72.奴隷国②
竜征軍本部。
長い廊下を、サブとイフが並んで歩いていた。
窓から差し込む陽光が、磨かれた床に細長い光の帯を落としている。
イフは隣を歩くサブを見上げた。
「……サブ? 俺ら、今からどこ行くの?」
「ん? あぁ、ちょっとお願い事があってな」
サブは前を向いたまま、軽い調子で答えた。
「……お願い事?」
「ああ。二つある」
「二つも!?」
イフの顔がぱっと明るくなった。
「出来るか?」
「出来るよ、サブ! 俺、サブの役に立ってみせるよ!」
胸を張って答えるイフ。
その様子を見て、サブは思わず笑みをこぼした。
「ははっ。頼もしいな」
「それで? 何やるの?」
「ああ。まず一つ目だが……」
サブは少しだけ表情を引き締めた。
「今、東の国の奴隷化がかなり進行しているらしい」
「東の国!?」
イフの足がぴたりと止まった。
「俺が住んでたところ!」
「ああ。前から被害はあったんだが……ここ最近、動きが活発になっている」
サブも足を止め、イフに視線を向けた。
「おそらく、竜王自身が動き始めたんじゃないかと俺は踏んでいる」
「……え? 竜王?」
「ああ」
サブは腕を組み、説明を続けた。
「今までも、奴隷化された街や村は複数あった。だが、その被害は東の国に集中していたんだ」
「…………」
「お前が住んでいた街も、奴隷国になったんだったな」
その言葉に、イフの表情がわずかに変わった。
かつての記憶が、脳裏をよぎる。
熱気に満ちた鉱山。
終わりの見えない労働。
そして、自由を奪われた日々。
「……うん。ダラーと会うまでは、ずっと奴隷として過ごしてたよ」
イフは少しだけ俯いたあと、顔を上げた。
「……でも、ダラーが助けてくれたんだ!」
「ああ。ダラーさんが解放したんだったな」
「そうだよ!」
イフはいつものように笑った。
しかし、サブはその笑顔を見つめながら、話を続けた。
「東の国の奴隷国化は、当時から深刻な問題だった。だが、被害が東の国に集中していたおかげで、軍も動きやすかったんだ」
「動きやすかった?」
「ああ。被害の報告が入れば、すぐに現場へ向かえる。おかげで、かなりの数の竜人を倒すことができた」
「……そ、そうなんだ」
イフの声が、ほんの少し小さくなった。
「だが……」
サブの表情から笑みが消える。
「ここ最近、その動きが変わってきた」
静かな廊下に、サブの声が響いた。
「軍が奴隷化を、食い止めていることを見かねたボスが、自ら動き始めたんじゃないか。……俺はそう考えている」
「……ボスっていうと……」
「ああ。竜王だ」
「…………なるほど」
イフは真剣な表情で頷いた。
自分がかつて暮らしていた国で、今も誰かが苦しんでいる。
そう考えると、胸の奥がざわついた。
サブはそんなイフを見て、再び口を開いた。
「少し前から、キリが竜王の所在を探しまくってくれている」
「キリが?」
「ああ。捕獲した竜人の証言に、避難できた国民の証言。被害に遭った街の情報や、これまでの調査報告書……そういった資料を片っ端からまとめて、情報を整理しているんだ」
「す、すげぇ……。そんなことしてたんだ」
「あいつ、ああ見えて仕事はできるからな」
サブは小さく笑った。
「それで、お前にはキリの手伝いをしてほしい。俺はこれから別件で仕事がある」
「なるほど! わかった!!」
イフは勢いよく頷いた。
「頼んだぞ。竜王の所在がわかれば大手柄だ」
「任せろ、サブ!」
自信満々に答えたイフだったが、ふと思い出したように首を傾げた。
「…………ところで、もう一つは?」
「簡単なことだ」
「……?」
サブは何でもないことのように言った。
「キリと仲良くなってほしい」
「…………え?」
イフの顔から笑顔が消えた。
「キリが、俺とラク以外で初めて名前を覚えた人間がお前だ。お前ならいける」
「な、なにそれ!?」
「ははっ。期待してるぞ」
サブはイフの肩を軽く叩くと、そのまま廊下の向こうへ歩いていった。
「えっ!? ちょ、ちょっとサブ!?」
イフの声が廊下に響く。
しかし、サブは振り返らなかった。
「………仲良くって……どうすりゃいいんだよ……」
取り残されたイフは困ったように頭を抱えた。
***
竜征軍本部、資料室。
部屋の中央に置かれたテーブルには、山のような資料が積み上がっていた。
街の地図。
竜人の目撃情報。
被害状況を記した報告書。
そして、避難民から聞き取った証言の記録。
キリはその一つ一つに目を通し、必要な情報を別の資料へとまとめていた。
紙をめくる音が、静かな部屋に響く。
キリの手は止まらない。
一枚を読み終えれば、次の一枚へ。
必要な情報を書き留め、別の資料と照らし合わせる。
その隣では、イフが落ち着かない様子で座っていた。
キリの横顔をちらりと見る。
話しかけようと口を開きかける。
しかし、すぐに閉じた。
(…………ど、どうしよう)
キリは一度もこちらを見ない。
(な、何か手伝ったほうがいいよな……? でも、何をすれば……)
「……………………」
「……………………」
紙をめくる音だけが続く。
耐えきれなくなったイフが、とうとう口を開いた。
「あ、あの……キリ!」
「………………」
キリは顔を上げなかった。
「あ、あのさ……俺、何したらいいかな……?」
「………………」
キリの手が、一瞬だけ止まった。
そして、面倒くさそうに顔を上げる。
「……床でも掃除しといて」
「わかった!」
イフは即答した。
椅子から勢いよく立ち上がると、足早に部屋を出ていく。
数分後。
再び扉が開いた。
戻ってきたイフの手には、雑巾とバケツが握られていた。
「ここ、拭いてるね!」
イフはそう言うと、バケツを床に置き、雑巾を水に浸した。
ぎゅっと両手で絞り、床に膝をつく。
そして、端から丁寧に拭き始めた。
キリはその様子を横目で見た。
「………………」
何も言わず、再び資料へ視線を戻す。
イフはそんなことなど気にも留めず、せっせと床を磨いていた。
静かな資料室に、雑巾が床をこする音が響き始めた。




