母は最強
「じゃあ次は悠、こっちにきなさい」
母さんの呼ぶ声が、廊下の空気をピリリと震わせる。俺は自分の部屋のドアをゆっくりと開けた。
七海と何を話していたのか。あの穏やかながらも、全てを見透かすような母の瞳を思い浮かべるだけで、胃のあたりがキューッと締め付けられる。
「……母さん、七海と何を話したんだ?」
リビングに入ると、母さんはソファに深く腰掛け、ティーカップを優雅に持ち上げていた。まるで獲物を待つ余裕を漂わせている。母さんは俺の姿を見ると、ポンポンと自分の隣を叩いた。
「座りなさい。……ふふ、そんなに怯えなくてもいいわよ。七海ちゃんと少し『女子トーク』をしていただけよ」
俺が恐る恐るその隣に腰を下ろすと、ソファの沈み込みがいつもより重く感じられた。母さんはカップをソーサーに置くと、こちらをじっと見つめてニヤリと笑う。
「二人の間に、何か大きな『進展』があったんでしょう? って話よ」
そのストレートな物言いに、俺の喉がヒュッと鳴る。
「えっ! あ、いや……あったけど! で、でも変なことはしてないぞ! 本当だ!」
俺が必死に赤面しながら否定すると、母さんは耐えきれなくなったように吹き出した。
「ふふっ……ああ、ごめんなさい。あまりに健気すぎて。七海ちゃんと全く同じ反応ね。あの子も真っ赤になって必死に否定していたわよ。本当、似たもの同士だわ」
「うぐっ……」
七海まで同じ反応をしたのかと思うと、なんだか無性に恥ずかしい。俺たちの考えていることなんて、母さんにはすべてお見通しなのかもしれない。母さんは笑いを収めると、少しだけ表情を引き締めて、母の顔に戻った。
「ま、そう言う話じゃなくて……七海ちゃんからも聞いたわ。色々乗り越えたのね。あの子、本当にいい子よ」
「ああ……ああ、そうだな。俺たち、一度はすれ違って、それでもお互いの大切さに気づけたんだ。これからは、自分の気持ちを包み隠さず伝えることにしたんだ。もう、七海を悲しませたくないから」
「そうね。あの子は本当にいい子なんだから、絶対に悲しませちゃダメよ」
母さんの言葉に力強く頷く。すると、母さんは少しだけ真剣な眼差しを俺に向けた。
「あと、悠。あなたは本当に真面目ね。でも……同時に『ヘタレ』よ」
「いきなりなんてこと言うんだよ!」
「図星でしょう? あなたのことだから、『責任が取れるようになってから』とか、『七海の負担にならないように』とか、一人で抱え込んでいるんでしょう?」
母さんの鋭い指摘に、俺は言葉を失った。まるで俺の考えを、いとも簡単に暴かれた。
「……悪いかよ。そう思うのは当然だろう? 未成年のうちから、あまりに軽率なことは……俺は、七海の一生を考えてるんだ」
「悪くなんてないわ。むしろ立派よ。でもね、悠。七海ちゃんは将来家族になるんでしょ? なぜ一人で背負うの? もしもの時は私たちを頼りなさい」
やっぱり親には敵わないな。
「……わかった……ありがとう」
少しの沈黙の後、母さんはふわりと空気を変えるように、またいたずらっぽく笑った。
「で、七海ちゃんの誕生日。何か手助けは必要?」
俺は驚いて目を見開いた。
「……七海から聞いたのか?」
「聞いたわよ」
「無理やり聞き出すなよ……彼氏の親にそう言うこと知られるの可哀想だろ」
「あら、あの子は照れながらもすごく嬉しそうに話してくれたわ。『誕生日まで一生懸命我慢するんです』って……本当に健気ね」
俺は耳まで赤くして、手元のカップを握りしめた。七海が、そんな風に誕生日を意識してたなんて知らなかった。
「え……っ、そうなのか?」
「そうよ。だから悠、誕生日の日は絶対に怖気付くんじゃないわよ」
母さん真剣な表情で雄に釘を刺した。
「……ああ、わかってる。怖気づいたりしないよ」
「困ったことがあればいつでも言いなさい」
「ありがとう……あ」
「ん?何かあるの?」
俺は一瞬迷ったが、意を決して口を開いた。
「……あのさ、七海の指のサイズ……わかるか?」
母さんは呆れたような、でも嬉しそうな顔で笑った。
「ふふ、いいわ、今度さりげなく調べておいてあげるから、任せなさい」
「ありがとう……」
母さんは、俺のその言葉に満足そうに頷いた。
「相談してくれてありがとう、悠。あなたはもう、十分素敵な大人よ。ただ、少し不器用なだけ」
母さんの前では、どんな強がりも通用しない。すべて見透かされているみたいなのに、不思議と嫌な気はしなかった。
「……七海を幸せにするよ」
「その言葉は七海ちゃんに言ってあげなさい」
俺は立ち上がり、七海の部屋へと向かった。
母さんの温かい視線が、背中に感じられる。
七海の誕生日。もう、ヘタレなままではいられない。そう強く心に誓った。
軽くノックをすると、中から「はい」と控えめな返事が聞こえ、すぐにドアが開かれた。
「……悠くん、お義母さんと何を話したの?」
七海は少し不安げに、でもどこか期待するような瞳で俺を見上げた。先ほどまでのお義母さんの小悪魔的な雰囲気とは対照的な、いつもの柔らかくて愛らしい七海の空気が、そこに流れている。
彼女のその表情を見た瞬間、俺の中で張り詰めていた「ヘタレな理性の糸」が、ふっと緩むのを感じた。
「……悠くん?」
彼女が小首をかしげた瞬間、俺は考えるより先に動いていた。
迷わず一歩踏み込み、華奢な彼女の体をそのまま強く抱きしめる。
「えっ……!?」
七海は目を見開き、驚きで固まった。心臓がトクトクと激しく打つ音が、抱き合っている胸越しに伝わってくる。彼女の小さな体が、俺の腕の中でビクッと震えた。
「……悠くん、急にどうしたの……?」
戸惑う七海を、俺はさらに強く抱き寄せる。逃げたくない。もう、格好つけたり、責任感だけで距離を置こうとしたりするのはやめるんだ。
耳元で、俺はありったけの言葉を紡いだ。
「……愛してるよ、七海。七海に出会えて、本当によかった。……これからもずっと、俺の隣で笑っていてほしい」
静まり返った部屋に、俺の真剣な声だけが響く。俺の腕の中で、七海の鼓動が一段と激しくなったのがわかった。
「……っ、いきなり……そんな……」
俺の胸に額を押し付け、彼女は全身を真っ赤に染め上げた。顔を上げられない七海の手が、おずおずと俺の背中に回ってくる。
「……ずるいよ、悠くん。そんな急に言われたら……心の準備が……」
小声で呟くその声は、甘く震えていた。恥ずかしがりながらも、俺のシャツをギュッと掴んで離そうとしないその仕草が、何よりも愛おしい。
もう、この温もりから離れることはできないと、俺は改めて確信した。
読んでくださってありがとうございます。
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