131.異世界行脚3
夕暮れの光に包まれた城門。
セリフィア王国へ戻ってきた時、ライナは静かにその街並みを見上げていた。
石造りの建物。
穏やかな人々の声。
市場から漂う料理の香り。
世界を巡った後だからこそ分かる。
この国は、温かい場所だった。
「……こうしてゆっくり歩くの、初めてかもしれないわね」
隣でルミナが微笑む。
ライナも苦笑した。
「確かに」
召喚された直後は、そんな余裕などなかった。
世界の危機。
魔王。
状況を理解する暇もなく、最低限の装備だけ整えて旅立った。
セリフィアへ戻る時も、
報告
会議
作戦
王宮への出入り
そんな事ばかりだった。
魔王討伐直後も、国全体が祝宴の熱気に包まれていた。
だから――。
こうして、何も考えず穏やかに街を歩くのは、ライナにとって初めてに近かった。
「こっちは中央市場よ」
ルミナが少し嬉しそうに先を歩く。
「この果物屋さん、昔からあるの。子供の頃、よく母と――あ」
途中で気付いたように口を止める。
だがライナは優しく笑った。
「続けてくれよ。そういう話、好きだ」
「……うん」
ルミナは少し照れながらも、再び歩き始めた。
「この辺りは平民街なんだけど、職人さん達が多くて――」
「へぇ」
「向こうの通りは夜になると屋台が並ぶのよ」
「なるほどな」
ライナは穏やかに相槌を打ちながら、街を見回す。
戦場では見えなかった景色。
人々の日常。
平和。
自分達が守ったもの。
ルミナの説明は、時々少し長くなる。
だがライナは嫌そうな顔一つせず、むしろ楽しそうに聞いていた。
その姿に、ルミナもどこか嬉しそうだった。
やがて、大通りの先に大きな建物が見えてくる。
冒険者ギルド。
ルミナの足が、ふと止まった。
「あ……」
少し懐かしそうな表情。
ライナはその顔を見る。
「寄ってくるか?」
「え?」
「知り合い、いるんだろ」
ルミナは少し迷った後、小さく頷いた。
「……うん」
「俺は、もう少し街を歩きたいからその辺見てくるわ」
「分かった」
ライナは軽く手を振り、別方向へ歩いていく。
その背中を見送った後、ルミナは静かにギルドの扉を開けた。
途端に、賑やかな空気が流れ込んでくる。
酒場スペース。
依頼掲示板。
冒険者達の笑い声。
懐かしい空気だった。
そして次の瞬間――。
「……ルミナ?」
聞き覚えのある声。
ルミナが振り向く。
そこには三人の冒険者が立っていた。
筋骨隆々の武闘家――バルク。
鋭い目つきの剣士――ジーク。
落ち着いた雰囲気の魔術師――ノア。
一瞬の沈黙。
そして――。
「うおおおおお!?!?」
「ルミナさん!?」
「え、本物!?」
三人が一斉に立ち上がった。
周囲の冒険者達まで驚いて振り向く。
「ひ、久しぶり!」
ルミナも思わず笑顔になる。
バルクが豪快に笑った。
「マジかよ! 世界救った英雄様じゃねぇか!!」
「やめてよもう……」
「いやいやいや!」
「今や伝説級だろ!」
ジークまで珍しく興奮していた。
ノアは少し目を細める。
「でも……変わってませんね、ルミナさん」
「え?」
「その安心する感じ」
ルミナは少し照れたように笑った。
三人を見ながら、胸の奥が温かくなる。
初めて会った頃を思い出す。
一度だけの即席パーティーだった。
当時の彼らはCランク冒険者。
決して弱くはなかった。
だが――。
どこか危なっかしかった。
無茶をして。
空回りして。
失敗して。
怪我をするのが嫌だと真の実力を隠していたり。
知識はすごいのにそれを活かす事ができてなかったり。
災害級の魔物と対峙した時は本気でダメだと思った。
でも、全員の力を合わせて乗り越えた。
そんな事を考えてるとルミナは自然と口元を緩める。
「……なんだか、みんなすごく立派になったね」
「そりゃまぁな!」
バルクが胸を張る。
「今の俺達、全員AAランクだぜ!」
「えっ」
ルミナが目を見開く。
ジークが少し誇らしげに腕を組む。
「最近は王国直属依頼も受けてる」
「この前なんて大型魔獣討伐成功したんですよ」
ノアも静かに微笑む。
ルミナはしばらく呆然としていた。
そして次第に、本当に嬉しそうに笑った。
「……すごいじゃない」
心の底から、そう思った。
自分が知っている人達が、ちゃんと前へ進んでいる。
成長している。
強くなっている。
それが、どうしようもなく嬉しかった。
「ルミナが旅立った後、俺達も必死だったんだぜ?」
「置いていかれっぱなしは悔しかったからな」
「いつか肩を並べられるくらいにはなりたいって、三人で話してたんです」
その言葉に、ルミナの胸が少し熱くなる。
かつての仲間達。
一度きりの冒険だったけど、その時間は、確かに無駄じゃなかった。
「……皆なら、もっと上に行けるわ。目指せSSSランク」
ルミナは優しく笑う。
その言葉に、驚きながらも三人は笑い返した。
もうそこには、頼りなかった新人冒険者達の姿はない。
それぞれが経験を積み、自信を得て、胸を張って立つ“一人前の冒険者”だった。
そしてルミナは思う。
――世界は、ちゃんと未来へ進んでいるんだと。
夜風が静かに草木を揺らしていた。
月明かりに照らされた墓地の奥。
そこだけが、まるで時間から切り離されたように静かだった。
リリス・アーディアの墓。
その前に、ライナとルミナは静かに立っていた。
しばらく、誰も口を開かなかった。
聞こえるのは風の音だけ。
やがてライナが小さく息を吐く。
「……色んな所、回ったな」
「そうだね」
ルミナも静かに頷く。
叡智の都ミスティア。
ドボル王国。
アルヴァレスト王国。
ノルディア。
イグナス。
戦った場所。
救った場所。
傷跡が残る場所。
その全てを巡ってきた。
ライナは墓石へ視線を向ける。
「お前の事、ちゃんと覚えてる奴らもいたぞ」
小さく笑う。
「まあ……大概嫌われてたけどな」
脳裏に浮かぶ。
皮肉げに笑う少女。
歌声。
戦場での背中。
最後まで抗い続けた姿。
ルミナも目を伏せた。
「……リリス、なんて言うかな」
ライナは少し考えた後、苦笑する。
「“当然ですぅ”じゃないか?」
その瞬間、ルミナが吹き出した。
「ふふっ……言いそうね」
少しだけ、空気が柔らかくなる。
だがその静けさの中で、ライナはゆっくり空を見上げた。
長い沈黙。
そして――。
「……もう、思い残す事はない」
その声は穏やかだった。
ルミナの肩が、ほんのわずかに揺れる。
ライナは静かに続けた。
「明日――元の世界に還れるよう、手配してくれ」
夜風が吹く。
ルミナは俯いたまま、ぎゅっと手を握った。
分かっていた。
いつかこの時が来ると。
ライナは元々この世界の人間じゃない。
いつまでも引き留められる存在ではない。
それでも。
もっと一緒に旅をしたかった。
もっと話したかった。
この世界に残ってほしかった。
そんな気持ちが、胸の奥で痛む。
だがルミナは、それを押し殺すように小さく息を吸った。
そして顔を上げる。
「……分かった」
いつものように。
ちゃんと笑おうとした。
少しだけ、震えていたけれど。
ライナはその表情を見つめた後、静かに頭を下げる。
「ありがとう、ルミナ」
「え……」
「お前がいなかったら、俺は魔王に勝てなかった」
真っ直ぐな声だった。
「この世界の事も、仲間の事も、戦う理由も……全部、お前達がくれた」
ルミナは目を見開く。
ライナはさらに頭を下げた。
「本当に感謝してる」
その姿を見た瞬間。
ルミナの胸の奥に押し込めていた感情が、少しだけ溢れそうになる。
だから彼女も、深く頭を下げた。
「……申し訳、ありませんでした」
ライナが目を瞬かせる。
ルミナは俯いたまま続けた。
「私達の都合で、勝手にあなたを召喚してしまった」
声が少し震える。
「本来なら、あなたにはあなたの人生があったはずなのに……」
世界を救うため。
その大義名分で、異世界の勇者を呼んだ。
それは事実だった。
「それにも関わらず……」
ルミナはぎゅっと拳を握る。
「あなたは命を懸けて戦ってくれました」
脳裏に浮かぶ。
傷だらけのライナ。
絶望の中でも立ち上がる姿。
仲間を守るため剣を振るう背中。
「世界を救うために、危険を顧みず奮闘してくださった事……心から御礼申し上げます」
まるで、最後のケジメをつけるような礼だった。
静かな夜。
ライナはしばらくその姿を見つめていた。
やがて、困ったように笑う。
「謝らなくていいって」
ルミナがゆっくり顔を上げる。
「戦うって決めたのは俺だ」
ライナは肩を竦める。
「途中で逃げる事だってできた。でもやらなかった」
それは誰かに強制されたからじゃない。
自分で選んだ。
仲間を守りたかった。
この世界を救いたかった。
ただそれだけだった。
「それにさ」
ライナは少し照れくさそうに頭を掻く。
「そんな堅苦しい礼言われると、なんかむず痒い」
ルミナは一瞬きょとんとした後――。
ふっと笑った。
「……そうね」
涙を堪えるように、少しだけ目を細める。
「私達には、もうこういうのは似合わないわね」
「だろ?」
二人は顔を見合わせる。
そして、いつものように笑った。
戦場でも。
旅の途中でも。
何度も交わしてきた、あの自然な笑顔だった。
夜空には、静かに星が輝いていた。




