75.ヤヤンフーロ①
一ヶ月後。
竜征軍本部、訓練所。
「はああああっ!!」
イフの拳が、エーズの構えた両腕にぶつかった。
ドッ!!
鈍い音が響く。
「おっ、いいぞイフ!」
エーズが笑いながら拳を受け止める。
「まだまだぁっ!」
イフは間髪入れず、もう一方の拳を繰り出した。
しかし、エーズはそれを軽くかわす。
「おっと!」
「うわっ!」
勢い余ったイフの身体が前につんのめった。
「ははは! まだ動きが大きいぞ!」
「くぅ〜! 今のは惜しかったのに!」
イフは悔しそうに顔をしかめると、再び拳を構えた。
額から流れ落ちた汗が、顎を伝って床に滴る。
二人は何度も拳を交えながら、訓練を続けていた。
「エーズ!訓練に付き合ってくれてありがとう!」
イフが笑顔で言った。
「全然! 最近サブさん、あんまりお前のこと見てくれないんだろ?」
「うん……。だから、こうして付き合ってくれるの、本当に助かるよ!」
「気にすんなって!」
エーズは拳を下ろし、額の汗を拭った。
そして、ふと思い出したように口を開く。
「……にしてもイフ。お前、最近毎日ここに来てない?」
イフも動きを止めた。
「……う、うん」
「影の竜人ってやつに負けたのが、そんなに悔しかったのか?」
「…………」
イフは一瞬、言葉に詰まった。
やがて、俯いていた顔を上げる。
「……悔しいよ!」
その声には、抑えきれない感情が滲んでいた。
「また負けたんだ!」
「……!」
エーズの表情から笑みが消える。
「今回、ラクが頑張って撃退してくれたらしいんだけど……俺、また何もできなかった」
イフは自分の拳を見つめた。
何度も握り直した拳。
何度も銃の引き金を引いた拳。
それなのに、いざ強敵を前にすれば、何もできなかった。
「……うん」
エーズは黙って聞いていた。
「それにさ……キリにも言われちゃったんだ」
「キリに?」
「うん。弱いくせに強くなりたいなんて、馬鹿だって……」
「……そ、そんなこと言われたのか」
エーズが驚いたように目を見開く。
イフは苦笑いを浮かべた。
「……だけど、ほんとのことだって思っちゃった」
「…………」
訓練所に、しばしの沈黙が流れた。
遠くから、ほかの隊員たちが訓練する音が聞こえてくる。
誰もが必死に身体を鍛え、技を磨き、強くなろうとしている。
その中で、イフは自分の無力さを痛感していた。
「……サブも、ラクも、エーズも……みんな頑張ってる」
イフは拳を強く握り締めた。
「そんな中、俺一人が負けてばっかじゃダメなんだ……!」
その瞳には、悔しさと決意が入り混じっていた。
「……おぉ!」
エーズが小さく声を漏らす。
イフは顔を上げ、まっすぐにエーズを見つめた。
「だからさ! 絶対強くなんなきゃいけない!」
「……おう!」
エーズは力強く頷いた。
「エーズ! 能力バンバン使っていいからさ! どんどん来てよ!」
「ははは! よーし、言ったな!」
エーズは拳を握り、再び構えを取った。
「一緒にもっと強くなろうな!」
「うん!!」
イフも笑顔で拳を構える。
二人は再び向かい合った。
今度こそ。
少しでも強くなるために。
一歩でも、仲間たちに近づくために。
「よっしゃあああ!! 来い、エーズ!!」
「おう! 覚悟しろよ、イフ!!」
二人の声が、訓練所いっぱいに響き渡った。
***
「……おまえらあ!!」
突然、訓練所に怒号が響いた。
「「……!?」」
イフとエーズは、びくりと肩を震わせて振り返る。
入口に、一人の男が立っていた。
サブ・ストレート。
いつもなら、呆れたような顔で二人を眺めているところだろう。
しかし、今日のサブは違った。
その表情には、いつになく真剣な色が浮かんでいた。
「……サブ?」
二人が顔を見合わせる。
サブは短く言った。
「ちょっと来てくれ」
「……え?」
イフが首を傾げる。
サブはそれ以上何も言わず、二人に背を向けて歩き出した。
その背中からは、ただならぬ雰囲気が漂っていた。
***
竜征軍本部、会議室。
イフとエーズは、サブに連れられて一室に入った。
部屋の中には、すでに二人の姿があった。
「……ラク! キリ!」
イフが二人に声をかける。
「……おう。お前らも来たのか」
ラクは軽く手を上げて応じた。
一方、キリは資料から目を離すこともなく、黙って座っていた。
「……?」
イフは不思議そうに部屋を見回す。
普段とは違う、妙に張り詰めた空気。
サブがわざわざ全員を集めるなんて、何かあったのだろうか。
「今からここで、なにかするの?」
イフがラクに尋ねた。
「いや。俺も何も聞いてねえ」
ラクは肩をすくめた。
「……ふーん?」
イフは首を傾げる。
やがて、ラクがサブに向き直った。
「おい、サブ! 皆呼んでなんかすんのか? それとも、また全員で任務に出るのか?」
「……あぁ。任務だな」
「ほお!」
ラクは椅子から立ち上がった。
「今度はどんな竜人だ? 五人全員で行くってことは、相手は相当強そうだな」
「……あぁ。強いな」
サブは淡々と答えた。
その言葉に、ラクの表情が少しだけ引き締まる。
「どんなやつだ?」
サブは一拍置いてから答えた。
「……竜王だ」
「なに!?」
ラクが目を見開く。
「「……え!?」」
イフとエーズも、思わず声を上げた。
「りゅ、竜王!?」
イフは椅子から身を乗り出した。
「竜王を倒すの!? 居場所がわかったの!? どんなやつなんだ!?」
次々と質問が飛び出す。
「……落ち着け、イフ」
サブが呆れたように言った。
「だ、だって竜王だよ!?」
「わかってる」
サブは小さく息を吐いた。
「あぁ。奴隷を作りまくっている竜王だ」
「……あっ!」
イフの顔から、興奮が消えた。
「こ、この前言ってた……!」
「あぁ」
サブが頷く。
「今もなお、奴隷国を築き続けている。……そして、そいつの居場所がほぼ確実にわかった」
「ほんとっすか!?」
エーズが身を乗り出した。
「どこにいるんですか!?」
「…………」
しかし、サブは答えなかった。
視線を落とし、何かを考えるように黙り込んでいる。
「……?」
ラクが眉をひそめた。
「どうした、サブ?」
「…………ラク」
サブがゆっくりと顔を上げた。
「……冷静に聞け」
「……ん?」
ラクは不思議そうに首を傾げた。
「なんだよ。もったいぶらずに言えって」
サブは一瞬だけ目を伏せた。
そして、静かに告げた。
「竜王の居場所は……『ヤヤンフーロ』という街だ」
「…………は?」
ラクの表情が凍りついた。
先ほどまで浮かべていた余裕の笑みが、跡形もなく消えていく。
「……おい」
低い声が漏れた。
「サブ……お前、今……なんて言った?」
「ヤヤンフーロだ」
サブは目を逸らさず、もう一度答えた。
その瞬間。
「サブ!! お前!! どういうことだ!!」
ラクの怒鳴り声が、会議室に響き渡った。
「……え!? ど、どうしたんすか、ラクさん!?」
エーズが驚いて声を上げる。
イフも、何が起きたのかわからず、ラクとサブを交互に見つめた。
「ラク……?」
しかし、ラクは何も答えなかった。
拳を握り締め、サブを睨みつけている。
その顔には、怒りだけではない、何か別の感情が浮かんでいた。
「…………」
キリもまた、黙って二人の様子を見つめていた。
やがて、サブが口を開く。
「……『ヤヤンフーロ』は」
一瞬の沈黙。
そして。
「ラクの故郷だ」
「…………!?」
イフとエーズは、言葉を失った。
会議室に、重苦しい沈黙が落ちる。
ラクは何も言わなかった。
ただ、握り締めた拳を震わせながら、サブを睨み続けていた。




