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迷宮世界のオデュッセイア  作者: 諭吉
二章 七つの島の新たな伝説
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36. こんなくそったれな場所

 カンバに下された沙汰がニナの耳に入ったのは、次の日の昼過ぎになってからのことだった。


「除名なんて、そんな……」


 それは、カンバに木の部族との絶縁を命じるものであった。

 当然カンバは将来の族長としての身分を剥奪され、〈カルトゥール〉としての資格をも失ったという形である。


 夜通しの会合を終えて帰ってきた政処の長である叔父のヨンドは疲れ切った顔でニナに語りかける。


「仕方あるまい。いかなる事情があれど、麦の次代族長の命を奪いかけたとあっては、これ以外に償いの術はないだろう……むしろ命を奪われなかっただけ、寛大な措置だ」


 そう続けるヨンドに対して、ニナは信じられないと首を振った。


「だって、悪いのはドルムで、カンバは私を助けるために」

「少なくともドルム様はお前やカンバ様の命を奪うおつもりまではなかっただろうよ。戯れの範疇だ」


 耳に飛び込んできた言葉はあまりにも捻じ曲がっていた。

 ニナは己の中で何かが擦りきれる音を聞いた。


「戯れ、って、なんで!? ドルムはカンバを殴ったのに!?」

「いいや、ただのじゃれ合いに過ぎない。ドルム様が仰った以上は、そうだと決まっている」


 ヨンドは、ドルム様が仰った、という部分にことさらに力を込めた。

 ニナは己と決して目を合わせようとしない叔父の両肩に手をかけ、その身体を思い切り揺さぶった。


「何でアイツの言うことを信じるの!?」

「……しばらく休め。気が動転しているのだろう」


 視線を遠くに向けたまま、ヨンドはニナを置いて部屋の外へと向かおうとした。

 ニナはその腰帯に縋り付くようにしてヨンドに追いすがる。


「どうして……!」


 力尽くで歩き出そうとしたヨンドはニナが諦めないのを悟ると、一つ息を吐いて、そして姪の頭を強くはたいた。


 痛みよりも、拒絶されたという事実が鋭く心を刺してきて、ニナは思わず手を離し、身を縮こまらせた。

 しかし、自由になったはずのヨンドは、どうしてかその場から動こうとしない。

 おそるおそる見上げると、ヨンドはおどろおどろしいものを抱えた表情でニナを見つめていた。


「この一件は、どう考えてもドルム様が悪い。それくらい俺も、他の部族の人間も、皆分かっている。麦のどら息子の所業をお前以外誰も知らないとでも思っているのか?」

「じゃ、じゃあ」

「それでも」


 その後の願いを口にすることは許さない、とばかりに、ヨンドは語気を強めてニナを遮った。


「麦に刃向かえば明日にでも飢える私達には、こうすることしかできない。……受け入れることだ。大人の世界は、そう簡単じゃあない」

「……」


 ニナは大股で歩き去っていくヨンドの背中をただ無力に眺めた。


 大人の世界。

 諦めと嫌味と束縛の世界。

 私のことを拒絶する、真っ暗な世界。


 何もかもがやるせなかった。




 その日の夕方、ニナの姿は麦の島の港にあった。

 あまりにも理不尽な仕打ちを受けたカンバに、自分という味方がいるのだと伝えなければいけないと思い立ったのがその理由だった。

 本当に味方が欲しいのは私なのかもしれないな、とうっすらと悟りながらも、これはあくまでカンバのためを思っての行動なのだ───とニナは己に言い聞かせている。


 馬鹿正直に「カンバに会いに行く」と言ったところで木の島行きの船を出してもらえるとも思えなかったから、薬を交易のために運び出す小舟に無理を言って同乗させてもらい、麦の島で船を乗り継ごうとしているのが今だ。


 ここぞという時のためにとっておいたいくらかのお金を確かめながら、賑わう港の中で、木の島に向かう船を探す。交易の中継船でも、個人の舟でも、なんでもいい。ニナの顔を見て花の跡継ぎだと即座に悟れるような人間などそうそういないから、ただの子どもが冒険しようとしているくらいの見てくれになるはずだ。


 見知った花の部族の女が近くに見えたので、ニナは見つからないよう顔を伏せて少し歩みを速めた。


 不意に、どん、何かにぶつかって、ニナはその場に尻餅をついた。


「ごめんなさい!」

「や、こっちこそすんません!」


 目の前に差し出された手を握って、ニナはそそくさと立ち上がった。

 簡単に礼を述べるべく、正面に立つ人物と視線を合わせる。


 見慣れた顔が、丁度目線の先にあった。


「あれ、ニナ?」

「カンバ!?」


 思わず大きな声が出た。カンバは焦った表情を浮かべて、口元に指を立てた。


「静かにしてくれ、俺がここにいるって知られたくないんだ」

「あ、ご、ごめん」


 ニナはどうにか声を殺して謝った。



 話をしようということになって、ニナはカンバと共に人の行き交う場所から離れた。

 その間にも辺りを警戒するような姿勢を隠さないカンバは、見たところ一人で麦の島までやってきたようだった。


「なんでこんなとこに一人でいるの?」

「それを言ったらニナもだろ、別に除名されてもないのになんでだ」

「え、それは」


 訊き返されて、ニナはどうやって答えればいいのか少し悩むことになった。

 面と向かって「カンバと会いたかったから」と語るのは、どうにも小っ恥ずかしいような気がした。


 とはいえ。

 本来なら木の島で伝えようとしていたはずの言葉でもある。場所が変わっただけで、ニナ自身の気持ちには何ら変化は起こっていない。

 ただ、ちょっと準備の時間が短くなっただけだ。


 ニナは「そのね、」と前置きをして覚悟を決めた。

 

「カンバに、ありがとう、って言わなきゃって思ったから」

「お、おう」


 思いも寄らない告白をぶつけられたカンバの表情は、戸惑いと照れ笑いの真ん中くらいで揺れ動いている。

 沈黙が気まずくなる前に、ニナは言葉を続けた。


「だから、その……ありがとう」

「ええと、どういたしまして、で良いのか?」

「良いんじゃない、うん、良いと思う!」


 背中に湧き出るむずむずに耐えきれなくなって、ニナはカンバから視線を外した。

 覚悟は決めていたつもりだったが、顔が真っ赤に染まっているのはもう間違いないだろう。


 空気を切り替えようと別の話題を必死に探して、ニナはすぐに本来の質問に答えが得られてないことに思い至った。


「カ、カンバの方の話を聞きたいんだけど」


 答えは即座には返ってこなかった。

 さっきのニナと同じように、カンバも素直に答えることはできないようだった。


 うー、あー、としばらく唸った後に、カンバはようやく「あれだ、お出かけ、みたいな」と答えらしきものをひねり出した。


「……絶対嘘」

「いや突然散歩したくなったんだ」

「隠したいならそう言ってよ。そんなバレバレの嘘なんてついてないでさ」

「……できた奴だよな、お前」


 逃げ道を用意しながら問い直すと、カンバは観念したように笑った。


「……良いか、絶対誰にも言うなよ」

「言わない」

「旅に出ようと思うんだ」


 旅に出る、とは何だろう。

 ニナが疑問を形にする前に、カンバはこう続けた。


「この国に俺の居場所はないらしいからさ」

「!」


 短い回顧は、カンバが何を思っているのかを雄弁に説き明かした。

 カンバはニラギを飛び出すつもりなのだ。

 どこか遠い場所で、木のカンバとしての過去を放り捨てて、一人きりで生きていくために。

 誰にも言うな、と願ったのはきっと、親や兄弟に知られたなら連れ戻されると思っているのだろう。


 カンバはにっと笑顔を浮かべると、ニナの肩をそっと叩いた。


「最後に会えて良かった。ニナにさよならを言えないのはちょっと嫌だなって思ってたんだ」


 一瞬赤面しかけて、ニナはある表現に気付いた。


「最後に、って」


 その表現がもしも想像の通りの意味を持つなら、カンバは、きっと。


「一生帰ってこないつもりなの?」

「ああ」


 カンバは真面目な顔で頷いて、ニナから視線を外した。


「誰が戻ってやるか」


 島の奥の方、修練場を見つめているのかもしれない、とニナは思った。


「こんなくそったれな場所になんか」


 こんなくそったれな場所。

 カンバが吐き出した包み隠さない憎しみが、ニナの中にある何かと響き合った。

 吹き込んだ風が、ずっと燻っていた火種を一瞬のうちに大きな炎へと膨らませる。


 そうか。

 私はずっとこうしたかったんだ。


 気付けばニナはカンバの手を掴んでいた。


「私も連れてって」


 するりと口をついて出た言葉が、あまりにもたやすく心の奥底にある鬱屈した思いを打ち崩していく。


 こんなくそったれな場所に、私ももう戻りたくなんかない。


 カンバは驚きの眼差しを向けてきた。


「本気か」

「本気。ニラギにいつまでも閉じ込められているより、どこか遠くに居たほうがきっと幸せになれる」


 堰を切ったように、滾る思いが飛び出ていく。


「生まれてからずっと、真っ暗な世界で生きてたの。毎日毎日、ただ他人のためだけに心をすり減らして、好きでもない弓をいつまでもいつまでも練習させられて、みんな私を見てため息をついてっ!」

「……止めろよニナ、お前は」

「いいの。ここを出れば、全部昔の話にできるから」


 ニナは掴んだままだったカンバの手を更に強く握り込んだ。


「お願い」


 カンバの手が震えたのが、その手を握りしめるニナにはよく分かった。

 カンバは何度か口を開こうとして、そのたびに唇を噛むということを繰り返した。


 やがて、カンバはふぅと息を吐いて、ニナと真っ直ぐ目を合わせた。カンバの両の目に宿っている光は、ニナのよく知っている澄んだ色をしていた。


「……俺、国の外のことなんて殆ど知らねえし、金も全然持ってないんだ。しばらくは日雇いの仕事とかで食いつなぐことになる。その覚悟はあるんだな?」

「私だって頑張って稼ぐし、それに今の暮らしなんかより絶対に楽しいに決まってる」

「俺ガサツだからさ、侍女とか母親みたいな仕事はできないぜ。髪の手入れとか、やり方も知らねえ。それで良いんだな」

「そんなの全部自分でできるから。カンバは自由にしててくれればいい」

「来年生きてられるかも分かんないぜ。本当に良いんだよな?」


 ああ、もう、じれったい。


「聞くけどさ」


 本当の思いはダダ漏れなのに、何かっこつけようとしてるんだろうか。

 

 ぐっと手を引いて、カンバの側に近寄る。


「カンバは私が一緒にいても嬉しくないの?」


 カンバはぴくっと肩を跳ねさせて固まった。


「……んなわけないに決まってるだろ」


 カンバが照れくさそうに馬鹿、と小さく呟いたのが、ニナにはいじらしく見えた。


 目的を達したので、ニナはカンバの側からひょいと離れ、ぱんと手を叩いた。


「じゃあ決まり。これからよろしくね、カンバ!」

「……おうよ」




 二人は今後の計画を語り合いながら、港に戻ってきた。

 桟橋には色々な型や大きさの船がひしめいている。


「俺ニラギの外に出るの初めてなんだよ、こういうときどうすれば乗せてもらえるかとか全然分かんねえ」

「私も。とりあえず、片っ端から声かけてみようよ。これだけ船があるんだから多分なんとかなるでしょ」

「だな。おーい、そこの白頭巾の人たちー!」


 カンバは近くで談笑していた異国の貿易商に手を振りながら近寄っていった。

 その背中を追いかけながら、ニナはこぼれてくる笑みを堪えられずにいた。


 これから、私たちは、私たちのためだけに、生きていくんだ。

 カンバと二人でなら、どこにだって行ける。


 そうやって明るい未来を思い浮かべられるのが、ニナにとっては何よりも幸せなことだった。


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