80.毒の竜人
「…………ぐぼぉっ!!」
サブの口から、大量の血が飛び散った。
赤い飛沫が地面を汚す。
「……サブ!」
キリが悲痛な声を上げた。
目の前で苦しむサブを、ただ見つめることしかできない。
「くくっ! もうすぐ死ぬんだよ、ばあか!」
不気味な笑い声が響く。
男の名は――
『毒の竜人』ドクロ・ドークロン。
その身体から伸びる、細く長い尻尾。
そこから放たれるのは人体を蝕む猛毒だった。
ひとたび毒を受ければ、力が抜け、血を吐き、全身が痙攣する。
体温は異常に上昇し、激しい寒気に襲われる。
呼吸は乱れ、やがて自力で立つことすら困難になる。
人間がその毒を受けた場合、
致死率は、ほぼ一〇〇パーセント。
そして今――
サブ・ストレートはその猛毒に侵されていた。
不意を突かれた尻尾の一撃。
それが、勝負を大きく狂わせたのだ。
***
「くははっ! クロスさんからお願いされたから、ヤベェ奴かと思ったが……」
ドクロは、倒れかけたサブを見下ろしながら笑った。
「…………っ!」
キリは唇を噛み、ドクロを睨みつける。
しかし、ドクロはそんな視線など意にも介さなかった。
「意外とそうでもないな! サブ・ストレート!」
「…………名前っ!」
サブが、かすれた声を絞り出す。
「おぉ! 冥土の土産に教えてやるよぉ!」
ドクロは、愉快そうに笑いながら、サブを指さした。
「お前の名前、結構広まってるぞぉ!」
「…………っ、かはっ!」
再び、サブの口から血がこぼれ落ちた。
膝が揺れる。
視界が歪む。
身体の奥底から、力が抜けていく。
「…………あがっ!」
全身の痙攣が激しくなった。
指先が震え、思うように身体を動かせない。
息を吸おうとしても、うまく吸い込めない。
「……サブ!」
キリが駆け寄ろうとする。
「…………はあ……はあ……」
サブは荒い呼吸を繰り返しながら、ゆっくりと顔を上げた。
その視線の先には、余裕の笑みを浮かべるドクロがいた。
「くはは! 睨むんじゃねぇよ! ばあか!」
ドクロは心底楽しそうだった。
「もう一回、毒を喰らわせてあげようか?」
そう言って、長い尻尾をゆっくりと持ち上げる。
その先端が、サブへと向けられた。
「…………っ!」
キリの表情が強張る。
「……サブ」
小さく、名前を呼ぶ。
しかし、サブから返事はなかった。
「…………はあ……はあ……」
荒い呼吸だけが聞こえる。
サブの視界が、さらにぼやけていく。
目の前のドクロの姿が、何重にも揺らいだ。
身体が重い。
指先の感覚も、少しずつ遠のいていく。
(…………くそ……)
思考すら、まともに働かなくなっていた。
「……サブ、少し待ってて」
その声に、サブがかすかに反応する。
キリは静かに立ち上がった。
そして、ドクロの前へと歩み出る。
「…………あ?」
ドクロが首を傾げた。
キリは一歩も引かず、まっすぐに敵を見据えた。
「……私がやる」
「くははっ! やってみろよ、小娘が!」
キリは何も答えなかった。
ただ、ゆっくりと片手を前へ突き出す。
指先から、冷気が立ち上り始めた。
周囲の空気が冷え、キリの手元に白い霜が生まれる。
その瞳から、迷いが消えていた。
「そこでぶっ倒れてる奴と一緒に、あの世でよろしくしとけ! カス女ぁ!!」
「…………」
キリの手に、さらに冷気が集中する。
空気が凍りつくような、張り詰めた気配。
そして――
「……殺す」
低く、冷たい声が落ちた。
その瞬間だった。
――ガシッ!
「……?」
キリの肩が、誰かに掴まれた。
驚いて振り返る。
そこにいたのは――
「……はあ……はあ……」
サブだった。
「…………っ!」
キリの目が見開かれる。
サブは、立っていた。
全身を震わせながら。
血に濡れた口元から荒い息を漏らしながら。
今にも崩れ落ちそうな身体を、必死に支えながら。
それでも――
確かに、自分の足で立っていた。
「はあ!?」
ドクロの顔から、笑みが消えた。
「はあ!? はあ!? はぁああ!?!?」
信じられないものを見たかのように、声を裏返す。
「お、おかしいだろぉ!! なんで俺の毒を喰らって、立ってんだよぉ!!」
サブは答えない。
ただ、荒い呼吸を繰り返していた。
「下手な人間なら即死するんだぞっ!?」
ドクロの声が、戦場に響き渡る。
それでもサブは、キリの肩を掴んだままだった。
震える手。
乱れた呼吸。
定まらない視界。
そのどれもが、サブの身体が限界に達していることを物語っていた。
それでも、彼は立っていた。
「…………はあ……」
サブは、かすかに息を吸い込む。
そして、キリに告げた。
「……キリ、下がってろ……」
「……え!? でも!」
「……はあ……お前は……はあ……まだ一人で戦わせられない」
「…………サブっ! でも!」
キリの声が震えた。
目の前のサブは、どう見てもまともに戦える状態ではない。
このままでは、サブの命すら危うい。
それなのに。
「いいって言ってんだろ…………」
サブは、わずかに顔を上げた。
「…………いつも通り……」
荒い息の合間に、言葉を紡ぐ。
「……俺のアシスト、頼むよ……」
「…………っ!」
キリは息を呑んだ。
いつもと同じ言葉。
いつもと同じ、サブの頼み。
だが、今の彼は立っていることすら奇跡のような状態だった。
それでも、サブはキリを守ろうとしている。
一人で戦わせるつもりなど、最初からなかったのだ。
キリは唇を強く結んだ。
そして、サブの隣に立つ。
「…………分かった」
その声には、もう迷いはなかった。
サブは再び、敵へと視線を向ける。
視界は荒い。
呼吸も荒い。
全身は痙攣し、声すら震えている。
それでも、その眼差しだけは敵を捉えていた。
「……バケモンかよ!? こいつ!」
ドクロが叫ぶ。
毒を受けた人間が、なぜ立っていられる。
なぜ、まだ戦おうとする。
理解できなかった。
――その時だった。
「はははっ! やはりあなたは強いですね」
聞き覚えのある声が、頭上から響いた。
「…………!」
サブの目が、わずかに見開かれる。
バサッ。
バサッ。
大きな翼が、空気を打つ音。
一同が顔を上げる。
空から、一つの影が舞い降りてきた。
その姿を見た瞬間、サブの表情が険しくなる。
「…………マジか……」
そこにいたのは――
『嵐の竜王』ザディ・サイクロトン。
かつてイフたちと死闘を繰り広げた、強大な竜王だった。
「また、お会いできましたね、サブさん。お元気でしたか?」
ザディは穏やかな笑みを浮かべながら、サブを見つめる。
まるで、久しぶりに友人と再会したかのような口調だった。
「……こりゃ……まずいな……はあ……」
サブは苦しそうに息を吐く。
ただでさえ、猛毒によって身体は限界に近い。
そんな状態で、ザディと戦うことになれば――
「……あぁ、元気そうじゃないですか。お会いできて嬉しいですよ?」
ザディは笑顔を崩さなかった。
「もう……二度と会うことはねぇと……はあ……思ったんだがな……」
サブは途切れ途切れに言葉を返す。
ザディは、少しだけ目を細めた。
「えぇ、それは合ってますよ」
「…………?」
サブが、わずかに眉を動かす。
ザディは微笑んだまま、静かに告げた。
「……これから死ぬんですから……あなたの方が」
その言葉とともに戦場に不穏な風が吹き抜けた。




