変わらない答え
何もかも疲れてきた精霊はある日、時空の歪みを感じました。そのまま湖に落ちてしまいそうだったので彼は神殿へと彼らを誘導しました。そしてすぐに自身も神殿へと転移しました。
命の灯火が今にも消えそうな騎士と、健やかに眠る女の子でした。二人はそっくりでしたが、親子ではないとすぐに分かりました。
騎士と契約を交わした精霊は、アンネロッテの記憶を彼女の記憶の奥深くへと巧妙に隠してしまいました。彼女が目を覚ました時に混乱したら面倒だと思ったからです。
今度はクマの獣人の記憶を探索しました。彼には若い頃、子どもが居たようです。しかも女の子で、とても可愛がっていた様子でした。これで女の子の世話は問題なくできそうです。
精霊は次に、息絶えたばかりの彼からアンネロッテに関する記憶を抜き出しました。そしてその二つを自分のものにしたのですが、その際に精霊の予測していなかった出来事が起こりました。記憶を一つに定着するときに、クマの獣人の記憶と、騎士の姫様を強く愛する心とが複雑に絡まり、ディオヌスの孤独な心にストン、と納まってしまったのです。
その瞬間、彼はディオヌスとしての自身を忘れ、大切な姫様を守る森の番人として新たに生まれたのです。
新しい名を、上手く呼べない彼女が呼んでいた“ベルンハルト”として。
彼の管理していた古城を騎士とアンネロッテの記憶を元に構築し直し、大切な姫様の為に全てを整えたのだ。
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「もっとも、今は全て思い出しましたが…私は今まで、ただの森の番人だと思って暮らしておりました」
ベルンハルトは黒い瞳を細めて笑みを作った。その作った笑いにアンナの心はぎゅっと掴まれたように痛んだ。
「ただの森の番人として、ここの管理を任されている。異世界の騎士より姫様を預けられたディオヌスの手伝いをしている。そう、思っておりました」
「ねえ、ベルンハルト。…それとも、ディオヌス様と呼んだ方がいいのかしら」
「…どちらでも、姫様の良いと思う方でお呼び下さい」
「じゃあ、ベルンハルト。私の記憶が蘇ったということは、貴方とクマおじさんの契約はもう無効になったということ?」
ベルンハルトは首を横に振った。
「いいえ。姫様の記憶は失礼ながら、ついでのようなもの。あの騎士の思い出という名の幸せな記憶を頂いただけで十分でした」
ベルンハルトは優しく微笑む。誕生日のお返しにもらった赤いスカーフは、本当は騎士が誕生日にもらったものだ。亡くなった彼の鎧の下にはしっかりとこれが巻かれていたのだ。侍女に手伝ってもらったのだろう。
隅っこにヘタクソなクマの刺繍が縫いつけられていた。彼の記憶を定着させたベルンハルトの宝物であり、アンナからもらったスカーフとなったのだ。しかし、ベルンハルトが貰ったものではなく、クマおじさんが貰ったという意識は大きかったのだろう。その赤いスカーフは彼がクマの姿を取った時にしか付けなかった。
「私は、今まで通りに姫様を守り続けます。この城と、森と一緒に…もちろん、姫様は出て行くことも自由ですが」
ベルンハルトの言葉にアンナは満面の笑みを浮かべた。
「今更出てけって言われても、絶対に出て行くわけないわ」
「…姫様、本当によろしいのですか」
「ここで暮らすという答えは、十一歳のあの時からずっと変わっていないもの。それに、ベルンハルトが精霊でびっくりはしたけれど、よくよく考えてみたらね。私が好きなベルンハルトは、ずっと一緒に居てくれた貴方だもの。何も問題ないわ」
アンナがペロリと舌を出しておどけて見せると、ベルンハルトは驚いたように目を瞠り、噴き出した。
「ふふっ、失礼しました。…私は、姫様のそういう所がとても好ましいと思います」
「じゃあ、ついでにもう一つ教えてあげるね、ベルンハルト」
アンナは結局口を付けなかったナイフとフォークを置いて立ち上がる。扉のベルンハルトの前まで歩いて行って彼の服の袖をぎゅっと握りしめた。
「姫様?」
「ベルンハルト、ちょっと耳貸して」
ベルンハルトは不思議そうに首を傾げたが、逆らわずにおとなしく腰をかがめてアンナの口元に耳を持っていく。
アンナは、その差し出された耳ではなく、彼の頬を両手でぐいと掴んで正面を向けた。そして、ぶつかるようなキスを唇に贈った。
「…ひっ! ひひひひひめさま!?」
真っ赤になって慌てふためくベルンハルトに、アンナは笑う。彼女の頬も負けず劣らず赤い。
「ベルンハルトは、私のことを妹とか何かと思っているでしょう? でも、私は違うから! そういう意味で好きなんだから…覚悟していてね」
動揺したベルンハルトは意味をよく考え、理解したらしい。ごほん、と一つ咳払いをする。無論、顔は真っ赤なままだ。
「夜まで暇を戴きます、姫様」
彼の姿がふっと掻き消える。
「あ、逃げちゃった」
アンナが苦笑いを零すが、そんな彼女の前にすぐに再びベルンハルトが現れた。驚くアンナに彼は腰をかがめ、彼女の顎を掴み上げて唇を奪った。
「遅い朝ごはんでしたから、お昼は必要ないでしょう。また、早めの夕飯にお会いいたしましょうね…アンナ」
唖然とするアンナにベルンハルトは、してやったりといった顔をして一礼をし、今度こそ姿を消した。
真っ赤になったアンナは、へなへなと絨毯の上に座り込んだ。
「ううう……やっぱり、ベルンハルトに勝てる気はしないかも」
彼女はそっと唇に手を当て、瞳を閉じた。
―――クマおじさん、幸せになるよ。きっと、きっと。
あと一話でおしまいです。




