1. テレミア
長編になります。しばらくは一章ずつ完成させ、まとめて投稿する形を取る予定です。
26/03/05 2章投稿に伴い表現・台詞を全体的に修正(~33話)
26/06/10 改稿
広い海の上は潮と鉄の香りに満ちていた。
空を貫くのは剣戟の響きと鬨の声、傷つき倒れ伏した弱者には強い日差しと別の弱者の流す血が降り注いだ。
無残に大穴を開けられた帆船に幾人もの男たちが次々と乗り込み、暴虐の嵐を振りまいている。裾の破れた服、間に合わせの防具、刃の欠けた剣───まるで統一感のない格好をした彼らの手によって、帆船の甲板の上には既にいくつもの死骸が転がるようになっていた。
しかし危機的状況にあって、明らかに劣勢に追い込まれている帆船の船員たちの目には希望の光が灯っていた。
彼らは時折、縋るようにある一点に視線を送る。
戦場を見下ろす船尾楼甲板、その只中に、妙齢の女性が歯を食いしばるようにして痛みに耐えている姿があった。見開かれた目は真っ赤に充血していて、鼻と口からは血の筋が垂れている。
彼女に対しての一切の射線を通さないよう、騎士たちが円を作るように大盾を隙間なく構えている。そのうち、ひときわ派手な兜を被った一人が盾をほんの僅かに下ろし、味方を鼓舞せんと声を張り上げた。
「皆の者、今はただ持ちこたえよ! 魔導がまた放たれるその時まで耐え───」
それが彼の最期の言葉となった。
全身を覆う鎧の僅かな開きを強大な力で押し広げ、顔面に短矢が突き刺さる。
がちゃがちゃと喧しい音を立て、支える力を喪失した鎧が崩れ落ちる。短矢を伝って兜からこんこんと溢れ出す血が、這うように甲板に広がっていく。
瞬間的に周囲には動揺が広がった。誰が見ても即死だった。
何が起こった、と残された騎士たちは周囲を見回し、すぐに答えを得た。
燃え落ちた帆の残骸が垂れ下がるマストの半ばに、黒い肌の大男が張り付いている。彼の手には個人で抱えるには余りにも大きすぎる、まるで弩砲かのようなボウガンが収まっている。
既に次弾の装填が終わったボウガンの引き金を引き、再び死を振りまきながら男は叫んだ。
「行け、テレミア!」
「任せて!」
応える声は騎士たちのすぐ側から響いた。意識を向ければ、そこには余りにもこの戦場に似つかわしくない、少女と呼べるような年頃の女が立っていた。
青い空の下に際立つ真っ赤な髪を風に流しつつ、テレミアと呼ばれた少女は大げさとも言えるような素振りで腰から剣を引き抜いた。その動きは彼女の纏う薄手の外套をはためかせ、海賊らしい身軽な装いから覗く傷のない玉肌と、戦士として花開きつつある程良く締まった身体の輪郭を露わにする。
少女が右手に握るのは、剣同士の打ち合いには適さない小ぶりな刺突剣だ。しかし敵の攻撃を防ごうというつもりがないのか、はたまた余程すばしこさに自信があるのか、その左手には受け流し用の短剣も盾も収まってはいない。
二、三人で囲んで逃げ場を削り、一撃を加えれば片付けられるだろう。
そう考えた騎士たちは、むしろボウガンの男に向ける警戒を強めた。
それが慢心であったと騎士たちが思い知るまでに、長い時間はかからなかった。
或いは最初に絶命した隊長が生きていたならば、明らかに戦場には不釣り合いないでたちの少女に対して最大級の警戒を呼びかけることもできたかもしれない。
しかし、冷静な判断ができる人間など、この場に残されているはずもなかった。
テレミアはにかっと少女然とした笑みを浮かべ、最も近くにいた騎士に向かって殆ど予備動作なく駆け出した。騎士は盾を構え、大ぶりな刃身の剣を彼女に対して振りかざした。
しかし肉厚の剣は軽業師もかくやの身のこなしでひらりと躱され、無防備となった騎士の元へと真っ赤な風が舞い寄せる。
テレミアはすっと左手を騎士の胸を覆う金属板へと伸ばし、たった一言
「『雷よ』」
と呟いた。
「あがぁぁぁぁ!」
金属鎧の内側を電撃が駆け回り、騎士は動けなくなった。立ったままに身体を壊されたのだ。
「か、雷魔導だと! この女、剣を持っていながら魔導を使ってくるぞ!」
驚愕の叫びが騎士たちの中から上がった。
魔導を発動させるには顕現させんと望む現象を鮮明に思い浮かべる必要がある。だから、常に相手の動きを観察しなければならず、そして瞬発的な判断を強いられる戦士にとって、魔導を扱うことは非常に難しい。少なくとも常識的には接近戦を担う者が魔導に手を出そうとするのは愚かなことだと考えられているし、だからこそ戦士と魔導士は役割を明確に分担している。
そのような常識など知ったことかと言わんばかりに、テレミアは次の犠牲者を選んだ。
「『雷よ』」
習熟の末にほんの五音節にまで短縮された詠唱を止める術はなく、余りにもあっけなく二人目が戦闘不能に陥った。
「死んでも魔導士様には近づけるな! ここが堪えどころだ!」
騎士たちはいよいよ覚悟を決め、物量で以てその動きを封じるべく、必要最小限の守りだけを残して少女を囲むように襲いかかった。既に主だった射手はボウガンの男の手によってほぼ全滅しており、他に取り得る手など彼らには残されていなかった。
それは単発の簡易的な魔導を用いる魔導士への対策として、必ずしも間違った方法ではなかった。例えどれほどの命が消し飛ぼうとも、誰か一人の剣が相手の身に届きさえすれば、大局的な被害は大きく押しとどめられる。
しかし、テレミアはそれを見て、顔に浮かぶ笑みをむしろ深くした。
「いま」
短い合図が空気を震わせた直後。
どこからともなく、騎士たちとテレミアの間に小さな木筒が転がり込んだ。
木筒はぽん、と乾いた音をたてて爆ぜ、湧き出した煙が騎士たちの視界を覆う。
視界は数歩ほどの距離もなく、自他の境すらもあやふやとなる程だった。
一網打尽とするべくおびき出されたのだ、と感づいた時には既に、テレミアの気配は騎士たちに感知できる範囲に存在しなかった。
やがて、煙が晴れる。
どさり、と肉の塊が崩れ落ちる音が、騎士たちの意識を一点に集めた。
彼らが呆然と見つめる先で、魔導士の双眸から光が失われた。
風に舞う赤髪を背景に、似ても似つかない赤に濡れた刺突剣が掲げられる。
「風魔導士を潰した、後は蹴散らすだけ! やっちゃって!」
凜と澄んだ声が空気を貫き、海賊たちが一斉に呼応する野太い響きが海を揺らす。
既に戦いの趨勢は決し、後はただの蹂躙劇が繰り広げられていくのみだった。
黒煙を上げて海に沈んでいく帆船を後にした海賊たちは、手にした金銀財宝、そして攫ってきた女の数を数えて笑い合っていた。
その輪の中心には、当然のようにテレミアがいた。
「いやぁさっすがテレミア嬢だぜ! 小せえ船だったとは言えよ、騎士を十人と魔導士だ、大手柄もいいところじゃねえか!」
「お嬢さまが先陣を切れば俺達は無敵だなぁ!」
「へへへーそれほどでもー」
野蛮な男たちの中で明らかに浮いた存在であるテレミアは、褒め言葉に対して年相応の太陽のような笑みで応えた。
底抜けの明るさがまた男たちの気分を良くし、高揚感を生む。
「それで分け前は要らねえってんだからまた太っ腹だよなぁ!」
「だからいつも言ってるじゃん、私は父様から十分良くしてもらってるし、それに私が活躍できるのは雑魚たちを抑えてくれてたみんなのおかげなんだよ?」
テレミアは首を可愛げにかしげ、はにかんで言った。
「クッソ、キャプテンがお嬢さまみたいに優しければなぁ!」
「やめとけ聞かれんぞぉ」
「馬鹿言え、キャプテンは今頃お部屋の中でお忙しくしてるに決まってるっての」
「じゃあ後でチクっておくか。反乱を企ててる奴がいますぜ、ってよ」
「ああ!?」
がはは、という笑いが甲板に満ちる。
その光景を楽しそうに眺めていたテレミアの背後に、すっと影が立った。
影はテレミアの耳元に口を寄せ、彼女に何かを囁いた。
「ありがとう、オト」
テレミアは笑顔を崩さないまま小声で呟き、やおらに立ち上がった。
「ま、そういうことだからさ、次もよろしくね! みんなのこと、頼りにしてるから!」
「おうよ、またここ来たら呼んでくれや!」
「成人待ってるぜ!」
テレミアは手を振って、男たちの喝采を背に船の中に戻っていった。
甲板から目的の船室に向かう間、誰の視線がない時にも、テレミアの顔からあどけない笑顔が消えることはなかった。
───私は今、略奪が上手くいったことを嬉しく思っている。大きく貢献もしたから、少し誇らしくて、調子にも乗っていて、多少の嫌なことは気にならないくらいの気分。
そうやって適切な感情を心に刻み込んで、それが本心だと思い込めるように身体中に染み渡らせる。使い慣れた”明るく、元気で、頭の弱い小娘”の笑顔を、いつでも引き出せるように頭の一番上の引き出しに置いておく。
やがて、豪勢な扉がテレミアの前に現れた。
テレミアは一つ咳払いをしてから、扉を叩いた。
「テレミアです! ラグーダ兄様はいますか!」
「入れ」
扉越しに小さくくぐもった声が聞こえてきたのを合図に、テレミアは扉を押し開けた。目が眩むほどにチカチカする設えの船長室の中、宝石付きの指輪を両手にいくつも嵌めたガタイの良い男が、ゆったりとした大椅子に二人の女を侍らせて待っていた。女たちは黒色の首輪を嵌められているから、そういう扱いの奴隷のはずだ。
テレミアは心と身体に刻み込んだ感情に導かれるまま、軽い足取りで進み出た。
片方の膝を突き、勢いよく恭順の姿勢を作る。
「兄様、今日は船に乗せてくれてありがとうございました! 成人の儀に向けて良い練習になりました!」
感謝の言葉を伝えられたラグーダは、それに対し何の感情を込めることもなく「ああ」と返した。
冷たい視線がテレミアを貫く。
「で? 約束は覚えてんだろうな」
テレミアはひょいと顔を上げて、花の咲いたような表情を浮かべた。
「もちろん、戦果は全部兄様のものですっ。私は別にお金とかいらないので!」
「それでいい」
そこでようやく、ラグーダは暗い笑みと共に感情らしきものを表に出した。右手を女の乳房に這わせ、濡れ髪に唇を近づける。
既にその思考からテレミアに対する興味は失われたようだった。
テレミアは健気に頭を垂れた。
「失礼します!」
そう言ってラグーダに背を向け、部屋を出て行こうとしたときだった。
不意にテレミアの左耳を鋭い風が撫でた。
少し遅れて痛みが走る。
視線の先に、からん、と赤く筋の走った短剣が落ちた。
心臓の鼓動が嫌に大きく身体に響いて、それでテレミアはようやく自分の動きが止まっていることに思い至った。
焦ってはいけない。
ラグーダの感情が何であるのかは分からずとも、今自分が抱くべき感情は間違いなく分かる。
冷静になって、顔を歪め、耳を押さえ、身体を折りたたむ。
「い、痛っ!」
緊張に飲まれていない人間は、身体を切り裂かれれば普通こうやって声を上げるはず。
感情を整理して悲鳴を上げるまでに生まれてしまった僅かな間は、現実を認識するまでに時間がかかったというような演技に変換するほかない。
「どうにも、俺の手下達からの評判が良いらしいな」
背後から響いてきたラグーダの声は酷く平坦だ。
つまり、怒りではなく、何か意図を持っての行動ということになるだろうか。
そこまでを考えた上で、テレミアは血の滴る左耳を庇いながら振り返り、この場に適した感情と返事を組み立てた。
ここで下手を打って、不興を買うわけにはいかない。
「は、はい、き、聞いて下さい兄様、みんな私のことをすごいすごいって言って仲良くしてくれるんです……なにか、ご不満ですか……?」
不安、支配者への怖れ、誇らしいという感情を否定されることへの戸惑い。
そうしたあれこれをにじみ出させる声色と表情を操りながら、ラグーダの様子を窺う。
ふん、とラグーダは気だるげに鼻を鳴らし、短剣を放ったまま宙に浮いていた右手を下ろした。
続けて、ぎろり、と鋭い視線がテレミアを貫く。
「間違っても自分の手駒にしようなど考えるなよ」
それだけ聞けば、ラグーダが何を思って短刀を投げつけてきたのかは想像がついた。
俺の手下を奪うような真似はするな、と釘を刺そうとしたのだろう。
テレミアとラグーダの二人が海賊船団の長という座を巡って争う関係にある以上は、避けては通れない問題だ。
僅かな時間だけで答え方を考え、それを実行に移す。
───頼りがいのある所を男どもに見せつけたら、ちょっとは将来への布石になるかなって。今度の略奪では最前線で敵に切り込んでみるよ。よろしくね、モムル、オト───
いともたやすく見抜かれてしまったちっぽけな野心が寸分たりとも香らないよう、架空の感情を張り付ける。
「ま、まさかっ、そんなことしません。私は、ただ、みんなと仲良くしようとしただけで、だ、だって、私もみんなも同じ兄様の配下なんですよ……?」
冷え切ったラグーダの眼光に気圧されて身を縮こまらせれば、テレミアはただの弱者に成り下がれる。
沈黙が船長室を満たした。
「……つまらん」
低く、短い呟きがラグーダの答えだった。
「カライアに戻るまで、誰とも口をきくな。部屋に閉じこもっておけ」
この時点で、テレミアは頭の中にこの一件の結末を描くことができてしまった。
描かれた展開に沿って、テレミアは「なっ! なんでですか!」と不平を叫んだ。
発せられた乱暴な命令は、本来的には対立関係にある二人の立場を踏まえれば筋の通った合理的な命令だ。そんなことは当然考えずとも分かっている。
それでも、己の身を守るため”頭の弱い小娘”であろうとするのなら、テレミアはこうやって考え無しの反発をせねばならない。
たとえ、
「ああ、俺のために働けず不満か。ならばあの護衛の男と忍びの女をここに連れてこい。お前の代わりに使ってやろう」
それがさらなる苦難を招くと知っていても。
「……どう、して……ううん、分かり、ました」
これ以上は何を言わずとも、何を差し出さずともいいはずだ。
十分に積み重ねた演技、そして身と心に受けた傷が、きっと自然に「心折れた少女」の皮を被らせてくれるだろう。
そう考えたテレミアは、ただ静かに頭を垂れた。
「言っておくぞ。お前が素直に俺の駒として動いているうちは、俺以外の誰もお前に手は出せない」
「……はい。守ってくれて、ありがとうございます」
「良い心構えだ。……生きて成人の儀に挑めるのが誰のおかげか、しっかり心に刻んでおけ。せいぜい五体満足で帰ってこれるように祈っておいてやろう」
「……はい」
船長室を後にしてから、テレミアは言いつけられたように二人を身代わりとして差し出すべく、黙って船の中に彼らを探しに向かった。
肌が真っ白になるほどに強く握られたその右手を、誰が見咎めることもなかった。




