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第十六話:概念・魂・宇宙――王太子の脳が焼ける日

学園の学生食堂、その一角。

 そこは今や、全生徒が固唾を呑んで見守る『聖域サンクチュアリ』と化していた。

 

 中央のテーブル。

 俺は、向かい側に座るセラフィナの皿から、彼女が器用に避けた椎茸しいたけを、自分の皿へと移していた。

 

「……セラフィナ。偏食は体に毒だぞ。前世でも言っただろう」

 

「だってぇ、パパ。この世界の椎茸、なんだか主張が激しいんですもの。パパが食べてくれた方が、椎茸さんも本望よ?」

 

「……意味の分からん理屈を言うな。一口くらいは食べろ」

 

 俺は呆れながらも、彼女の口元に付いたソースを指先で拭ってやった。

 

 その瞬間、食堂のあちこちから「……ッ!」「指先、尊……!」「パパみが、パパみが深い……!」という、空気が漏れるような音が響く。

 もはや見慣れた光景だが、この熱量は相変わらずだ。

 

 だが、そんな「多幸感の飽和状態」を切り裂くように、一人の男がフラフラと、しかし決死の覚悟で近づいてきた。

 

「……アラリック。そして、セラフィナ。……もう、限界だ」

 

 王太子エドワードだ。

 くまの浮いた死んだような目で、彼は俺たちのテーブルを叩いた。

 

「君たちはいつも『概念』だの『魂の契約』だのと言うが、僕は一晩中考えた! だが全く分からない! 君たちは同学年で、血も繋がっていない! なのに、なぜ、なぜパパなんだ!? 誤魔化さずに、論理的に、僕が納得できるように説明してくれ!!」

 

 必死の叫び。

 どうやら、彼の限界キャパシティは既に来ていたらしい。

 

 俺は紅茶を一口啜り、静かにエドワードを見つめた。

 

「……いいでしょう。殿下。そこまで仰るなら、俺たちの関係を『論理的』に解説します」

 

 俺は中身三十八歳の元・社畜だ。

 意味の分からない企画を通すために、数多の屁理屈を「正論」に仕立て上げてきた経験がある。

 

「殿下。まず『血縁』とは何ですか? それは単なる生物学的なDNAの偶発的な一致に過ぎません。……ですが、俺たちの『魂の契約』は違います。それは、肉体という器ができる前、魂の設計図が書かれた段階で結ばれた、宇宙的な『確定事項』なのです」

 

「……う、宇宙的な、確定事項……?」

 

「そうです。俺の強さ……殿下、あなたはこれを『才能』だと思っているでしょうが、違います。これは、彼女を護るという『父親としての役割』を果たすために、世界から割り振られた『リソース(魔力量)』なのです。つまり、俺が最強なのは、俺が彼女の『パパ』であることの証明なんですよ」

 

「……ま、待ってくれ。最強なのが、パパである証明……? 繋がらない、論理が繋がらないぞ……」

 

 エドワードの目が泳ぎ始める。

 そこへ、セラフィナが追い打ちをかけた。

 

「殿下、まだ分かりませんの? 『パパ』というのは名称ではなく、いわば『高次元のイデア』なのですわ。……わたくしが『パパ♡』と呼ぶとき、そこには『絶対的な依存』と『無条件の受容』という二つの概念が、量子レベルで共鳴しているのです。……お分かり?」

 

「りょう、量子……? きょうめい……?」

 

「ええ。わたくしたちが学園で寄り添っているのは、男女の情愛などという低い次元の事象ではありません。それは『完全なる守護』と『完全なる信頼』が具現化した、哲学的な完成形……いわば『概念的親子』という宇宙の真理そのもの。……これを否定することは、重力や熱力学を否定するのと同じくらい、愚かなことなのですよ?」

 

 セラフィナは、難解な語彙を並べてエドワードの脳に高負荷をかけていく。

 

「つまりね、殿下。……パパがパパであることは、太陽が東から昇るのと同じ『ことわり』。私がパパを求めるのは、宇宙が膨張を続けるのと等しい『摂理』。……私たちは、二人で一つの『宇宙の最適解』なのよ」

 

 アラリックの「最強の守護者=パパ」という物理的証明。

 セラフィナの「絶対的依存=娘」という哲学的証明。

 

 その二つが、エドワードの脳内で激突した。

 

「……最強なのが、パパで……魂が設計図で……。量子共鳴したパパが、宇宙の最適解……? 椎茸を食べさせるのが、摂理……? ということは、僕がセラフィナにフラれたのも、宇宙の……膨張……?」

 

 エドワードの瞳から、光が消えた。

 彼の思考回路は、もはや「宇宙猫」のコラージュ画像のように、星々の渦に飲み込まれていた。

 

 概念。

 魂。

 量子。

 パパみ。

 

「……あ、あはは。そうか。そうだったんだね、アラリック……。パパは、宇宙だったんだ……」

 

 エドワードは、虚空を見つめたまま、白目を剥いた。

 

 ――プスン。

 

 そんな音が聞こえそうなほど、彼の脳は完全にオーバーヒートした。

 

 ドサリ、と。

 王太子エドワードが、白目を剥いて食堂の床に沈んだ。

 

「……あら。殿下、キャパオーバーしちゃったわね」

 

「……少し、語彙が専門的すぎたか。だが、これが俺たちの真理だからな」

 

 俺は平然と、残った椎茸を口に運んだ。

 

 周囲の『見守る会』のメンバーたちは、倒れた王太子を余所に、狂喜乱舞していた。

 

「(……聞いた!? 『宇宙の最適解』ですって!!)」

「(アラリック様は宇宙……! パパはビッグバン……! あぁ、なんて壮大な愛なの……!)」

「(エドワード様を焼き払うほどの、高次元のパパみ……! 新しい、新しい扉が開いたわ!!)」

 

 ……どうやら、エドワードの正気度(SAN値)と引き換えに、俺たちの関係性は「神格化」の域にまで到達したらしい。

 

「……さて。午後の授業が始まるぞ。セラフィナ、忘れ物はないか?」

 

「パパが鞄持ってるから、何があっても大丈夫よ! 宇宙だもんね!」

 

「全く……調子がいいな。……まぁいい。行くぞ」

 

 俺は気絶したエドワードを、保健室の担当にパスし、いつものように娘の手を引いて歩き出した。

 

 ――平和だな。

 

 理を説き、宇宙を語り、常識を焼き払う。

 俺たちの「甘々親子概念」は、今日も確実に、この世界の物理法則すら書き換えようとしていた。



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