、誰か呼んでくれれば追っ払うからさ」
「……ういっす」
フレンカを発って一晩明けた後の朝食の場から、魔闘術についての講釈が再開された。
二人が船旅への同行を依頼してきたときにオトが口にした「絶対に只者じゃない」という予想はどうやら正しかったようで、語りの口調や行き届いた礼節は、今も背筋を伸ばして木箱に腰掛けている二人の子どもが高貴な身分の出であることを感じさせていた。
「───地を引き裂いた邪神を、引き裂き返した力じゃと?」
「はい。私たちの国の歴史は、そう伝えています」
聞き覚えのある言葉について思わず訊き返したヘステスに向けて、ニナはこくりと頷いた。
「また邪神か。そう何度も耳にするような言葉ではないのぉ」
「”また”、ですか?」
首をかしげたニナに答える代わりに、ヘステスはラズエイダの方を向いた。
「私の出身地である遙か東のアルタスにも、似たような言い伝えがある。同じように、神々によって授けられた力で、建国の祖が邪神を斃したのだという。邪なる神が二柱存在したのかは分からないが、地を引き裂いたという逸話は一致しているな」
水を向けられたラズエイダは平坦な声で説明を終えた。
喋る間に何度か目を閉じたのはきっと、感傷を表にしないように意識していたのだろう。
えっ、とニナが驚きを顔に浮かべた。
「ニラギだけの伝説じゃないんですか」
「二つの「邪神」が同じ存在を指し示している可能性は十分あるじゃろうな。この世界はかつてどこまでも続く陸地によって覆われていたという。それが数千年の昔に、突如見渡す限りの海にまるごと生まれ変わった。そのような現象が仮に何者かの作為で引き起こされたのだとすれば、創世の神に連なる者の仕業とするのはいかにもじゃな」
「世界中で同じことが起こった……じゃ、じゃあ、もしかして同じような伝説は他の国にもあったりするんですか?」
ニナが興味しんしんといった具合に尋ねて、ヘステスがニヤリと笑った。
「ほう、鋭いの。黒い獣、魔物の王、辺りがその類いじゃな。どれもその伝承を伝える島に凄惨な被害をもたらした悪しき存在じゃ」
「ええと、ラズエイダさんの力はどんなものなんすか? 魔導? それとも魔導具とか?」
ニナとヘステスの昔話には興味が湧かないのだろう、二人の会話を尻目にカンバがラズエイダに尋ねた。
ラズエイダは少し考えて、そして普段よりはゆっくりと答えた。
「光り輝く剣だったという話だ。それ以上はよく分からない」
剣のことについて過度につつかれてもまずいと判断してか、ラズエイダは短く返事を終えた。
相変わらずの好奇心を隠さないヘステスが、「しかし、不思議なものじゃな」と差し込んだ。
「そうして長く伝わってきた力が、たったの一度も外に出て行かないとはの。お主らのように国を飛び出そうとする若者がおってもおかしくはないであろう」
「伝説の力を授けられた戦士の、子孫代々一人だけに伝わってきた力が魔闘術なんです。この魔導を使える人間はニラギだと何不自由なく生活できるので、国を離れる理由がなかったんだと思います」
「……するとやはり血筋に依存する魔導であるのかの」
ニナが「いいえ」と首を振った。
「私たちの血筋はその戦士とは全然関係ないんです」
「む?」
「戦士の一族は麦の部族と呼ばれている、とは話したと思うんですけど、私は花の部族の出身です」
「俺は木の部族でした。もう縁は切られてますけど。魔闘術が使えることがハッキリしたときにはもうニラギからずっと遠くまで来ちゃってたんで、どうしてこの魔導を使えてるのかは、正直俺たちにもわかんないんですよ」
「ふーむ……」
ヘステスは髭をなでていた手を止め、考え込む姿勢に入った。
それで場が静かになったので、テレミアは頭に浮かんでいた質問を投げかけてみることにした。
「どうしてニラギに帰らないの? 魔闘術の使い手は何不自由なく生活できる、ってくらいなら、それこそ二人がこんなとこにいる理由がわかんないな。戻っちゃえばいいのに」
途端に、二人の顔が曇った。
何かまずいことを訊いてしまっただろうかと気を揉んでいると、ゆっくりとカンバが息を吸った。
「……麦の部族の、ドルムって言う本筋の魔闘術士がいるんですけど、そいつと喧嘩して。もうあの国に俺の居場所はないんです」
”喧嘩して” と ”もうあの国に俺の居場所はない” という、あまりにもかけ離れた起因と帰結を繋げるための論理を想像する。
一つ、それらしいものが浮かび上がった。
「……ああ、”何不自由なく”って、そういうこともできるんだね」
カンバの瞳の奥に迸った憎悪の炎が、テレミアの予想が正しいことを雄弁に物語っていた。
きっと、ドルムという男は、喧嘩で負けただかの腹いせにカンバを追放するというあまりにも過ぎた仕返しを食らわせたのだ。
「全部あのクソ野郎が悪いんすけどね。誰も俺の言うことなんか聞いちゃくれなかった」
カンバは吐き捨てるように語った。
テレミアたちの前で、クソ野郎、という汚い言葉が漏れ出るほどにはそのドルムという男はいけ好かない存在なのだろう。
どう慰めをかけてあげるべきかを考えていると、カンバの方が先に笑いを浮かべた。
「昔の話っすよ。今はニラギの外で生きてるんで、忘れました。ニナも似たような感じっす」
「その、花の部族は貧しくて、ずっと麦の部族とかに頭を下げながら続いてきたんです。でも、ドルムみたいな人間の顔を窺いながら過ごすことに、耐えきれなくて。本当は私がドルムを怒らせたんですけど、それをカンバが庇ってくれたんです。今は、二人で自由に過ごしていられるので、本当に楽しいです。ね、カンバ」
「よせやい」
カンバの頬には赤みが差している。それに気付いてか、ニナがくすくすと笑った。
もしかすると、二人は互いに想い合っているのかもしれない。
本人たちがそのことを隠そうとしているのかは分からないが、それでも溢れる思いを隠せていないというのはテレミアにしてみれば微笑ましいものだった。
ここまでの会話を通じて、テレミアの中でカンバとニナの二人に対する警戒はかなり薄れてきていた。初めて会う他人に自分たちの身の上をぺらぺらと明かしてしまうような脇の甘い子どもを敵と見做すのは、どうにも難しい。
勿論、あれやこれやと語られる物事全てが本当だと信じ込むわけにはいかない。警戒を削ぐための作り話だという可能性を打ち消すつもりもない。
しかし、鬱屈した環境から飛び出したという二人には、テレミアの出で立ちと似通っているところがあった。誰にも何にも妨げられずに自由に生きていたいというその渇望は、テレミアには痛いほどよく分かる。
そして、テレミアとは違い、二人は過去のしがらみを振り解いて、望みを叶えられているように見える。
「……じゃあ、これからニラギの近くを通るのは避けておくほうがいい?」
「マジでお願いします」
頬の赤みを払うように、カンバはぶんぶんと首を縦に振った。
テレミアは笑って「わかったわかった」と返した。
二人の明るいばかりの未来を羨望する感情が、テレミアの心を仄かに包んでいた。
ヘステスが魔闘術を習得したのは、その次の日のことだった。
「『魔闘・天衣』……こんな具合かの」
ぼんやりと身体に纏わり付く光の衣を確認して、ヘステスは目の前に置いてあった水瓶の取っ手に手をかけた。
たっぷりと水の入った水瓶を軽々と持ち上げて、ヘステスは満足げに息を吐いた。
「この魔導は麦の族長に授けられた特別な力、じゃったか」
「はい。……もう伝説なんて信じてられないっすね」
手本として同じく天衣を纏っていたカンバに水瓶を預けて、ヘステスは魔導を打ち切った。
「儂が例外じゃからな。伝説は信じておけば良い」
「爺さんの方が伝説ってことかよ」
「儂と同じようにあらゆる魔導を使いこなす達人の逸話は世界中に転がっておるぞ。五十年に一人は降って湧くのじゃから、伝説とは程遠いわい」
側のモムルの呟きに飄々と返して、そのままヘステスは自らの腰に手を当てた。
「しかし、老体に堪えることには変わりないの……『治癒の力よ』」
「ま、爺さんが伝説の人間だったとしても、その能力が腰痛治療なんかに使われるようじゃ宝の持ち腐れか」
「何か言ったか」
「何も? ほら、次は盾を試すんだろ」
「まあよいわ。行くぞ……『魔闘・召盾』」
浮かび上がった光の盾に向かって、モムルが剣を振り下ろした。
バン、という音がして、剣は盾を破ることなく弾かれた。
傍からその光景を眺めていたテレミアは、近くにいたニナに語りかけた。
「にしても、攻撃も防御も強化もできるなんて便利な魔導だね」
「あんな簡単に習得しちゃうヘステスさんがすごすぎるんですよ。私がまともに砲槍を使いこなせるようになるまでどれだけ練習したか。もっと頑張らないといけないですね」
「あの人と魔導で張り合おうなんて考えない方がいいって、心が折れるだけだから」
「でも、私はカンバに守ってもらってばかりなので。遠くに隠れて攻撃を飛ばすだけじゃなくて、いつかカンバの隣に立ちたいんです」
ニナが拳を握ったのを見て、テレミアは思わず微笑んだ。
「大迷宮に行けば、きっと二人は名の売れた戦士になるんだろうなぁ。私たちと仲良くしてね、お願い」
「はい、この恩は忘れません」
ニナは頼もしく笑って答えた。




