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美少女が家族になった話  作者:


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4/21

変わる距離感

翌朝、キッチンには昨日よりも少しだけ柔らかな空気が流れていた。

七海は相変わらず制服を隙なく着こなしているが、俺の姿を見ると、ほんの一瞬だけ表情を和らげたように見えた。


「……おはよう」


俺が短く声をかけると、彼女は一瞬だけ戸惑い、それから小さく頷いた。

「おはよう」

言葉の端にまだ残る硬さは、昨夜の「敬語を外す」という約束に対する照れ隠しだろうか。


食後、七海は病院へ持っていく大きな荷物を抱えようとしていた。入院生活に必要な衣類や日用品が詰め込まれているのか、かなりの重量があるようだ。彼女は小柄な身体をわずかに傾け、それを持ち上げようと足を踏ん張る。


「貸せよ」


俺がそう言って荷物に手を伸ばすと、七海は驚いて顔を上げた。


「……大丈夫、です。自分で持てるから」

「そう言わずに。見てるこっちが不安になる重さだろ」


半ば強引に荷物を取り上げると、ずっしりとした手応えが腕に伝わった。彼女はしばらく躊躇していたが、俺がすでに歩き出しているのを見て、慌てて追いかけてきた。






病院までの道中、七海が歩きながら、何度か視線を俺の横顔に向けていることに気づいた。何かを言おうとしては唇を噛み、思い直して前を向く。そんな動作を繰り返している。

彼女の中で、昨日までの「完璧な娘」と、少しずつ崩れ始めた自分の間で、必死に言葉を探しているんだろう。


(……そんなに気負わなくていいのに)


彼女の視線が向けられるたびに、肩に力が入り、足取りがぎこちなくなっているのが見て取れる。俺と歩くこの時間でさえ、彼女にとっては一つの「役割」を果たさなければならない場になってしまっている。

俺は前を向いたまま、ぽつりとこぼした。


「……何か話さないと、とか思わなくていいよ」


彼女がわずかに息を呑む気配がした。


「今はまだ、この環境に慣れるだけで精一杯だろう。俺のほうこそ、就活が終わったばかりでぼーっとしてるし。……だから、家の中みたいに気を張らなくていい。少しはリラックスしてくれ」


七海は驚いたように俺を見上げたが、すぐに視線を逸らした。

その顔は少しだけ赤くなっているように見える。


(話さなきゃという強迫観念で、逆に自分を追い詰めてるんだ)


彼女の中で、言葉が「相手を安心させるための奉仕」から、ようやく「ただのコミュニケーション」へと変わるまでの助走期間だ。この期間を無理に急がせても意味はない。


「……リラックス、か」


彼女が小さな声で繰り返す。

その声に、ほんのわずかだが肩の力が抜けるのを感じた。


「そう。だから無理に話そうとしなくていいよ」


それ以上、俺は彼女を振り返らずに歩き続けた。

背後で、彼女の歩調がほんの少しだけ緩んだ気がした。

チラチラと向けられていた視線が消え、彼女もまた、俺の背中を見つめながら静かに前を向いて歩いている。


会話という橋を強引に架けるんじゃなく、ただ同じ道のりを共有する。

今はそれでいい。七海がこの居心地の悪さに少しずつ慣れて、やがてその緊張の糸が、自然と解けていくのを待てばいい。





病院の長い廊下を歩く足音が、やけに響く。

病室の前に着くと、七海は立ち止まり、深く息を吐いた。ここから先は彼女にとっての「戦場」だ。俺はその気配を背中に感じながら、彼女のすぐ後ろで足を止める。


「……じゃあ、俺はここで待ってる」


七海が振り返り、わずかに迷うような瞳で俺を見た。

「あの……加藤さんは、中で少し休まない?」


遠慮がちな提案だった。佐伯さんに俺を見せることで、彼女自身の「完璧な娘」としての役割が少しだけ軽くなる、あるいは父を安心させられるという打算かもしれない。でも、その瞳の奥には純粋に、独りでこの扉を開けることへの不安が滲んでいる。


「いや、いいよ。佐伯さんも、二人でゆっくり話したいだろ」


俺はあえて笑みを浮かべて断った。

彼女が扉を開けるのを待たず、少し離れた場所にあるベンチへ座る。彼女の背中が、重い扉の向こうへと消えていくのを見届けた。


(……これで、彼女はまた仮面を被るんだ)


閉ざされた扉を見つめながら、手持ち無沙汰にスマートフォンを眺める。

もし俺が中にいたら、七海は俺の前で演技をしなければならないし、佐伯さんの前でも気を使わなければならない。それは彼女にとって二重の苦痛だ。今は彼女が、自分の父親と一対一で向き合える時間であるべきだった。


十分、二十分。

廊下を通り過ぎる看護師たちの足音や、遠くから聞こえる機械のアラーム音。病院特有の無機質な時間が流れていく。


(……何を話してるんだろうな)


ふと、自分の無力さを感じた。

こうして扉の向こうで彼女が苦しんでいる間、俺はただ廊下で待つことしかできない。父親が死に向かっているという現実に直面し、それでも笑顔を絶やさない娘。そんな光景を想像するだけで、胃のあたりが重くなる。


三十分ほど経った頃だろうか。

不意に、病室のドアが静かに開いた。


中から出てきた七海は、少しだけ頬を紅潮させていた。泣いた跡はない。ただ、先ほどまで彼女の肩を覆っていた重苦しい緊張感が、わずかに形を変えているように見えた。


「……終わった?」


立ち上がった俺を見て、七海は小さく頷いた。

「うん。……少し、眠るみたい」


「そっか」


「……待たせて、ごめん」


そう言った彼女の声は、昨夜よりも少しだけ人間味を帯びていた気がする。俺はそれ以上、何かを尋ねることはしなかった。ただ、彼女の横に並び、帰りのエレベーターへと向かう。


ボタンを押し、閉まる扉の中で、俺たちはまた沈黙に包まれた。

今度は昨日のような、張り詰めたものではない。ほんの少しだけ、お互いの存在を許容し合っているような、そんな静寂。


(……少しずつ、か)


エレベーターが下降する振動を感じながら、俺は心の中で小さく息を吐いた。

帰りの道中、彼女の足取りは、行きよりも幾分か軽やかに見えた。そんな小さな変化を、俺はただ静かに噛み締めていた。

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