進展
(悠視点)
「……ふぅ、やっと終わった」
研究室のデスクで数時間、教授とトラブル対応に追われ、時計の針はすでに夜の十時を回っていた。七海を一人で待たせてしまった申し訳なさと、早く彼女の顔が見たいという焦燥感で、俺はタクシーに飛び乗った。家までの道中、さっきまでのゾクゾクする不吉な予感は、帰宅への期待に塗り替えられていく。
「ただいま」
鍵を開け、静まり返った玄関に入る。両親がいないこの家は、夜になると一層静寂が際立つ。俺が声をかけると、リビングから七海がひょっこりと顔を出した。
「お帰りなさい、悠くん。お疲れ様」
「……ただいま。待たせてごめん」
七海はいつも通りの優しい笑顔を見せてくれた。けれど、何かが違う。俺がリビングに入ると、彼女は少しだけ視線を逸らし、手に持っていた飲み物を置いた。その動作が、先ほど家を出る前の「何かを隠しているような挙動不審さ」と重なる。
(……なんだ? この違和感は)
「七海? どうかしたか? なんだか少し……様子がおかしくないか」
俺は彼女の前に立ち、その瞳を覗き込んだ。七海は動揺を隠すように、また視線を逸らす。
「えっ……? そうかな。別に、何も……」
「いや、違う。さっきからずっと落ち着きがないし、俺と目を合わせようとしない。……もしかして、俺がいない間に何かあったのか?」
俺はできるだけ穏やかに、でも核心を突くように問い詰めた。
「怒らない?」
「怒らない」
「そっか……」
七海は一度大きく息を吸うと、覚悟を決めたような顔で俺から一歩離れた。
「……悠くんが、本棚の辞書の裏に何を隠してるか……ぜんぶ、見ちゃった」
「……えっ」
心臓が跳ね上がった。箱のことがバレた。それも、あんな過激な中身を……全部。
「見て、びっくりしたよ。悠くんって、普段あんなに真面目そうな顔して、そんなこと考えてたんだね」
「それは……っ、違うんだ、あれは……!」
俺は顔を真っ赤にして弁解しようとした。けれど、七海は悪戯っぽく、でもどこか情熱的な眼差しで俺を射抜いた。
「よかった。悠くんも、ちゃんと男の子なんだね。……ねえ、同じこと、してあげようか?」
「ちょ、七海……!」
そう言って、七海が俺のパーソナルスペースに一気に踏み込んできた。柔らかな体が俺の胸元に密着する。七海が体を寄せるたび、俺の理性が悲鳴を上げる。彼女が俺に密着する際、腰のあたりに感じる柔らかな曲線と、背徳的なまでの近さ。
「……ダメだって。そんなに距離を詰められたら、我慢できなくなるから」
俺の声はすでに引きつっていた。自分の中に眠る獣が、鎖を引きちぎろうと暴れている。しかし、七海は止まらない。
「我慢しなくていいのに。……私、悠くんの全部が知りたいよ」
俺は、彼女の瞳をまっすぐに見つめ返すことができなかった。溢れ出しそうな衝動を必死に抑え込みながら、絞り出すように問う。
「……なぁ、七海。あんな中身を見て……失望したり、気持ち悪いって思わなかったのか?」
七海は一瞬だけ目を丸くした。
「この状況を見て、嫌だったと思う?」
「それは……」
「悠くん」
七海は俺の名前を、甘く、切なく呼んだ。さらに強く密着してくる彼女に、俺の理性の防波堤は崩壊寸前だった。
(このままじゃ……)
俺は震える手で七海の肩を掴み、最後の理性を振り絞って彼女をソファの向こうへと押し返した。
「……っ!」
七海は突き放されたことに驚き、悲しそうに俯いた。その目には、じわりと涙が溜まっている。
「……これでも、ダメなの……?」
「……違う、そうじゃない」
「私が、まだ子供だから? 私だってもう、大人だよ……色々考えられるんだよ? 悠くんのこと、好きで、どうにかなりそうなくらいなの。……我慢してるのに、私……っ」
彼女の切実な涙声に、俺の心は激しく揺さぶられた。彼女がそこまで想ってくれているなんて。俺を信じて、委ねようとしてくれているなんて。
「……待たせて、本当にごめん。……俺だって、我慢するのはもう限界なんだ」
俺は震える声を出しながら、彼女を強く抱きしめた。彼女の震える肩を抱き寄せる。
「……でも、七海。今じゃない」
「え……?」
「誕生日の日に、伝えたいことがあるんだ」
俺は七海の顔を覗き込み、まっすぐな瞳で告げた。
「それってそういうこと?」
「わがままでごめん。でも弱気になって先延ばしにするんじゃない。覚悟決めたんだ……。……だから、あともう少しだけ待ってください」
七海は潤んだ瞳を揺らしながら、ゆっくりと、けれど深く頷いてくれた。
「……じゃあ私からもお願いがあります」
七海は俺の目を見つめ、決意を込めてこう続けた。
「その時はもう我慢しないで、私をもらってください」
「……っ」
俺は七海を抱きしめる手に力を込めた。先ほどまで押し返そうとしていたはずのその体を、今度は俺から引き寄せ、逃がさないように強く、深く抱きしめる。彼女の華奢な背中から伝わる体温が、俺の火照った心臓をさらに焦がしていく。
「……ズルいよ、七海。そんなふうに言われたら……」
俺の声は、自分でも驚くほど低く、掠れていた。
七海は俺の胸元に顔を埋めたまま、嬉しそうに、けれど少しだけ悪戯っぽく肩を揺らした。
「……悠くんは可愛いね」
「……っ!」
不意に投げかけられたその言葉に、俺は心臓が跳ね上がるのを感じた。
「……可愛いとか、男に向かって言う言葉じゃないだろ」
俺が不貞腐れるように言い返すと、七海はクスクスと笑いながら俺の胸に顔を擦り付けた。
「私のこと大切にしてくれてありがとう。……誕生日が楽しみだよ」
その言葉の響きに、俺はもう一度強く彼女を抱きしめ直した。大切にしたい。彼女のすべてを、これから俺が一生かけて守り抜きたいと、心の底からそう思った。
「……七海」
「ん?」
俺は、彼女の手をそっと握りしめた。緊張で少しだけ声が震える。
「あのさ……薬指のサイズ、教えて」
七海は一瞬きょとんとして、それからゆっくりと目を丸くした。俺の顔を覗き込み、その瞳が驚きと、そして隠しきれない期待で揺らぐのが分かった。
「……悠くん、それって」
彼女の頬が、夜の静寂の中で一層赤く染まっていく。
俺は逸らすことのできない視線で、彼女の指先を見つめたまま言葉を紡いだ。
「……うん、そういうこと」
七海は息を飲み込み、俺の指をぎゅっと握り返した。
「……ぃ」
「え?」
あまりの小ささに聞き返すと、七海は真っ赤な顔のまま、今にも泣きそうなほど嬉しそうな声で叫んだ。
「……ずるい!」
「えっ、ずるいって……?」
「そんなの……そんなの、泣いちゃうでしょ!」
七海は涙目で俺の胸をバシバシと叩きながらも、その手は決して俺を離そうとはしなかった。
「もうっ、悠くんのバカ! そんなこと言われたら、今日から待ちきれなくておかしくなっちゃうじゃん!何個我慢すればいいの!」
俺は彼女をもう一度、壊れ物でも扱うように優しく引き寄せた。この華奢な指に、俺の証を纏わせる。そう想像するだけで、一生かけてこの子を幸せにするという重みが、心地よく肩に乗るのを感じた。
「……ごめん。でも、一生に一度のことだからしっかり合うものを選びたくてさ」
「……バカ」
七海は照れ隠しのように俺の胸に顔を埋めると、耳元で掠れた声で囁いた。
「……〇号」
その可愛らしい強がりと、隠しきれない愛おしさに、俺は彼女の背中を抱きしめる手に力を込めた。
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指のサイズって何号くらいがいいんですかね、、、、




