ペアリング
次に俺たちが向かったのは、雑貨が立ち並ぶエリアだった。色とりどりの小物が並ぶ店内で、七海は食器やインテリアを興味深そうに眺めている。その楽しそうな背中を眺めながら、俺はふと目に留まったマグカップのコーナーへ足を運んだ。
「七海、これどうだ?」
手に取ったのは、シンプルで落ち着いた色合いのペアマグカップだ。俺の声に、七海がパッと顔を輝かせて駆け寄ってくる。
「わあ、いい感じ! 悠くん、センスいいじゃん!」
彼女が嬉しそうに微笑んだ、その時だった。七海の視線が、棚の隅にあるアクセサリーコーナーへと釘付けになった。そこには、ささやかながらも可愛らしいデザインのペアリングが並んでいる。
「……かわいい」
ポツリと漏れた言葉に、俺は彼女の横顔を見つめた。
「気に入ったのか?」
「え? あ……ううん、大丈夫。……だって、これから本命のジュエリーショップを見に行くんでしょ?」
七海は慌てて視線を逸らし、自分を納得させるように首を振った。
「誕生日はまだ先だろ? それに、プロポーズの時の指輪は、ペアリングじゃないから」
「……ちょっと気になっただけだから」
七海が顔を真っ赤にして口ごもる。俺はそんな彼女の様子に小さく笑みを浮かべ、迷わずそのペアリングを手に取った。
「じゃあ、俺が今、単純にほしいから買おうかな。……七海、つけたかったらつけてくれ。もし恥ずかしかったら、いらなくてもいいから」
俺がそう言うと、七海は驚いたように目を見開き、そして泣き出しそうなほど切なそうな顔で俺の袖を掴んだ。
「……ずるいよ、悠くん。そんな風に言われたら、つけるに決まってるじゃん……」
彼女の潤んだ瞳に、抗いがたい愛しさを感じる。俺たちはそのまま雑貨屋をもう少しだけ回った後、レジへと向かう途中、ふと七海が立ち止まる。
「……悠くん」
「ん? どうした?」
「あの……ちょっと、お手洗いに……」
「ああ、おっけー。じゃあその間に俺がこれ、会計済ませておくよ。少しレジが並んでて時間がかかるかもしれないから終わったら、店の入り口付近で待っててくれないか?」
「ありがとう。……じゃあ、すぐ行ってくるね」
七海は小さく手を振り、人混みの中へと消えていった。
俺はペアリングとマグカップを手にレジの列へ並んだ。会計を済ませ、少し足早に店の入り口へと向かう。待ち合わせの場所には七海がいるはずだ。
しかし、入り口付近に近付いた俺の足は、自然と止まった。
七海の姿は見えた。けれど、彼女の周囲には、場違いなほど軽薄な雰囲気の男二人組がまとわりついている。
「ねえ、一人? この後、俺たちと遊びに行かない?」
「いいじゃん、可愛いんだからさ。ちょっと顔見せてよ」
七海は困り果てたように眉を下げ、何度も後ずさりしている。
「俺の彼女に何かようですか?」
俺の声は自分でも驚くほど低く、冷え切っていた。
男二人は俺の言葉に一瞬だけ目を丸くしたが、すぐにニヤニヤとした卑俗な笑みを浮かべ、俺を品定めするように頭から足先まで眺め回した。
「へえ、彼氏?釣り合ってないね」
片方の男がそう吐き捨てると、もう一人が肩をすくめて嘲笑った。
「そうだな。お前みたいな地味な野郎より、俺らみたいに刺激的な方がこの子も喜ぶだろ? なあ、お嬢ちゃん」
男の一人があからさまに七海の肩へ手を伸ばそうとした瞬間、俺は迷わず彼女の前に立ちふさがった。力任せに男の腕を払い退け、低く言い放つ。
「触るな」
「……あ? なんだよその態度。王子様気取りかよ、鼻につく野郎だな」
男は苛立たしげに吐き捨てると、さらに距離を詰めてきた。
「めんどくせえな。とっとと退けよ」
そう言って男が俺の胸ぐらを強引に掴み上げる。周囲の買い物客が悲鳴を上げて道を開けた。男は俺の顔を覗き込み、ニヤリと下卑た笑みを浮かべる。
「痛い目見たくなかったらどっか行けよ。俺たちで、その可愛い彼女を美味しくいただくからさぁ」
その言葉を耳にした瞬間、俺の中で張り詰めていた理性の糸が、音を立てて断ち切れた。代わりにドロリとした静かな怒りが全身を支配する。
俺は男の瞳を真っ直ぐに見据え、努めて落ち着いた声で告げた。
「……先に手を出したのは、そっちですからね」
「は? 舐めてんの?」
逆上した男が俺を突き飛ばし、そのまま拳を振り上げて殴りかかってきた。だが、今の俺にはその動きがひどく間延びして見えた。
俺は男が繰り出した拳の勢いを利用し、踏み込んで懐へ入り込むと、そのまま背後を取って男の腕を捻り上げる。テコの原理で男の体を完全に制圧し、地面に引き倒した。
「いででででっ!! ……ぐっ、離せよこの野郎!!」
「これくらいで何を叫んでいるんですか?」
悠の声は驚くほど氷のように冷たかった。だが、その瞳の奥には、燃えるような怒りが渦巻いている。地面に伏せられ、抵抗できない男の背中を、俺は容赦なく押さえつけた。
「ぐはぁぁぁ、、っ!」
俺は残されたもう一人の男へと視線を移す。そちらの男は、俺の冷酷な手際を見て顔面を蒼白にし、恐怖でその場に立ちすくんでいた。
「そちらのあなた、どうしますか? あなたも参加される場合は、一度このお仲間さん意識を落とす必要があるのですが……?」
「ひっ……!」
男は恐怖に震え、一歩ずつ後ずさる。
「ご理解いただけたようですね。……なら、とっととこれを連れて、視界から消えてください」
俺がそう言い捨てて男の腕を突き放すと、二人は顔を見合わせることもせず、転がるようにして雑踏の中へと逃げ出していった。
静寂が戻る。俺は荒くなった呼吸を整え、七海の方を向いた。
彼女は口元を手で覆い、信じられないものを見るような瞳で俺を見つめていた。俺は気まずさを感じて少しだけ視線を逸らしたが、七海は真っ直ぐに近づいてくると、俺の胸にそっと額を押し当てた。
「……ありがとう、悠くん。……私を守ってくれて」
「……ごめん。怖い思いをさせて。こんな荒っぽいところ、見せたくなかったのに」
俺は気まずさを隠すように頭を掻いた。さっきまでの冷徹な自分とは打って変わって、今の俺は、彼女に引かれてしまったのではないかと不安でたまらなかった。
しかし、七海はそんな俺の不安を打ち消すように、胸に押し当てていた額を上げ、真っ直ぐに俺の瞳を見つめた。
「……大丈夫。悠くんが守ってくれたから。変じゃないよ。それに……」
彼女の表情は、先ほどまでの怯えが嘘のように消え失せ、代わりに驚くほど凛とした、怒りを宿した瞳に変わっていた。
「……悠くんを侮辱したのが、どうしても許せなかったの」
「え?」
「あの人たち、悠くんのこと『地味』だとか『釣り合ってない』だとか……っ。あいつらが悠くんの何を知ってるのよ」
七海は悔しそうに唇を噛み締めると、信じられないことを口にした。
「悠くんが怒ってなかったら、私……あの人たちの急所に思いっきり蹴りを入れて、二度とそんな口がきけないように、子孫なんて残せない体にしてやるところだったんだから!」
七海の言葉には一切の迷いもなく、瞳の奥には静かな狂気にも似た情熱が宿っていた。
普段の可愛らしい小悪魔的な七海からは想像もつかない怒り。今の彼女なら本当に実行しかねない……そう確信した瞬間、俺の急所がヒュンッと縮み上がった。
「……そ、そうだったのか」
「そうだよ。……悠くんは優しいから手加減してたけど、私は手加減するつもりなんてなかったんだから」
彼女は真剣な眼差しで言い切ると、ふっと表情を和らげ、いつもの小悪魔的な微笑みを浮かべた。
「……もう、離さないから」
「……うん、ありがとう!」
俺は彼女の強さに圧倒されつつも、胸の奥が熱くなるのを感じた。俺の心配なんて吹き飛ぶほど、彼女は俺という存在を何よりも大切に思ってくれている。
「じゃあ、右手出して」
俺がそう言うと、七海は少し不思議そうな顔をして、きょとんとした。
「え? 右手?」
「左手は……今度ね。とりあえず今日は、こっち」
俺はさっきのペアリングを取り出すと、七海の華奢な右手をそっと取った。
「右手の薬指には『信頼』とか『恋人』っていう意味があるんだよ。……あとは……『婚約中』……」
少し照れくさいけれど、七海にはこれくらい真っ直ぐ伝えたかった。
俺が丁寧に、彼女の指先へリングを通す。七海の指は驚くほど細くて、少しだけ震えていた。指輪がスッと収まった瞬間、彼女は頬を上気させながら、とろけるような笑顔を浮かべた。
「……うん、すごく似合ってる」
「ありがとう……」
真っ赤な顔で視線を逸らそうとする七海。でも、彼女はすぐに俺の手をギュッと握りかえすと、今度は俺の顔をじっと見つめて言った。
「ありがとう。……じゃあ、今度は悠くん! 右手出して!」
俺が促されるまま右手を差し出すと、七海は俺の指を丁寧に持ち上げ、自分とお揃いのリングを慎重にはめてくれた。
二人の右手の薬指で、同じシルバーのリングがキラリと光る。
「……これで、本当にお揃いだね」
七海は俺の右手と自分の手を重ね合わせ、幸せを噛みしめるように俺の瞳を見つめた。
俺は少しだけ照れながら、強がるように言い放つ。
「七海は、俺のだからな」
その言葉に、彼女は顔を真っ赤にしながらも、たまらなくなったのか俺の胸に勢いよく飛び込んできた。
「……悠くんも、私のだからね! 」
人通りの多い道の真ん中で、そんなことを言い合って赤くなっている俺たちは、周囲から見ればきっとただの浮かれたカップルだろう。
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