102. 石像
しかし、何も進展がないまま、再び日が暮れた。
やはり幽霊たちの他に動くものは見当たらず、外の世界に繋がっていそうな穴も見つけられない。
ただ一つを除いては。
(……僕達はこの中を通ってきた、とでも言うのか……?)
(まっさかぁ……)
ごうごうとうるさい水の柱をのぞき込みながら、二人はその奥にある大穴をじっと見つめた。
(しかし、この穴をおいて他に可能性のありそうなものはない)
(絶対に溺れると思うんだけど。そもそも私たち気絶してたんだよ? 目が覚める前に死んでるって)
(僕達が運び込まれた後、海に繋がった、ということではないか?)
(どうやってさ)
(知るわけがないだろう)
既に夜の足音も近く、泡立つ水にも阻まれて穴の奥はよく見えなかった。
(明日はあの中に入ってみないか)
(……賛成。他に見る物なんてもうないしね)
翌日の方針を決めた二人は、噴き出す水を後にした。
昨夜寝台にした塔は土台の部分が水に浚われて脆くなっていた。そのため、二人は新しく土の塔を建て、その上に舞い降りた。
(今にして思えば、青龍魔導を知れたのは本当に幸運だったな)
(ね、ほんと。あんな勢いの水でも普通に泳げそうだもん)
魚の鱗を身に纏い、水を切り裂く感覚を思い出す。
海の上で生きる上で、これ以上に有用な魔導はそう存在しない。
(そういや、どうしてヘステスはこんな使える魔導を出し惜しみしてたのかな)
(醜悪な見た目と、不快な変身の過程を嫌っていたのだろう? それに、昨日大渦に巻き込まれるまであの魔導が必要になるような局面に追い込まれたことはない)
(でも、教えておいて損することもなくない? ヘステスっぽく言うなら、そっちの方が「合理的」でしょ)
ラズエイダは少し考えてから、(やや話が変わるが)と切り出した。
(最近のヘステスは、どうも教え方が窮屈なんだ)
(へぇ?)
(以前と比べて、随分と回りくどい表現を使うことが増えた)
ラズエイダが浮かべたいくつもの記憶を覗いてみると、確かにヘステスは講義の中で何度も言いよどんだり、言葉を口にするのに異様なほどの怯えを見せている。
(それもこれも、全部あの「神罰」という発言が出てからだ)
(神罰、かぁ)
神が下す罰。
人の魂を救うために世界を創造した神々は、世界の秩序を守るため、世の理を乱す者に裁きの鉄槌を下す───というのが、テレミアの知る「神罰」だ。知る、というよりは、幼い頃に文字の練習として読まされた本の中に書いてあったというだけではあるが。
実際にその神罰とやらが下る場面をテレミアは知らない。テレミアよりずっと豊富な知識を持つラズエイダも、「逸話として伝わるような、太古の罪人の処刑がせいぜいだ」と言う。多少なりとも人の世の回り方を知った今では、単に子供を躾ける道具として使われているだけなのだと理解するようになっていた。
そんな子供騙しの「神罰」を、なぜヘステスは恐れているのか。
(明らかに、言うべき物事、言うべきではない物事を選んでいる。どんな意図があってのことかは見当も付かないが)
(なんで?)
(分からないんだ。直接訊いてみることもしたが、返事は鈍かった。僕が自分で考えなければならないらしい)
(……ラグーダと関係ないんだったら、別になんでも良いけどさ)
(少なくとも、悪しき企みという気配ではないな)
テレミアを安心させるように告げてから、ラズエイダは散らかってしまった話をまとめにかかった。
(ヘステスの頭にあるものは、僕達が簡単に推察できるほど単純ではなさそうだ。青龍魔導を教えようとしなかったのにも、何か理由があると思っていて良いだろう)
(そっか───)
どん。
(───!?)
鈍い振動が二人の座る土の塔を揺らした。
パラパラと土塊が割れ落ちていく。
(攻撃か!?)
(わかんない、飛ぶよ!)
〈──〉
「『風は私の友、その腕の中が私の居場所、その吹く行方が私の行き先』!」
急ぎ塔を離れ、何が起こったのかを遠くから確かめる。
塔の足下に、やけに細長い岩が流れ着いていた。
(水に流されてきただけか)
(───待って)
最初に気づいたのはテレミアだった。
(……何だこれは)
ラズエイダもテレミアにつられて、目に映るものが何であるかを理解した。
出せる限りの速さで岩に近づく。
(ヘステス……?)
そこには、かっと目を見開いたヘステスの姿を象った、恐ろしいまでに精巧な石像が転がっていた。
意味も分からず呆然としていると、視界の片隅を、細長い何かが固い物音を立てて転がっていった。
顔を向ける。
(───っ!)
テレミアは転がっていく岩を追いかけ、なりふり構わず手を伸ばした。
地面の起伏に跳ねた岩が青色の手を軽く弾き飛ばした。
必死の思いでもう一度距離を詰め、追い抜いて、今度は山の麓側で待ち受けようとする。
(待て、あれを生身で止めるのは無謀だ!)
叩きつけるようにテレミアを制止したラズエイダは、二人で維持していた風魔導の操作を切り捨てた。
矛盾する二つの想像に従えなくなった魔導が壊れ、二人は山肌に無様に墜落した。
ぺっ、と塩辛い水を吐き出しながら立ち上がる。
その時には既に、ラズエイダの中に新たな想像が形となっていた。
〈──〉
「『土よ集いて壁となれ』!」
二人の視界を埋めるようにせり上がった土の巨壁が水をせき止め、大きなため池をつくる。
ぼちゃんという大きな水音がした。
壁の反対に回り、探してみると、すぐにそれは見つかった。
オトの姿を象った石像だ。
(……とりあえず、持って行こう)
(……うん)
〈──〉
力の漲った身体で石像を持ち上げ、肩に担ぎ上げる。
間近でよく見てみれば、オトはヘステスと同じく目を見開いていた。両手を後ろに組み、胸を突き出すかのように身をよじってもいる。誰かに組み敷かれている様子、と表現するのが最もふさわしいだろうか。
(チェリに連れられて村を歩く途中に、お前が気を引かれた石像があっただろう)
(うん、あった)
(同じ技によって彫られたのだろうな)
(……なんでそれが、二人の見た目で、こんなとこに転がってるのさ)
(……)
ラズエイダの答えはなかった。
それから、二人は黙々と石像を運び、土魔導で盛り上げた地面の上に濡れないよう静置した。
隣にヘステスの像も並べる。
どちらも、完璧な造形の裸像だった。
感情が籠もっているようにしか見えない顔や、生気すら感じる身体の作りだけではない。手や指に入った細かい線、そして毛の一本一本に至るまでが一つの石に彫り込まれている。
表面に絵の具で色を塗れば、きっとそこに二人がいると錯覚してしまうだろう。
(……なに、なんなの、これ……っ)
二つの石像は、恐怖と呼べる感情が全身から迸るかのように作られていた。見れば見るほど不気味で恐ろしい石像たちは、二人が理解の及ばない怪奇現象のただ中に閉じ込められていることを、この上なく強烈に思い知らせてくる。
テレミアが狼狽しているのを案じて、ラズエイダが石像から無理矢理視線を引き剥がした。
(……山の上にこうした石像が立っていたような記憶は無い。あの海水が噴き出る穴から飛び出してきたということだろう)
ラズエイダの静かな感情が、うるさい心臓の音を僅かに遠ざける。
(やはり、穴の奥に何かがあるんだ。見に行かねばならない)
(……うん)




