みんなの知っている、おはなし
「んーで。なんでこんなことになってんの」
次の満月の晩に城を訪れたジークは、約束のリンゴジャムをたくさん持って帰るつもりだったのだろう。藤籠を口に咥えていたのだが、ぽいっと投げ捨てて嫌そうに尻尾と耳を下げた。
目の前にはわざとらしく、アンナの腰に手を回してくっつくベルンハルト。アンナは恥ずかしそうではあるが別段嫌がるそぶりもない。
成長した銀狼はその長い口から長い長いため息を吐いて人の姿を取った。子どもの時はアンナより少し小さいくらいのかわいい少年だった彼は、十六歳だ。辛うじてベルンハルトの背には届かないくらいだが時間の問題のようにも思える。柔らかい銀の髪は美しく、金色の瞳は悔しさをにじませている。
「ジーク、こ、こんなことって」
「こういうことでしょう、アンナ」
ぎゅうと引き寄せるベルンハルトをアンナは両手で必死に押し返した。近すぎるのだ。
あの日の夜から、ベルンハルトはアンナにとても甘くなった。いや、前から甘やかし放題だったのだが、甘やかし方が姫様から女性に対するものに変わったのだ。嬉しいけれど、あからさますぎて戸惑う気持ちもある。なんというか、無自覚に垂れ流される色気がアンナを恥ずかしい気持ちにさせるのだ。
ごほん、というジークの咳払いにアンナは我に返った。
「そうなの。ジークには絶対にきちんと話さなきゃね、ベルンハルト」
「私はもうどうでも…」
「ベルンハルト!!」
真っ赤になったアンナが本当に怒ったのを察して、やっとベルンハルトは手を離した。ジークは呆れた様子で椅子に座る。大理石のテーブルの上に優雅に手を組み、その上に顎を乗せる。金色の瞳が面白そうに揺れてベルンハルトを射抜いた。
「さーて。長年、オレの邪魔をしてくれたんだ。聞かせてくれるよなー、ベルンハルト」
***
話を聞きながらジークは時々相槌を打ったり、痛ましそうに顔を歪めたりしていた。それを見てベルンハルトは彼の最初の友を思い出す。ジークを選んだ彼は間違ってはいなかったのだと嬉しい気持ちになった。
「ふーん。なるほどな。いつ行っても神殿が空っぽだからおかしいとは思ってたんだ」
納得したようにジークは頷いた。彼が口伝者から聞いていた話では精霊ディオヌスは先々々代より姿を見せてくれなくなったという。代わりに現れた森の番人を通じてしか存在を確認できないのだとも。おかしな話だとは思っていたが、クマの番人が当の精霊だとは思ってもいなかった。
そして、彼は選ばれた者が王になるわけではないと聞いて安堵していた。帝王学を叩きこまれ、魔術の成績を主席で取っていても、やはり彼は兄には適わないと思っていたのだ。自分は甘すぎるし、バカ正直に相手の言うことを信じすぎてしまう。少しねじくれた兄のほうが王には相応しいとずっと考えていたのだ。
「ジークにも申し訳ないことをしました。歪んだ伝承のせいで王の座に近づけてしまいましたね」
申し訳なさそうなベルンハルトにジークは悪戯っぽく笑って見せた。
「それはオレがどうにかするから気にしなくていい。伝承は歪んでいたことを話すさ。結果はどうなるか分かんないけど、きっとどうにかする」
それに、と嬉しそうにジークは言葉を続けた。
「ベルンハルトはオレを友だちにしようと思って選んでくれたってことだろ?」
「友…?」
不思議そうに首を傾げるベルンハルトにジークは頷いた。
「長い孤独を癒す相手としてオレを選んでくれたんだろ。こんな口の悪いチビ狼だったオレをさ」
選ばれたからこそ、ジークの周りは騒がしくなった。けれど、そのお蔭で彼は成長できたことに違いはないし、何よりこの森に来て秘密を共有しているのだ。そのことがとても誇らしい。そして、王に選ばれたのだと気落ちしたあの時とは違い、彼が自分と仲良くなりたくて選んだのだと分かってとても嬉しかった。
始まりはとても簡単なことだったのに、長い歴史の間に歪んでしまっただけのこと。歪みを正すのが今のジークの仕事だろうと思えた。アンナのことは正直、悔しくて仕方なかったがベルンハルトだったら仕方ないとも素直に思えた。
「そうですね。…改めて、ジークヴァルト。私の友として、満月の晩にはまた呼んでも良いでしょうか。何も無い神殿ではなく、この小さな城に」
「もちろん。ベルンハルトに会いに来て…アンナのリンゴジャムを食べに来るさ」
「…まあ、リンゴジャムくらいなら許して差し上げます」
二人の会話を聞いて、アンナは『リンゴをたくさん仕入れなきゃ』と思い、ジークは『あ、やっぱり悔しい』と思い、ベルンハルトは『やはり、油断も隙もありませんね』と思ったことは各々の秘密だ。
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“姿忘れの森”と畏れられる精霊ディオヌスの森がある。代々、クマの獣人が森の番人をしているが最近は姿を見ることも珍しいと言われる人間の女性が番人を代替わりして務めているそうだ。
彼女が森を歩くと木々が避け、動物たちは嬉しそうに後ろを付いてくる。赤いスカートを踊るように揺らしながら森の中を歩くその横には、赤いスカーフを巻いた黒いクマが必ず寄り添うのだという。
そして満月の夜、森全体が青い光に包まれ、魚が宙を泳ぐ不可思議なその森の古城には銀狼が訪れる。伝承に食い違いが生じないようにと、彼の理解者である兄の金狼を連れて訪れることもあるそうだ。
少しだけ賑やかになった森の古城では、金色の髪の毛に青い瞳のお姫様がせっせとリンゴジャムを作る。リンゴが取れない時は別のジャムだ。それを穏やかに見守るのは黒い髪に黒い瞳の燕尾服の男性。時々おっちょこちょいな彼女を素早くサポートする様は鮮やかだ。
アンネロッテ姫はもう姫様とは呼ばれなくなったけれど、世界で一番幸せな女の子になった。
そして、孤独な精霊は彼だけのお姫様を手に入れて、二人の友人までも手に入れたのだ。
限られた王族だけではなくて、レアトリア国民みんなが知っている新しいおとぎ話。
森の番人となった姫様は二人寄り添って幸せに暮らしました。
めでたし、めでたし。
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最後までお付き合い頂きましてありがとうございました。




