第十五話:廊下の「パパ♡」アタック
学園の休み時間。
教室移動のために廊下へ出ると、そこは既にいつも通りの喧騒に包まれていた。
だが、俺の姿が見えるなり、周囲の生徒たちがサッと道を開ける。
恐怖からではない。
「……来るわよ、皆様。準備はよろしくて?」
「……万全ですわ。鼻血用の予備のハンカチも三枚用意しました」
壁際で『見守る会』のメンバーたちが、隠密兵さながらの気配で、魔導録画板を構えている。
彼女たちの視線の先。廊下の向こうから、一人の少女が――否、一輪の大輪の花が、こちらへ向かって走ってきた。
「パパぁ!! 寂しかったわぁぁぁ!!」
氷の令嬢、セラフィナ・ド・ラーグセン。
公爵令嬢としての品位も、悪役令嬢としての威圧感も、今この瞬間の彼女には一欠片も存在しない。
彼女は周囲の視線を置き去りにして、俺の胸元へと一直線にダイブした。
「パパ! パパ、パパ、パパ! たった一時間の講義が、まるで見知らぬ国への遠征くらい長く感じたわ!」
「……セラフィナ。廊下を走るなと言っただろう。それに、令嬢がそんな風に男にしがみつくものではない」
俺はため息をつきながら、慣れた手つきで彼女を抱き留める。
腕の中に収まる彼女の感触は、前世で小さかった頃の美緒を思い出させる。
「やだ! 離さないわ! パパの補充をしないと、私、次の魔法薬学の授業を乗り切れないもの!」
ぐいぐいと俺の胸に顔を埋めるセラフィナ。
彼女は「どうすれば俺が困りつつも受け入れてしまうか」を完全に理解している。
俺は、困り果てた顔をしながらも、自然と彼女の背中をポンポンと叩き、乱れた髪を指先で整えてやった。
「……仕方ないな。授業が終わったら、学食のアイスでも食べに行くか?」
「本当!? やったぁ! やっぱりパパが世界で一番大好きよぉ♡」
パパ、大好き。
その破壊力抜群の言葉が放たれた瞬間、廊下のあちこちから「グフッ」「あぁぁ……尊い……」「今! 今の困り顔パパ、最高画質で記録したわね!?」という、断末魔のような歓喜の声が上がった。
◆
そんな「尊さの暴力」が吹き荒れる廊下の中央で、一人の男が膝から崩れ落ちていた。
王太子エドワードだ。
「……なぜだ。なぜ、あんなにお似合いなのに、会話の内容が致命的に噛み合っていないんだ……」
エドワードは、目の前で繰り広げられる「美男美女の抱擁(内容はただの親子)」という光景に、脳の処理が追いついていない。
「おい、アラリック。……そしてセラフィナ。いい加減にしてくれないか」
エドワードがおずおずと、二人の間に割って入る。
「アラリック、君は僕の親友だ。そしてセラフィナ、君は元とはいえ僕の婚約者だった。……その二人が、なぜ白昼堂々、廊下で『パパ大好き』だの『アイスを買いに行く』だの、家庭内のような会話をしているんだ!?」
「殿下。家庭内、ではなく。俺たちは魂の単位で家庭なのです」
俺は真顔で、しがみついてくるセラフィナの頭を撫でながら答えた。
「魂の単位……? いや、そもそも君たちは同学年だろう! 血も繋がっていない! なのになぜ、君は彼女を『娘』のように扱い、彼女は君を『パパ』と呼ぶんだ!?」
エドワードの問いは、至極真っ当だ。
論理的で、常識的だ。
だが、この世界には「常識」よりも重い「概念」がある。
「殿下。……これは『概念』なのです」
セラフィナが、俺の腕の中からひょいと顔を出し、憐れむような目で王太子を見た。
「殿下にはまだ早くて? わたくしたちの間にあるのは、単なる男女の情愛などという矮小なものではありません。これは前世からの因縁……いえ、魂に刻まれた『パパと娘』という不変の真理なのですわ」
「ふ、不変の真理……? コンセプト……?」
「ええ。わたくしが『パパ♡』と言えば、パパはわたくしを護る。パパが『セラフィナ』と呼べば、わたくしは幸せになる。この美しい循環を、人は『幸福』と呼ぶのです」
……セラフィナ、少し言い回しがポエミーすぎて、王太子が混乱しているぞ。
「……殿下。俺にとって彼女は守るべき娘であり、彼女にとって俺は頼るべきパパだ。そこに理由など必要ない。あるのは、守護意志だけだ」
俺が少しだけ魔圧を込めると、エドワードは「概念……真理………」とうわ言のように呟きながら、ふらふらと壁を伝って去っていった。
それを見ていた『見守る会』のメンバーたちが、柱の陰で激しく咽び泣く。
「(……聞いた!? 『魂の単位で家庭』ですって!!)」
「(『パパと呼べば、わたくしは幸せになる』……。あぁ、なんて美しい言霊なの! これこそ、私たちが求めていた真実の愛の形だわ!)」
「(今の会話、全部録画したわね!? 家宝にするわよ!)」
廊下には、もはや俺たちを否定する者は一人もいなかった。
あるのは、熱狂的な「見守り」の視線と、幸せそうに俺の腕にぶら下がる愛娘の重みだけだ。
「さあ、セラフィナ。次の予鈴が鳴るぞ。……アイスは、放課後まで預けだ」
「もう、パパったら! 楽しみにしてるんだからね!」
セラフィナは満足そうに俺の頬に軽く手を当てると、ようやく俺から離れ、スキップするように自分の教室へと戻っていった。
俺は、彼女の後ろ姿を見送った後、自分の手のひらを見つめた。
(……概念、か。あながち間違いじゃないな)
俺が異常な強さを得た理由は、美緒を守る。という想いを具現化するために、世界が与えてくれたものなのだから。
俺は、背後で「……あぁ、今日もパパみが深すぎて光が見える……」と拝んでいる女生徒たちを完全にスルーし、自らの教室へと歩き出した。
――平和だな。
論理を越え、常識を焼き払い。
俺たちの「甘々親子概念」は、今日も着実に学園を侵食していた。
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