パンケーキ
パンケーキ屋の席に着くと、テーブルに届いた二つのメニューを前に、七海はまた迷い始めていた。
「んー、どうしよう……。ストロベリーのクリームたっぷりか、濃厚チョコのやつか……。どっちも食べたいのに、選べないよ」
「じゃあ、両方頼んで半分こにするか? そうすれば両方楽しめるだろ」
俺の提案に、七海は少しだけ驚いたように目を見開いた。
「いいの? 悠くん、食べたいやつとかない?」
俺は苦笑しながら、メニューを見つめる彼女の頭を軽くポンと撫でた。
「大丈夫だよ。美味しいものを食べて七海が笑顔になるのを見ている方が、何倍も満たされるから」
「……っ!」
意図せず口をついて出た直球の言葉に、七海は驚いたように息を呑む。それまで器用に俺を転がしていた彼女が、今度は完全に言葉を詰まらせ、真っ赤な顔で視線を彷徨わせた。
「……もう、そういうこと平気で言うの、ずるいよ……」
「さっきのお返し」
俺がそう返すと、彼女は抗議するように唇を尖らせたけれど、その目元は隠しきれない幸福感でとろけそうに細められていた。
やがて運ばれてきた二つの皿。七海はフォークを手に取ると、ストロベリーの一切れを切り分け、こちらへ向けてきた。
「はい、悠くん。……あーん!」
七海は真っ直ぐな瞳で俺を見つめ、少し強引に口元へフォークを運んでくる。その積極的な態度に、逆に今度は俺の方が面食らってしまった。
「……っ!? ち、ちょっと、ここお店だよ……?」
周囲の視線を気にしつつ、俺は思わずのけ反る。しかし七海はそんな俺の動揺を面白がっているのか、唇を尖らせてフォークをさらに押し付けてくる。
「いいから、あーん! ……悠くんが食べさせてほしいって顔してるもん」
そんな顔はしていない、と反論しようとしたが、七海の自信満々な小悪魔の微笑みに阻まれる。結局、俺は降参するように口を開けるしかなかった。
「……っ、ん」
口の中にパンケーキを運ばれた瞬間、彼女の瞳がキラリと楽しげに輝く。俺が恥ずかしさで俯き、噛み締めるように食べていると、七海は満足そうに「ふふっ」と笑って、今度は自分の口へとフォークを運んだ。
「あはは、悠くんってば、耳まで真っ赤。……可愛い!」
「……もう、笑うなよ」
「だって、そんなに顔に出るんだもん。……ねえ」
そう言って、七海は悪戯っぽく唇を少しだけ開くと、俺をじっと見つめてきた。その瞳には「早くしてよ」と言わんばかりの期待が宿っている。
「え……?」
俺が間の抜けた声を出すと、七海はわざとらしく溜息をついた。
「『え?』じゃないよ。 ……ほら!」
自分の唇を軽く指で叩いて催促してくる。どうやら、今度は俺が彼女に食べさせる番――それも、さっき俺がされた以上に「あーん」を強要されているらしい。
「……っ、マジか?」
「マジだよ。 ……早くしないと、私、怒っちゃうぞ?」
そう言って彼女はさらに距離を詰めてくる。
「あぁ……わかったって」
俺は観念して、チョコのパンケーキを一切れフォークに刺した。
手が震える。さっき彼女がやってくれた時よりも、何倍も緊張する。俺がフォークを震わせながら彼女の口元へ近づけると、七海は満足そうに口を大きく開けた。
「ん……」
彼女がパンケーキを口に含み、ゆっくりと咀嚼する。その間、七海は俺から決して視線を逸らさなかった。食べ終えて、唇に少しだけついたクリームを舌先でペロリと拭う仕草は艶っぽくて見ていられない。
「……おいしい。悠くんが食べさせてくれると、余計においしいね」
七海はクスクスと笑いながら、俺の手を握り、自分の頬にそっと添えた。触れたその場所は、俺の顔に負けないくらい真っ赤に火照っていて、彼女が内側に秘めている熱量を物語っていた。
「……悠くんだけじゃないよ。……私だって、すっごく恥ずかしいの」
潤んだ瞳で見つめられ、俺は思わず喉を鳴らす。
「……今日は、やけに積極的だな」
普段はたまに小悪魔のように弄ばれるはあったが、今日の彼女かなり積極的だった。すると七海は、少しだけ悪戯っぽく、けれど真っ直ぐな声音で言った。
「だって……少し意識しちゃって」
父さんも母さんも月曜まで帰ってこない。家に帰れば、夜まで……いや、明日も明後日も、ずっと二人きりだ。
「……そっか。そうだよな」
「うん」
七海は俺の手を握る力を少しだけ強めた。
「私だってたくさん悠くんのこと愛してるし……悠くんが一生懸命我慢してるのも知ってる。そ。それに、私も、我慢してるから」
彼女は少し照れくさそうに視線を泳がせたけれど、すぐに強い意志を宿した瞳で俺を射抜いた。
「気持ちは、ちゃんと言葉にして伝え合うって。……一緒に決めたでしょ?」
その健気で力強い告白に、胸の奥がぎゅっと締め付けられる。
「……ありがとう」
「……こちらこそ。……ありがとう、悠くん」
二人で視線を交わし、少しだけ照れ笑いをこぼす。高揚していた鼓動が、今は心地よい充足感へと変わっていく。
ただ、さっきまでの彼女のあまりに大胆な振る舞いが頭をよぎり、俺はつい意地悪な質問を口にした。
「……なぁ七海。お前、意外とえっち……なのか?」
少し驚いたように目を瞬かせた七海だったが、次の瞬間、コクリと小さく頷いた。
「……うーん、自分では人並みだと思ってたんだけど……どうやら悠くん限定では、そうじゃないみたいだね」
「……っ、そ、そうか」
そんなにはっきり、しかもこれほど可愛らしく言われるとは予想していなかった。顔から火が出るような俺の反応を見て、七海は満足そうに、けれど少しだけ悪戯っぽく微笑んだ。
「驚いた? ……でも、誕生日までお預けだからね!」
彼女のその言葉に、俺はもう降参するしかなかった。
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