130.異世界行脚2
巨大な白銀の城壁。
天を突くように掲げられた無数の旗。
そして城門前に立つ、鎧姿の騎士達。
アルヴァレスト王国――。
武力と誇りを重んじる大国。
世界最強の騎士団を擁するその国は、近付くだけで空気が違った。
規律。
緊張感。
鍛え抜かれた者達だけが持つ圧力。
ルミナは思わず息を呑む。
「すごい……これがアルヴァレスト……」
隣のライナは、どこか懐かしそうに城壁を見上げていた。
「ここにはかなり世話になった」
「ライナが剣技を磨いた国……だよね」
「ああ」
ライナは小さく笑う。
「最初は正直、技術だけ盗めればいいと思ってた」
「えっ」
ルミナが目を丸くする。
「俺、元の世界じゃ勇者だったし魔王も倒したしな。剣もそれなりに極めたつもりだった」
その声には、少し苦いものが混じっていた。
「……でも、シリウスに叩き潰された」
ライナの脳裏に蘇る。
激しい剣戟。
軽いようで重い一撃。
何度挑んでも届かなかった背中。
騎士団長――シリウス・アルヴェイン。
圧倒的な剣技と実力を誇る、王国最強の剣士。
『まだまだだな』
ライナはあの時初めて気付いた。
自分は“元勇者”という肩書きに甘えていたのだと。
この世界を、どこか下に見ていたのだと。
「……ここで、本当の意味で鍛え直されたんだ」
ルミナは静かにライナを見つめた。
その時――。
「――開門ッ!!」
重々しい音と共に巨大な門が開く。
そして次の瞬間。
「勇者様だぁぁぁ!!」
「ライナ殿!!」
「おかえりなさいませ!!」
歓声が一斉に響き渡った。
城門の向こうには、無数の騎士達と国民達が並んでいた。
ルミナが驚きで目を見開く。
「え、ええっ!?」
「はは……相変わらずだな」
ライナが苦笑する。
騎士達は剣を掲げ、国民達は花を撒きながらライナを歓迎していた。
「魔王討伐おめでとうございます!」
「アンタのおかげで世界が救われた!」
「また来てくれたんだな!」
次々と飛んでくる声。
ライナは少し照れくさそうに頭を掻く。
「大げさだって」
「何言ってんだ!!」
「英雄の帰還だぞ!!」
屈強な騎士達が豪快に笑う。
その熱量に圧倒されながら、ルミナは思う。
――ライナ、本当にこの国で愛されてるんだ。
やがて群衆が左右へ分かれる。
その先から、五人の騎士が姿を現した。
それぞれ異なる鎧を纏い、ただ歩くだけで周囲の空気が張り詰める。
アルヴァレスト王国を支える“五騎士団長”。
その中央には、銀髪の男――シリウス・アルヴェイン。
「久しいな、ライナ」
低く静かな声。
ライナは自然と背筋を伸ばした。
「シリウス」
シリウスはじっとライナを見る。
まるで剣を交えずとも、互いの変化を確かめるように。
やがて、口元をわずかに緩めた。
「……良い目になった」
ライナも小さく笑う。
「そっちこそ」
その瞬間――。
「よぉぉぉし!!」
「祝いだ祝い!!」
「勇者帰還記念だァ!!」
残りの団長達が突然騒ぎ始めた。
嫌な予感がして、ライナの表情が引き攣る。
「……まさか」
「もちろん稽古だ!!」
「久々にやろうぜライナ!!」
「世界救った剣、見せてみろ!」
「いや待ってよ!?」
ルミナが思わず声を上げる。
だが騎士達は完全に乗り気だった。
「木剣持ってこい!!」
「訓練場空けろォ!!」
「おいシリウス、お前もやるだろ!?」
「当然だ」
即答だった。
ライナは頭を抱える。
「……まさかこうなるとは」
周囲では既に大歓声。
逃げ場はない。
数十分後――。
王国最大の訓練場。
観客席を埋め尽くす騎士達。
中央でライナは木剣を肩に乗せ、盛大にため息を吐いていた。
「魔王よりこっちの方がキツいかもしれない……」
「弱音か?」
向かい側でシリウスが木剣を構える。
他四人の団長達も既に戦闘態勢だった。
ルミナは完全に呆然としている。
「これがお祝いって何なんだこの国……」
開始の鐘が鳴る。
瞬間――。
五方向から同時に踏み込んでくる団長達。
「うおっ!?」
ライナが反射的に木剣を振るう。
激しい打撃音。
土煙。
歓声。
かつて幾度も繰り返した訓練。
死線を潜った今でも、彼らの剣は鋭かった。
「ははっ!!」
「鈍ってねぇじゃねぇか!!」
「そっちこそ!」
ライナも笑う。
身体が自然に動く。
剣を交える度に思い出す。
ここで積み重ねた日々を。
慢心を砕かれた事。
何度も倒された事。
剣を学び直した時間。
そして――。
この国で、リリスと再戦した事。
あの時、彼女の叫びを聞いた。
敵ではなく、苦しむ一人の少女として。
だから手を伸ばした。
だから仲間にした。
その時、背中を押してくれたのもシリウスだった。
『行け』
あの言葉があったから、今がある。
激しい剣戟の最中。
ライナは自然と笑っていた。
「……楽しいな」
「今更気付いたか」
シリウスの木剣が真正面から叩き込まれる。
ライナはそれを受け止めながら笑い返した。
「ああ。ここ、結構好きだったみたいだ」
白く染まった大地。
空から静かに降り続ける雪。
吐く息さえ凍りつきそうな冷気。
雪の町ノルディアは、今日も静かな冬景色に包まれていた。
町の入口へ辿り着いた瞬間、ルミナは肩を震わせる。
「さ、寒い……っ」
ルミナはマントを強く握りながら身を縮こませた。
ライナは苦笑する。
「氷葬竜と完全同化したのに寒さ苦手なんだな」
「それとこれとは別問題です!」
すぐさま返ってくる抗議。
そんな軽いやり取りをしながらも、ライナの視線はどこか静かだった。
この町には、忘れられない記憶がある。
混沌の使徒達による襲撃。
太古の魔物――氷葬竜イグナ=ヘルヴァルの顕現。
町ごと滅ぼされかけたあの日。
吹き荒れる吹雪の中、命懸けで戦った記憶が脳裏を過る。
そしてもう一つ。
戦いの最中、リリス・アーディアの存在が町の人々に知られてしまった事。
――ギルデッド・スターズ。
数え切れないほどの破壊と死をもたらした存在。
事情など関係なかった。
町の人々にとって、
リリスは恐怖そのものだった。
『ふざけるな……!』
『なんでそんな化け物を連れてる!』
『仲間が何人死んだと思ってる!!』
罵声。
憎悪。
恐怖。
あの日の空気を、ライナは今でも覚えている。
ルミナも同じ記憶を思い出したのか、少しだけ表情を曇らせた。
「……あの時は、大変だったね」
ライナは静かに頷く。
あの時、自分達も責められた。
リリスは人間には戻っていたが“魔族を庇う者達”として。
だが――。
リリスは何一つ言い返さなかった。
『当然です』
雪の中、彼女は静かにそう言った。
『リリスは、それだけの事をしてきたです』
怒鳴られても。
石を投げられても。
怯えた目を向けられても。
ただ黙って受け入れていた。
その背中が、なぜだか酷く小さく見えた事を、ライナは今でも忘れられなかった。
町へ入る。
ノルディアの人々は、ライナ達に気付くと足を止めた。
ざわめきが広がる。
「……勇者様か」
「魔王を倒したっていう」
「また来たんだな」
だが、他の国のような熱狂はない。
歓声も、盛大な歓迎もなかった。
代わりにあったのは、どこか距離を測るような視線だった。
やがて年配の男性が前へ出る。
「……町を救ってくれた事には感謝してる」
静かな声。
「魔王を倒してくれた事もな」
周囲の人々も、小さく頷いていた。
だがそれ以上はない。
英雄を見る目ではなく、“世話になった冒険者”を見るような距離感。
ルミナは少しだけ周囲を見回した後、小さく息を吐く。
「……当然、だよね」
ライナも頷いた。
「うん」
責める気にはなれなかった。
リリスがやってきた事は、それほど重い。
たとえ彼女が救われたとしても、傷付けられた側の恐怖が消えるわけではない。
だからこの反応は、むしろ誠実だった。
無理矢理“全部許された事”にしない。
それがこの町の答えだった。
宿屋へ向かう途中。
一人の小さな女の子が、物陰からライナ達を見ていた。
その手には、花飾り。
ライナは何も言わず女の子を見ていた。
しばらくして女の子がライナ達の元に寄ってきて花飾りを渡してきた。
「この町を……世界を救ってくれてありがとう。勇者様」
笑顔で言う女の子。
女の子の笑顔と花飾りに二人は少し許されたような気持ちになった。
走り去る女の子。
ライナ達はただ静かに、その背中を見送った。
夜。
宿屋の窓から見える雪景色を眺めながら、ルミナがぽつりと呟く。
「……リリスなら、この町の反応見て何て言ってたでしょうね」
ライナは少し考えてから、
苦笑した。
「たぶん――」
脳裏に、あの皮肉げな笑みが浮かぶ。
『当然ですぅ』
『リリスを歓迎しろなんて、図々しいにも程があるです』
きっとそんな風に、いつもの調子で笑っていただろう。
だけど。
その後で少しだけ寂しそうな顔をする事も、ライナは知っていた。
窓の外では、静かに雪が降り続けていた。
まるで、誰にも見えない傷跡を覆い隠すように。
中立都市イグナス。
かつては世界各国の使者や商人達が集い、“争いの外側”として栄えた巨大都市。
だが今――。
その面影は、もう半分以上失われていた。
都市へ続く街道を歩きながら、ライナは静かに目を細める。
遠くからでも分かった。
崩れた外壁。
修復途中の建造物。
焼け焦げた石畳。
そして、まだ空気に残る焦げた臭い。
ルミナも言葉を失っていた。
ルミナはゆっくり周囲を見回す。
「……直後に比べたらマシにはなったけど」
ライナは小さく頷いた。
イグナスは、あの戦いで最も大きな被害を受けた場所だった。
三人の混沌の使徒。
同時襲撃。
各国の王達を一斉に討つために仕組まれた、大規模殲滅作戦。
あの日の空は、黒い雷と炎で覆われていた。
そして――。
太古の災厄。
混沌竜ヴェル=ナーガ。
世界そのものを拒絶するような、圧倒的な“死”の象徴。
ライナは今でも覚えている。
巨大な咆哮。
崩壊する都市。
逃げ惑う人々。
どれだけ剣を振るっても、届かない絶望。
あの戦場には、多くの者達がいた。
カイル。
フェリア。
シリウス。
皆が命を削って戦った。
それでも、ヴェル=ナーガは強すぎた。
何度も心が折れかけた。
だが、それでも立ち上がった。
諦めた瞬間に世界が終わると、全員が理解していたから。
そして一度は、確かに押し返したのだ。
「いける」と、誰もが思った。
だが――。
決定打が足りなかった。
あと一歩届かない。
その瞬間。
空が割れた。
魔王グラン・ディアヴォルス率いるギルデッド・スターズ。
血のような魔力を纏った魔王は、弱ったヴェル=ナーガを見上げて笑っていた。
『ご苦労だったな、人間共』
あの声は、今でも耳に焼き付いている。
次の瞬間、魔王は混沌竜を喰らった。
絶叫。
暴風。
崩壊。
世界が悲鳴を上げたような光景。
そして生まれたのが、“世界最悪の魔王”だった。
ライナは無意識に拳を握る。
ルミナが静かに隣を見る。
「……ライナも思い出しちゃった?」
「ああ」
短い返答。
だがその声は、わずかに重かった。
都市へ入る。
以前は賑わっていた中央通りは、今も瓦礫が積まれたままだった。
建物の半分以上が修復途中。
仮設の木組み。
応急処置の壁。
包帯を巻いた作業員達。
子供達ですら、瓦礫運びを手伝っている。
ライナ達に気付いた人々が、次々と頭を下げる。
「勇者様……」
「魔王を倒してくださって、本当に……」
「ありがとうございました」
感謝の声は確かにある。
だが。
他国のような祝祭感はない。
笑顔を作ろうとしても、その余裕が残っていない。
復興作業の手は止まらず、誰もが生きる事に必死だった。
「……歓迎どころじゃ、ないですよね」
ルミナがぽつりと呟く。
ライナは静かに頷く。
当然だった。
この都市は、まだ“戦いの途中”なのだ。
魔王は倒された。
だが傷跡は残る。
家族を失った者。
故郷を失った者。
生活を失った者。
それらは、魔王が死んだからといって消えない。
広場へ出る。
そこには巨大な穴が残っていた。
ヴェル=ナーガが降り立った場所。
今も完全には埋め戻されていない。
周囲には慰霊碑が並んでいた。
ルミナがゆっくり目を伏せる。
「あの時……本当に終わるかと思った」
「俺も」
ライナは苦笑する。
「あれ以上の絶望は、たぶんもう二度とない」
その時だった。
近くで作業していた老人が、ライナ達に気付き歩み寄ってくる。
「勇者様」
深く頭を下げる。
「アンタ達がいなけりゃ、この街は完全に消えてた」
掠れた声だった。
「本当に感謝してる」
だが次の瞬間、老人は再び瓦礫へ視線を戻した。
「……だからこそ、俺達も前に進かにゃならん」
その背中には、疲労が色濃く滲んでいた。
ライナは何も言えなかった。
英雄が世界を救っても、壊れたもの全ては戻らない。
それが、この街にははっきり残っていた。
夕暮れ。
赤く染まる瓦礫の街を見ながら、ルミナが静かに呟く。
「……リリスも、ここで戦ったんだよね」
「ああ」
あの日、リリスも必死だった。
傷だらけになりながら歌い、魔力を振り絞り、人々を守ろうとしていた。
だが。
この街では、彼女の名を口にする者はほとんどいない。
功績が消えたわけじゃない。
ただ、それ以上に傷が深かった。
ライナは静かに空を見る。
かつて黒い絶望に覆われた空は、今は穏やかな夕焼けに染まっていた。
それでも――。
この街が完全に笑える日までは、まだ長い時間が必要なのだと、痛いほど伝わってきた。




