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迷宮世界のオデュッセイア  作者: 諭吉
序章 海賊と王子
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4. 始まりの時

 階段は長く、深く、しばらく下っても尚終着点がどこになるのか分からない有様だった。


「参ったなぁ。こんな降りちゃうと帰るのが面倒だよ」

「最奥の魔物さえ倒せば休憩はできるはず。今はそう信じるしかない」

「どこかで進むか戻るかの目処をつけておかない? 帰りの分の水や食料が尽きるようなら、一度戻ってしっかりした量を持ち込まないと」

「……そうすると、きっとミアは他の兄姉たちに馬鹿にされる」

「良いよ、馬鹿にされるってことは下に見てくれてるってことでしょ? 警戒を解けるならむしろそっちの方が良いかもね」

「……分かった。なら、今」


 背後のオトの言葉が不自然な区切りでぶつ切れになって、途絶えた。


「―――オト?」


 振り返る。

 そこにはただ白い壁が広がっているだけで、誰の姿もない。


「ッ!」


 テレミアは即座に剣を抜いた。

 前に向き直ると、そこにはつい数瞬前までとは全く異なる光景が広がっていた。

 高い天井と真っ白な壁に囲まれた、入り口も出口もない四角い空間。

 灯りもないのに視界は明るく、この場所が地下空間だとは到底思えない程だった。


「閉じ込められた……!?」


 自分たちは何らかの罠にかかったのだろう。それも、強制的に隊列を分断する、かなり危険度の高いもののようだ。


 罠の存在など考えることもせずのうのうと歩いていた自分の姿を思い返し、テレミアは唇を強く結んだ。

 募る焦りを隠せないままに、何か使える物がないかとテレミアは必死に辺りを見回した。すぐ、部屋の最奥部に、何らかの光を反射するものが据えられているのを見つけることができた。


 そっと近づき、観察する。


「……盾?」


 置かれていたのは小型の盾だった。

 装飾は最小限だが、よく手入れされているのか作られたばかりかのような輝きを放っていて、銀色の表面がのぞき込むテレミアの髪の赤色を美しく跳ね返している。


「踏破報酬……のはずないね、まだミノタウロスの王を倒してもないのに」


 そっと剣を握っていない方の左手を伸ばし、盾を手に取る。金属で出来ているように見える表面は、テレミアの左手に嫌になじみ、冷たさを伝えてはこなかった。材質は明らかに鉄や真鍮などではないだろう。裏面には取っ手と手を通すための革の装具がついていて、片手で扱うことを想定された盾であるのが見て取れた。


 テレミアは何度も盾を回してひっくり返しながら、どこかに不自然なところがないか確かめた。しかし、元々盾の据えられていた台座を含めても、特にこの部屋を出る手がかりになりそうなものは見当たらなかった。


「これでどうしろっていうのさ」


 答えはない。

 テレミアはため息をついて、改めて盾を手に取り、装備としてそれをもらっていくことにした。


 普段、左手は雷魔導を扱うために空けているが、盾を使った戦闘も一応修めてはいる。

 もし堅さを備える優秀な盾であるなら、役に立たないということもないだろう。この場を出ることができて、再び何かと戦うことがあれば、の話になるが。


「もらえるならもらっておくからね!?」


 この空間を作ったであろう悪意ある存在に対して一応の挨拶を投げかけて、テレミアはつっと盾を放り投げ、落ちてくるのに任せて装具に左腕を通した。



 それが、テレミアの運命を定める瞬間となった。



 刹那、盾は溶けるようにして幾重もの光の筋に解け、蛇のように鋭く走る銀色の糸となってあっという間に織り上がりテレミアの左腕を包んだ。包まれた部分の肌が燃えるような熱を持ち、その熱は銀色の生地が肌と一体化するのと合わせすぐに骨身へと浸透していく。


「!?」


 テレミアは驚いて思わず手を振り払った。しかし、その動きに妨げられることなく変化は続いていく。

 テレミアの腕を包む銀糸はあれよあれよと左腕から肩へ、肩から首、胸へと伝播し、着ていたはずの服を無視してその下にあるテレミアの身体に直接潜り込む。


「何っ、これ!」


 熱こそあれど痛みはなかった。が、未知の現象に対しての怯えがテレミアから冷静な思考を奪っていた。

 半狂乱になって剣を放り捨て、両手で顔の半分ほども覆いだした盾だった何かを引き剥がそうとする。しかし不思議なことに、「触れた」という感触だけを残して、テレミアの手は銀色の物体に干渉することなくただ無為に肌を掻くばかりだった。


 やがて視界が一面の銀色に染まり、そして頭の中までもが沸騰するかのような感覚に襲われる。

 かつて経験したことのない衝撃に耐えることができず、テレミアはそこで意識を失った。




 靄のかかったような世界から浮かび上がる。

 テレミアはすぐに夢と現実の境界を越えたことを知覚した。己が敵の罠の只中で気を失っていたことに思い至り、反射的に腰に提げている剣を抜く。


「ミア!?」

「……オト?」


 背後からオトの驚いた声がして、それでテレミアは自分が元の階段に戻されていることに気が付いた。

 どうしてかは分からないが、気絶したことで仲間と合流することを許されたらしい。

 見えない敵の意図を汲みかねて、テレミアは首を捻った。


「どうしたの、敵?」

「……敵というよりは、罠」

「嘘、私の目には何も」

「私の近くにいて、またいつ飛ばされるかわからない」

「飛ばされるって、どこへ?」

「え、どこへって……」


 テレミアは戸惑った。どうも、オトの反応が鈍い。


「オト、そっちでは何があったのか聞いてもいい?」


 オトは細い眉をひそめて答えた。


「そっちでは、って、どういうこと? 私はずっとミアと一緒に階段を下ってる」

「……え?」


 オトが嘘をついている感じはしない。


「落ち着いて、私たちの周りには敵の気配も罠の存在も感じられない。ミアの方こそ、何があったの?」


 そっと諭されて、テレミアはゆっくりと構えていた剣を下ろした。

 

「……何の前触れもなく白い空間に一人で飛ばされて、そこで盾のような見た目の……魔物じゃないとは思うんだけど、魔物みたいなのに襲われた。そのあと気を失って、目が覚めたらここにいた」

「……?」


 不可解な食い違いの中で冷静に事態を把握しようとしているうちに、テレミアはある違和感に気が付いた。


 私は、どうして()()()()()()()()()()()()()()()のだろうか?


 盾に襲われたあの時、剣を放り捨てて無我夢中で顔をかきむしっていたはずなのだ。

 その剣を気を失うまでに回収した記憶がない以上、さっき腰に提げられていたというのは、どう考えてもおかしい。


 脳内で状況を整理する。


「私は夢のようなものを見せられたのかもしれない。一瞬で」


 オトが視界に捉えていた限りで何も変化が起こっていないというのなら、体験した全ては幻だったと考えるのが自然であるかもしれない。


 そうだ、腕や身体に何か跡が残っていたりはしないだろうか。


「ちょっと確認して良い?」


 左腕をまくる。あれほどの熱を受けたというのに、特に傷も何もない、別に銀色に染まってもいない、見慣れたいつもの肌が現れた。


 つまり、あれはやはり夢だったのだろうか。

 というよりもそもそも、盾が溶けて身体に吸い込まれるという現象自体が現実には起こるとは到底思えない。

 ……けれど、その割には腕や頭の中に残る感触はあまりに生々しすぎる。


 左腕をしげしげと眺めていると、オトが怪訝な顔で聞いてきた。


「盾に襲われたっていうのは、そこを攻撃された?」

「そう。最初はこれ見よがしに置かれてた盾をここに装備したんだけど」


 答えを口にしながら、テレミアは一度手に取ったはずの盾の感触を思い返していた。


 次の瞬間、テレミアの左腕から銀色が染み出した。

 夢の中で見たあの悍ましい光景と酷く似通っているその現象は、テレミアとオトが驚きに目を見開く中で、急速に進行していった。


 光り輝くようにも見える糸たちは細かく踊るように絡まり合って、やがて一つの形を成した。


 変化が終わった時、テレミアの左腕には夢の中で拾った盾が装備されていた。


「……何、これ」


 オトが呆然と呟き、そっと手を伸ばした。盾に触れ、一度手を離し、爪で何度か弾く。キン、キン、と乾いた音が響いた。当然のように、そのたびにテレミアの左手に振動が届いた。


「ええと……夢の中で私を襲った盾」

「……嘘」

「私もちょっと信じられない」

「今は襲わない?」

「どうだろう……」


 襲われた時の光景を思い浮かべる。

 すると、盾は一瞬で溶けた。

 思わずテレミアは身構えたが、今回は盾が包み込むのは左肩までの範囲に留まり、熱さも感じることは無かった。


「これ、ひょっとして」


 盾を持っている状態を意識する。盾が現れる。

 盾を自分の身体に戻すよう念じる。盾が溶けて腕に収まる。


 何度かそれを繰り返して、テレミアは一つの結論を得た。


「なんか、私この盾を好きにできるみたい」


 二人は目を合わせ、何を言えば良いかも分からずそれぞれ僅かに口角の歪んだ引き攣ったような笑みを作った。





「似たような現象に心当たりはある?」

「思いつかない。そもそもミアの引っかかった罠の仕組みからして意味不明」

「そんなに?」

「夢を見せるだけならまだしも、一瞬のうちに長い時間を体感させるとか、現実に夢の中身が出てくるとか、どちらも聞いたことがない」

「じゃあこの盾は?」

「……持ち主に取り憑く呪具、というものは存在する。私みたいな影の人間がよく扱うのは、身体を弱らせるものとか、魔導を使えなくするものとか、そういうの」

「嘘、私呪われてるの?」

「今は、特にそうは見えない。遅効性の呪いでないとは言い切れない、かも」

「やだなぁ。ただの盾だったら良いんだけど」

「呪われてなくとも珍しい効果を持つ武具や道具で言えば、それこそ船団長が持つ【猛化の腕輪】がある。あとは中央海域にある大迷宮や西の武具迷宮で見つかる剣とかには魔導を込められた物がある、とも聞く」

「確かにね。今のところ別に何か魔導が使えるようになった気はしないけどさ」

「念じてみたら使えるかもしれない」

「何を念じたらいいかな」

「……知らない」

「じゃあ普通にミノタウロスの王を出してください、かな」

「それは確かに大切」


 二人は階段を登りながらとりとめのない会話を続けていた。


 テレミアの身に異変が起こった場所から少し下った先で階段は唐突に終わりを迎えていた。何をできるわけでもなく、二人は来た道を引き返すことにしたのだった。


「なんにせよ、その盾についての結論としては、外し方がわからない以上受け入れて共存する他ないと思う」

「そうだよねー。得体が知れないのと時間が経ったときどうなるのか分からないのとを無視すれば、いつでも防具を忍ばせておけるってのは有用かも」

「その「無視すれば」が一番の問題」

「何があっても私が我慢すれば良いんだよ、我慢すれば。ね」

「……また、面倒事が一つ増えた」


 沈んだ声でオトが呟いた。


「まあ、もともといつ消えてもおかしくない命だったしね。ちょっと呪いで死にやすくなったかもしれないなー、ってくらいで変わんないって」

「……本当にそう思ってるの?」


 オトが静かに聞いた。

 テレミアはその問いに対して適切な答えを口にすることができる。


「私は死ぬまで生きることを諦めないから。死なない間は何があっても同じだよ」

「そういう意味じゃなくて……!」


 オトはふるふると首を横に振った。

 テレミアはオトの口元に手を当て、彼女の言葉を遮った。


「私のことをオトが気にする必要なんてないんだよ。オトは私に言われたことをちゃんとこなしてくれればそれでいいの。だって、オトは私の”駒”なんだからさ」

「……」


 オトはテレミアの瞳に浮かぶ色を見据えて、そこに何かを見いだしたらしく、しゅんと引き下がった。


「ま、別にこの盾が私の邪魔をするって決まったわけでもないしね。本当に害のない盾だって可能性もあるし」


 投げやりにテレミアが言い放ったとき、


「―――!」


 オトが何かに感づいたのか立ち止まった。


「どうしたの?」

「何か、大きな敵がいる。多分階段の代わりに本来出現するはずだった魔物」

「!」


 階段の外まではあと少しといったところで、既に外の灯りが二人のところにまで差し込んでいた。


 テレミアとオトは顔を見合わせて、そして戦闘に向けた支度を進めた。


「最初から出てきてくれれば何も困らなかったのにな」

「とにかく、これを倒せば成人の儀は殆ど終わったようなもの。頑張ろう」

「よろしくね」

「任せて」


 ヘステスに教えられたミノタウロスの王との戦い方を思い出しながら互いの手札を確かめ合う。

 最後にオトが口を開いた。


「盾は使うの?」


 テレミアはぱっと左腕に盾を呼び出した。階段を登る間何度も出し入れしているうちに、まるで生まれつきの持ち物であったかのように操作に慣れてしまっていた。


 無骨な盾の縁を右手の指でなぞりながら、テレミアは少し考えた。

 実用に耐えられるかどうか、というなら、おそらくこの盾の適度な重さなら片手に付けた状態でも殆ど普段と変わらない戦い方ができるだろう。

 問題は堅さの方だ。

 一度も実戦で試したことのない盾に命を預けるというのはいくらなんでも気が引ける。そうして怯えて使わない盾であるなら、最初から出さない方が負荷も小さくて済む。

 

「……使わないでおく。帰り道で手の内の分かってる弱い魔物相手に試してみようかな」

「そう。なら私の術と道具がミアを守る」


 悩んだ末に出した答えにオトが迷わず頷いてくれたので、いくらかテレミアの気は晴れた。


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