9.新しい居場所①
翌朝。
イフは、プティが運転する車の後部座席に座っていた。
隣にはダラーがいる。
窓の外を眺めていると、運転席のプティがふと口を開いた。
「そういえば、自己紹介がまだだったね。私はプティっていうの。気軽にプティって呼んでね!」
「……はい」
イフが小さく頷く。
「それで、隣にいるのがダラー・オブ・ロイヤルさん」
「おいおい、フルネームで呼ぶなよ。照れるだろ!」
「照れなくていいです。だらしない人だから、困ったことがあったら私を呼んでね」
「だらしないとは失礼なっ! これでも人類最後の希望と呼ばれる、最強の人間だぞっ! がはははははっ!」
ダラーの豪快な笑い声が車内に響く。
「……本当に下品な人ですね」
プティは呆れたようにため息をついた。
そして、バックミラー越しにイフを見る。
「イフくん。決してこんな大人にならないでね」
「は、はい……」
イフは困ったように頷いた。
どうやら、この二人はいつもこんな調子らしい。
しばらくの間、ダラーの笑い声だけが車内に響いていた。
やがて、イフが遠慮がちに口を開いた。
「あ、あの……」
「ん?」
ダラーが振り向く。
「……本当に、強くなれますか?」
その言葉を聞いて、プティは少し心配そうにイフを見た。
一方、ダラーはすぐには答えなかった。
「……イフ」
「……はい」
「お前は、どうして強くなりたいんだ?」
「……」
イフは俯いた。
しばらく迷ったあと、ぽつりと答えた。
「……お母さんが、竜人に殺されました」
「……え?」
プティが驚いた声を漏らす。
そして、何かを察したように表情を曇らせた。
「……そっか」
ダラーは静かに呟いた。
「母ちゃん、死んだんだっけな……」
少しの沈黙。
そして、ダラーは続けた。
「……で?」
「……え?」
イフは思わず顔を上げた。
「それで、お前はどうしたいんだ?」
イフは困惑した。
母親が殺された。
そのことを伝えれば、何か言葉をかけてもらえると思っていたのかもしれない。
けれど、ダラーはただ続きを待っている。
イフは、震える声で言葉を探した。
「それ……で……」
うまく言葉が出てこない。
「お母さんは、竜人に殺されました……。それで、僕……怖くて何もできなかったんです」
「…………」
ダラーもプティも、口を挟まなかった。
「何も……できなくて……」
イフの目に、涙が浮かぶ。
「僕がもっと強かったら……。あいつより、強かったら……」
「……イフくん。無理しなくていいんだよ」
プティが優しく声をかけた。
しかし、ダラーは少しだけ目を細めたあと、ふっと笑った。
「……へぇ」
そして、何でもないことのように尋ねた。
「母ちゃんは、どんな竜人に殺された?」
「……え?」
「どんな奴だったんだ?」
「ちょ、ちょっとダラーさん!?」
プティが慌てて振り返る。
「あなた、なんてことを聞くんですか!」
「……プティちゃん、ちょっと黙れよ」
ダラーの声から、いつもの軽さが消えていた。
車内に、重苦しい沈黙が流れる。
「……う」
プティは何か言いたそうにしていたが、結局、口を閉じた。
イフには、なぜプティがそんなに困っているのか分からなかった。
ただ、ダラーの質問に答えなければいけない。
そう思った。
「……お腹を……手で、バンって……」
イフは、自分の腹部にそっと手を当てた。
「あいつが手を振ったら、お母さんのお腹から、血が……いっぱい出て……」
声が震える。
「お母さん、僕の手を握ってくれてたんだけど……だんだん、力が……」
「イフくん……」
プティが、今にも泣きそうな顔でイフを見つめる。
「……そっか、そっか」
ダラーは静かに相槌を打った。
「ちなみに、そいつはどんな竜人だった?」
「……どんな?」
「ああ。身長はどれくらいだった? 髪の色は? 服装は?」
イフは戸惑いながらも、必死に記憶をたどった。
「……大きかった。すごく、大きくて……」
あの日の光景が、頭の中に蘇る。
「髪の毛は……金色、だったと思う」
「……服装は?」
プティが息を呑んだ。
イフはなぜ、こんなことを聞かれているのか分からなかった。
それでも、思い出せる限りのことを話した。
「上は裸で……下は、ダボダボの服を履いてた……」
「……そうか」
ダラーは、それだけ言うと窓の外に視線を戻した。
その横顔からは、何を考えているのか読み取れなかった。
車内に、再び沈黙が落ちる。
「……ごめんね、イフくん」
プティが小さく謝った。
イフは首を横に振った。
何を謝られているのか、よく分からなかった。
ただ、あの日のことを思い出すたびに、胸の奥が苦しくなる。
イフは、溢れそうになる涙を必死に堪えた。
やがて車は、街の外れへと差しかかった。
ダラーは最後まで、窓の外を眺めたままだった。
***
ダラーの家は、街の外れにあった。
決して大きな家ではない。
壁はところどころ傷んでおり、玄関には脱ぎ散らかされた靴が転がっている。
イフは、入り口で立ち止まった。
「……ここが、ダラーのお家ですか?」
「おう! そうだぞ!」
ダラーは自慢げに胸を張った。
「まあ、遠慮せず入れ! 今日からここがお前の家みたいなもんだからよ!」
「……えっ?」
イフは思わず聞き返した。
「ん? なんだ?」
「い、いえ……」
イフは、恐る恐る家の中へ足を踏み入れた。
床には脱ぎ捨てられた服が転がり、テーブルの上には空き瓶が並んでいる。
……汚い。
率直に言って、汚かった。
「…………」
イフが部屋を見回していると、ダラーが背中をバシバシと叩いた。
「さあ! まずは風呂だな!」
「ふ、風呂!?」
「そりゃそうだ! そんな格好じゃ話になんねぇからな!」
ダラーは豪快に笑いながら、イフを風呂場へ押し込もうとした。
「イフくん!」
そのとき、プティがイフを呼び止めた。
「私もたまに様子を見に来るからね。……頑張ってね!」
「え……は、はい!」
イフが返事をすると、プティは安心したように微笑んだ。
「ささ、入った入った! あ、服は新しいのを買っておいたからよ! 身体を洗ったら、これを使え!」
そう言ってダラーは、イフを風呂場へ押し込んだ。
「……ダラーさん」
プティが、改まった声で呼びかける。
「私はこれから本部に戻って、奴隷国の件を報告してきます。イフくんには、ちゃんと優しくしてあげてくださいね」
「だははっ! あいつ、強くなりてえとか言ってんのに、優しくしろってなんだよ!」
「……いや、本当にお願いしますよ」
プティは頭を抱えた。
「あと、イフくんのお世話で忙しいとか言って、本部にあまり来なくなるのもやめてくださいね。まあ、元々あまり仕事してないですけど」
「だははっ! そんなことねえぜ! ちゃんと今回だって仕事したし!」
「何回、私がお願いしたと思ってるんですか!」
「あれ〜? そうだっけ……?」
「とぼけないでください……」
プティは深いため息をついた。
「……人類最後の希望、なんて呼ばれてるんですよ。あなたが頑張らないと、本当に人類は竜人たちに支配されてしまうかもしれないんですからね?」
「…………」
ほんの一瞬。
ダラーは黙り込んだ。
しかし、次の瞬間にはいつもの調子に戻っていた。
「ははっ! そうだな! まあ、人類最強の俺がいれば、竜人なんておちゃのこさいさいよ!」
「……はぁ」
プティは、憐れむような目でダラーを見つめた。
「……と言いたいところなんだがな」
「……え?」
プティが顔を上げる。
ダラーは、風呂場の方へ視線を向けていた。
「……いや。俺以外にも強い奴はいた方がいいだろ?」
「……それは、そうですけど」
「イフがめちゃくちゃ強くなって、人類を救う英雄になるかもしれねえんだぜ?」
「……は、はぁ」
プティは、何とも言えない顔をした。
「がははっ! 大丈夫だって、プティちゃん!」
「……本当に心配です」
プティはもう一度ため息をつき、玄関へ向かった。
「とにかく、私は本部に戻りますからね。たまにイフくんの様子を見に来ますから!」
「はいはーい! じゃあな、プティちゃん♡」
「……その調子で本当に大丈夫なんでしょうか」
プティは最後まで不安そうな顔をしていた。
そして、家を出ていった。
残されたダラーは、しばらく風呂場の方を眺めていた。
やがて、誰に聞かせるでもなく、ぽつりと呟いた。
「……英雄、ねぇ」
その声は、いつもの豪快な笑い声とは違っていた。




