2. 仲間たち
数日のうちにテレミアたちを乗せた船は海賊団の本拠であるカライア島の港に辿り着いた。
テレミアは今回の略奪を経て仲良くなった船員たちととりとめもないことを話しながら船を下り、彼らと別れた後は賑わう港街の中を歩いて回った。
その内に、カライアの中心にある大きな広場に出た。
広場の一角にはいくつもの骸がこれみよがしに晒されている。
身内に身代金を払ってもらえなかったらしい、よく肥えた身体の商人の死体。
使い捨てられたのだと一目で分かる、殆ど裸の女の死体。
愚かにも海賊団の掟に逆らい、そしてあえなくその罪を咎められたのであろう、テレミアにも見覚えのある男の死体。
鼠や鷲が肉を食いちぎり、光を失った眼球を咥えるその悍ましい光景は、海の上で捕われて島に連れ込まれた者の心を折るには十分すぎるものであった。
しかし、この街の住人にとって、そしてテレミアにとっても、それはただの日常の一部分に過ぎない。
テレミアは積み上がった肉の山に一瞥すらもくれることなく広場を通り過ぎ、目的の場所に向けて歩みを進めた。
いくつかの店に立ち寄って日用品を買い揃えつつ、やがてテレミアは街の奥隅にある静かな空間に辿り着いた。
周囲を探り特に不審な気配がないことを確かめた後、慣れた足取りで扉代わりの垂れ幕がかかった玄関をくぐる。
「ただいま」
声をかけると、奥の方から一冊の本を手にした老年の男が顔を出した。
「おお、テレミアか。どうじゃ、成人の儀を越える自信はついたかの」
「……少なくとも雷の魔導は上手く剣と一緒に使いこなせるようになったかな」
テレミアは顎に手を当て、数日前の戦闘をじっくりと脳裏に描きながら答えを組み立てた。
その顔には、つい先ほどまで浮かんでいたあどけなさの気配は微塵も残っていなかった。
「ミノタウロスに対してどれくらい効くかは分からないけど、ヘステスが言うみたいに強さが人間と大して変わらないって話なら、正面からの一対一で負けるとは思わない」
「それは重畳」
ヘステスと呼ばれた男はかっかと笑い、「ほれ、見せてみろ」とテレミアの服をまくり上げた。そこにいくつかの傷を見つけて、ヘステスは手をかざした。
「『治癒の力よ、この者の傷を満たせ』……楽になったか?」
「うん。いつもありがとうね」
「なんの。この程度、船医じゃった頃は毎日診とったわい」
ヘステスは最後にテレミアの左耳を癒やし、そして豊かな髭を揺らしてテレミアを部屋の中に招いた。
招きに応じて彼の部屋に上がる。いつ見ても、所狭しと積み上げられた本の山には圧倒される。
これらの本がヘステスという人間を作り上げたのだということを、彼から人生のイロハを教わったテレミアはよく知っている。
ヘステスがテレミアの教育係としての役割を仰せつかったのは、その膨大な知識と経験を船団長に買われてのことだった。海賊としては珍しく文字を読むことを苦にしなかったヘステスは、蒐集した無数の本から得た知識で怒牛海賊団に隆盛をもたらした。ヘステスはまた、もし財宝と女にしか興味のない男たちに囲まれていなければ百年に一人の逸材と持て囃されたであろうほどの魔導の才能にも恵まれていて、読みふけった魔導書から仕入れた魔導を手当たり次第に敵に向けて放ち続け、身体が衰えてからは治癒の魔導で船医として長く海賊団に仕えた。
そんな彼が自らの持てる全てをテレミアに注ぎ込んだことで、テレミアは成人を前にして既に、周辺海域にその名を轟かす怒牛海賊団の中でも他の猛者に決して劣らぬ才覚を手にしていた。
テレミアはヘステスが差し出した杯に瓶から水を注ぎながら、小声で言葉を発した。
「ちょっと立ち回りが上手くいかなくて、ラグーダが完全に私のことを睨みだしちゃったんだよね。そのことで相談しようと思って。もうじきオトとモムルも来ると思う」
ヘステスはテレミアに椅子を勧め、二人は腰を落ち着けた。
「成程、屋敷に戻らずこちらに来たのはそういう事情か」
「そう。成人の儀も近いし、船を持つかどうかも踏まえて一回状況を整理したい」
「相分かった」
育ての親子らしく似通った光を目に宿らせながら、二人は微笑み合った。
日が暮れる前に、浅黒い肌の男と頭をすっぽりと覆う外套を纏う少女が連れ合ってヘステスの家を訪れた。
「よく来た、モムル、オト」
「久々だな爺さん、変わりないか」
「最近文字を追うのが辛くて仕方ないのぉ。身体の痛みは魔導でどうとでもなるが、衰えばかりはどうしようもない」
「字を大きくする水晶があると聞いたことがある。探してみる?」
「おお、それは眼鏡とかいうやつじゃったかの? 是非とも一度お目にかかってみたいものじゃ。見つけたなら代金は支払う、頼まれてくれるか」
「任せて」
ごとり、とモムルが得物であるボウガンを置いたのを合図に、ヘステスが四人分のパンを並べて議論の場を整えた。めいめいが車座に座って、少し腹を満たし、喉を潤す。
「『何人も近づくこと能わず』……では、何が起こったのか説明してもらおうかの」
「略奪戦の直後にラグーダが私のことを呼び出してきて、あいつの手下からの覚えが良いことを少し咎められたんだ。その場はいつも通り、兄様の手下でいられて満足していますって切り抜けたけど、最後に「生きて成人の儀に挑めるのが誰のおかげか分かってるな」って言われた。釘を刺してきたんだと思う」
「ふーむ。何かラグーダの前で忠誠を疑われるようなことは口にしたか?」
「いや、特に言ってないはずだよ。ちゃんとただの子どもを演じてたはず。だよね、オト?」
水を向けられたオトは静かに首を縦に振った。
「私が見てた限りでは特にミアに疑わしい行動はなかった。完璧に、いつも通り」
オトはカライアの孤児院で生まれ育った少女だ。テレミアに同じ年頃の遊び相手をあてがおう、と考えたヘステスによって、孤児院で一人きりでいた彼女が選ばれた。テレミアとは幼いころからの長い付き合いであり、孤児院を出る歳になって自然にテレミアの仲間となった。
テレミアが置かれる不穏な環境の中で鍛えられた隠密の技術は既に真似事の水準を遙かに越えており、テレミアにとって海の上陸の上問わず常に頼れる影の存在が彼女であった。
「単純にテレミアが強くなりすぎたんだろうよ。練度が低かったとは言え正面から騎士を十人相手取って完封できる戦闘力なんだ、何も企んでないって方がむしろ怪しい。私は兄様の有能な駒ですぅ、と言い張ったところで、御しきれないと思われたなら次は海に突き落とされるかもしれねえな」
横からモムルが差し込んできた。
遙か南方に住まう武に秀でた種族の血を色濃く受け継ぐモムルは、戦に身を捧げることを定め付けられてこの世に生まれ落ちた人間である。優れた視力と身体能力はモムルに射手としての才能を与え、物心ついた頃からのモムルの記憶は訓練と戦闘の景色で埋め尽くされている。
テレミアが生まれて以降は彼女の護衛としての任を受け、船上では荒くれたちから、戦闘中は敵の手から、彼女を守り通してきた。
「そろそろ振る舞い方を変えるべきかもね。正直難しいなって思い出してきたとこなんだけどさ」
「とは言え、ラグーダに他の兄姉からの干渉を断たせるという現状を崩すわけにも行かぬしのぉ」
「私が成人すれば、一応船を持つことはできるようになるよね。ここの四人で勢力を作ること自体はできる」
「それについては何度も話したじゃろう、基礎戦力の整わぬうちに潰されるのがオチじゃ」
「……そうだね、分かってる」
テレミアは苦虫をかみつぶしたような顔になった。
テレミアにとって、未来とは決して明るいものではなかった。
彼女の人生を表すのに、苦難という言葉を欠かすことはできない。
他の海賊の例に漏れず、美しい女とみれば我が物とした怒牛海賊団長ジャルダのもうけた十五人兄妹の末娘であるテレミアが生まれたその時点で、遙か年の離れた他の兄姉たちは既に後継争いの真っ只中にあった。後継者としての資格を持って生まれたテレミアは幼い頃から幾度となく実の兄や姉から命を狙われ、そのたびにヘステスとモムルの機転で辛うじて命を繋いできた。
それは長兄ラグーダの庇護下にある今も変わらない。ほんの少しでも取るべき選択を誤れば、テレミアの身体はすぐにでも海の藻屑と成り果てるだろう。
そうした重圧が歳不相応の成長をもたらしたのは、彼女にとっては幸福なことであり、ある意味で不幸なことでもあった。
ヘステスはテレミアに、戦う術と考える知恵を叩き込んだ。それらはテレミアにとって降りかかる苦難を耐え忍ぶための杖となり、進む道を切り開く灯りとなった。
しかし、聡明なテレミアには、自らの求む未来―――我が身に絡みつく心を削り取るような悪意とギラついた欲望をすべて振り払って、広い海の上で、しがらみなく思いのままに生きること―――に続く道が、遙かな険しい道であることもありありと理解できてしまうのだった。
「でも、今のままだと、ミアは本当にただの一船員に成り下がる。ヘステスはそれで良いと思うの?」
「その程度で諦めるようにテレミアを育てた覚えはないのぉ」
「言い方が無責任」
オトに迫られたヘステスは、ふむ、と少し考え、テレミアに向き直った。
「ならば問おう、テレミア」
「……何?」
「おぬしが何もかもを諦めるのはいつじゃ?」
ヘステスの問いに対し、自らの中に答えを探す。
「―――死んだとき」
「そうじゃな、そう教えた」
そう教わった。
ヘステスは何度も、執拗なまでに、生き足掻くことを止めるなと教えてきた。志を持つ人として生まれたのなら、その命を簡単に放りだしてどうする、と。
「今は耐え忍び、無害な娘を演じ続けるほかないじゃろう。どれだけ時間がかかろうとも構わん、誰にも遮られることのないような力を密かに蓄えるのじゃ。もはやジャルダの種は子を成さぬ、おぬしに弟も妹も産まれることもあるまい。つまり、時間は常に最も若いおぬしの味方であり続ける」
無感情な顔でヘステスは語る。
テレミアは心の内に浮かんだ反論を本能的に投げかけた。
「それだとヘステスは生きていられない」
言い切るのと殆ど同時に、パン、と乾いた音がテレミアの頬の上で響いた。
ヘステスの手が伸びていた。
「よいかテレミア。おぬしが生きる中で、最後まで真に信じられるのはおぬしだけじゃ。信頼に浸れば人を見る目が曇る。情に縋ればおぬしの刃は鈍る。儂のこともモムルのこともオトのことも、必要とあらば切り捨てよ。儂らは所詮、おぬしを生かすためだけに存在する駒なのじゃから」
それはテレミアにとって聞き慣れた言葉だった。
敵だらけ、血を分けた家族すらも互いに殺し合う過酷な環境の中でテレミアが生き残るために、ヘステスはテレミアに独りで生きることを説いた。己が生き抜かなければならない理不尽で冷酷な世界の解釈として、それ以上のものをテレミアは知らない。
テレミアはひりひりと痛む頬に片手を添えて、オトとモムルに順に目をやった。
オトは悲しそうな顔で目を伏せ、モムルは淡く笑って肩をすくめた。
「分かってる」
小さな声でテレミアがそう答えて、議論と呼べるかも分からない消極的な四人の密会は結論に達した。




