89.ラクの過去④
「『竜征軍』に入れ。俺の部隊に来い」
サブの声だった。
それは、ラクに向けられた言葉だった。
ラクには、最初からわからなかった。
目の前にいる男は自分とそう歳も変わらない。
それなのに軍に所属し、戦争でもかなりの功績を挙げたらしい。
自分とはまるで違う世界を生きてきた人間。
そんな男が、なぜ自分を軍に誘うのか。
犯罪に手を染め、好き勝手に生きてきた自分を、なぜ仲間に加えようとするのか。
理解できなかった。
いや、理解できるはずがなかった。
ラクは、サブという男がわからなかった。
***
竜征軍。
それは、竜人を討伐するために結成された軍事組織らしい。
そんな組織が存在していたことすら、ラクは知らなかった。
本部へと連れてこられたラクは、物珍しそうに周囲を見回していた。
行き交う隊員たち。
建物の中に響く足音。
自分が今まで生きてきた世界とは、何もかもが違っていた。
そんな中、サブがふと思い出したように口を開く。
「妹の学費と治療費っつーのは、いくらぐらいなんだ?」
「……は?」
あまりに唐突な質問だった。
「いやぁ、いくらくらいなのかなって……たぶん俺の貯金でどうにかなるかとは思ってるんだが」
「……ちょっと待て」
ラクは思わず聞き返した。
「……ん?」
「お前の金からなのか?」
「え? あぁ、そうだが……一応、病院の方にはいくらか振り込んどいたぜ?」
「はあ?」
思わず声が漏れた。
「……ん?」
サブは不思議そうに首を傾げる。
「待てよ……成果出したらっつー話じゃ……」
ラクは困惑しながら言った。
確かに、妹のために働くという話だったはずだ。
自分が成果を出し、その報酬として妹を助けてもらう。
そういう約束だと思っていた。
なのに。
「え? 妹さんやべえんだろ? ……じゃあ払った方が良くね?」
「はあ!?」
ラクは思わず声を荒らげた。
目の前の男は、本気で言っているらしい。
冗談でも、同情を誘うための言葉でもない。
ただ、それが当然だとでもいうように話している。
「…………」
ラクは言葉を失った。
なんなんだ、こいつは。
なぜ、そこまでする?
俺はまだ何もしていない。
成果だって出していない。
それなのに、どうして。
ラクには、まるで意味がわからなかった。
この男は、狂っているのか。
それとも、自分が何か大きな勘違いをしているのか。
いくら考えても、答えは出なかった。
***
『えぇ!? らっくん軍隊の人なの!?』
電話越しに、ハナの大きな声が響いた。
「あははっ、そうなんだよ……だから今、仕事中でしばらく帰れないかもなんだ……」
『なんで言ってくれなかったの!?』
「言うタイミングなくてさ……」
『いくらでもあったじゃん!!』
「あははは……」
ラクは苦笑いを浮かべた。
電話の向こうでは、ハナが頬を膨らませているのだろう。
顔を見なくても、なんとなく想像できた。
『……えへへー』
「……ん? どうした?」
『いやあ……えへへへ』
「なんだよ……早く言えって」
ラクは笑いながら促した。
すると、ハナは少し弾んだ声で言った。
『あたしね! らっくんが頑張ってるの聞くの好きみたい!』
「……なんだよそれ」
思わず笑ってしまった。
『うん! 大好きなの! 頑張れってなるの!』
「あはは、どういうことだよ」
『あたしも頑張れる気がして嬉しい!』
「……あぁ、そうか……良かったよ」
ラクは穏やかな声で答えた。
いつもと同じように笑っていた。
けれど。
『らっくんが居ないと寂しいけどね! 頑張ってるって聞くと! 本当に嬉しい!』
「………………」
ラクは黙り込んだ。
ふと、サブの顔が頭をよぎった。
妹の治療費を、何のためらいもなく払った男。
自分が何をするのかもわからないうちから、手を差し伸べてきた男。
(なんなんだ、あいつは……)
やっぱり、わからない。
どうして自分を軍に誘ったのか。
どうして妹を助けてくれたのか。
どうして、そこまでするのか。
何ひとつ、わからなかった。
『えへへへ、毎日電話してね!』
「…………あぁ」
短く答える。
『たまには帰ってきてよね! らっくん!』
「………………」
胸の奥が、じんわりと熱くなった。
自分がいないことを寂しがってくれる人がいる。
自分が頑張っていることを、喜んでくれる人がいる。
それが、たまらなく嬉しかった。
こんな気持ちになるのは、いつ以来だろう。
いや。
もしかしたら、初めてなのかもしれない。
『頑張れー! らっくーん!』
「………………」
ラクは、そっと唇を噛んだ。
まだ、わからない。
どうして自分なんかを軍に誘ったのか。
どうして、妹まで助けてくれたのか。
何ひとつ、わからない。
それでも。
(…………ありがとう)
ふと、そんな言葉が浮かんだ。
『……らっくん?』
「…………ん? ……なんだ?」
『泣いてるの?』
「泣いてるわけないだろ! ばーか」
ラクは笑って答えた。
いつものように。
何でもないことのように。
ラクはまた嘘をついた。




