8.強くなりたいです
翌日。
イフはテントの中で、暖かい寝床に包まれていた。
あまりにも心地よく、気づけば夜になるまで眠ってしまっていた。
ふと目を覚ます。
外からは、雨の降る音が聞こえていた。
ザァァァ……。
テントの外では、大勢の人々が笑顔で話している。
「ダラーさんが助けてくれたんだ!」
「本当に人類最強なのかな……?」
「あの人なら、これからもきっと大丈夫だ!」
そんな声が、雨音に混じって聞こえてくる。
昨日までの絶望が嘘だったかのように、人々の顔には安堵の色が浮かんでいた。
その様子を見て、イフも自然と笑顔になった。
よかった。
みんな、助かったんだ。
ちなみに、アルトという少年が船で街にたどり着き、自国が危機に陥っていることを軍に報告したらしい。
その報告があったからこそ、今回の救助があったという。
このときのイフは、まだ知らなかった。
自分たちが助かった裏側で、どれほど多くの人間が動いていたのかを。
***
しばらく、暖かい場所で過ごしていたイフだったが、ふと頭の中に母の顔が浮かんだ。
――お母さん。
もう、会えない。
あのときの光景が、何度も頭の中によみがえる。
母の死。
あの大男への恐怖。
何もできなかった自分。
あのとき、自分にもっと力があったら。
もっと強かったら。
何か、できたのだろうか。
分からない。
けれど。
何もできなかった。
それだけは、嫌というほど分かっていた。
気づけば、イフは立ち上がっていた。
***
「救出できてよかったですね、ダラーさん。ただ……避難用のシェルターを一時的に使うにしても、この人数を保護するのは難しいんじゃないでしょうか……」
お姉さんは、目の前にいる大柄な男ダラーに心配そうな顔を向けた。
しかし、当の本人はというと、まるで他人事のように手をひらひらと振っている。
「そんなの俺が考えることじゃねぇよ、ばーか!」
「は!? ば、馬鹿!?」
思わず声を裏返したお姉さんを見て、ダラーはニヤニヤと笑った。
「ダラーさん、さてはお酒飲んでます!?」
「元はと言えば竜人のせいなんだからよぉ!」
ダラーは、まるで自分に非は一切ないと言わんばかりに胸を張った。
「そういうのは政府かなんかがやるんだよ! 俺らの税金で食ってんだろ!」
「そりゃあ、俺が働いた分以上に働いてもらわねぇとな!」
さらに声を張り上げ、得意げに続ける。
「俺らは竜人をぶっ倒すだけでいいのぉー!」
「あなたは本当に馬鹿なんですね……」
お姉さんは、呆れたようにため息をついた。
そんな反応も気にする様子はなく、ダラーは腹を抱えて笑った。
「がははははははははっ!!」
豪快な笑い声が、小屋の中に響き渡る。
そのときだった。
雨音に混じって、外から何やら騒がしい声が聞こえてきた。
ダラーは笑うのをやめ、扉の方へ顔を向けた。
「……ん?」
「……どうしたんですか? もう、お酒は飲まないでくださいよ……?」
お姉さんが訝しげに尋ねる。
ダラーはしばらく耳を澄ませていたが、やがて面倒くさそうに立ち上がった。
「んー……。いやぁ……」
重い腰を上げ、扉へと向かう。
ガチャッ。
扉を開けた、その先。
そこには、隊員たちに取り押さえられた少年がいた。
全身泥だらけで、服も身体もびしょ濡れになっている。
少年は必死にもがきながら、声を張り上げていた。
「強ぐっ! なりだいでずっっ……!」
「強ぐぅっ! なりだいでぇずっ……!!」
雨に打たれながら、イフは泣いていた。
涙と雨が混ざり、泥に汚れた顔を伝っていく。
「わかったから落ち着け、ガキっ!」
隊員の一人が、暴れるイフを必死に押さえつける。
「この小屋にはダラーさんがいるんだぞ! 勝手なことを――」
「……いや」
ダラーの低い声が、隊員の言葉を遮った。
隊員たちが一斉に振り返る。
「待て、お前ら。離していいぞ」
「ダラーさん!? いや……しかしっ!」
隊員は戸惑いながらも、目の前の少年を警戒していた。
だが、ダラーは気にする様子もなく、もう一度手を振った。
「いいって。ほら、離しな」
隊員たちは顔を見合わせたあと、渋々イフを解放した。
次の瞬間。
イフは勢いよくダラーに駆け寄り、その服を掴んだ。
「あっ! こらっ!」
隊員が慌てて止めようとする。
しかし、ダラーは片手を上げ、それを制した。
「いや、いいよ。待って」
そう言って、目の前の少年をじっと見つめる。
「……お前、あんときのガリガリのガキか!」
イフは、何度も小さく頷いた。
ダラーはイフの全身を見渡し、困ったように笑った。
「どうしたよぉ! そんな泥だらけになって、泣いちゃって!」
そして、ふと思い出したように尋ねた。
「母ちゃん、見つけられたか?」
「お母さんは……死にましだっ!!」
イフは、声を振り絞って叫んだ。
その瞬間、ダラーの表情が止まった。
「……っ」
イフは俯いたまま、唇を震わせている。
雨音だけが、二人の間に響いた。
しばらくして、ダラーが口を開いた。
「……ふーん」
そして、イフの顔をまっすぐに見つめる。
「……で?」
「……っ!」
イフは顔を歪めた。
涙が溢れ、言葉がうまく出てこない。
それでも、必死に声を絞り出す。
「強く……なりたいでずっ……!」
嗚咽で声が途切れる。
それでも、イフはダラーの服を離さなかった。
「あいつを……倒せるくらいには……!」
震える身体を必死に支えながら、イフは顔を上げた。
「強ぐっ……!!」
最後まで言い切れず、また嗚咽が漏れる。
それでも、イフは必死にダラーを見つめていた。
ダラーは何も言わなかった。
ただ、目の前の少年を見つめていた。
近くにいたお姉さんが、心配そうに口を開こうとする。
しかし、ダラーがそっと手を差し出し、それを制した。
誰も、何も言わなかった。
雨音だけが響く。
イフは泣いていた。
ダラーは、ただその姿を見つめていた。
そして、このとき。
ダラーは思った。
――カッコイイ。
まるで、アクション映画を観て憧れた少年のように。
ただ純粋に。
本当に純粋に。
目の前の少年を、カッコイイと思った。
***
「……おい、クソガキ」
ダラーが、静かに口を開いた。
イフは涙に濡れた顔を上げる。
「名前は?」
「イフ……フォーエバー……です……」
途切れ途切れの声で、イフは答えた。
「……イフ、か」
ダラーは、その名前を確かめるように呟いた。
そして、ふっと笑う。
「ははっ……!」
次の瞬間、いつもの調子で声を張り上げた。
「おい、イフ! 早く中に入れっ!」
「……えっ?」
突然の言葉に、イフは目を丸くした。
「だははっ! さっきまでの威勢はどうした!」
ダラーは豪快に笑いながら、手招きする。
「早く中に入って風呂に入れって言ってんだ!」
「そんな泥だらけでガリガリのクソガキが、まずやることはそれだろうが!」
「……あっ、はい!」
戸惑いながらも、イフは返事をした。
その様子を見ていたお姉さんが、慌てて声を上げる。
「ちょっと! ダラーさんっ!」
隊員たちも、信じられないといった様子で顔を見合わせた。
「ええー!?」
「毎回毎回、なんで勝手なことをするんですか!」
お姉さんはダラーに詰め寄った。
「あなた、まだほかにも仕事があるんですよっ!」
「わかったって! 全部やるって!」
ダラーは面倒くさそうに手を振る。
しかし、お姉さんは引き下がらなかった。
「やるとは言っても! こんな子供、ダラーさんが面倒を見るんですか!?」
「危険な目に遭わないように、ちゃんと保護区に――」
そこで言葉を切り、じろりとダラーを睨んだ。
「……っていうか、どうせあなたのことだから!」
「適当なことを言って、あとで追い出す気でしょ!?」
「そんな可哀想なこと……!」
そのやり取りを、イフは黙って聞いていた。
――やっぱり、駄目なのかな。
せっかく勇気を出して、ここまで来たのに。
また、独りになってしまうのだろうか。
イフは俯き、込み上げてくる涙を必死に堪えた。
そのとき、ダラーが困ったように頭を掻いた。
「いやぁ……」
そして、お姉さんに向かって、あっけらかんと言った。
「そんなことぁ、しねぇって」
「……えぇ!?」
あまりにもあっさりした返事に、お姉さんは目を見開いた。
しかし、ダラーは気にする様子もなく、得意げに胸を張る。
「俺はギャンブルが大好きでなっ!」
「え、えぇ……。存じてますけども……」
お姉さんは、嫌な予感がするとでも言いたげな顔をした。
そんなことにはお構いなしに、ダラーは続ける。
「大事にしてる言葉があるんだよ」
「は、はぁ……?」
お姉さんが首を傾げる。
すると、ダラーは満面の笑みを浮かべ、堂々と言い放った。
「最後は信じた物が勝つんだよっ!」
「ギャ……ギャンブルぅ……」
お姉さんは、もはや呆れる気力もないといった様子で頭を抱えた。
一方のダラーは、そんな反応すら楽しんでいるように笑っていた。
「だはははははっ!!」
ひとしきり笑ったあと、ダラーはイフの方へ振り返った。
「おーい! 何やってんだ、クソガキ!」
イフは、はっと顔を上げる。
「早く来い! 風呂入れっ!」
イフは、ダラーを見つめた。
ダラーもまた、イフを見ていた。
イフは小さく息を吸った。
そして。
ほんの少しだけ駆け足で、ダラーのもとへ向かった。




