83.時の竜王③
『弱点』
時の竜王
クロス・ハルバード。
その能力は、時を止めること。
一見すれば、攻略など不可能な能力。
相手がどれほど速く動こうと。
どれほど強力な攻撃を放とうと。
時間を止められてしまえば、何の意味もない。
しかし。
能力には、必ず弱点があるはずだ。
どれほど絶大な力であろうと、何かしらの制約が存在するはず。
時を止めるという、この世の理すら覆す能力にも。
必ず――。
⸻
「…………っ」
ラクは腹部を押さえ、荒い呼吸を繰り返していた。
服には血が滲み、腹部には焼けるような痛みが走っている。
それでもラクの目はクロスから離れなかった。
銃を構えるでもなく、追撃してくるでもなく。
クロスはただ、そこに立っている。
まるで、目の前の人間など敵として認識していないかのように。
(……弱点はなんだ)
ラクは必死に思考を巡らせた。
(時を止めるために何かトリガーが必要なのか?)
(発動できる時間に制限がある? それとも、使える回数か……?)
考えろ。
考えろ。
考えろ。
目の前の化け物を倒すために。
今、自分にできることは、それしかなかった。
「があああああああああああっ!!」
ラクは腹部の痛みを無視して、声を張り上げた。
瞬間。
空気が激しく震えた。
放たれた音の斬撃が、一直線にクロスへと襲いかかる。
ドゴゴゴゴォッ!!
轟音が大地を揺らし、衝撃波が周囲の瓦礫を吹き飛ばす。
バキバキバキッ!!
崩れかけていた建物の壁が砕け散り、粉塵が視界を覆い尽くした。
――当たったか。
そう思った、次の瞬間。
「お前……」
粉塵の向こうから、声が聞こえた。
「自分が今、どんな立場にいるか……わかっていないのか?」
「……!?」
ラクの目が見開かれた。
声がしたのは、正面ではない。
背後だった。
「…………っ!」
慌てて振り返る。
そこには。
先ほどまで正面にいたはずのクロスが、何事もなかったかのように立っていた。
いつ移動した?
どうやって背後に回った?
足音すら聞こえなかった。
いや――。
移動したのではない。
(時を……止めた……)
ラクは奥歯を噛み締めた。
クロスが時間を止め、その間に自分の背後へ移動した。
おそらく、それが答えなのだろう。
だが。
わかったところで、どうすればいい?
時間を止められた瞬間、自分は何もできない。
防御も、回避も、反撃も。
何ひとつ。
「…………っ!!」
ラクが言葉を失っていると、クロスは小さく息を吐いた。
「あぁ……マジかよ。こりゃイカれてるよ」
呆れたように呟きながら、腰の銃をゆっくりと持ち上げる。
カチャリ。
乾いた金属音が響いた。
銃口が向けられた先。
それは、ラクの頭部だった。
「教えてやるよ。ヘタレカス」
「………………!!」
クロスの声は、どこまでも冷たかった。
「生かしてやってんだよ」
その言葉が、ラクの胸に突き刺さる。
殺されていないのは、自分が強いからではない。
生き残れているのは、クロスがそうしているからだ。
目の前の男にとって、自分の命など。
握り潰すかどうかすら、気分次第。
その程度のものだった。
そして次の瞬間。
クロスの姿が、再び消えた。
「…………っ!?」
気づけば、彼はラクの正面に立っていた。
銃を下ろし、何事もなかったかのようにラクを見つめている。
(……また時を止めた!)
ラクの背筋に、冷たいものが走った。
何度見ても理解が追いつかない。
いや、理解はできている。
だからこそ、恐ろしかった。
こいつは本当に、時間を止めているのだ。
「手は汚したくないっつったろ?」
クロスは面倒くさそうに肩をすくめた。
「潔癖なんだよ、俺」
「…………っ!」
ラクは拳を握り締めた。
ここで引き下がるわけにはいかない。
もう一度、爆音波を叩き込む。
その一撃で、何としてでも――。
「おいおいおい。待てよ」
「……!」
クロスの声に、ラクの動きが止まった。
「次、攻撃したら本当に殺すぞ?」
その目には、何の感情も浮かんでいなかった。
怒りもない。
苛立ちすらない。
ただ、目の前の虫を踏み潰すかどうか決めているような、冷たい視線。
冗談ではない。
脅しでもない。
こいつは、本当に殺すつもりだ。
ラクの脳裏に何度も同じ言葉が浮かび上がる。
『時を止める』
圧倒的な能力。
絶大な力。
こちらが何をしようと、すべてを無意味にする力。
敵わない。
そう思ってしまった。
「…………っぐ!」
ラクは歯を食いしばった。
拳を握る手が震える。
怒りは消えていない。
殺意だって、消えていない。
それなのに。
身体が、動かなかった。
『勝てない』
その考えが、頭の中にこびりついて離れない。
どれほど認めたくなくても、目の前の現実がそれを突きつけてくる。
「ははっ」
クロスは、そんなラクを見て薄く笑った。
「わかったなら帰れよ」
そして、くるりと背を向けた。
まるで、もう話は終わったと言わんばかりに。
「勝てないってわかってたならよぉ……」
クロスは振り返ることもなく、吐き捨てるように言った。
「ここに来るんじゃねぇよ。ヘタレカス」
「………………」
ラクは何も言い返せなかった。
言い返す言葉が、見つからなかった。
「もっとも、立ち向かいたい気持ちはわかるがな」
クロスは少しだけ声の調子を変えた。
「これに懲りたら、もう二度と俺の前に現れるな」
その背中からは、隙も油断も感じられない。
ただ、絶対的な余裕だけがあった。
ラクは、ようやく理解した。
こいつは――。
俺に興味がない。
自分を殺そうとしてきた人間を前にしても、怒りすら見せない。
敵として認める価値もない。
それどころか。
人間そのものに、興味がないのだ。
自分たちが何を望み、何のために戦い、何を失おうとしているのか。
そんなことは、こいつにとってどうでもいい。
ただ、目の前に立ちはだかるものを退ける。
それだけ。
底知れぬ、邪悪。
「………………」
ラクは、俯いた。
腹部の傷が痛む。
血が流れている。
呼吸も乱れている。
けれど、それ以上に。
胸の奥が、ひどく冷たかった。
あぁ。
勝てない。
そう思ってしまった。
その瞬間だった。
「うおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
突如、響き渡る叫び声。
「……!?」
クロスの身体が、わずかに揺れた。
バキィッ!!
鈍い打撃音が、辺りに響き渡る。
その拳が、クロスの顔面を捉えていた。
「…………は?」
ラクは、ゆっくりと顔を上げた。
目の前で何が起きたのか、理解できなかった。
時の竜王。
クロス・ハルバード。
その男を、真正面から殴りつけた者がいた。
白い髪を揺らし、拳を振り抜いた少年。
恐怖も、躊躇も、かなぐり捨てるように。
その場に立っていたのは――。
イフだった。




