第十九話:月夜のベランダ、美緒の告白
学園の夜は、静寂に満ちていた。
アリシア脱獄の衝撃から数日が経ち、表向きの騒ぎは落ち着きを見せていた。
だが、俺と美緒にとっては、嵐の前の静けさでしかないことを理解していた。
女子寮の離れ、特別に用意されたセラフィナの自室のベランダ。
俺は、夜風に当たりながら、隣に立つ娘の横顔を見つめていた。
「……パパ。起きてたの?」
「ああ。魔力感知を広げていたからな。……美緒、お前こそ、まだ眠れないのか?」
セラフィナは、薄いナイトドレスの上にガウンを羽織り、手すりに身を預けて夜空を見上げていた。
月光に照らされた彼女の銀髪は、どこか幻想的で、今にも消えてしまいそうな儚さがあった。
「……なんだか、不思議な気分。前世では、こんなに綺麗な月を見る余裕なんてなかったから」
美緒は、大人の女性としてのトーンで、静かに語り始めた。
「パパ。私、たまに怖くなるの。……ここは本当に、私がやってた乙女ゲームの世界なのよね? だとしたら、悪役令嬢はもう死んでいなきゃいけないはずなのに。……パパが、全部変えちゃった」
「……ああ。運命だかゲームの強制力だか知らないが、俺の前では誤差に過ぎない。お前を不幸にする設定など、俺がすべて塗り潰してやる」
俺が当然のように言い放つと、美緒はクスリと小さく笑った。
けれど、その笑顔はどこか寂しげで。
「……そうね。パパは、いつだって私の『最強のヒーロー』だわ。……でもね、パパ。それが、少しだけ……残酷だなって思う時があるの」
「……残酷?」
俺は眉を潜めた。
美緒は、視線を俺に向け、その潤んだ瞳で真っ直ぐに俺を見つめてきた。
「……私、もう中身は二十三歳よ? パパ。一人の女性として、自分の将来のことだって考えるわ。……でもね、無理なの」
「何がだ?」
「パパが、あまりに完璧すぎるからよ」
美緒は、自嘲気味に呟いた。
「この学園の男の子たち……エドワードだって、他の貴族の子供たちだって、みんな一生懸命よ。でもね、パパに比べたら……みんな、ただの『子供』にしか見えないの。パパ以上に私を愛して、パパ以上に私を理解して、パパ以上に私を護ってくれる人なんて……この世界のどこを探したっていない」
「それは……」
「私ね、パパが強すぎて……時々、パパ以外の人なんて、一生愛せない気がして怖くなるの。……私の心の全部を、パパが埋め尽くしちゃってるんだもの」
美緒の告白。
それは、実の娘からの、最大級の信頼であり――同時に、呪いに近い愛の吐露だった。
俺は、言葉に詰まった。
俺がレベルを上げ、最強になったのは、ひとえに彼女を護るため。
だが、その「最強の守護」が、彼女の他者への可能性を閉ざしてしまっているのだとしたら。
「……美緒。俺は、お前に幸せになってほしい。もし、いつか俺以上の男が現れたら……」
「そんな人、いないわよ」
美緒が、俺の言葉を遮るように、俺の腕をギュッと掴んだ。
「いないわ、パパ。絶対に。……パパが私の理想を宇宙の果てまで上げちゃったんだから。責任取ってよね?」
彼女の蕩けたような、甘く、切実な視線。
俺は、彼女を突き放すことなんて、最初からできはしなかった。
「……分かったよ」
俺は、彼女の細い肩を引き寄せ、その額に優しく唇を落とした。
「なら、一生俺が隣にいてやろう。……お前が望むなら、お前を奪おうとする全ての男を俺が叩き伏せて、死ぬまで俺がお前の面倒を見てやる」
「……パパ」
「誰にもお前は渡さない。……パパが、一生お前の『宇宙の最適解』でいてやるからな」
俺の、無自覚な超絶溺愛発言。
二十三歳の精神を持つ娘を、一生繋ぎ止めると誓ったその言葉。
「……あ。……あぁ……パパ……大好き。本当に、世界で一番愛してるわ……」
セラフィナは、完全に蕩けきった顔で、俺の胸に顔を埋めた。
その瞳には、もう迷いなどない。
パパに愛され、パパを愛し。
この世界で二人だけの、閉じた、けれど最高に幸せな楽園。
彼女は、その運命を自ら選んだのだ。
◆
一方その頃。
女子寮の向かいの植え込みで、夜通し監視(見守り)を続けていた『見守る会』の精鋭たちが、一斉に鼻血を吹いて倒れ伏していた。
「(……聞いた!? 『一生俺が隣にいてやる』……!!)」
「(『宇宙の最適解』……!! あぁ、神よ! 夜のベランダで、なんて、なんて甘すぎる愛の誓いなの!!)」
「(パパみが……パパみが深すぎて、月の光さえ霞んで見えるわ……。尊死……全滅ですわ……!!)」
彼女たちの記録板には、月光の下で抱き合う「最強の父娘」の姿が、伝説の一枚として刻まれていた。
◆
「……パパ。少し、寒くなってきたわ」
「そうか。……じゃあ、部屋に戻ろう。……温かいココアでも淹れてやる」
「ええ。パパの淹れたココア、大好きよ」
俺は、彼女を抱き寄せるようにして、部屋の中へと促した。
アリシアの脱獄。不穏な未来。
そんなものは、この温かな時間の中では、指先一つで消せる塵に過ぎない。
俺は、俺の娘を一生離さない。
その傲慢な愛を、俺は絶対的な力で、真実に変えていく。
――平和だな。
月夜のベランダに残されたのは、ただ深く、甘く、どこまでも濃厚な親子愛の余韻だけだった。
もし「面白い」「続きが気になる」と思っていただけましたら、ブックマークや評価、感想などをいただけると執筆の励みになります! よろしくお願いいたします




