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第1話:さよなら絶望、こんにちは異世界

――雨は、すべてを洗い流してくれるなんて嘘だ。

 

 視界を叩く雨粒は、ただただ俺の惨めさを際立たせるだけだった。

 

「……はぁ」

 

 三十八歳の冬。

 俺、佐藤健一さとう けんいちは、ずぶ濡れのスーツでトボトボと夜道を歩いていた。

 

 手元に残ったのは、空っぽの銀行口座と、消費者金融からの督促状。

 そして、一通の離婚届。

 

 妻――聖子せいこは、一週間前に家を出た。

 俺が必死に働いて貯めた美緒みおの将来のための教育資金、五百万円をすべて持ち逃げして。

 

『あんたみたいな、稼ぎの悪い男と一緒にいても未来がないのよ』

 

 最後に投げつけられた言葉が、耳の奥で何度もリフレインする。

 

 稼ぎが悪い?

 平日は朝から晩まで働き、週末も単発のバイトを入れていた。

 すべては、家族のため。聖子が「自由でいたい」と言うから、家事も育児も俺が主体でやってきた。

 

 それなのに、聖子は浮気をしていた。

 男と遊び歩くための金を、俺の給料と、娘の貯金から捻出していた。

 

「くそっ……!」

 

 壁を殴りたかったが、その気力すら沸かない。

 今の俺を支えているのは、たった一つの希望だけ。

 

「パパ!」

 

 学童保育の明かりが見えた。

 玄関から飛び出してきたのは、俺の愛娘、美緒だった。

 

「美緒……待たせてごめんな」

「ううん! 先生と折り紙してたから大丈夫だよ。見て見て、お花!」

 

 差し出された、少し形の崩れたピンク色の折り紙。

 美緒の笑顔を見るだけで、胸の奥のドロドロした塊が少しだけ溶けていく気がした。

 

 この子だけは。

 この子の笑顔だけは、俺が命に代えても守らなきゃいけない。

 

 たとえ聖子にいなくなったとしても。

 俺さえ頑張れば、美緒に人並みの幸せを味わわせてやれるはずだ。

 

「パパ、ママは今日も遅いの?」

「……ああ。ちょっと、遠くにお仕事に行ってるんだ」

「そっか。寂しいけど、パパがいるから平気だよ!」

 

 八歳の子供に、こんな気を遣わせて。

 俺は、情けなくて涙が出そうになった。

 

「……帰ろう。今日は、美緒の好きなオムライスにするからな」

「ホント!? やったぁ!」

 

 美緒の小さな手が、俺の指をぎゅっと握る。

 

 その時。

 

 激しい雨音を切り裂いて、異常な爆音が響いた。

 

 ――キィィィィィィィィィッ!!

 

 横断歩道を渡り始めていた俺たちの視界に、巨大な影が飛び込んでくる。

 居眠りか、あるいはスマホでも弄っていたのか。

 トラックのライトが、眩いほどに俺たちを照らした。

 

(あ……)

 

 逃げる時間は、ない。

 

 俺は思考よりも先に動いた。

 繋いでいた美緒の細い腕を引き寄せ、渾身の力で歩道の奥へ突き飛ばす。

 

「美緒!!」

 

 ドン、という、肉と鉄がぶつかる鈍い音。

 

 視界が激しく回転する。

 上下も左右もわからない。

 ただ、全身を襲う焼けるような激痛と、冷たい雨の感覚だけがあった。

 

「……ぁ……あ……」

 

 地面に叩きつけられた俺の視界に、倒れている美緒の姿が入った。

 俺が突き飛ばした反動で、彼女もまた強く打ち付けられたのだろう。

 

「み……お……」

 

 声を絞り出すが、肺から漏れるのは血の泡だけだ。

 

 聖子に捨てられ、借金を背負わされ。

 最後に、これか。

 

 神様なんていない。

 いたとしても、きっと性格の悪いクソ野郎だ。

 

 俺はどうなってもいい。

 何万回地獄に落ちても構わない。

 

 だから。

 

(美緒を……美緒だけは、助けてくれ……)

 

 意識が急速に遠のいていく。

 

(もし……もしも次があるなら……。今度こそ、あの子を幸せに……。誰も、あの母親ですら……手の届かないくらいの……お姫様に……)

 

 俺の意識は、そこで完全に途絶えた。

 

       ◆

 

 ――温かい。

 

 雨の冷たさも、アスファルトの硬さもない。

 ふかふかした何かに包まれている感覚。

 

(……ここは……天国、か……?)

 

 ゆっくりと目を開ける。

 

 高い天井。

 見たこともないほど豪華なシャンデリア。

 石造りの壁には、精巧な獅子の彫刻が施されている。

 

「――おぉ、起きたか! 我が息子、アラリックよ!」

 

 視界に、巨大な顔が飛び込んできた。

 銀色の髪を短く刈り込み、鋼のような筋肉を鎧に包んだ大男だ。

 

「……ぶ?」

 

 声を出そうとしたが、出たのは情けない幼児の泣き声だった。

 

「はっはっは! なんと力強い泣き声だ! さすがはレオンハルト家の跡取りだ!」

 

 大男に抱き上げられる。

 そこで俺は、自分の手が驚くほど小さく、むちむちしていることに気づいた。

 

(転生……したのか……?)

 

 その言葉が、直感的に脳裏をよぎった。

 

 男たちの会話、周囲の調度品。

 何より、俺の目の前に浮かび上がっている「それ」が、ここが普通の世界ではないことを物語っていた。

 

 ――――――――――――――――――――

 名前:アラリック・フォン・レオンハルト

 レベル:1

 職業:騎士嫡男

 スキル:【未発現】

 ――――――――――――――――――――

 

 これは……ゲームのステータス画面?

 

 俺は必死に記憶を掘り起こした。

 美緒が、生前……いや、前世で遊んでいた乙女ゲーム。

 

『パパ、見て! この騎士様、超カッコいいんだよ! でも最後は悪役令嬢と一緒に死んじゃうの、可哀想だよね』

 

 美緒が見せてくれたスマートフォンの画面。

 そこにいた銀髪の騎士の名前は、確か――アラリック。

 

(……俺が、その『アラリック』なのか?)

 

 だとしたら、ここはあの乙女ゲームの世界だ。

 そしてアラリックは、悪役令嬢を愛するがあまり、最後は破滅する攻略対象の一人。

 

「……ぶぅ」

 

 俺は小さく息を吐いた。

 

 ストーリーなんてどうでもいい。

 悪役だろうが、攻略対象だろうが、知ったことか。

 

 確信がある。

 俺があの事故で願ったことは、ただ一つ。

 美緒の幸せだ。

 

 もし、俺がここにいるなら。

 美緒も、必ずこの世界のどこかにいる。

 

(待ってろ、美緒)

 

 今度は、あの毒女(聖子)のような奴らに、お前を傷つけさせたりしない。

 誰よりも、王様よりも。

 この世界の誰よりも、俺が強くなって、お前を守り抜く。

 

 そのためには――。

 

(レベリングだ。一分一秒も無駄にはできない)

 

 俺は赤ん坊の体のまま、必死に魔力を練り始めた。

 大人としての忍耐力。

 社畜として培った、理不尽に耐える精神力。

 

 すべてを「力」に変えてやる。

 

 最強のパパ(騎士)への道は、ここから始まった。




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