第2話:効率厨の赤ん坊は、ゆりかごの中で牙を研ぐ
――絶望のどん底から始まった二度目の人生。
俺、アラリック・フォン・レオンハルトの戦いは、生後三ヶ月のゆりかごの中から始まった。
「うう……あぶぅ」
情けない声が出る。
自分の意思で寝返りすら打てない。
オムツが濡れれば不快感に泣き、腹が減れば乳を求めて喚く。
前世で三十八年、酸いも甘いも噛み分けてきた社畜としてのプライドは、すでにボロボロだ。
(……だが、嘆いていても時間は過ぎるだけだ)
俺は天井を見つめながら、視界の端に浮かぶステータスを確認する。
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名前:アラリック・フォン・レオンハルト
レベル:1
職業:騎士嫡男
スキル:【未発現】
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レベル1。
当然だ。この体はまだ、まともに立ち上がる力すらないのだから。
(だが、この世界には魔法がある。そして、魔法には『魔力』が必要だ)
前世で美緒が遊んでいた乙女ゲームの設定では、魔法の強さは『魔力量』と『操作精度』で決まる。
そして、その魔力を鍛えるのに、年齢制限なんてものは存在しないはずだ。
ブラック企業での連日の残業、理不尽な上司の叱責、そしてあの毒女(聖子)との生活。
俺は地獄のような環境で、ただ黙々と「効率」だけを追い求めて生きてきた。
二十四時間、常に最善を。
死ぬ気で働けば、必ず道は開ける。
その歪んだ社畜精神が、今、異世界で最強の武器に変わる。
(呼吸だ。呼吸に合わせて、体内の魔力を循環させる。これを一秒たりとも絶やさずに行う)
赤ん坊の柔らかい血管。そこを流れる魔力の奔流。
普通なら、集中力が切れて数分で終わるだろう。
だが、俺の精神は三十八年かけて「ルーチンワークの鬼」へと叩き上げられている。
授乳中も、オムツ替え中も、寝ている間ですら。
俺は体内の魔力を一分間に一回転させる『魔力循環』を、自らの鼓動と同じレベルで無意識化させた。
その結果は、すぐに現れた。
ピッ、と脳内に機械音が響く。
『スキル:【魔力操作(初級)】を獲得しました』
『レベルが上がりました。Lv1→Lv2』
(……よし。やっぱりこの世界、何もしなくても魔力を練り続ければ経験値が入るな)
普通の子供が寝ている間に、俺は二十四時間、ノンストップで「魔力のレベリング」を続ける。
それは、この世界において誰も経験したことのない、狂気的なまでの効率化だった。
◆
――三年の月日が流れた。
俺は、レオンハルト公邸の広い庭園で、一人木剣を振っていた。
三歳。
普通の子供なら、まだおぼつかない足取りで蝶々でも追いかけている時期だ。
だが、今の俺のステータスは、すでに「普通」を逸脱していた。
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名前:アラリック・フォン・レオンハルト
レベル:15
スキル:魔力操作(中級)、剣術(初級)、気配察知(初級)
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レベル15。
王国の一般兵士がレベル10前後であることを考えれば、三歳児にしてすでにベテラン兵を凌駕している。
ブン、と鋭い音が鳴る。
俺は、現代剣道の理論と、この世界の騎士の動きを融合させた独自の型を繰り返す。
(……まだまだだ。この程度では、美緒を守れない)
俺の心にあるのは、常に「あの子」のことだけだ。
この世界のどこかにいる、俺の娘。
もし、彼女が転生しているのなら、その周囲には数多の「敵」がいるかもしれない。
不遜な王太子、媚びを売る貴族、そして……。
(……アリシア。ゲームの正ヒロイン、聖女)
ゲームのシナリオ通りなら、アリシアは「魅了」の魔法を使い、男たちを駒のように操る。
そんな奴から美緒を守るには、圧倒的な、暴力的なまでの力が必要だ。
「――おいおい、アラリック。またそんなところで素振りか?」
後ろから声をかけられた。
現・騎士団長、バルガス。今の俺の父親だ。
彼は大きな体を揺らしながら歩いてくると、俺の手元を見て、目を見開いた。
「……アラリック、お前。その剣の振り、誰に教わった?」
「誰にも。父上の稽古を、後ろから見ていただけです」
俺は、三歳児らしい舌足らずな声を出しつつ、内心では冷めていた。
社畜の処世術。
目立ちすぎてはいけない。だが、能力の片鱗を見せることで、修行の環境を整えさせる。
「見ていただけだと? バカを言うな、その足運び。重心の移動……。まるで十年以上、戦場を駆けてきたベテランのようではないか」
バルガスが俺の木剣を取り上げ、まじまじと見つめる。
「アラリック……。お前、一度本気で私に打ち込んでみろ。防具はいい、木剣で構わん」
「……いいのですか?」
「ああ。騎士団長を舐めるなよ。三歳の子供に遅れを取るほど、老いちゃいないさ」
バルガスがガハハと笑いながら、自分の剣を抜く。
もちろん、彼は本気ではないだろう。
だが、俺にとっては絶好のチャンスだ。
騎士団長級の相手に、今の自分の「レベル15」がどこまで通用するのか。
俺は静かに、体内の魔力を循環させた。
(『魔力強化』――発動)
ドクン、と心臓が鳴る。
血管を流れる魔力が、幼い筋肉を極限まで活性化させる。
アラリックの瞳が、黄金色に淡く光った。
「――行きます」
シュッ、と。
その場から、アラリックの姿が消えた。
「……なっ!?」
バルガスの驚愕の声。
彼が剣を構えるよりも早く、アラリックは懐に潜り込んでいた。
三歳児の体躯を活かした、超低空からの刺突。
木剣の先端が、バルガスの脇腹へと吸い込まれる。
ガキンッ!!
凄まじい衝撃音が響いた。
バルガスが咄嗟に剣を下げ、自身の魔力で防御したのだ。
もし、彼が魔力を展開していなければ、今の一撃で肋骨の二、三本は粉砕されていただろう。
「…………」
「…………」
庭園に、沈黙が流れる。
バルガスの額から、一筋の汗が流れた。
彼は震える手で、俺の肩を掴む。
「……アラリック。お前……今の動き、魔力強化を使っていたな?」
「はい。少しだけ」
「少しなものか! 今の速度、騎士団の副団長クラスですら反応できんぞ……! ……天賦の才か。いや、それ以上の……。神の寵愛か?」
バルガスの瞳には、恐怖と期待が入り混じっていた。
俺は、無垢な子供のフリをして笑ってみせる。
「パパ、びっくりした?」
「あ、ああ……。びっくりどころではない。腰を抜かすところだった」
バルガスは震える手で俺を抱き上げた。
「決めたぞ。アラリック、お前には明日から、私が直々に稽古をつける。……いや、教えることなどもうないかもしれんが、共に対等な騎士として高め合おう」
(……しめしめ。これで騎士団の訓練施設を自由に使えるな)
俺はバルガスの腕の中で、密かに勝利の笑みを浮かべた。
それからというもの、俺のレベリングはさらに加速した。
昼は騎士団長との死闘に近い稽古。
夜は、寝る間も惜しんで魔導書を読み漁り、魔法理論を頭に叩き込む。
前世で美緒に「パパは仕事ばっかり!」と怒られたことがあった。
あの時は、生きるために必死だった。
でも、今は違う。
(美緒……パパ、頑張ってるぞ)
レベルを上げ、地位を固め。
世界で一番強い男になって、あの子を迎えに行く。
五歳になる頃、俺のレベルは『50』の大台に乗った。
騎士団長であるバルガスのレベルに、俺は五歳で並んでしまったのだ。
周囲の騎士たちは、俺を『レオンハルトの麒麟児』、あるいは『幼き剣神』と呼び、畏怖の眼差しを向けるようになる。
だが、俺の心は満たされない。
「……まだだ。まだ、足りない」
なぜなら、この世界の本当の恐怖は、レベルだけではないことを知っていたからだ。
アリシア――
彼女の持つ『ヒロイン補正』と、人を狂わせる『魅了の魔法』。
それに抗うには、ステータスの暴力で世界そのものをねじ伏せる力が必要だ。
「アラリック様、王城からお迎えが参りました」
メイドの呼びかけに、俺は木剣を置いた。
「……王城? 俺に何か用か?」
「はい。エドワード王太子殿下の遊び相手として、陛下より直々に指名がございました」
エドワード。
ゲームのメインヒーローであり、将来、悪役令嬢を裏切って処刑台へ送る張本人。
俺の口角が、自然と吊り上がった。
(いいだろう……。まずは、その『ガキ』の教育から始めてやる)
俺は、返り血のような真っ赤な夕日に背を向け、静かに王城へと歩き出した。
十五歳、学園入学時には【世界最強】を目指して。
社畜パパの、狂気とも言える「努力」はさらに加速していく。
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