3. 迷宮【怒れる牛の草地】
怒牛海賊団が本拠とするカライア島の中心には、一つの迷宮がある。
名は【怒れる牛の草地】。
温厚な性格の牛が群れる草原の中に、海賊団の名前の由来ともなった荒れ狂う牛や、斧を振るうミノタウロスが魔物として出現する。
周辺海域では比較的に小規模かつ難易度の低い迷宮として知られている。しかしそうした小規模な迷宮であっても、独占的に管理することによって得られる力と富はやはり迷宮らしく相当の物だった。
創世の神々が人に与えたもうた試練である迷宮の魔物たちには、ごく僅かに彼らの魂が宿る。魔物を狩ることは神の祝福をその身に取り込むことと等しい。従って、人は魔物を狩れば狩るほどに強くなる。
迷宮は怒牛海賊団に大国の軍にも劣らないような力を齎し、周辺海域に住まう人々から怖れられるだけの名声を与えていた。
テレミアは目前に広がる洞窟の通路を見据えながら、腰に帯びる剣の柄を軽く触り、続いて少し手足を振って身体の調子を確かめた。
「オト、行ける?」
「問題ない」
少し大きめの声で気合いを入れるように声をかけると、大きな背嚢を背負ったオトは芯の通った声で返してきた。
オトの荷物の中には、迷宮の地図や彼女謹製の魔導具、それに食料が詰まっている。二人は戦闘と支援を完全に分担することでたった二人での迷宮踏破に挑もうとしていた。
「分かっちゃいたが、マジで二人でやることになるとはなぁ。大体どいつも十人前後で小隊を組むんだが」
見送りに来たモムルが苦笑いで呟いた。
成人の儀は、怒牛海賊団の船員を率いる身分の者全てに義務づけられた、長い歴史のある通過儀礼だ。
齢十五を迎えた子どもたちだけで構成される小隊で迷宮に挑み、最深部に待ち構える迷宮の主たるミノタウロスの王を倒し、踏破報酬である牛の兜を持ち帰る。
船の長にふさわしい実力と指揮力を持ち合わせてこそ、怒牛海賊団のキャプテンたり得るのだ、というのが今に伝わる初代船団長の言葉である。
しかし当然、初めて迷宮に挑む子どもごときに迷宮を独力で踏破する力が備わっているはずもない。そのため、必然的に成人の儀とは「武勇を以て成人の資格を得る儀式」であると同時に、自らの手勢の数や政治力を誇示する場でもあった。本来成人の儀の供をする資格を持たない屈強な戦士たちを連れて迷宮に挑む、そんな屁理屈を貫き通すだけの権力も、また立派な実力の一つといえるからだ。
こうした、普通であれば手勢を十人は連れて挑むべき成人の儀に、テレミアは僅か二人での挑戦を強いられていた。
テレミアの手に権力と呼べるものは一切存在しない。あるのは、たった三人の仲間たちと、自分の身体だけだ。
ラグーダの配下として立ち回らなければならない中で、迷宮に挑もうと大勢の配下を集めれば当然のように逆意を疑われるだろう。不用意に言質を与え斬り捨てられては叶わない。
かといって、「手駒を貸してくれ」と無用な借りを安易につくることも望ましくはなかった。
「何、この程度テレミアなら苦にせんわい。オトを連れたとてミノタウロスごときに遅れをとるような育て方はしとらん。おぬしもテレミアにはみっちり剣を仕込んだであろう?」
「そりゃな。簡単に死なれちゃたまったもんじゃねえ」
「ならばよいであろう。そもそも子供だけで迷宮に挑むのが本来的な成人の儀の在り方なのじゃから、儂らは何も間違ったことなどしておらんよ」
「ま、それもそうか」
暢気な会話をする大人たちに最後の挨拶をするため、テレミアは一つ意識的に息を吐いて、そして吸った。
「それじゃあ、成人の儀、行ってきます」
「うむ。気負う必要は無い、兜程度さっさと持って帰ってくるのじゃな」
「はい」
端的な返事を返す。
へステスがそれで十分だとばかりに手を振ったので、テレミアはオトを連れて迷宮の中に足を踏み入れた。
薄暗い洞窟を歩く内に、だんだんと奥から明るい光が差し込むようになった。細い通路が広がりだし、生ぬるい空気が肌を舐め始める。
そして、少女たちはただ一面の草原に辿り着いた。
洞窟の奥だというのに抜けるような青空には太陽が昇っていて、牛たちが食む丈の長い草はそよ風に揺れている。
「聞いてたとおりだね。ここが神様が作った別世界かぁ」
「見える限りでも島より広い。不思議」
二人は辺りを見回して、初めて眺める迷宮の景色を目に焼き付けようとした。
そうしている間にも周囲では牛の群れがのっしのっしと歩き周り、淡緑ばかりで情報に乏しい草原の風景を少しずつ変化させていく。
やがて、オトが何かに気付いて鋭く息を吸った。
「……ミア、気をつけて。あそこの牛が怪しい」
「どれ?」
「少し窪地になっているところの、群れから少しはぐれた大きなやつ」
「……分かった。確かに周りのとはちょっと見た目が違うね」
「ちなみに地図によれば、多分進路は丁度あの魔物の方」
「いきなりだなぁ」
テレミアは頭を搔き、これからどうするべきかを考えた。
最後に待つミノタウロスの王との戦いを見据えるなら、体力の温存をできる限り消耗を避けて進むのが望ましい。しかし、初めての迷宮での戦闘に頭を慣らしておく必要もある。
「……丁度良いから、あの一匹だけ倒してみる。どれくらいの強さなのか、どんな戦い方をするのか、この辺りはちゃんとおさえておかないと後で苦労しそう」
テレミアは一度身体を動かそうと結論を出した。
オトは「分かった」と頷いて、すっとテレミアの背後に立ち位置をずらした。
「打ち合わせ通り、私は隠れてる」
「そうだね、オトは煙幕の張り方だけ気にしてて」
「頑張って……『忍びは霞む』」
詠唱を終えたオトの息づかいが、一瞬で意識に残らないほどに遠ざかる。
霞の術が発動したのを確認し、テレミアは目前の魔物に向かって足を進めた。
窪地の縁を越えなだらかな坂を下りだした頃に、魔物がテレミアの存在を感じ取って鼻息荒く頭を振った。
テレミアは剣を抜き、つっと牛に向かって構えた。
「来なよ、挽き肉にしてあげる」
挑発された牛は太く重たい声で鳴き、猛然とテレミアに向かって駆け出した。構えられた剣に対して意識を向けることもなく、その双眸は真っ直ぐにテレミアに向けられている。
武器を使って立ち回るような相手ではない。そう認識した瞬間に、テレミアは戦い方を練り上げた。
テレミアは牛の駆ける速度を見極め、剣の間合い寸前まで巨体を引き付けてから、すっと身体を横にずらした。
牛は鋭く前脚を踏み換え、テレミアの重心移動に追従する。
そのとき、テレミアは既に逆足に体重を載せ替えていた。
テレミアの動きと牛の突進の角度は真逆にすれ違う。そしてテレミアはさっきまで自分の身体があった位置に剣を突き出した。
「らっ!」
手にぶちぶちと筋を裂く感触が伝わってくる。
牛は突進の勢いそのままに地面に崩れるように突っ込み、そして無様な姿勢で痙攣するばかりになった。狙い通り、後頭部には深い穴が穿たれていた。
「オト、近くに別の魔物はいる?」
油断なく剣を構えたまま、テレミアは虚空に問うた。間髪入れずに、少し遠くくぐもった声が届く。
「見える範囲にはいない」
「そう」
テレミアは潰れた牛の頭部に改めて剣を突き刺した。
びくりと巨体が震え、ほどなくして完全に力が抜けたのが剣を通じて手に感触として伝わった。
「もう大丈夫、出てきて良いよ」
そう口にした直後に、オトの気配がすぐ隣に蘇った。霞の術を切ったのだろう。
特に驚くこともせず、テレミアは「おつかれ」と声をかけた。
「どう、戦えそう?」
問われたテレミアは剣を鞘に収めつつ、己の繰り広げた戦いの様子を頭の中に蘇らせた。
「んー……数体に囲まれると苦しいかも。動きは直線的だけど、剣の間合いの内側でやり合える相手じゃないから、私の電撃も届かないし。武器を使ってくれる方がまだやりやすいね」
「分かった。狂い牛が複数いる地点があれば大きく避けて進む」
「うん、そうしよう」
そうやって会話をしているうちに、不意に牛の死骸が淡く光り始めた。
光は二人が見つめる先でどんどんと輝きを強め、牛の形をした炎のようになった。やがてその形も崩れ、無数の粒となった光が天に向けて浮かび上がる。
その粒のうちのいくつかが、二人の胸に飛び込んだ。
「これが、魔物を倒すと強くなる、ってこと?」
オトがぼそっと呟いたので、テレミアはその場で何度か剣を振ってみた。
特に変わった感じはしない。
「……まだ一匹だけだからかな、わかんないや」
苦笑いとともにテレミアは剣を鞘に収めた。
「でも、これを何度も繰り返せばきっと強くなれるんだろね」
「何度も、って言うのは簡単。でもミアに必要な力が手に入るまでには、きっとすごく時間がかかる」
オトが現実を指摘して、それでテレミアはため息をついた。
既に想像は巡っていた。
一匹倒して、得られる強さは変化を感じられない程度。だから無数に魔物を狩り続ける必要がありそうなものだが、海に出ることもある以上永遠に迷宮に籠もるわけにもいかない。そもそも、テレミアが迷宮に入り浸りになったなら、きっと兄姉たちが横やりを入れてくるに違いない。
つまり、迷宮は、私の助けになってはくれない。
これでまたテレミアの未来は一つ暗くなった。
テレミアは頭を振って、戦場においては不要な雑念を脳内から追い払うことに努めた。
「今は、成人の儀を終えることに集中しよう。こんなところで腐ってられないから」
「……うん」
迷宮に入ってしばらく、二人はどこまでも続く草原をひたすらに息を潜めて進んでいた。
やがて背の高く索敵範囲の広いミノタウロスがポツポツと現れるようになってからは、どうしても避けられない戦闘だけはこなすようになった。
「オト?」
「……いない」
「よし」
戦闘も十回を超えてくれば意思疎通も慣れたものだ。
最小限の言葉だけで周辺状況の確認を終えたテレミアは、電撃を食らって倒れ伏したミノタウロスの首に剣を突き刺した。
また光が浮かび上がり、僅かばかり二人の胸に飛び込む。相変わらず、何かが変わったような気分はしない。
テレミアはオトから受け取った水筒の水を少しだけ口に含み、心に滲む苦みを飲み下しながら息を落ち着かせた。
「そろそろ最深部、だっけ」
「そのはず。次の丘を越えれば石の柱に囲まれた広場が見えると思う」
「そこにミノタウロスの王がいる、ってことだよね」
オトは地図を畳みながらこくりと首を振った。地図をしまって空いた彼女の手がテレミアの方に伸びてきて、身体をあちこち確かめられる。
「消耗は?」
「んー、そこまででもないかな。いま暖まった身体がまた冷えちゃう前に済ませたいって思えるくらい。それより、魔素切れとか平気? 頭痛かったりしない?」
テレミアが心配したのは、魔導を過剰に使い続けると起こる魔素切れと呼ばれる現象についてだった。
最初は頭痛の形で現れ、それでも魔導を使い続けると徐々に魔導の発動が不安定となり、最終的には身体も動かなくなり戦闘の継続が困難となってしまう。
テレミアがミノタウロスと戦っている間ずっと霞の術で影を薄くしているのだから、オトがそうした状態に陥っていてもおかしくない。
「私は大丈夫。魔物の意識がミアに向いた後、こまめに術を切って調節してるから」
何でもないとばかりにけろりとした顔で告げたオトは、そのままテレミアの肩を揉んだ。
「……うん、ミアも大丈夫そう」
触診結果は満足できるものだったようで、オトは何度か頷きながら手を離した。
二人は迷宮の最深部に向かって丘を登り始めた。
足に絡まる丈の長い草を最小限の力で振り払いつつ、長い坂を登る。
やがて二人は丘の上に辿り着いた。
まだ空も地平も遙かに続いているように見え、ここが迷宮の最奥だとは到底思いづらい。
しかし、見渡す限りの広さを覆う微かに光る透明な幕が、明確な空間の境界を示していた。
そして丘の向こう側をのぞき込めば、そこにはオトが予告したとおり石の柱に囲まれた石畳の広場があった。一面の草原の中にぽつんと現れる灰色の区画が纏う違和感は、そこに何らかの強敵が待ち受けるのだと否が応でも感じさせる。
「まだ魔物の姿は見えないね。もっと近づいたら出てくるのかな」
「分からない。警戒して進む」
「そうだね、私の後ろにいて」
テレミアとオトは前後に並んでゆっくりと丘を降りた。
目前に草原と石の境界が迫ったところで、突然広場全体が明るく光った。
テレミアは手で光を遮り、そして光がゆっくりと薄れていくのを待った。
剣を構え、魔物の攻撃を想定しつつ油断なく辺りを見回す。
しかし、再び元の姿を取り戻した広場に現れていたものは、魔物ではなかった。
「……穴?」
石畳の地面に、先ほどまではなかった穴が開いていた。
「『忍びは敵の息を聴く』……少なくとも、魔物の気配はしない」
霞の術を解き、代わりに索敵の術を行使して敵の不在を確かめたオトがそう告げたので、テレミアはおそるおそる前に進んだ。
「こんな戦いにはお誂え向きの広場なのに、その下に魔物がいるってこと? 聞いてた話とは違うんだけどな」
「……分からない。ミノタウロスの王についてはしっかり情報を集めてきたつもりだけど、こんなのは一度も聞かなかった」
「ふーん……なんなんだろう」
穴の側までやってきた二人はめいめいに奥をのぞき込んだ。
「階段、だね」
「うん」
穴と思っていたそれは、先の見えないほど奥まで続く階段だった。
壁面や踏み面に使われている石材は周辺の広場と違ったものなのか白っぽく、あまり土埃を被っていないようだ。一定の間隔で壁に掛けられたひょうたん型の光源が炎とは違った温かい光を発していて中は明るいが、階段の最奥に何があるのかはぼやけてよく見えない。
「進んでみる?」
「それ以外に選択肢はない、と思う」
「だよね」
二人は短い相談を終え、先ほどまでと同じ隊列で奥に進むことを選択した。




