35. 光の衣
合わせでの修練は、迷宮内部を模して木々や岩の並べられた区画に使役術で御された魔物を放ち、それを力を合わせて倒すという実践形式で行われる。
遠距離での支援を主体として動くニナは、これまでも何度か使ったことのある岩の影に身体を押し込んだ。
少し先の開けた場所には剣を構えるカンバ、盾を構えるロドガイ、ガカル、パムが並ぶ。
ドルムは三枚の盾の後ろ、四人を指揮できる場所に陣取っていて、サクはドルムより右後ろの離れたところに立っている。
「ご準備はよろしいでしょうかー!」
「良いぞー!」
遠くから聞こえてきた声にドルムが威勢良く答えて、それが修練の始まりを告げた。
少し静かな時間があって、そして七人の前に一匹の猪が鼻息荒く現れた。
金の迷宮の魔物であるこの荒くれ猪は、普通の猪よりも二回りは大きな身体に並みの革鎧など容易く貫く大きな牙を備え、そのくせすばしこく動き回るというような、戦いに慣れた大人たちであっても対処に苦労する存在だ。
「牽制だ!」
ドルムからの指示が飛んだので、ニナは弓に矢をつがえ、少年たちの左手側に放った。同じようにサクは鞭を振るい、猪の側で大きな破裂音が鳴り響く。
左右の逃げ道を断たれた猪は真っ直ぐ盾を構える三人に向けて突進する。
いくら盾を構えていようと、全速力でぶつかられては子どもの力ではひとたまりもない。
だから、衝突するよりも先にカンバが踏み出す。
「せあっ!」
カンバは丁度鼻先にかかるように剣を突き出し、荒くれ猪の突進の勢いを削ぐ。
突然の危機に慄いた猪は突進の向きを変えるも、
「はっ!」
そこにサクの振るう鞭が直撃し、再び猪は行き場を失う。
ニナも何度か矢を射かけ、猪の退路を断つ。
「ギィィ!」
「っ!」
甲高い嘶きと共に猪は再度突進を開始したが、盾を持つ三人が十分に距離を詰めていて、速度が乗る前に動きを押さえ込むことに成功した。
こうして動きを封じられた猪に向かってドルムが踏み込んだ。
「『魔闘・天衣』ィ!」
この世界では彼と彼の父親だけが使える魔導の詠唱が高らかに響きわたり、大きな身体の周りに光の放射が染み出した。その放射はまるで金色の衣となってドルムの身体を包み、そして術者の動きに呼応して形を変える。
剣を振りかぶったドルムは目にも留まらぬ速さでそれを振り下ろし、一撃で荒くれ猪の頭を切って落とした。
断末魔の叫びを上げることすらなく光に溶けていく猪を前に、ドルムは剣を鞘に収めて満足そうに鼻を鳴らした。
「チョロいもんだな、今更猪一匹出てきたところで俺様の敵にはならねえ……それに比べてお前らはよ、何だそのザマは」
全力で猪を押さえ込んだ疲れと緊張から肩で息をする三人を見下して、ドルムはあざ笑った。
「……君ほど強い奴はニラギ史上でも珍しいっていうくらいだからね。君基準で語られても僕たちの立つ瀬がないよ」
「おう、感謝しろよ。俺のおかげでお前ら「不作の世代」は末代までの大恥をかかずに済むんだぜ?」
「ああ、ありがとうさん」
「ふん……次入れろ!」
ロドガイが乾いた表情を貼り付けて答え、ドルムはそれに満足したようだった。しかしその最中にも猪の死骸から溢れる光の只中に立ち、恩恵の殆どを独り占めするのを忘れていない。
恵まれた体格に加えて魔闘術の操作にも絶大な適性を示すドルムの思考には、根本的に「仲間」という視点が欠けている。自分一人が強くなればそれでいいと思っているし、実際にそれで大概の魔物はどうにかなってしまう節がある。
ドルムばかり強くなる一方で、七人が〈カルトゥール〉としての強靱な力を手にできる様子が殆どないことに懸念を示す人間も決して少なくない。しかし、「不作の世代」という言葉に表れているような、次代族長の誰も魔導適性を持たないという極めて特殊な事情も相まって、結局ドルムが強く在ることへの消極的な賛同が見方の大半を占めているのだった。
「次は二匹同時だな。一匹は俺がぶっ殺すからもう一匹は俺が来るまで抑えてろ。勝手に倒すなよ」
簡潔で乱暴な指示を発して、ドルムはカンバたちに背を向けた。
「はいよ」
ロドガイの返事が木々の狭間に消えていったのと丁度入れ替わるように、次の標的が奥の方から姿を現した。
ドルムは即座に剣を構え、真っ直ぐにそちらに向けて突っ込んだ。
「『魔闘・召盾』!」
詠唱により二匹並んだ猪の間を分かつような光の垂れ幕が下りる。驚きにうろたえる猪たちはその垂れ幕に身体をぶつけては弾かれてを繰り返した後、やがてめいめいに駆け出した。
ドルムは左側の猪に狙いを定めたようで、その背中を追いかけて木々の狭間に消えていった。
つまり、他の六人がドルム抜きで相手をするのは、右側の個体ということになる。
こうしたときに指揮を担うのは決まってロドガイだ。
「牽制、サク、カンバ! ニナは射線を通せるところまで動いたら合図してくれ!」
「おうっ」
「そいやぁ!」
近くに居たサクとカンバに迎撃の指示が飛び、魔物とは丁度仲間たちを挟んで戦場の反対に潜んでいたニナには移動が命じられた。
弓を下ろし、気配を漏らさないように意識しながら低い姿勢で岩の狭間を縫うように走る。手頃な岩を見つけたので、その上によじ登れば、猪とつかず離れずで打ち合う五人を視界に収めることができた。ニナはロドガイの指示通りに移動完了の合図を出そうとした。
見えてはいけないものが見えたのは、まさにその瞬間だった。
「───パム、後ろ!」
決定的な打撃は剣を持つカンバに任せつつ、目の前の猪に盾を叩きつけては離れる、という作法通りの動きを繰り返すパムの背後に、ドルムが追っていたはずのもう一匹が突っ込もうとしていた。
「え、え?」
突然自らに向けられた叫びに対して、パムは素早く反応することができずにいる。
そうしている間にも、パムと魔物との距離はぐんぐんと縮まっていく。
頼りになるロドガイも、カンバも、すぐにパムを助けられる位置にはいない。
この場をどうにかできるのは、私だけだ。
考えるよりも先に身体が動いた。矢筒に手を伸ばして何本かの矢をつかみ、つがえ、弓を引き絞る。
とにかく突っ込む勢いを殺さなければ、パムの命が危ない。
地面を射貫いて砂埃を立てるつもりで猪の進む先に狙いを定め、手を離す。
力みが矢の軌道をブレさせたのが分かった。
ぴゅっ、と風を切り裂いて飛んでいった矢がどこに向かうのかを確かめるよりも先に、ニナは次の矢をつがえ、再び同じような狙いを付けて放った。とにかく数を放たなければ、未熟な己の腕では目的を達せなどしないのはよく分かっている。
「う、うわぁぁ!?」
「カンバ! パムの側に!」
ようやく自らに迫る危機に気付いたパムがどたどたと盾を構え直し、何が起ころうとしているかを察知したロドガイがカンバに指示を送った。
三本目の矢をつがえようとしたとき、思いも寄らぬことが起こった。
パムを目がけてまっしぐらに走っていた猪が、突然その場にもんどり打って崩れ落ちた。
何が起こったのかは分からないが、それでも好機であることに間違いない。
ニナは三射目を完全に魔物の胴体に狙いを定めて放った。
中り。
ジタバタともがいていた荒くれ猪は、糸で引かれたように手脚をピンと張った。明らかに苦痛を感じている。
「カンバ!」
「おう!」
とどめは駆け込んできたカンバに任せれば、あとは大丈夫だろう。
そう考えたニナは、残るもう一匹に意識を向けようとした。
次に起こったことは、ニナにはとても信じられないものだった。
「『魔闘・召盾』」
「ごっ、は」
カンバと魔物の狭間に光が満ちて、カンバの攻撃はいとも容易く跳ね返された。
命を繋がれた猪の側に、一つの人影が立った。
「ちょっと!?」
思わずニナは声を上げた。ドルムのとった行動の意味が分からなかった。
仮にもカンバは味方であるというのに、魔物の方をかばうとはどういうことか。
「……」
ニナの方には目もくれず、ドルムは硬直したままの猪を気だるそうに観察している。
全く予期しない形で姿勢を崩されたカンバは、どこか筋を痛めたのだろうか、だらりと垂らした右腕を左腕で押さえていた。
「ドルム、事情は知らないが手が空いたなら───」
「『魔闘・天衣』───どけよ」
ロドガイの求めが形になるよりも先に、ドルムは魔導を発動させていた。
眩しい光がガカルとパムの間を乱暴に突き抜け、そして魔物の前で翻る。
ロドガイたちによって滅多打ちにされていた猪は満身創痍の状態で、既に動こうという意思を持たないようだった。
ドルムが突き出した剣に貫かれ、魔物は即座に絶命した。光の立ち上る最中に立つドルムの身体に、いくらかの光の粒が吸い込まれていく。
薄れていく戦いの興奮と入れ替わるように、張り詰めるような沈黙がその場を満たした。
表情の覗えないドルムが何を言い出すのか、ドルム以外の誰もが半ば怯えるように身構えていた。
ドルムはゆっくりと振り返り、腕を押さえたままのカンバの方へ歩き出した。
ざっざっ、という足音が静かな修練場に響く。
カンバの横を通り抜けたドルムは、地に倒れ伏す猪の側で立ち止まった。そのまま身を屈めたかと思うと、猪の頭の近くで何かをつかみ、引き抜いた。そして、ドルムは手に握ったものを目の前に掲げた。
それはどうやら、ニナの放った矢であるようだった。
「俺の獲物を横取りしようたあいい魂胆だ」
既に声変わりも済んだドルムの、低く腑に響く声が静寂を破った。
「勝手に倒すな、って俺は言ったよな。なあ?」
ドルムは矢を地面に投げ捨て、それを足で踏みにじった。
胸と腹の中をかきむしりたくなるような不快感がニナの身体を駆け巡った。
「なに、言ってんの」
辛うじて絞り出せた言葉は、ただドルムの額に青筋を浮かべるだけに終わった。
「黙って俺の命令に従えつってんだよこの愚図が」
ドルムはニナを睨み、首を振りながら頭を何度か指でつついた。
それはニナの能力を嘲るための仕草に違いなかった。
不快、苛立ち、怒り、恥辱、あらゆる負の感情が一瞬のうちに溢れた。
ニナは髪を振り乱して叫んだ。
「そもそもあんたが取り逃したせいでしょう、パムを危ない目に遭わせておいて何言ってるの!?」
返事は短い詠唱だった。
「『魔闘・砲槍』」
ドルムの眼前で形になった光の槍がニナの足下に向かって放たれた。
ズガン、と大きな音が響き、ニナの立つ岩が大きく欠ける。破片が周囲にはじけ飛ぶ。
突然のことに反応する間もなく、振動に足下を崩されたニナは岩から転げ落ちた。
ふらふらと立ち上がる。痛みの走った額を抑えれば、飛散した岩の破片のためかそれとも転げ落ちたときに傷つけたのか、太い血の筋が手のひらにべっとりとこびりついた。
ざっ、という音に顔を上げると、いつの間にか目の前にドルムが立っていた。
「取り逃した、だぁ?」
ニナの胸元にドルムの両腕が伸びて、強い力で衣の生地をつかみ上げた。
「ぐ、ぅぅ……っ!」
「お前ら能無しのお遊びにわざわざ付き合ってやってるんだぜ、俺は。邪魔が居なけりゃいつでも好きなように勝てるんだよ」
足をばたつかせても、ドルムは微動だにしない。
息が詰まる。血管を締め付けられて頭に血が籠もっていく感覚が焦りを加速させる。
「俺の親切で魔物と戦えてるお前みたいな能無しが、俺の命令を拒否していいはずがねえだろ? 俺が強くなるのを邪魔して良いわけがねえよな、なあ?」
ドルムは暴虐の論理をこれでもかと畳み掛ける。
何度も額を頭に打ち付けられて、ニナの視界には星が舞った。
恐怖はいかようにも堪えがたく、涙が溢れた。
どうして、私がこんな目に遭わなくてはいけないのか。
どうして、こんな屑ばかりがのさばるのか。
どうして、どうして、どうして、
「二度と出しゃばった真似すんじゃ───」
「おい、ドルム」
誰かの声がした。
ドルムは訝しげに振り返った。
涙に滲む視界の中に、ニナは剣を握るカンバの姿を見てとった。
カンバはドルムが己の方を向いたことを確認し、そして剣を側の荒くれ猪に振り下ろした。
息を飲むサクやパムたちの視界の先で、魔物の死骸は神々からの祝福をまき散らしながら溶けていく。
カンバは小さく、しかし鋭く呟いた。
「お前の命令が何だって?」
「……あ?」
「聞こえねえのかよ、もっかい言うぞ」
カンバは剣を鞘に収め、大きく息を吸った。
「お前のゴミみたいな命令が何だってんだ!?」
「テメエ!」
ドルムはニナを放り捨ててカンバの方ににじり寄り、その頬に拳で一撃を叩き込んだ。
バン、という鈍い音が聞こえた。
「あかん!」
「誰か! 来てください!」
サクが悲鳴を上げ、ロドガイが近くに控えている大人たちを呼んだ。
その最中にもカンバは口からペッと血を吐き出し、ドルムを睨んで口角を吊り上げた。
「効かねえな。ニナに助けられて恥ずかしいんだろ、丸見えだぜ?」
「黙れ」
バン。
カンバはよろめくも、それでもまだドルムに立ち向かうことを止めない。
「だっせぇ」
「黙れつってんだよ」
バン。
カンバの身体は砂地に叩きつけられた。
「カンバ、もうやめて!」
顔から血をだくだくと垂らすカンバはニナの悲痛な叫びにも耳を貸さず、よろめきながら立ち上がって右の拳を掲げた。
立ち上る光の粒の合間に、覚悟を決めたカンバの凄絶な表情が際立つ。
「いいよなあ、真面目に修練もしないでこんなブレッブレの拳しか振れない雑魚がよ、ただ『魔闘』って唱えるだけで───」
カンバは歩み寄ってくるドルムに向けて力なく腕を振った。
カンバの眼前に眩い光が迸った。
ズガン。
「……は?」
「え?」
それは誰が発した声であったか。
崩れ落ちたドルムとその落ち窪んだ頬骨、そして光の衣を纏う己の拳を穴が空くほどに見つめるカンバ。
呆然として目の前の光景を見つめるニナの頭の中で、それら以外の情報が意味を成すことはなかった。
「ドルム様ッ!!」
駆け込んできた大人が、地面に倒れて泡を吹くドルムの姿を見つけて一気に青ざめた。
一瞬のうちに場は騒然となり、カンバ、そしてニナたちも、それぞれの部族の人間にひっつかまれるようにしてドルムの前から引き剥がされた。
「治癒魔導士! 早く! ドルム様のお命が危ない!」
その日の修練は、当然のように途中で打ち切りとなった。




