88.ラクの過去③
荒れた青年時代
少しずつ、身体に筋肉がつき始めた頃。
ラクは、ひどく荒れていた。
昼夜を問わず、暴走族の仲間たちと街を走り回る。
夜の街にバイクのエンジン音を響かせ、信号などお構いなしに道路を駆け抜けた。
気に入らない奴がいれば殴る。
ひ弱そうな男を見つければ、無理やり金を巻き上げる。
大麻をふかし、酒を飲み、気の向くままに遊び歩く。
そんな毎日だった。
未来のことなど考えない。
自分がどうなろうと知ったことではない。
その日が楽しければ、それでよかった。
――そんなある日のことだった。
ラクは、ひょんなことから竜人の能力を授かった。
「……竜人?」
その言葉には聞き覚えがあった。
確か、人類を滅亡の一歩手前まで追い込んだ、恐ろしい存在だったはずだ。
かつて世界を巻き込むほどの戦争を引き起こし、人間たちを絶望の淵へと追いやった者たち。
それが竜人。
だが、当時のラクにとっては、どうでもいい話だった。
世界がどうなろうと知ったことではない。
自分の生活が変わるわけでもない。
そう思っていた。
少なくとも、この時までは。
***
いつも通り、街でひ弱な男から金を巻き上げようとしていた日。
「おい、金出せよ」
ラクが男の胸ぐらを掴む。
「ひっ……! か、勘弁してください……!」
「うるせぇな。さっさと――」
「だあくしょおおおお!!」
突然、ラクが大きなくしゃみをした。
その瞬間だった。
――ドゴォォォォォンッ!!
凄まじい轟音が、街中に響き渡った。
「…………は?」
目の前の景色が、一変していた。
地面には亀裂が走り、周囲の建物の壁が崩れ落ちている。
停めてあったバイクが横倒しになり、舞い上がった砂埃が視界を覆い尽くしていた。
つい先ほどまで目の前にいた男も、悲鳴を上げながら遠くへ吹き飛ばされている。
ラクは、呆然とその光景を見つめた。
「……な、なんだ……今の……?」
何が起きたのか、まるで理解できなかった。
自分は、ただくしゃみをしただけだ。
それなのに。
「…………」
ラクはゆっくりと、自分の両手を見つめた。
そして、ふと思い出す。
――竜人から授かった能力。
「……まさか」
根拠などなかった。
だが、なぜか確信できた。
「……これが、能力ってやつか?」
ラクの口元が、ゆっくりと歪んだ。
恐怖よりも先に湧き上がってきたのは、好奇心だった。
自分に、こんな力がある。
それだけで、胸の奥が熱くなった。
それからラクは、自分の能力について調べ始めた。
何度も試し、何度も失敗し、少しずつ使い方を理解していった。
能力の主な発動条件は、声。
鋭い刃をイメージしながら、少し高い声で叫ぶ。
すると――。
ヒュンッ!!
空気を切り裂くような音とともに、目に見えない斬撃が飛んだ。
「……おおっ!」
今度は、爆発をイメージする。
腹の底から、少し低い声を響かせる。
「――おらぁっ!!」
ドゴォォンッ!!
轟音とともに、目の前の地面が爆ぜた。
さらに、周囲に響く音を意識して吸い込んでみる。
すると――。
すっ……。
風の音も、遠くの人間の話し声も、何もかもが消えた。
世界から音だけが切り離されたかのような、異様な静寂。
ラクは、思わず笑った。
「……はっ」
「ははっ……!」
「なんだよ、これ……!」
すげぇ。
そう思った。
声ひとつで、何もかもを破壊できる。
使い方次第では、誰にも気づかれずに相手を襲うことだってできる。
今まで自分がどれだけ強くなろうと、結局は拳ひとつでしか戦えなかった。
だが、もう違う。
この力さえあれば、自分に逆らえる奴なんていなくなる。
当時のラクにとって、それはあまりにも都合のいい能力だった。
***
以前、ラクと付き合っていた女たちが、ラクへの恨みからハナを襲撃したことがあった。
ラクのことを忘れられない女もいれば、裏切られたことを許せない女もいた。
その怒りの矛先が、ハナへと向けられたのだ。
ハナは激しいリンチを受け、全治半年という大怪我を負った。
その知らせを聞いたラクは、怒り狂った。
「……誰がやった?」
低い声だった。
普段の軽薄な態度は、どこにもなかった。
「……おい。誰が、ハナをやったんだよ」
相手の名前を聞いた瞬間、ラクは飛び出していた。
そして、ハナを傷つけた女たちを見つけ出すと、二度と自分たちに逆らえないよう、徹底的に叩きのめした。
容赦などなかった。
怒りに任せ、相手が泣き叫ぼうと、許すつもりはなかった。
――ハナを傷つけた。
その事実だけで、ラクには十分だった。
それ以来ハナは入院生活を送ることになった。
病室の白い天井。
消毒液の匂い。
ベッドの上で、思うように身体を動かせないハナ。
そして、彼女のそばに立つラク。
「…………」
ハナは、何も言わなかった。
ラクを責めることも、泣きわめくこともなかった。
ただ、静かにベッドに横たわっていた。
その姿を見るたびに、ラクの胸の奥が締めつけられた。
――俺が、もっとしっかりしていれば。
そんな考えが、頭をよぎることもあった。
だが、後悔したところで何も変わらない。
ハナの怪我は治らない。
入院生活だって、すぐには終わらない。
そして、金が必要だった。
ハナの学費。
それに加えて、ハナの治療費。
今までのように遊び歩いているだけでは、とても足りなかった。
どうにかしなければならない。
どうにかして、ハナを助けなければ。
そんなことばかり考えていた。
その時だった。
ふと、ラクの頭に、あの能力がよぎった。
――音の能力。
声ひとつで、地面を吹き飛ばすことすらできる力。
「…………」
ラクは、ゆっくりと顔を上げた。
この力さえあれば。
いくらでも金を奪えるんじゃないのか。
相手を脅し、抵抗する奴は力ずくで黙らせる。
金を手に入れる方法なら、いくらでも思いついた。
本来なら、そこで立ち止まるべきだった。
そんなことをすれば、どうなるのか。
犯罪だ。
捕まるかもしれない。
取り返しのつかないことになるかもしれない。
だが――。
ラクは、考えるより先に動いていた。
***
最初は、ほんの少しの金だった。
相手を脅し、財布を奪う。
逆らえば、能力を使って恐怖を植えつける。
声を響かせるだけで、相手は怯え、震え上がった。
拳だけで脅していた頃とは、何もかもが違った。
力の差を見せつければ、大抵の人間は抵抗しなくなる。
それから、ラクは仲間たちと銀行まで襲うようになった。
轟音。
悲鳴。
逃げ惑う人々。
そして、手元に残る大量の金。
一度成功すれば、次はもっと簡単になった。
金は、みるみる増えていった。
これだけあれば、学費も払える。
ハナの治療費だって、なんとかなるかもしれない。
もう、金に困ることはない。
そう思った。
――いや。
本当は、金だけが目的だったのだろうか。
ラクは、ふと手元の札束を見つめた。
何も考えずに遊び歩いていた頃とは違う。
金を手に入れるたび、真っ先に頭に浮かぶ顔があった。
ハナ。
彼女の怪我を治したい。
元気になってほしい。
また、以前のように笑ってほしい。
そのためなら、何だってできる。
そう思っていた。
だからこそ、気づかなかった。
自分がどれだけ危険なことをしているのか。
どれだけの人間を傷つけているのか。
守りたいもののために、何を犠牲にしているのか。
ラクは、ただ前に進み続けた。
***
ある日。
ラクは、ふとハナの言葉を思い出した。
『もう悪さしてない?』
「…………」
その声が、頭の中によみがえる。
責めるような声ではなかった。
ただ、心配しているような。
いつものハナらしい、優しい声だった。
ラクは黙り込んだ。
手元には、奪ってきた金がある。
これで学費を払える。
ハナの治療費だって、なんとかなる。
目的は果たせるはずだった。
なのに。
「…………っ」
胸の奥が、きゅっと締めつけられた。
ほんの少しだけ。
本当に、ほんの少しだけだった。
ラクは視線を逸らした。
「……別に」
誰に聞かせるでもなく、そう呟く。
「……仕方ねぇだろ」
言い訳だった。
自分でも、わかっていた。
ハナを助けるため。
金が必要だったから。
そう言い聞かせれば、どんなことだって正当化できる気がした。
けれど、ハナがこのことを知ったら、何と言うだろう。
そんな考えが頭をよぎる。
「…………」
ラクは、それ以上考えるのをやめた。
今は、ハナを助けることが先だ。
そう自分に言い聞かせた。
――その後。
ラクはサブと出会い、竜征軍へ入れられることになる。




