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美少女が家族になった話  作者:


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3/17

心の壁


病室を出てからの数日は、あっという間に過ぎた。

大学四年生の俺は就職活動を終え、今は社会に出る前の短い猶予期間のような日々を送っている。一方、七海は高校に通いながら、部活と毎日の病院通いをこなしている。彼女の生活は想像以上に過酷だった。少しでも負担を減らすため、相談した結果、早いうちから俺たちが同居を始めることになった。


今日が、その初日だ。


夕食の食卓には、母が気を使って用意した料理が並んでいる。けれど、俺と七海の間に会話はない。彼女は箸を動かしてはいるが、一口食べては視線を彷徨わせ、また一口……と、食事そのものが儀式のように淡々と進んでいく。


俺は黙々と箸を動かしながら、隣に座る彼女の横顔を視界の端で捉えていた。


(何を考えているんだろう。……俺がここにいることで、余計に気を遣わせているのかもしれない。でも、何か言葉をかけようにも、薄っぺらな慰めにしかならない気がして、どうしても言葉が出てこない)


「……何か、苦手なものはある?」


母が短く尋ねると、彼女は小さく首を横に振った。


「いえ、大丈夫です。美味しいです」


完璧な敬語。それが今の彼女の鎧なのだろう。食卓の空気が重く沈んでいく。俺はそれ以上、何も言えなかった。ただ、彼女が食事に集中することで、何かと向き合うことから逃げようとしているように見えて、胸の奥が微かに痛む。


食後、俺は七海を部屋まで案内した。荷物はすでに運び込まれている。

部屋の扉を閉めると、彼女は立ち尽くしたまま、自分の荷物が収められた空間をどこか他人事のように眺めていた。


「……何か必要なものがあったら、母さんか俺に言ってくれ」


俺がそう告げると、彼女はようやく俺の方を向いた。


「ありがとうございます。……あの、加藤さん」


「……何?」



「……迷惑をかけてしまい、すみません」


彼女はそう言いながら、深く頭を下げた。


「……迷惑なんて思ってないよ」


俺は努めて穏やかな声で返したが、彼女の瞳からは不安の色が消えない。

彼女の中で、俺や母さんは「父の願いを叶えるための協力者」であり、自分は「厄介者」という構図が強固に出来上がってしまっている。


「私、うまくできるか分かりません。ここでの生活に馴染む努力はしますし、加藤さんにもご迷惑をかけないようにします。……それでも、ここでお世話になる以上、精一杯努めますので」


その言葉の響きは、どこか自分自身を律しようとする痛々しい響きがあった。

「努める」という言葉の裏側で、彼女は一体どれほどの感情を押し殺しているんだろう。

父親の亡き後も「完璧な娘」であり続けることが、彼女にとって唯一の生存戦略なのだとしたら、そんなのあまりに悲しすぎる。


(……精一杯努める、か。佐伯さんは、娘が『努力してまで』他人の家で自分を殺す姿なんて望んでいない)


俺は彼女の肩越しに、窓の外の夜空を見た。

今夜は月が見えない。真っ暗な夜だ。


「……なあ、七海さん」


俺が呼びかけると、彼女は少しだけ身体を硬くした。

「はい」と短く返事をするその背中が、逃げ場のない小動物のように見える。


「……これから、ずっとこうするつもりか?」


「こう……とは?」


「これからも周りに気を遣って、自分を殺してるつもりなのかってこと」


彼女はゆっくりと振り向いた。その表情には、問いかけに対する理解と、それ以上に深い戸惑いが混ざっている。


「加藤さんには、そう見えるのですか?」


「見えるっていうか……そうやって息を止めて生活してたら、いつか本当に息ができなくなるだろ」


俺は彼女から視線を外さずに続けた。


「俺たちは、君に『良い子』なんて求めてない。ただ……隣で普通に呼吸してる人間が一人増えた。それだけなんだ」


七海は呆然とした顔で俺を見ていた。

彼女の中にある「加藤家との約束」という概念が、少しだけ書き換えられたような、そんな表情。


「……普通に」


「そう。だからさ、明日からは敬語もやめていい。そんな堅苦しい言葉使ってたら、こっちまで疲れるよ」


彼女は戸惑うように瞬きをした。

言葉は、相手との距離を測り、最適化するためのツールだ。親密になりたいなら崩せばいいし、線を引くなら整えればいい。誰もが当たり前のように、無意識に使い分けている距離感の調整弁。

彼女にとって言葉は自分と他者の間に絶対的な境界線を引くためのものだ。あるいは、自分自身をその壁の向こう側に隔離し、傷つかないように閉じ込めるための檻と言ってもいい。

丁寧さは相手への誠意にもなるが、そればかりでは体温が伝わらない。壁越しに会話をしても、本当の意味で『繋がる』ことはできない。


「佐伯さんは、君が君自身でいること。それが一番の願いなはずだよ」


「…………」


彼女の肩が、微かに、本当に小さく震えた。

俺はこれ以上、彼女を追い詰めるのはやめようと思った。今の彼女にとっては、これだけで十分すぎるほどの毒であり、薬なのだろう。


「……疲れてるところ、ごめんね。今日はもう、休もう」


俺はそう言って、彼女の返事を待たずに自分の部屋へと歩き出した。

背後で、彼女が小さく「……おやすみなさい」と零したのが聞こえた気がした。


部屋に入り、ベッドに倒れ込む。

天井を見つめながら、俺は深呼吸をした。

(うまくいくわけないか。……でも、少しだけ変わってくれてるかな)


彼女がいつか、本当の意味でここで笑ってくれる日を想像する。

それはまだ遠い未来の話だが、今夜のあの戸惑った表情を思い出すと、案外そう遠くはないのかもしれない、そんな根拠のない希望がふと頭をよぎった。


俺はゆっくりと目を閉じ、意識を深い眠りへと沈めていった。

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