104. ”水中の肺たる鰓”
ファンエーマとラズエイダが改めて主従関係を築き直した後。
早く状況を把握しなければならないということで、「何が起きているのか教えてくれ」とラズエイダが問いかけた。
ファンエーマは遠慮がちに二人の青い身体に視線を走らせてから、
「なぜ主様は……石になっていらっしゃらないのですか?」
という妙な質問を返してきた。
(……えっと?)
(石?)
二人の中に思い当たる節はない。
「どういう意味だ?」
「テレミア様とイダ様は、石像に姿を変えられて、この”無の世界”に投げ込まれたはずなのです。お二人を元の人間の姿に戻すには、【白の杖】という道具を使わねばならない、というようにヘステス様からは聞いております」
「……待て、話が見えない」
知らない言葉がいくつも飛び出してきて、二人は面食らった。
離れていた三日ほどで、ファンエーマは何を知ったのだろうか。
ファンエーマは「申し訳ありません」と柔らかく謝罪を置いてから説明を始めた。
「お二人は〈ケカシェ〉として、海にできた大渦の中に放り込まれたのです」
大渦、といわれて思い浮かぶものは、一つしかない。
「……ここは、あの渦の下だとでも言いたいのか」
「お考えの通りで違いありません」
ファンエーマが頷き、テレミアとラズエイダは驚きのあまりに言葉を失った。
自分たちがあの島すら飲み込もうかというほどに大きな渦の奥底にいるなど、想像すらしなかったことだった。
「気を失っていたためによく覚えてはおりませんが、私はあの噴き出す水に乗ってこの場所に現れたのではありませんか?」
ファンエーマは背後の水柱を仰ぎ見ながら言う。
そのときラズエイダがあることに気づいた。
「……まさか、お前は、自らあの大渦に飛び込んできたと?」
「はい」
信じられない、という気持ちで発した疑問に対し、ファンエーマは軽く頷いてみせた。
ラズエイダの心はいきり立った。
「何と無謀な真似を! 死んだらどうする!」
「この身はイダ様の槍でございますから。命など惜しくもありません」
顔色一つ変えずに告げるファンエーマの両肩を強く掴み、真剣な眼差しで彼女の心を貫かんとする。
「いいか、私とテレミアは、こうして一つになっている限り、滅多なことでは死なない。手脚を斬り飛ばされようが、毒の鱗粉に全身を侵されようが、丸二日も飲まず食わずであろうが、生きていられるんだ。死にかけてもいない私を助けようとしてエマが死ぬことになったなら、私は悔やんでも悔やみきれない」
「私も滅多なことでは死にませんし、二日程度飲まず食わずであっても槍を落とさずにいられます。同じことです」
「何もかもが違うだろう!」
言葉に熱が籠もっていく。
なおも癇癪にも似た叱責を続けようとするラズエイダを見かねて、テレミアはそれを引き留めることにした。
(もうやめなって。さっき、エマの献身を誰よりも強く信じている、って言ったのはあんただよ)
(だが!)
反抗するラズエイダの心からは、ファンエーマを案じる気持ちが鮮明に伝わってくる。それと、「これ以上不幸を振りまきたくない」という悲しみに根ざす強い決意も。
しかし、ファンエーマの方も命を捧げることを誓っているのだ。
きっと、二人の矛盾する感情に落とし所は見つからない。
(ファンエーマを困らせたいの? まさか、「私を守るな」って命令するの? 違うでしょ。お前の命を守れ、でも普段は私を守ってくれ、なんて都合の良いわがままだよ)
(わがままでも良い、僕はエマに生きていて欲しいだけだ!)
(あんたって、ファンエーマのことになるとほんと冷静じゃなくなるよね)
きりがない、と判断したテレミアは、「はい交代!」と叫ぶことで無理矢理ラズエイダとファンエーマの会話を断ち切った。
ファンエーマは驚いたように目を開いてから、小さく笑って、「ありがとうございます、テレミア様」と呟いた。
ぎゃーぎゃーとうるさい心の中のラズエイダを黙らせるために、テレミアは話題を切り替えることにした。
「話を元に戻すけどさ。私たちは大渦に放り込まれたって言ってたけど、私たちどうしてあんな場所を通って生きてられたの? 目が覚めたときは二人バラバラで、普通の人間のままだったんだよね。ファンエーマみたいに頑丈じゃない上に気絶もしてたんだから、溺れ死んでないとおかしいと思うんだけど」
「それは、お二人が〈ケカシェ〉であったからです」
ケカシェ、という言葉には聞き覚えがあった。
「確か、チェリが連れてきたお婆さんが私たちをその〈ケカシェ〉にしたんだっけ。その後何があったの」
「紫色の光を見たのを覚えておいでですか?」
「うん、覚えてる。光を見た直後に気絶して、気がついたらこの迷宮の中にいた」
迷宮と口にした瞬間、ファンエーマの眉が僅かに寄せられた。
何かおかしなことを言っただろうか、と思い返すよりも先に話が続いた。
「【黒の杖】が発する紫の光を目に入れることによって、人は生きたままに石へと姿を変えてしまいます。石像は呼吸をしませんから、溺れることもないのでしょう。お二人は石像の姿で渦の中に放り込まれ、この場所へと辿り着いたはずなのです」
昨日の夜に見た、ヘステスとオトの姿を象った気味悪いほどに精巧な石像を思い出す。
まるで生きているかのようなあの姿は、「まるで」ではなく、本当に生きていたのだ。
「もしかして私たちだけじゃなくて、ヘステスとオトも、〈ケカシェ〉にされてたりする?」
「はい、仰る通りです。彼らも、こちらに?」
「うん。昨日、でいいのかな。二人の石像が転がってきたよ」
「左様にございますか……お二人は何処にいらっしゃるのでしょうか」
テレミアはそびえ立つ土の塔を仰ぎ、手でその頂点を示した。
「あの塔の上。水の勢いでどこかに転がっていったらまずいかなって思ってそうしたんだけど、大正解だったんだね」
「……はい、素晴らしいご判断だったかと。しかし、お二人はまだ人間に戻れていないのですね」
そう言ったファンエーマは、何やら腰を探る素振りを見せた。
きつく巻かれた黒色の帯の内側から、何か白く半透明なものが取り出された。
「何それ?」
「【白の杖】と島民達が呼ぶものです。こちらを使うことで、石と変えられた人は元に戻るのですが……」
探るような視線が、青い身体を下から上へとなぞっていく。
さっきから何度か繰り返されていたこの行為が持つ意味を、テレミアはようやく理解することができた。
動くことはおろか思考することもできない石像となったはずの二人が、自ずから道具を使って元の姿に戻っているというように見えているのだろう。
事情を知っているファンエーマからすれば、信じがたいことだったはずだ。
「石になってた、って言われてもあんまりピンと来ないなぁ。そもそも元に戻す道具のことも知らなかったし」
「……よろしければ、主様がこの場所でどのようにお目覚めになられたのかを、お聞かせいただけはしませんでしょうか」
「どう、って別に」
テレミアは周囲を見回し、山を下った場所に見つけた魔物を指さした。
もとより視認しづらい姿の魔物は遠くに霞んでほとほと見えにくいが、ファンエーマであれば問題なく捉えることができるだろう。
「寒いって思って目を開けたら、あの白い幽霊の腕が胸に伸びてたんだよね」
「幽霊、でございますか」
指されたものを探しているのだろう、ファンエーマは目をあちこちに向けながら相づちを打った。
「あそこ、丸っこい藪の近く」と手伝ってやると、その目は一点に落ち着いた。
「あれは……」
小さく声を出したファンエーマが、手に握った【白の杖】を持ち上げた。
よく見てみれば、その先端に生えている白く半透明な部材には、どうにも見覚えがある。
「なんだか幽霊の腕っぽいね」
「はい。すると、あの魔物に、石化した人間を元に戻す能力があるのではないでしょうか」
「……そんな偶然ある?」
あまりにも出来過ぎた偶然を信じられずに問い返すと、ファンエーマは「確かに偶然ではありますが」と前置きしてから手元に視線を落とした。
「ヘステス様曰く、この道具は島民達が島の迷宮の魔物から作るものなのだそうです」
「あれ」
つまり、この迷宮はやはりあの双子島のどちらかの迷宮ということになるのだろうか。
白い幽霊が出るから白島なのだと言われれば納得感もある。
「じゃあ、もっと探せば出口も見つかるのかな」
「出口、ですか?」
ぼそりと漏れた声にファンエーマが反応してきた。テレミアは肩をすくめてから、今の三人を覆う最大の問題を語ることにした。
「この迷宮なんだけど、出口っぽい洞窟がないんだよね。それで私たち外に出られなかったんだ」
「そのようなことが」
「うん。二日ずっと探して、まだ見つかってない。……あれ以外はね」
テレミアが指さした先には、今も変わらず水を噴き上げる大穴がある。
「さっき一回泳ぎ抜けてみようって試したんだけど、息が続きそうになくて諦めたんだ」
水の奔流に叩きつけられた恐怖を思い出しながら、テレミアはため息をついた。
ファンエーマが穴を通り抜けてきたことで、脱出経路があの先にあることだけは証明された。しかし、いくら経路があったところで辿れなければどうしようもない。
ファンエーマがやってきて状況を理解できたとは言え、結局のところ、問題は何一つとして解決してはいない───
「一つ、手立てがあるかもしれません」
ファンエーマが告げた。
「え?」
「ヘステス様がお使いになっていた、水の中で呼吸ができるようになる青龍魔導があります。主様はあらゆる魔導をお使いになれますから、こちらを、魚人に変身する魔導と同時に扱えばよいのです」
「そんなのがあるの!」
はい、とファンエーマは頷いた。
そんなうってつけの魔導があるというのか。
突如降って湧いた希望の光に、テレミアの心は浮き立った。ずっと心の隅でやさぐれているラズエイダも、流石に浮ついた感情を隠せていない。
「どうやったら使えるの? 見た目は? 詠唱は?」
高揚した気分のままに重ねた問いの三つ目が空気を揺らした瞬間、
「あっ」
ファンエーマの表情が曇った。
「……ねぇ、もしかしてだけど」
「詠唱を、覚えていません……」
消え入るような声が一瞬で期待を萎ませていった。
「ええぇー……」
「た、確か、鰓を授けてください、というような言葉であったように思うのですが……」
申し訳ありません、と縮こまって何度も繰り返すファンエーマに不満をぶつけるわけにもいかず、どうするかを考えていると、ラズエイダが別の切り口から解決策を思いついた。
「石になった人を元に戻す道具はあるのだろう。それでヘステスを起こせばいいのではないか?」
なるほど、とテレミアは思った。
ファンエーマが覚えていなくとも、魔導の生き字引がそこにいるのだ。
ひとまずヘステスにその「水の中で呼吸ができるようになる魔導」というのを実演して貰えさえすれば、後はどうとでもなる。
しかし。
「それは、止めておくべきかと」
意外にも、ファンエーマは主君の発案に対して難色を示した。
「何故だ?」
「もし主様が私達を抱えてあの穴を泳いで通り抜けようとしたとき、ヘステス様のお体では命に差し障ります。あの穴が繋がる先は激しい渦のただ中です。人と比べて身体の頑丈な私でさえ、水の勢いのあまりに不覚を取り、息を止めていられませんでした。生身のヘステス様に耐えられるとは……とても、思えません」
「……成程、難しいな」
自分が助かりたいがためにヘステスを捨て駒にすることなど、できるはずもない。
テレミアの決意を知るラズエイダは、即座に一度示した案を切り捨てた。
しかし、これではいよいよ手がなくなってしまう。
(水中呼吸の魔導を使えないか、手当たり次第に詠唱を試してみるだけ試してみよう。上手くいかなければ、別の手段を探す。どうだ)
いくら考えてみても、それ以外の道はなさそうだった。
(分かった。青龍魔導って言ったね。最初は「大海に御座す青龍よ」、かな)
(ああ。おそらくだが、「我が身に鰓を授け賜え」と続くのだろう。どうせ間に仰々しい飾り言葉が入るのだろうが、それはもう当てずっぽうで探すしかないな)
(仕方ないね、頑張ってみよっか)
二人はファンエーマに少し離れているように伝えた上で、鰓を身に宿すべく魔導の行使を試みることにした。
(魚人に変身する魔導の詠唱だと、鱗が”堅牢なる”で、尾鰭が”流麗なる”でしょ? 鰓は……なんだろ)
(”水中の肺たる鰓”はどうだ)
(……本気で考えてそれ?)
(おい、露骨に失望するな)
(もうそれでいいや)
(おい)
味わい深さなど微塵も感じられない言葉の選び方だったが、もとより雲を掴むような話なのだ。当てずっぽうの一回目としては案外ふさわしいのかもしれない。
そんなことを考えつつ、海の水を取り込んでは吐き出すような、魚にとっての肺となる鰓が自分の身体に生まれることを強く願う。
すると、驚くべきことに、
〈──〉
聞き慣れた音が頭の中に鳴り響いた。
(えっ?)
「『大海に御座す青龍よ、我が身に水中の肺たる鰓を授け賜え』」
戸惑いの中で、ラズエイダの発案通りに詠唱を唱える。
直後、二人の身体を何度か見た青い光が取り囲んだ。
(まさか)
両の肩から胸にかけて光が二本の線を描くように寄り集まり、じわりと熱を皮膚の上から食い込むように刻みつけていく。
目を見開く二人が見下ろす先で、やがて光は何の前触れもなく消え去った。
息を吸おう、としてみれば、パクパクと新たに生まれた切れ目が開いては閉じた。
(正解!?)
(ふん、僕の発想が優れていたということだ)
(嘘でしょ、こんな適当でいいの?)
(適当とは聞き捨てならないな、もっと功労者を敬ってみたらどうなんだ)
(……す、すごーい)
調子に乗るラズエイダに対して、テレミアは釈然としない気分で屈した。
どんな理屈をこねくり回そうと、今目の前にある結果が全てだ。
ラズエイダがファンエーマに笑いかけた。
「どうやら、外に出られそうだぞ」
「流石は主様でございます」
頭を垂れて賞賛を述べたファンエーマを連れ、意気揚々とラズエイダは歩き始めた。




