101. 二人孤独
やがて落ち着いた二人は、現状の整理に移ることにした。
どうやら二人は、ほとんど同じ頃合いに、この名も知れない迷宮の中で突然目を覚ましたようだった。
ラズエイダにもテレミアにも、チェリの家の中で紫色の光を見たという最後の記憶以外に、今の状況に関連しそうな記憶は残っていない。
何かの魔導である紫色の光により意識を刈り取られ、眠っている内に迷宮の中に運び込まれたのだろう───という説明が今のところ二人の中で支持されている。
目を覚ました迷宮に広がる風景は、二人が初めて見る種類のものだった。
創世の神々が手ずから生み出した場所である迷宮は、人が生きる世界とは異なる理によって成り立っている。迷宮の入り口である洞窟をくぐった先に広がる景色は、迷宮によってまちまちだ。ただの草原や森であることもあるし、どこまでも広がる灼熱の砂地や火を噴く巨山、氷に閉ざされた大地など、およそ人の想像し得ない極限環境であることもある。
ここは、頂上が遠くに霞むほど大きな山の中腹付近を濁った水の流れが覆うという、一風変わった迷宮であるらしかった。生き残るのが難しいというほどではないにせよ、ただの森などに比べれば長い時間を過ごすのには向いていないだろう。
出現する魔物は、白く半透明で、藪や岩を何も無いかのように通り抜ける幽霊だ。二人の持つ剣によって簡単に切り払えるものの、物音を一切立てずに動くために気配の察知は難しいだろうと思われた。
(とりあえず、この場所が双子島のどちらかの迷宮であるのだと仮定しよう。これからの僕達の方針はひとまず「四人を捜し出す」という感じでいいだろうか?)
(そうだね。みんなも私たちみたいに裸に剝かれてたら武器なんて持ってないだろうし、早く助けに行ってあげないと)
(よし)
話をまとめ、いざどこに向かうかを考えようとしたときだった。
二人の視界に、奇妙なものが飛び込んできた。
鈍く輝く鱗の集まりが、きらきらと乱雑に日の光を跳ね返している。
(……魚?)
(魚だな)
山のただ中を、本来海の中にいるような大きな魚が泳いでいる。
……泳いでいるというよりも、のたうち回っている、と言う方が正しいだろうか。
傾斜の着いた地面を流れる水は足のくるぶしくらいの深さしかなく、この大きな魚にとっては息をするのも難しいはずだった。
(……少しいいか)
ラズエイダが望むまま、二人は身をかがめて足下を流れる泥水を手に掬った。
そっと舌をつける。
紛うことなき潮の味がした。
(山の中なのに、海の水? なんで?)
(……水源を探してみないか?)
ラズエイダが切り出した。
(海水の下で草が萎れているのが見えるだろう。塩水に晒された状態で育つ植物など存在しない。この水の流れはつい最近生まれて、元々生えていた草を覆ったということになるはずだ)
説明を理解していく内に、テレミアの中でラズエイダの考えが形を成した。
(……ついさっき私たちがここで目を覚ましたのとなにか関係があるかも、ってことか)
(特段の根拠はないが、な。あてもなく探し回るよりはずっとましだろう)
(わかった)
〈──〉
「『風は私の友、その腕の中が私の居場所、その吹く行方が私の行き先』」
風を纏い、青い身体は空へと浮かび上がる。
少し視界が開け、それであっさりと二人は目的地を把握した。
山の上の方に水の柱が巨木のように噴き上がって傘を開いているのが見えた。
空高くへと水が舞うからだろう、風の中に潮の味と匂いを濃く感じられる。
目に染みる塩を少し鬱陶しく思いながら進むうちに、噴水の根元が見えるようになった。
海水は山の中腹に開いた大きな穴から噴き出していた。
勢いよく溢れる水の勢いに剥がされたのだろう、穴の周りには植物はおろか、土のひとかけらも残っていない。穴から少し離れた場所では、今にも根っこから洗われてしまいそうな低木が濁流の中をゆらゆらと揺れている。
空を舞う二人の目前にまで高く魚が打ち上げられ、地に引き戻されていった。
考えるまでもなく、あの穴の奥から飛び出してきたのだろう。
(どこかの海と直接繋がっているとでもいうのか? こんな山なのに?)
(迷宮を創るときに、神様が間違えた……とか?)
(……創世の神々は間抜けな間違いをしでかすような存在ではない……と思うのだがなぁ)
人為から外れた光景をいくら眺めてみても、何がどうなっているのか、自分たちがこの迷宮に置き去りにされたこととどう関係するのか、二人にはまるで分かりはしなかった。
それから二人は水の柱を目印として迷宮の中を飛び回り、目の届く限りの場所を探して回った。
しかし、何も成果を得られないままに時間だけが過ぎていった。
魚や海藻のほかに唯一見つかったのは壊れた船の残骸と思しき木板くらいで、それも迷宮の境界を示す透明な幕の外にあったため、二人には触ることすら叶わなかった。
四人の姿は一向に見当たらず、不安ばかりが募っていく。
その上、別の問題も浮かび上がっていた。
この迷宮には、出入り口がない。
日が暮れるまで迷宮中を飛び回ったというのに、二人は一つもそれらしい洞窟を見つけられていなかった。
出入り口のない迷宮など有り得ないはずだった。人に魔物を倒させ、また人に資源を持ち帰らせることこそ、神々の作った迷宮の存在理由なのだ。人の出入りのできない迷宮など、この世に存在する意味はない。
二人を迷宮に置き去りにした何者かが洞窟を埋めてしまったのか、あるいは単純に洞窟を見つけられていないのか。
どちらにしても、この迷宮を脱出するのにはかなりの時間がかかりそうだった。
二人は土魔導を駆使して高い塔をつくり、その上で夜を明かすことにした。
幽霊たちは空高くまで舞い上がることはできないようで、高所に陣取れば安心して夜を過ごせる。
塔の上に降り立ち、多少の重さでは崩れないことをしっかりと確かめてから、二人は腰を落ち着けた。
(……僕達は、どんな企みに巻き込まれたのだろう)
ぽつり、とラズエイダが思念を浮かべた。
(……さあ)
テレミアはぼんやりと返した。
考えても答えを出せる気がしなかった。
(考えるだけ無駄、か。その通りかもな)
(そもそも気を失う前から、大いなる海、とか、ケカシェ、とか、よくわかんないことばっかだったし)
テレミアは渦に飲まれてから見聞きした色々なものを思い出しつつ、改めてその得体の知れない不気味さに身を震わせた。
(……みんなが無事だといいんだけど)
(ああ。……何もわからないというのは、もどかしい物だな)
土の地面に寝転がれば、空には外の世界で見るのと変わりない、満天の星空が広がっていた。
孤独の中で眺める星空は、ただ心細さだけを強調して二人を包んだ。
しばらく静かにしていると、どうやら眠気らしい感覚が頭にもやをかけ始めた。
(そういえば、この身体のままで寝るのは、初めてだったか?)
心なしか、頭の中に響くラズエイダの言葉もとろんとうつろげだ。
(そうだね)
(夢を見るとしたら、僕達二人で、一つの夢を見るのだろうか?)
こんな時にも思索を巡らせるのをやめない辺りが、とてもラズエイダらしい。
(同じ夢、かぁ。あり得そう)
(苦境の中だが、新たな知見を得られるのは、良いことだな)
(もし夢に出てきたら、お願いだからうるさくしないでね)
(お互い様だ)
それからほどなくして、二人の意識は闇に沈んでいった。
幸か不幸か、夢を見ることなく二人は目を覚ました。
(あ……)
(……れ?)
意識がはっきりしていなかったせいだろうか、寝起きのまどろみの中、テレミアとラズエイダは互いの心を区別できなかった。
二人は自我を混じり合わせたまま、テレミアがよくやるようにうんと背筋を伸ばし、次いでラズエイダが毎朝するように手を広げ、ファンエーマが服を着せてくれるのを待った。
いつまで経っても、背中に彼女の手が届くことはない。
やがて、違和感の中から”テレミア”が浮かび上がった。
(……えっと?)
(……ん?)
次いで、”ラズエイダ”も形を取り戻したらしい。
テレミアは自分が両手を広げてエマを待っていることに気づいた。
(ああ、そういえばあんたって一人じゃ着替えもできないんだっけ)
言葉を伝えきらないうちに、ぱっ、と手が下ろされた。
(……別に、自分で服が着れない訳ではないぞ。エマが世話をしたがるだけだ)
言い訳を生み出すラズエイダの心は、恥ずかしさに染まっている。
(分かってるけどさ。あんたも恥ずかしいとは思ってたんだね)
(最初の頃は、モムルやヘステスに笑われたものだ。止めさせようかと思ったこともある)
持ち物がなにもない今、着ている黒い布地を着替えることはできない。食べるものもないから、朝の身支度はただ起き上がってそれで終いだ。幸い、腹が減っているような感覚はなかった。魔物はものを食わないとはよく知られた事実だが、おそらく似たような理屈で今の二人にも食事の必要はないのだろう。
土の塔の上で日差しを感じつつ、二人は空へと舞い上がった。
風を操る片手間に、テレミアはラズエイダに語りかけた。
(ま、好きにしたら良いと思うよ。結局止めさせない理由も、なんとなく分かるし。ファンエーマを安心させたいんでしょ?)
(……それ以上は僕の心に踏み入らないでくれると助かるな)
(はいはい)
相変わらず流れ続ける濁流を眼下に、二人は昨日見つからなかったものを探し始めた。




