43.氷の城
北の国。
かつてこの国は、活気に満ちていた。
街には人々の声が響き、商人たちが行き交い、夜になれば街灯の明かりが街を彩った。
しかし、今はもう違う。
かつての賑わいは、どこにも残されていなかった。
氷の竜王率いる軍団によって、この国は壊滅したのだ。
そんな北の国の外れ。
雪原の奥深くに、一つの城がそびえ立っていた。
巨大な氷柱が幾重にも重なり、鋭く尖った塔が空へと伸びている。
太陽の光を反射するその城は、まるで氷そのものから造られたかのようだった。
その最奥。
玉座に腰掛ける一人の男がいた。
尖った鼻。
長い髪で左目を隠した、どこか気取った風貌。
整った顔立ちとは裏腹に、その表情には退屈そうな色が浮かんでいた。
氷の竜王、ヘル
「……つまんねえなー」
ヘルは頬杖をつきながら、深いため息を吐いた。
「おい、そこのお前!」
「は、はいっ!」
呼ばれた兵士が慌てて駆け寄る。
「なんか面白いことしろよ」
「お、面白いこと……ですか?」
「……あ?」
ヘルの顔から笑みが消えた。
「文句あんのか?」
「い、いえ!そんなつもりでは……!」
「じゃあさっさとやれよ」
「は、はい!ええーっと……」
兵士は必死に頭を回転させる。
しかし、何も思いつかない。
数秒の沈黙。
「……遅い」
ヘルが立ち上がった。
「死ね」
次の瞬間。
兵士の身体が、一瞬にして氷に包まれた。
「ぎゃああああああっ!!」
悲鳴は、すぐに途絶えた。
そこには、全身を氷漬けにされた兵士が立っていた。
ヘルはそれを一瞥すると、興味を失ったように玉座へ戻った。
「……つまんねー。ほんっと、つまんねー」
その様子を見ていた男が、呆れたように口を開いた。
「うるせぇぞ、ヘル」
ギザギザとした歯。
鋭い目つき。
ヘルの隣に立つその男は、まるで今の出来事など気にも留めていない様子だった。
氷の竜人スリュム。
氷の軍団において、ヘルに次ぐ地位に立つ男である。
「だってマジでつまんないんだもん!」
「だったらなんか面白いことでも探しとけ」
「それがねえから困ってんの!」
スリュムは小さく笑った。
「くかかっ。まあ、仕方ないさ。だが、もうすぐ動けるようになるだろう?」
「……!」
ヘルの口元が、にやりと歪んだ。
「ふはははっ!そうかもなあ!」
「それまで大人しくしていてくれよ」
「無理!」
「即答すんじゃねえ」
二人は、まるで昔からの友人のように言葉を交わしていた。
その足元では、氷漬けにされた兵士が静かに佇んでいる。
誰も、それを気に留める者はいなかった。
***
「ヘル様!ご報告がございます!」
慌ただしい足音とともに、一人の兵士が駆け込んできた。
「……なんだよ」
「竜王を名乗る者が、城の門前に!」
ヘルは眉をひそめた。
「……は?誰だよ」
「それが……」
兵士は一瞬、言いよどんだ。
「ザディが来た、と伝えろと」
「…………」
ヘルの表情が変わった。
「……ザディ?」
スリュムも顔を上げる。
「珍しいな」
「だろ?」
ヘルは勢いよく立ち上がった。
「おい、案内しろ!」
二人はすぐさま城の門へと向かった。
***
氷の城、城門前。
冷たい風が吹き荒れる中、一人の男が立っていた。
肩まで伸びた髪。
鍛え上げられた、岩のような肉体。
そして、顔に刻まれた無数の傷。
その一つ一つが、幾千もの戦いをくぐり抜けてきたことを物語っていた。
男は目の前にそびえる氷の城を見上げる。
「…………相変わらずですね……」
その背後から、二人の足音が近づいてきた。
「おおー!ザディ!久しぶりじゃん!」
ヘルが手を振りながら歩いてくる。
「お久しぶりです、ヘルさん」
ザディは軽く頭を下げた。
「ここは相変わらず寒いですね」
「んー?ありがとー!」
「ははっ。褒めているつもりはなかったのですが……」
ヘルはケラケラと笑った。
「くかかっ。で?何しに来たんだよ。お前がわざわざここまで来るなんて珍しいじゃん」
ザディの表情から、笑みが消えた。
「……ヘルさんは、いつ動くのかと思いまして」
「……あー」
ヘルは頭を掻いた。
「ラー派の連中、マジで動かねえからなあ」
「ええ……」
ザディは静かに頷いた。
「ヘルさんはラーさんとあまり親しくないので、ご存じないかもしれませんが……」
「うんうん」
「私も以前はラー派に属しておりました。しかし、ラーさんからはしばらく目立った動きをするなと、強く釘を刺されておりまして」
「へえー。お前もか」
「ええ」
ザディは腕を組んだ。
「ところが……最近、ラーさんと連絡が取れなくなりましてね」
「……連絡が?」
「はい」
ザディは空を見上げた。
「私の推測ですが……これはもう、自由に動いていいということなのではないかと」
「えぇ……マジ?」
ヘルは目を丸くした。
「俺なんか、中央の国だけは襲うなって、死ぬほど脅されたんだけど」
「私も同じです」
「なんなんだろうな、あいつ」
ヘルは鼻を鳴らした。
「まあ、俺はラーのことなんかよく知らねえし。あいつが何考えてんのかなんて、わかるわけねえけど」
「……私も、それが知りたいのです」
ザディは真剣な表情で続けた。
「ですので、私はこれから中央の国へ向かい、仲間を率いて暴れようと思っています」
「おおー!いいねえ!」
「ラーさんが本当に私たちの行動を制限したいのであれば、何かしら反応があるでしょう」
「なるほどねえ」
「もしラーさんから何か言われたら、また報告に来ますよ」
ザディは肩をすくめた。
「それまでは、あまり派手に動かない方がいいかもしれませんね」
「ははっ、そりゃ助かる!」
ヘルは笑いながら、城の方を振り返った。
「まあ、俺たちも何もしてないわけじゃねえけどな!」
「……と、言いますと?」
「実はさあ……」
ヘルは声を潜めた。
「ここだけの話、海を徐々に凍らせていってんの!」
「…………」
ザディは一瞬、言葉を失った。
「……海を、ですか?」
「そうそう!」
ヘルは楽しそうに両手を広げた。
「この調子なら、西の国はもうすぐ終わりだぜ?」
その口元が、ゆっくりと歪む。
「俺たちの力でなあ……!」
「…………」
ザディはヘルを見つめたあと、小さく笑った。
「ははっ……。やはり、あなたは敵に回したくありませんね」
「だろー?」
ヘルは満足そうに胸を張った。
「それじゃあ、私はこれで。皆さんもお気をつけて」
ザディは軽く頭を下げた。
「中央の国を攻めたあと、ラーさんから何か反応があれば、また報告に来ます」
「おう!頼んだぜ!」
「それでは」
ザディの身体が、ゆっくりと宙に浮かび上がった。
次の瞬間。
猛烈な風が巻き起こる。
ザディの姿は、一瞬にして空の彼方へと消えていった。
その場に残されたヘルとスリュム。
スリュムは飛び去った方向を眺めながら、ぽつりと呟いた。
「……ラーは、一体何をしているんだろうな」
「さあな!」
ヘルはあっけらかんと答えた。
「まあ、あいつが死んでくれたら、こっちも動きやすくなって助かるけどな!」
そう言って、ヘルはスリュムを見た。
スリュムもまた、ヘルを見つめる。
「……くかかっ」
スリュムの口元が、ゆっくりと歪んだ。
「……ふははははっ!」
「かはははははっ!!」
二人の笑い声が、氷の城に響き渡る。
まるで、これから起こる惨劇を楽しみにしているかのように。
凍てつく風が、城門を吹き抜けていった。
***
一方。
竜征軍本部。
隊長会議室。
各隊長が集まり、報告書に目を通していた。
サブもまた、隊長の一人として会議に参加している。
その隣には、側近としてキリが控えていた。
キリは手元の資料をめくっていた。
そして、一枚の報告書に目を留める。
「………………サブ」
いつもと変わらない声。
しかし、その表情はわずかに曇っていた。
「……ん?なんだ?」
キリは一枚の紙を手に取り、サブへと差し出した。
「これ…………北の国の調査報告書」
「北の国か……」
サブは資料を受け取る。
「そういえば、調査隊を派遣していたな」
ページをめくりながら、サブは呟いた。
「……どうせ今回も成果なしか。あそこは何年も前から——」
その言葉が止まった。
報告書に記された、一つの報告。
『北の国調査隊。
隊員の約半数が死亡』
「…………」
サブの表情が変わった。
「……なんだと?」
思わず、報告書を見つめる。
その隣で。
キリは、何も言わなかった。
ただ、報告書に目を落としていた。
長い黒髪が、静かに頬へとかかる。
その瞳は。
漆黒だった。
まるで、光さえも飲み込んでしまうかのような、深い黒。
そこには、悲しみがあったのか。
怒りがあったのか。
そして、決して消えることのない憎しみがあったのだろうか。
サブにはわからなかった。
「……………………」
キリは、静かに拳を握りしめる。
「……キリ?」
サブが声をかけた。
キリは、はっとしたように顔を上げる。
「…………なに?」
「いや……なんでもない」
サブは一瞬、彼女の目を見つめた。
だが、それ以上は何も聞かなかった。
キリは再び報告書へと視線を落とす。
その瞳から、先ほどの感情は消えていた。
いつもの、冷静なキリ。
しかし。
握りしめられた拳は、まだわずかに震えていた。
これから1、2話ペースで毎日投稿しようと思います。




