二人のユニゾン
病室の空気は、穏やかで静かな安らぎに満ちていた。
「……本当に、美里のおかげだな」
悠は窓の外を見つめながら、ぽつりとこぼした。霧の中にいた自分たちを、美里があの夜、強引にでも引き戻してくれたからこそ、今のこの温もりがある。
「いつも、俺は助けられてばかりだ。……七海にも、美里にも」
「私も、悠くんや美里さん、みんなに支えられてた」
七海は優しく悠の手を握った。悠は少し照れくさそうに笑い、それから小さく息を吐き出す。
「明日の検査の結果がよければ、明後日には退院できることになった。……心配かけて、本当にごめんな」
「ううん。……私のせいだから。もう二度と、あんなふうに勝手に離れたりしない」
「七海……」
悠が愛おしそうに彼女の名を呼ぶ。七海が「ん?」と応じると、悠は少しだけベッドの上で身を乗り出し、「……こっちきて」と手を伸ばした。
七海が寄り添うと、悠は震える腕で彼女を強く抱きしめる。そのまま重なる唇は、先ほどまでのような切迫した熱さではなく、互いの存在を確かめ合うような、甘く優しい響きを持っていた。
唇が離れると、悠は耳まで真っ赤にして、恥ずかしそうに視線を彷徨わせた。
「……あの、その。退院したら、家で……甘えさせてほしい」
その可愛らしいお願いに、七海は思わず声を上げて笑いそうになるのを堪えた。
「わかった。……でもね、悠くん」
「ん……? どうした?」
「『俺なんかって』言葉、もう言わないでって言ったよね」
「あ……」
しまった、という表情をする悠に、七海は少しいたずらっぽく微笑む。
「前にも言ったでしょ? 『自分なんかって』言ったら襲うって」
「え、あ、その……!」
動揺して口ごもる悠を見て、七海はくすりと笑った。
「……冗談だよ。私だって、『私なんかって』言っちゃったしね。でも、冗談半分、本気半分……いや、やっぱり今の悠くんを見ると、本気で襲いたい気持ちはあるかな」
「ちょ、ちょっと! 七海……!」
顔を真っ赤にして狼狽える悠に、七海は少しだけ意地悪く、でも真剣な眼差しを向ける。
「悠くんは、嫌なの?」
その問いに、悠は顔を埋めるように俯き、消え入りそうな小さな声で呟いた。
「……嫌じゃない。正直、我慢するのもきつい。……でも、初めては、ちゃんとしっかりした時に、したい、です……」
その真っ直ぐな言葉に、七海は胸が締め付けられるような愛おしさを覚えた。彼女もまた、頬を熱く染めながら、しっかりと悠の目を見つめる。
「うん。……待ってるね。あ、でも、思ったことはちゃんと伝えようって決めたから、言っておくよ」
七海は顔を真っ赤にして、悠の瞳をまっすぐに見つめた。
「……私も、我慢するの辛いんだからね。だから、その時はちゃんと……しっかりと愛して」
「……えっち」
悠が照れ隠しのように小さく呟くと、七海は悪戯っぽく目を細めて笑った。
「悠くんだってそうでしょう?」
「……うん。でも、七海がこんなに積極的で、少しびっくりした」
「好きだから……でも」
悠の耳元に近づいて
「私、初めてだから優しくしてね」
七海の言葉に、悠は耳の先まで真っ赤に染め上げ、言葉を失った。それでも彼は、彼女の言葉が嬉しくてたまらないといった様子で、彼女の肩に額を預ける。七海はそんな悠の頭を優しく撫でながら、彼に問いかけた。
「……悠は?」
悠はゆっくりと顔を上げ、潤んだ瞳で七海を見つめ返した。
「……俺も、初めてだよ」
震える声でそう告げると、悠は恥ずかしさを隠すように、また七海の肩に額を預けた。その背中を、七海は慈しむように、ゆっくりと何度も撫でる。
二人の吐息が重なり、病室の静寂の中に、甘く切ない予感が漂う。言葉にはできなかった緊張も、互いの温もりを通すことで、少しずつほどけていくのを感じた。
七海は少しだけ身を離し、赤く染まった悠の頬をそっと両手で包み込んだ。
「……ねえ、悠くん」
「ん……?」
「これからは、二人で初めてのことをたくさんしようね。今日みたいにぶつかってしまうことも、恥ずかしいことも、これから先にある幸せな時間も……全部、二人だけの新しい思い出として積み重ねていこう」
七海の言葉に、悠は心からの安堵を浮かべて微笑んだ。その瞳には、彼女とともに歩む未来だけが映っている。
「……ああ、そうだな。全部、七海と……二人で」
「うん。……一生かけて、たくさん作ろうね」
七海がそう微笑んだ直後、悠は小さくつぶやいた。
「……でも、いつかは二人じゃなくなるかもね」
七海は一瞬、その言葉の意図がわからず、首を傾げた。「え?」と聞き返そうとして、ふと彼の少し寂しげな、けれど温かみのある声のトーンに思い至る。
(……あ)
数秒遅れて、七海はその言葉が持つ意味に気づいた。彼が未来を語っているのだと理解した瞬間、七海の心臓がトクンと大きく跳ねた。
「……っ!」
顔がカッと熱くなるのを感じて、七海は慌てて彼の胸から顔を離そうとしたが、悠はそれを許さないかのように、さらに強く彼女を抱きしめる。彼の腕の中で、七海は恥ずかしさと愛おしさで胸がいっぱいになり、力なくその胸元に顔を埋め直した。
「……悠くん、ずるい。……そんなこと、さらっと言わないでよ」
悠は少しだけいたずらっぽく笑いながら、彼女の髪を優しく撫でた。
「……さっきのお返しだよ」
病室で二人は強く抱きしめ合った。
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