84.時の竜王④
「よっしゃあああああああああああっ!!」
戦場に、場違いなほど明るい叫び声が響き渡った。
――ドサッ!!
殴られたクロスの身体が地面に倒れ込む。
その光景を前に、イフは拳を握り締めて飛び跳ねていた。
「当たったああああああ!!」
「………………」
「当たったよ!!おい!見たか!? 今の!!」
イフは興奮した様子で叫び続ける。
一方。
「…………!?」
ラクは、ただ呆然と立ち尽くしていた。
何が起きた?
今、何が起きたんだ?
時の竜王、クロス・ハルバード。
時間を止める能力を持つ、圧倒的な強者。
その男が――殴られた?
しかも、あのイフに?
「おい! ラクっ!」
イフが勢いよく振り返った。
「見たか!?」
「お、お前……! なんで……!?」
「当たったよ! こいつ、気づいてない!」
「……なに!?」
「こいつに気づかれないように、ずっと見てたんだ!」
イフは、倒れているクロスを指差した。
「そしたら、後ろ向いたから!今だって思って!」
そして。
「へへっ!」
イフは、いつものように屈託のない笑顔を浮かべた。
まるで、とんでもない強敵を殴り倒したことなど、大したことではないかのように。
「………………」
ラクは言葉を失った。
あまりにも予想外だった。
あまりにも無防備だった。
そして、あまりにも――イフらしかった。
しかし。
その瞬間。
ラクの脳裏に、ある言葉が蘇った。
『時を止める』
「…………っ!!」
ラクの表情が一変する。
「待て、お前!!」
「……え?」
「早く逃げろおおおおおおっ!!」
ラクは声を張り上げた。
「奴は時を止めるんだぞ!! 逃げろおおおおっ!!」
「……あ」
イフの笑顔が、ぴたりと止まった。
二人は同時に振り返る。
視線の先には、地面に倒れたクロスの姿。
クロスはゆっくりと上半身を起こしていた。
そして。
殴られた頬に、そっと手を当てる。
「………………」
「………………」
静寂。
イフとクロスの視線が、正面からぶつかった。
クロスは、何も言わなかった。
ただ、自分の頬を押さえたまま、イフを見つめていた。
その表情からは、何を考えているのか読み取れない。
やがて。
「…………お前」
「……え?」
「……殴った?」
「……ええ?」
クロスは、自分の頬を指差した。
「俺を殴った?」
「うん! 殴った!!」
「…………」
「…………」
「……その手で?」
「この手で!!」
イフは、右手を高々と掲げた。
「………………」
「………………」
一瞬。
時間が止まったかのような沈黙が流れた。
そして。
「ぎゃあああああああああああああああっ!!」
「「…………!?」」
突然、クロスが絶叫した。
「汚いぃぃぃぃっ!! いやだあああああっ!!」
クロスは悲鳴を上げながら、自分のコートで頬を乱暴に拭い始めた。
ゴシゴシゴシゴシッ!!
「嫌だ! 最悪だ! なんなんだよ、こいつ!!」
まるで、頬にとんでもない汚物でも付着したかのような騒ぎようだった。
しかも。
クロスの顔には、みるみるうちに赤い蕁麻疹が浮かび上がっていた。
「うわあああああっ!! 取れねぇ!! 取れねぇよおおおおっ!!」
「………………」
「………………」
イフとラクは、あまりの豹変ぶりに固まっていた。
つい先ほどまで、絶対的な余裕を見せていた男とは思えない。
しかし。
「…………っ!!」
ラクの目が見開かれた。
(こいつ……!)
脳裏に、クロスの言葉が蘇る。
『潔癖なんだよ、俺』
(そうか……!!)
ラクは拳を握り締めた。
(こいつ、潔癖だと言っていた!)
(今は……今だけは、油断している!!)
クロスはまだ頬を拭い続けている。
こちらの動きなど、まるで意識していない。
今なら。
今なら攻撃を叩き込める!!
「だらああああああああああああああっ!!」
ラクが全身の力を振り絞って叫んだ。
空気が震え、凄まじい音圧が一気に解き放たれる。
ドゴゴゴゴォォォォッ!!
爆音波がクロスへと襲いかかった。
「……!?」
クロスの身体が、轟音と衝撃に呑み込まれる。
――だが。
次の瞬間。
クロスの姿が消えた。
「…………なっ!?」
ラクの目が見開かれる。
そして。
クロスは、イフの背後に立っていた。
「…………っ!!」
(また……時を止めた!?)
ラクの全身に悪寒が走る。
潔癖症によって生まれた隙。
確かに、今の攻撃は不意を突いたはずだった。
それでも。
クロスは、逃げ切った。
時間を止め、攻撃を回避し、再びこちらの想像を超えてくる。
だが。
今度のクロスは、先ほどまでとは違っていた。
「…………殺す」
低い声が漏れた。
イフが、ゆっくりと振り返る。
そこには、銃を構えたクロスがいた。
「殺す……」
クロスの顔は、怒りに歪んでいた。
「殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺すっ!!」
先ほどまでの冷静さは、どこにもなかった。
赤く腫れた頬。
浮かび上がる蕁麻疹。
そして、憎悪に染まった目。
時の竜王の理性は、完全に吹き飛んでいた。
「…………っ!」
イフは息を呑んだ。
クロスが銃を持つ手に力を込める。
銃口は、まっすぐイフへと向けられていた。
――そして。
バババァンッ!!
バンッ!!
乾いた銃声が、戦場に連続して響き渡った。
「………………」
ラクの目が、大きく見開かれる。
目の前で。
白い髪の少年の身体が、衝撃に揺れた。
「…………イフ!!」




